温いかもしれませんが、暴力的な意味で15禁です。
読まれる方は自己責任でお願いします。
ジャリ……
重い鎖が石畳を擦る音に、呻き声が被った。
暗い廊下に面してまばらに扉が並ぶ。いずれも錆と黴の浮いた、どこか饐えた臭いのこびりついたような木製の扉だ。
そのひとつ――古い蝶番が軋みを上げながらゆっくりと役目を果たせば、音の元は視線の先……男を拘束し吊るした用具からのものと知れる。
先に指示を出していた通り、後ろ手から両手首を纏め上げた状態で姿勢が変更保持されており、それを確認すると伝達者本人――シュヴァーンは、見張りとしてそばに待機していた騎士に無言で退席を命じた。
シュヴァーンと共通の色を纏った騎士は、わずかな躊躇いと奇跡を見るに似た驚きと歓喜を込めた視線で上官を見つめ、喉を詰まらせた声で「はっ!」と応じるや素早く部屋を飛び出す。
扉を閉める直前、啜り上げるような音が部屋に滑り込み、シュヴァーンは瞳の端に苦笑の気配を滲ませた。だが、それもほんの一瞬のことだ。
フレンの前で感情の色を全て消し去った男は、壁際に低く吊られた男へ歩み寄り剣を抜く。
「――起きているのだろう」
低い無機的な呼びかけに渋々薄目を開けた男は、シュヴァーンの顔を見上げ――哂った。
「へえー、その鎧……次は誰かと思ったら、あんたかー。裏切り者の隊長首席さん」
あからさまな挑発と侮蔑を込めた声に反応したのは、フレンだけだった。
壁から離れようとしたフレンを、小さく指の動きだけで制して……シュヴァーンは眉一つ動かすことも、呼吸一つ乱すこともなかった。
「けっ、おれも重要人物扱いだなー。この調子で部屋も上等にしてくれねーのかよ。
なんだったら、あんたにやったクスリで上手いことヤれた誰かさんを回してくれてもいいんだぜぇー?
そしたら、ちょっとは喋ってやってもいい――」
「よく吠える」
滔々と流れるように侮辱を口にし続けていた男は、短く冷たい声に言葉を呑み、
ガツッ――!!
至近距離に突き立った剣を目の当たりにして完全に押し黙った。
石畳の隙間に深々と突き刺さった剣と凍るような鋭い眼光は、気付けばフレンですら背に汗の伝う程もの凄まじい圧力だった。
「俺は、お前のお喋りを聞きに来たわけではない。
お前が語るべきは問いへの答えだ。それ以外、口を開く必要はない」
「……へっ、誰が……」
「そうか、喋るつもりはないか。
ならば好きにするがいい」
震える声と対照的に淡々と紡がれた低い声音は、それを最後に発言を止める。
あまりに静かに離れた影を不安げに見上げた男の視線が、シュヴァーンが懐から取り出した中身を掌に落とすのを捉え……落ち着きなく部屋をきょろきょろと見渡す。
さらさらと小さな金属音をもたらしたそれをシュヴァーンは手近な椅子の上に広げると、纏めてあった参考人の手首を掴み逆の手で細く長い針を無表情で摘み上げる。
目を瞠るフレンの前で、抵抗を試みる男の指を一本取り――摘んだ針を無造作に爪の隙間へと打ち込んだ。
「があぁぁああ……!!」
「一本」
「……ひっ、ぎゃああ……っ!!」
「二本」
暴れようとする男を片手一本でねじ伏せ、ものともせず淡々と長い針を突き立てていく姿は、無機物相手の単純作業を繰り返しているかのようであり……その、あまりの現実感のなさに、フレンはただ呆然とシュヴァーンがなすことだけを見つめていた。
悲鳴と、単調に針の数を数えていく声が重なり、五本を数えたところでシュヴァーンがふと目を細めた。
「うるさいな」
煩わしげな呟きと共に、シュヴァーンは何気なく男の顎に手をかける。
鈍い不快な音とほぼ同時に、今度は声にならぬ絶叫が空間を満たした。
顎を外され、痛みから逃避するために叫ぶこともできず、しかし手首は拘束されたままで激痛に転がることもできない。
「シュ――!」
さすがにこれでは尋問ではなく拷問だ、と制止しようと声を上げかけたフレンは、此方を薙いだ視線にその動きを強張らせた。
氷より冷たく鋭い熱を孕むそれは、一瞬にしてフレンの動きを縫い止めるに十分であり、同時に現状と経緯とを突き付けるものであった。
――なんのために、ここまでする必要があるのか。
――それを容認したのは、誰か。
確かに、全てを一任すると誓ったのは自分。そして、清濁併せ呑む覚悟と言い切ったのも自分。
そして何より、今までこの男にユーリの居所を吐かせられなかったのも自分だ……
現状を見れば『尋問』という手緩い扱いではどうしようもなかったのかもしれない、とも思える。
凍った翡翠の奥で煮えたぎる熱は、まぎれもない怒りだった。
