握っていた弓を小太刀に持ち替えたのは、闘いが始まって直ぐのことだ。
 驚くほどの瞬発力と機敏で予想を覆すトリッキーな動きは、弓を引くだけのゆとりを与えてはくれなかった。
 ラピードが加わっての共同戦線をという心積もりもなくはなかったが、衣服のいずこかに仕込んだ針を幾度も投げ打たれ、そのたびにタイミングを狂わされてはチャンスを失い……結局は一対一で相手の動きだけに全神経を集中させたほうが勝算もあるだろうとレイヴンは近接攻撃だけに意識を傾ける。  突き払い、受けてはまた凌ぎ。
 戦うためというより、殺すための剣技を相手に欠片の油断も許されない。
 微塵のためらいなく確実に急所を狙い撃ち、切り裂き、断とうとする刃は、レイヴンに否応なく死地の匂いをまざまざと思い起こさせる。
 相手の太刀筋に曳かれるように、レイヴンの剣の軌跡も自然と急所のみを狙ったものへ変化していった。
 顔面、心臓、もしくは腎臓目掛けて突き込み、あるいは頚動脈や喉笛を狙い澄ませて一閃させる。互いにもう、浅手の傷はいくつも負っている。
(…ちっ、リーチが……)
 レイヴンは舌打ちして変則的にステップを踏み、フェイントと共に一気に間合いを詰めようとするが、けん制だろう投げ針に利き手の肘を狙われ手近な机を盾にした。
(青年には殺されてもいいって思ったけど、こんなやつに殺されるのは……冗談じゃない、わよ……!)
 限られた空間、そしてこれだけの接近戦では、相手の間合いで動きの止まった者が負ける。障害物をいかにこなしていくかも重要だ。
 その点に限れば乱入者のレイヴンにとって不利な条件ではあったが、そんなものをとやかく言っている場合ではない。
 素早く目を配り、動きの先の先を読もうと意識を張り巡らせつつ、少しでも相手の隙を引き出そうと口を開く。

「しっかしまあ、あんな男にはもったいない腕よね。お前さんくらいの腕っ節があればどこのギルドでもやっていけたんじゃない? カーズく〜ん」
「おれをそんな名前で呼ぶな……!」

 ダメ元で叩いて見せた軽口だったが、予想外の反応にレイヴンは薄く目を眇めた。
 あからさまな嫌悪は、顔色だけに留まらず剣先の動きにまで現れる。その微妙なブレと足音の微かな乱れは、初めて見せた隙のようなものだった。
「それはヤツが、おれを札(カード)の一枚と見立ててつけた呼び名だ。おれにもう……あんたが呼べる名などない」
(…………?)
 その最後の一言が意識に引っかかる。
 それが何かを見極める前に、突然花瓶を投げつけられた。

 ガシャーーーン!!

 音と派手さの割りに、距離を保てばあまり効果がないということは相手もわかるはずだが。何をそんなに取り乱しているのか、と思う一方で、レイヴンの耳は廊下を走る鉄靴の音を拾い上げている。
「ユーリ、どこだ!」
「レイヴン殿、どちらですか?!」
 同時に、予想していた声を聞き取りレイヴンはとっさに、考えるより先に大きく叫んだ。

