『最後までしゃんと生きやがれ!!』


 長く共に旅した彼らを、捨て駒としての戦いとわかっていながらバクティオン神殿の奥で迎え撃った日。
 生きているともいえない、まがいものの生が、ようやく終るかと思えたその時。
 血を吐くように叫んだ彼の…自分の肩を痛いほどに掴み揺さぶる手が、微かに震えていたことは、今でも鮮明に思い出せる。
 きっと、自分という存在が終わって、意識が潰える瞬間まで忘れることはないだろう。
 それならば、道具ではなくせめて人として終わろうと、脱出を助け落下する天井の下敷きになり……それでも、なぜか生き延びてしまってあら不思議。

「そのうえ、勝手に死ぬなってねぇ…はは。
 叱咤なのか呪いなのか激励なのか叱咤なのか…あらん、だぶっちまった」

 愚痴とも冗談とも、自分でもどちらとつかない呟きがレイヴンの口からこぼれたのは、バウルに吊り下げられ上空を滑るように移動するフィエルティア号の甲板の上だった。
 ザウデでアレクセイとの決着をつけ、今は星喰みへの対抗策を模索しながら世界中を飛び回る日々。ザウデ突入前にひとつ終えたら次を考える、とは言ったが、まさかまさかの連続がこうも立て続けだと、次を考えるゆとりもない。良いことなのか悪いことなのか。
 それでも、自分の命を貰い受けたという青年の「酔狂」な宣言が、がんじがらめの枷をまたひとつ取り除いてくれたようにも思う。
 したたかに殴られながらも、それとは別に、痛みではなく自分の中の何かを引きちぎるような衝撃を受けた。
 思い出すたび、こりゃ死ねないわ、と微笑みつつ呟いている自分に気付いたのは割と最近だ――。

 10年と一言でいっても、目的があるわけでもなく死人として過ごした時間は他人の人生を眺めているかのようだった。
 習い性になったのは、本音を隠す道化癖、信じさせたい嘘のつき方、そして自分の意志を欠片も持たずに時間をやり過ごす方法。
 いまや仲間内での代名詞になっている女好きの仮面は、楽な道化方だった。元々嫌いなわけではなく、ましてや、時折思い出したように道具として女のように組み敷かれることもあったりすると、その反動のように人肌に触れ、刹那の快楽に沈んだものだ。
 すでに道化の必要がなくなった…と言えなくもないのだろうが、これほど長いと身に染み付いてもう反射の域である。
 むしろ、昔の性格に復元を迫られても無理。エッグベアを正装させてワルツを踊らせるようなものだ。
「まあ、根が近いものはあったしねぇ。
 今のまま皆に受け入れてもらえてるなら、もうこのままでいーんじゃないかしらん」
 自身の問題で、魔導器のことを除いて残されたのはおそらく……。

「ん?」
 あぐらをかきつつ、取り留めなく思考をかき回していたレイヴンが瞬いた。
 鼻をうごめかし、あごに手を当てる。
 にやっと笑みを浮かべ、階段を下りて誘われるように向かった先は船の厨房だった。
 扉を開けると、漂っていた香ばしい匂いがより一層強くなる。
「おおっ、今日は青年のコロッケなのね」
「おっさん、つまみ食いすんなよ」
 剣をキッチンナイフに持ち替え、ひたすらニンジンを刻んでいたユーリが顔も上げずにけん制する。
 しかし、そんなことは気にしないのがレイヴンだ。聞こえていないふりで大皿に向かい、揚げたてに手を伸ばす…が。

 タァン!!

「………」
「ああ、わーりぃ。手が滑っちまった」
「す、滑りよすぎ…」
 鼻先数センチを通り過ぎて壁に突き立ったナイフと、本日の料理番とを交互に見やるレイヴン。
 対して、ユーリは野菜を刻み終わった様子で、レタスをぱりぱり裂いていく。徹頭徹尾レイヴンのほうに顔を向けようともしない。
「つまみ食い。
 敢行したら、今日のおっさんのおかずは全員に分配っと」
「…食った分を減らすんじゃなくて全滅って酷くなーい?」
「あんたは、常習過ぎるんだよ」
 改めて釘を刺され、レイヴンは年甲斐もなくちぇーと唇を尖らせ壁際に座り込んだ。
「んなとこで落ち着くなよ。邪魔邪魔」
「あれだねえ、ほら。子供が料理が出来上がるまでそばで待ってるってやつ」
「こど…30いくつのガキなんざ、持った記憶はねぇな」
「まあ、そう言いなさんな。
 …これでも、ささやかな生の実感ってやつかもしれないんでね」

