レイヴンの知らせに、フレンは多少の疑念を抱えながらも即手配を始めた。
他の者に委ねて欲しいというソディアの懇願には耳も貸さず、自ら最小限の人員を選び、標的に気付かれぬよう細心の注意を払ってそれらを配置する。現場で直接指揮を執り、張り込みを続け――幹部の一人を密かに捕縛したのは、それから十時間余り後のことだった。
引き上げ際に、弔意の花束を手にした誰かとすれ違ったのは、偶然ということにしておこう……。
「――で?
あれから一日経つけど、現状どうなのよ」
「未だ尋問中です…、しかし」
「まだ口を割らないってわけね。
あんまり時間かけてると連中が感づくでしょ。そうなったらさぁ、首領の"お膳立て"も何もかもがパーってやつよ?
次の機会なんてあるかどうかもわかんないし…ユーリに手を出した以上、取り次いだ俺様は警戒されてるだろうから、もう動けないわよ?」
「わかっています」
いつもの部屋の、いつもの時間。
月明かりの中で口調は変わらぬ軽さを装っている。が、今まで聴いたことがないほど矢継ぎ早の硬い声にフレンは唇を噛む。
押し殺したような沈黙にレイヴンもふと口を噤み、ついで大きく息を吐いた。
「……悪いわね、おっさんもちょいと頭に血が上ったみたい。別にダンチョー閣下を責めたわけじゃあないのよ」
「いえ、おっしゃる通りですから」
やりきれない思いで首を振る。
打つべき次の手に心当たりがない以上、ここで何らかの手がかりを掴まないことには…これが最後の、ユーリへ繋がる最後のチャンスだ。
目の前の男も同じ気持ちなのだろうとわかっているからこそ、フレンには返す言葉がなかった。
がしがしと頭を掻き、再び大きく息をついた後――レイヴンはつと視線を外す。
「まあいいわ。俺は、別にこんな話をしに来たわけじゃないしねぇ」
「どちらへ」
言葉と同時に向けられた背中へ投げた問いに、レイヴンは振り向きもしない。
「例の幹部、地下の押し込め牢でしょ?」
「まさか、あなたが尋問を?」
「まっさかー。おっさんは一般人だってば〜」
慌てるフレンに、軽い口調が返る。
が――肩越しに振り返った視線は、ぞくりとするほど冷たいものだった。
「こういう時のね、適任がいるのよ。
汚れ仕事の得意なヤツ、ってのが…ね」
****
帝国成立時からの建造を誇る巨大なザーフィアス城には、その歴史に比例するように古い設備がいくらも存在する。
増築部は上へ上へと拡大するものだから、下層の老朽化した設備から打ち捨てられて行く。そういう中には、お決まりのように口にするのも憚られるような目的の為の部屋が複数あると言われている。
今回捕縛した幹部を秘密裏に収監したのは、そんな古い地下牢のひとつだった。
このことはまだ外部に漏れるわけにいかない。そのための少ない人員の手配であり、通常ならフレンが使いもしないような設備の使用だ。
地下に降りたフレンは、牢に直行するでなく牢付近の廊下に無言で立ち尽くしている。
と、粗末な扉が軋みつつ開く音にハッとした顔で振り返り、そのまま軽く目を見開いた。
肩にかかるかどうかという長さの黒髪。
艶を消した金のブーツと手甲。
オレンジのサーコート。
弓兵ならではの、片側だけの濃橙の肩当――。
「……シュヴァーン隊長…」
知らずその名が口をついて出る。
身に纏うのは、鎧より硬く冴え冴えとした気迫。半ば伏せていた瞳を上げ静かにフレンを射る――その視線の冷徹さ。
これがユーリと共にいた、情けなく胡散臭いながらも大らかな笑みのあの男だろうか。事情を知らぬ人間は、同一人物と理解するのは難しかろう。
そこにいたのはまさに、人魔戦争の英雄、騎士団の英傑と謳われたその人で…。
呑まれたように立ちつくすフレンの視線の先、ふと、男の口元が自嘲で歪んだ。
「…まさか、もう一度この鎧を手に取ることになるとは」