シュヴァーンの怒りは自分に向けられたものではないが、無理にねじ伏せたそれは今にも暴発しそうに沸き立っており、ギリギリの均衡が淡々とした口調と併せてこの部屋に異様なほどの緊張をもたらしている。
……もう、自分が口を挟める段階は過ぎてしまったのだろう。
フレンは小さく唇を噛み、一度は浮かせた背を黙って壁へと戻す。握り締めた拳をゆっくり開けば、手甲の下で掌がべっとりと濡れていた。
フレンの動きを確認したシュヴァーンは短く息を吐くと、尋問対象へ再び視線を戻す。
「さて……、しかし、このままでは喋ることもできんか」
さも億劫そうに今一度男の顎に手をかける。再び鈍い音の後、人らしい呻き声に戻った男は汚れた顔を蒼白にして、シュヴァーンを怯えた目で見上げた。後はさしたる抵抗もなく、言われるがままに口を開いていくだけだ。
たまに口ごもれば、指の先に並び生えた銀色のラインがしゃらしゃらと鳴り始め、奏でられる音色に合わせて言葉の代わりに悲鳴が上がる。
ギルドの幹部…だった男は、プライドも何もかもをかなぐり捨てた様子でペラペラと求められるまま、知る限りの情報を垂れ流していく。
新しい隠れ家の場所、その内部構造。護衛の配置状況。
協力者が誰で、評議会員の誰とどのような相関関係であるか。
単独で取り扱っている新薬と保管場所について。
そして――
「……オーナーが、捕らえた男はどこだ」
「オーナーが、捕らえた……?」
ぼんやりとシュヴァーンを見上げた男の反応に、隊長首席は一度唇を引き……改めて口を開く。
「ユーリ・ローウェル。カジノを撤退する直前、地下に侵入して捕らえられた男だ」
「あ、ああ……。ヤツなら、一番奥の…オーナーがいる部屋のまだ奥に……。部屋の鍵は、オーナーの護衛が持ってる。ただ……」
――生きているのか、死んでいるのか……
曖昧な返答に、初めてシュヴァーンの奥歯が鳴った。
「どっちだ!」
「シュヴァーン隊長……っ!」
尋問相手の胸倉を掴み上げたシュヴァーンへ、供述書を記していたフレンが低く制止の声を上げる。
怯えきった悲鳴を漏らした男は、ついに歯の根も合わぬほどに震え始め……シュヴァーンは鋭く舌打ちを漏らした。
「もう役には立たんな」
呟きに何をする気かと問う前、フレンの目の前でシュヴァーンは男の喉元へ手をかける。
「―――?!」
喉へ加わる力にヒッと息を呑んだ男の頭が、わずかの後かくりと落ちた。
「シュヴァーン隊長、何を?!」
「心配しなくとも、ただの脳貧血だ。殺しはしない……そんな易しいことは、しない」
冷えた呟きに、フレンは安堵と共に抱え込んでいた緊張の塊を吐き出す勢いで大きく息を吐いた。
尋問はどうやらこれで終わりらしい。ならば次にするべきことは決まっている。
カラカラに乾いた喉を絞り、フレンは掠れた声で当たり前のように言い置いて部屋を出ようとした。
「直ちに、逮捕と救出のための部隊を編成します」
「いや、それは困る」
「なぜ……?!」
意外な一言に詰め寄ろうとしたフレンは、長く息を吐いた男の視線を受けて足を止める。
激しさこそなりを潜めたものの、視線に含まれた強さには相変わらず有無を言わせないものがあった。
「今の話、聞いたでしょ?
評議会の誰かさんがつるんでるって言うなら、騎士団の動きくらい監視は付いてるはず。……そこまで言えば、わかるわよね?」
「……ここで逃げられたら、もう次はない」
「そう。だから……そっと準備はしておいてよ。目くらましに、おおっぴらな陽動部隊ってのも手かもしんないわね。
その間に、こっちは連れと一緒にこっそり忍び込んで中から引っ掻き回す。
合図するわよ。そしたら突っ込んできてちょーだい」
煩わしげにもう鎧を外しにかかりながら、シュヴァーン……いや、レイヴンはてきぱきとフレンに指示を与えた。
立場としては本来フレンが指示を出す側だが、そのようなことは瑣末時だ。フレンは「わかりました」と唇を引いて深く頷く。
しかし。
フレンはかすかに眉を寄せた。
「ですが、連れ、と一緒に……?」
「そう、頼もし〜い連れとね」
「合図と言うのは、一体どのような?」
鎧のほぼを外し終え、その場に打ち捨てるようにして部屋を出るレイヴンが肩越しに振り返る。
「……お前さんなら、よーくわかる合図、よ」
その響きにはささやかながら笑いの波が込められており、扉の向こうへ消えた影を意識で追いながら、
「僕になら、よくわかる……?」
フレンは今のセリフを理解しようと、やや呆然として同じ単語を繰り返し呟いていた。