 てきぱきとサラダの支度をしていたユーリの手が止まる。
「…おいおい、大げさだな」
 苦笑交じりで振り返ったユーリの視線を避けるように、レイヴンは手を頭の後ろで組むと目を閉じた。
「んー、そうねえ。
 ただね、空腹以外の理由で目先以外の食事を楽しみにするって、死んでた間にはちょっとなかったことだからねえ」
「散々、腹減ったメシ食わせろってなこと、聞いてた気がすんだけどな?」
「だからあ、それは体の求める欲求でしょ。
 そうじゃなくて…先のことを期待するって感情かね」
「期待…?」
 意味を掴みかね眉を寄せるユーリに、レイヴンはほろ苦く笑って天井を見上げる。
「そそ。
 たとえば、寝る前に明日は何をしようとか何があるだろうとか、考えるものじゃないの。人間ってさ。
 先にある何かを楽しみにするってのは、そいつ自身が明日が来るってことを疑ってないから出来ることなんさ。
 死んだ人間には……明日の意味なんかないからねぇ」
「レイヴン…」

 何も考えず、何かを考える理由を得ることすら許されず、与えられた役割だけを果たしていた頃、レイヴンにとって明日というのは単純に翌日というだけ、未来とは次の計画進行というだけの意味で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 自分の命ですら自分の手の届かないところにあるなら、先の時間に何の意味があるというのか。いつ止められるかわからない心臓魔導器…命を握られているということは、そういうことだ。
 だが、しかし今は……。
 ふと自嘲すると、両掌を軽く開いて首を振る。こんな真面目な話は柄じゃない。

「あーーー、なーんか重ったるい話になっちまったわね。
 つまり、あれよ。
 課題解決のために色々思い出しがてら、こんな身近なところから体感してみようかなって、そういう話」
「……そっか、じゃあ今は何期待して待ってんだ?」
「そりゃー、感動した青年が俺様に特別メニューを振舞っ――」
「あーいそがしいーいそがしいー」
「って、最後まで聞いてちょうだいよっ」
 あからさまに棒読み口調で、付け合せのサラダを完成させに戻ったユーリの背に「ったくう」とぼやいてみせる。
 が、ボウルを抱えドレッシングをかけ回すあの手に、自分の命が握られているかと思うと悪い気はしない。道具としての命運ではなく、その頼もしい手に握られているのはレイヴンという生きた存在なのだから…。
 手際よく支度を進めていく手元を、レイヴンは自覚なくぼんやり眺め続けている。きっと自分が幸せそうな微笑を浮かべていることにも気付いていないだろう。

「あとちょっととはいえ、いつまでもそんなところに居られちゃ、邪魔なんだよな」
 いつのまにかパンナイフに持ち替えていたユーリが、レイヴンへとつかつか歩み寄る。
「これでもやるから、食ったら皿持って食堂行ってろよ」
「やりぃ…ってパンの耳かよ!」
「いらねぇなら、俺が食う」
 そう言いながらユーリから手渡されたパンの耳は、なにやら二つに折り込まれており、妙に膨れた箇所が火傷しそうなくらいの熱を持っていた。
 慌てて中身を確認すると、衣の破れた小型のコロッケが一つ押し込むようにして挟まれている。
「失敗作の証拠隠滅、な」
 背を向けたまま、異常なキレのよさで一心に食パンをスライスし続けるユーリの姿に、ふと笑みがこぼれた。
 黙って、即席のコロッケサンドを一口ほおばる。
 失敗作といいながら、カリッと揚がったコロッケにはいつも通り非のうちどころがなく、失敗といいたいのだろう衣の破れは不自然だった。
 揚げたてのコロッケで、心臓魔導器まで熱くなるというのも不思議な話だ。

「…んー、愛情が詰まってるわねえ…」
「失敗した愛情って、どんなんだろうな」
「ちょっと青年、感動の余韻台無しよ」
「いいから、さっさと食って皿を持ってけっつの」
「はいはい〜っと」
 立ち上がりがてら、ユーリがいた方へ目をやるとレイヴンはひとつ瞬く。
 ユーリの動作がいつもより荒いのはどうしたことか。あと、食パンはスライスしすぎではないだろうか。
 訊ねようとして、
「手ぇ出せ」
 至近距離の声に反射的に従い――レイヴンの喉からつぶれたような悲鳴があがった。
「ちょ、重!熱!!」
 食べ盛りを含めた六人分のコロッケが全て乗った大皿は、きれいな熱伝導でじつに満遍なく熱かった。
「ひっくり返したら、おっさんが全部作り直しな」
「酷!ってかあっつう!」
 ユーリが開けた扉から、レイヴンが走るように部屋を出て行く。
「こけんなよー」
 ドタバタ遠ざかる足音に、まず聞こえていないだろう警告を一つ投げ。
 クリーム色のエプロンをはずすユーリは、厨房の真ん中で立ち止まりレイヴンがもたれていた壁をじっと見つめた。
「…なんか、あのおっさん俺にばっかり本音もらしてねぇか…?」
 この時――憮然と呟くユーリの耳先がわずかに赤かったのは、ユーリ本人を含め誰も知らない話である。