誰かの反応を期待したものではない呟きに、フレンは黙って男の胸中を慮った。自ら『死んだ』と明言した人間に戻ろうとした男の苦渋と決断の苦痛は、いかばかりであったろう。
短い吐息の後、左手の包みを懐へ忍ばせると――シュヴァーンは直ちに踵を鳴らして団長代行に小さく敬礼する。
「閣下は、執務室にお戻りください」
厳しい声音でそう言いきるや否や、返答を待たずに牢へ向かい始めた。
「いえ、私も尋問に立会いを!」
「お戻りください」
慌てて後を追うフレンに、シュヴァーンは硬い口調で「戻れ」と繰り返すばかりだ。
しばらく押し問答が続き、拒絶の声に厭倦が滲み始める。
「閣下」
「レイヴン殿はともかく、『シュヴァーン』は私の…団長代行の部下のはず。
団長命令として立会いを要求するとしても、その求めを突っぱねますか」
「………」
シュヴァーンの足が止まった。
隊長首席の姿勢を貫き厳しく硬い声音と公的な口調を崩さなかった男が、頑として求めを曲げないフレンに…ひとつためいきを落とす。
「あのね…」
それまで厳然たる空気を纏っていたものがふと和らいで、少々馴染んだ気配へ『戻った』。
固唾を呑むフレンの前で姿は隊長首席のまま、男はがしがしと頭を掻き呟くように低く言葉を漏らした。
「おっさんがお兄さんに立ち会って欲しくないってのは、青年の気持ちを汲んでのことでもあんのよ」
「ユーリの気持ちを…?」
当惑するフレンへ向けられた視線には、困ったような苦笑が添えられていた。
「青年はさ、お前さんに薄汚れて欲しくないと思ってる。
騎士団のトップとして、国の中枢で真っ直ぐ前を見て、真っ当な道をつらぬいて欲しいってね。
だから、影になる部分や少しでもキタナイ部分は自分が背負おうとしてる…なーんてこと、今更おっさんが言うまでもないでしょ?」
わかってるくせに、と。
実際の声にはならず、しかし言外に付け加えられたニュアンスに、迷うことなくフレンも深く頷く。
「だから、これから俺がしようとしてることを見て欲しくないのよ。
わかってちょうだいな」
説得は終わったとばかりにフレンを置いて足を進めようとしたレイヴンは、踏み出したその足音を打ち消すような低い確たる響きに、また動きを止めた。
「――ユーリの望みはわかっています。
だからこそ、僕は騎士団の中の薄汚れた部分も見なくてはならない。
綺麗なものも汚いものもこの目で見て、それすらも飲み込み受け入れて…それでもなお、僕はユーリの望む姿でいたい。
それこそが、ユーリの望みを本当の意味で叶えることだと…それを成し遂げられると信じるのは、僕の思い上がりでしょうか」
「………」
向けたままの背に注がれる真摯な視線に耐えられなくなったか、レイヴンが盛大な溜息とともに両肩をガックリと落とす。
「ああもう、……若いっていいわねぇ」
まいった…とほろ苦く呟き、降参の意思表示で両手を軽く挙げた。
と、
「…鏡、かね」
「え?」
唐突に転がり落ちた単語に、フレンは当惑の瞬きを繰り返す。
肩越し、硬い黒髪からチラと覗いた翡翠に浮かんでいたのは、達観と……わずかな羨望だったかもしれない。
「互いに向き合った時、自分の今の姿を知ることのできる相手。
自分がその時何を見て、考えて、どんな顔をしてるのか…。それを知ることで、自分がどんな道を進んでいるか…ってね。
おたくら二人見てると、そんな風に思うよ」
「鏡、ですか…確かにそうかもしれません」
「………そんな相手が居る限り、お前さん方はきっと大丈夫だろうねぇ」
呟きに期待とささやかな陰りをにじませつつ、…帯びていた剣の柄にかかった手がそれを強く握ったことにフレンは気付かなかった。
つ、とオレンジのサーコートが再び姿勢を正す。
「では閣下、全てを私にご一任くだされますよう…よろしいでしょうか」
「……わかった」
低く厳しい『シュヴァーン』の声音に、フレンは団長代行として短く応えその背を追った。