「――来るな!!」

 死線上で凛然と響く声音は、それが届いた先全ての時間を止めた。
「ルブランはその場で待機!
 他も俺が良いと言うまで、ここへは来るな!!」
 命令にも等しい叩きつけるような声音に、駆け付けようとしていたルブランは隠し通路に入る直前で直立不動を保つ。瞬間足を止めたフレンは迷った挙句、思い切れずに部屋の入り口へと駆け込んだ。
「レイ、………?!」
 薄く血に汚れた二人の姿を目の当たりにして、フレンが言葉を呑む。
 反射的に柄へ手をかけ、踏み込もうとして足元の障害に気付き目を落とした。
「ラピード? ……行くなと言うのか」
 動きを妨げるように立ちはだかったラピードを見つめ――やがて唇を噛んだフレンも、ラピードに倣い二人の闘いを見守ろうと決めたらしい。
 互いに見せた先の動揺で、二人共に今までにない傷を負っていた。
 レイヴンは肩口に、敵は手首に。
 これ以上の時間はかけられない。無論、自分の命とユーリの身の安全のために……そして、ユーリ自身のために。
(ここへ、人が集まる前に決着を――)
 レイヴンは目を細め……ある一点に意識を集中させると、小太刀を構え直した。
 些か無謀に思えるほどに踏み込み、すれ違いざま叩き込むように刃を振るう。
 確かな手ごたえはあったが、まだ浅手だったか相手の動きに変わりはない。逆に返しで二の腕に受けた傷のほうが深いだろう。
 ほんの一瞬おかしな顔をしたカーズだったが、レイヴンの腕から流れる血の赤に目を細める。優位を感じたか久方ぶりの笑みを見せ、唇を舐めた。

「ヤケを起こしたか? それとも、おれを甘く見たのか?」
「さあてねぇ。……少なくとも、そのどっちも違うと思うわよ」
 続けざまに切り結び離れた際、血を払うように腕を振るとレイヴンはすいっと呼吸を止めた。同時に声には出さずカウントを始める。
(……3、…2、…1)
「ん? なん………?!」
(……ゼロ!)
 言い難い異変を感じ取ったのかハッとした顔で我が身を押さえるカーズに、カウントダウンを終えたレイヴンが腰を沈めた。

 ド……ゥン―――!!

 時練爆鐘の衝撃が身体の奥から突き上げるように弾け、若い男は驚愕に目を瞠る。
 ダメージはさほどではないかもしれない、が、その隙をレイヴンは待っていた。
 動きの止まった敵の喉を、躊躇いなく小太刀の切っ先が切り裂き、一拍置いて喉笛からぱっと赤い花が散った――



 心臓魔導器を抱えるレイヴンには、魔導器の消滅した今の世界でも術技の使用になんら問題はない。
 しかし、そのようなものが存在することはごく一握りの人間が知る事実であるし、広く知られるわけにもいかない。
 魔導士だけでなく詠唱術を使用していた経緯があるなら、エアルの流れに敏感な者は多数いる。
 だから、よほどでない限り術技を使うことはまずない。
 使うとすれば――
「完全な、隠し玉ってね。……目立たず地味〜に、皆と同じように普通に生きていくって約束したんだから」
 聞かせるともなく独り呟き血振りした小太刀を鞘に収めると、レイヴンは鍵を手に入れるべくカーズの元へと歩み寄った。
 ぱっくりと開いた喉からは血が細かい気泡と共に零れ落ち、ひゅーひゅーと漏れる細い息も徐々により細く弱くなっていく。
 もうじき、この命も尽きる。
 そんな状況で、若い男は視界にレイヴンを認めると……ほんのりと微笑んで見せた。
「……死に場所探すなら、もっと穏便にやんなさいよね」
 巻き込まれて迷惑よ。
 そう突き放すように言い切れば、弱い瞬きが不思議と穏やかな微笑みを彩り、唇がかすかに震え――絶命を示して頭がことりと落ちる。  が、レイヴンは凍ったように動けなかった。

「………たい、ちょ…、……っ?!」

 まがい物の心臓が、大きく音を立てたように思えた。
 最期の瞬間にカーズが声にならぬまま紡ぎ落とした単語は、レイヴンに心臓をわしづかみされるような衝撃をもたらした。が、それもつかの間のことだ。
「レイヴン殿、ユーリは……ユーリはどこに?!」
「動かないでちょうだい」
 我に返ると同時に、知らず言葉が滑り落ちる。
「なぜ……?!」
「お願いだから。もう少しだけ待っててよ……青年のために」
「……くっ」

 きっと、お前さんには見せたくないだろう姿で、そこにいるだろうから――

 呟きは喉の奥に押し殺しながら死人から鍵を取り上げると、レイヴンは待ち望んだ扉のノブを回し開けた。





PAGETOP
(限定掲載)
拍手