誰がそんなものを持ち出したのか…おそらくカロルだったと思うが、船で夕食を済ませた後に全員参加でカードゲームをすることになった。
最初は、
「なんであたしが、そんなバカっぽいことに付き合わなきゃいけないのよ」
などと文句を言っていたリタも、レイヴンの挑発にまんまと乗り、無事に全員参加と相成った。
年齢や経験・頭の回転でハンデがありすぎるので、運も実力のうち…と、選んだゲームは『階段並べ』。要は、それぞれが持っている手札を一枚ずつ場に出して、数字の順に並べて行き、手札が早くなくなったものが勝ちというゲームだ。
駆け引きも確かにありはするが、手札の内容と順番の決定は完全に運によるから、全員揃えばカロルとリタでもいい勝負になったりする。
「やったー! ボクこれであがり!」
「えーっ、ガキンチョのくせに偉そうな…!
こうなったら、おっさんには絶っ対負けない!」
…と、予想以上に白熱した展開となり、ジュディス、リタ、レイヴン、エステルとあがって行き、意外なことに最後に残ったのがユーリだった。
「あーあ、負けちまった」
苦笑いのユーリが残った手札を場に捨てると、リタが覗き込んで眉を寄せる。
「あれ…ちょっとあんた。
これ、ガキンチョの前に出せたカードじゃないの?」
「そうだっけ?
なんか、ボーッとしちまってたみたいだ」
「あんたね…情けかけるのもほどほどにしないと、身のためになんないわよ」
「ちょいとタイミング逃しちまっただけだよ。
ま、運も実力のうちってな」
カロルに勝ちを譲って後、ことごとくタイミングをはずした結果の負けらしいが、そんなことをここで言わないのがユーリらしいところだ。
「え? なに二人で話ししてんの?」
「なんでもないわよ」
「そう? でも、ユーリが負けるなんて珍しいよねー」
上機嫌なカロルに、エステルも同意する。
「そうですね。普段はそういうところを見られないから、なんだかちょっとうれしいです」
「ふっふっふ、少年少女。そういう珍しいことがあったときは!」
突然レイヴンのテンションが上がって、ユーリが実に嫌そうな顔になった。
「…なんだよ、おっさん」
「こういうときは、罰ゲームに決まってるでしょ。罰ゲーム!」
「あ、いいねそれ!」
「ちょっと面白そうね。おっさんにしてはイイコト言うじゃない」
「げっ…」
予想通りの妙な盛り上がりに、ユーリの腰が引ける。
「ちょっと待てよ。最初はそんな話なかっただろ?」
「最初は最初、今は今よん」
「待てこらおっさん」
「でも、確かに最初はなかったルールだから、少し加減したものにしたらどうかしら」
「それはそうですね。後から厳しい罰ゲームというのはちょっと卑怯かも…」
「ジュディ。エステルまで…」
加減、卑怯かも、と言いつつ、実行する気満々の二人にユーリは頭を抱えた。
「じゃあ、ここはひとつ、一番あがりのカロル君に決めてもらおうや」
「えっ、ボクが決めていいの?!」
目がキラキラと輝いて、実にうれしそうなカロルの笑顔に、ユーリは嫌と言えずに深く深く息を吐いた。
「しゃーねぇ、負けは負けだ。カロル先生お手柔らかに頼むぜ」
「うーーーーん、そうだなぁ…何にしよう…」
真剣に悩むカロルだったが、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「あ、そうだ!
ねぇ、ユーリってさ、自分についての話ってあんまり聞かせてくれないよね。
だから、ボクがする質問に何か答えてもらうってのはどうかな」
「…あんまり、面白ぇ話なんかねぇぞ…?」
どんな変なことをする羽目になるのかと、警戒していたユーリの緊張がややほぐれる。
が、まだ油断は出来ない。
「どんな質問にするんです?」
「そうだなぁ…例えば――」
うんうん唸って考え込むカロル。
これでも、どうすれば手加減になるのかと悩んでいるようだ。
「そうだ!
ユーリってさ、甘いもの好きだよね。なんで甘いもの好きになったの?」
「…少年、もっとこう、コイバナとか突っつき甲斐のある質問してちょーだいよっ」
「あら、でも興味深い質問ね」
「ふーん。確かに、男でそこまで甘いものが好きってのも、理由があるなら聞きたい気もするわ」
「そうですね。ユーリ、理由があるんです?」
質問の内容にガックリきたのはレイヴンのみ。女性陣は、言われてみればの疑問に興味津々である。
「甘いものが、好きな理由…ね。
……、ああ、うん」
そう期待していなかった一同だが、予想から外れた反応に一瞬あっけにとられる。
「好きなものは好きなんだから理由なんかない」
という単純な答えが即答で返ってくるかと思っていたのだが。
「ええーっ、もしかして深ーい理由があるの?!」
「いや、そこまで深くはねぇけど…」
「なによ、なになに青年。
もしかして、儚い恋の美しくも切な〜〜い記憶と関わってる、とかあっちゃったりするわけ?」
「おっさんはその思考から離れろよ」
寄せた眉根を揉み、ユーリは唸って視線をはずした。
「…ま、いいか。
聞いて後悔すんなよ?」
諦めたように椅子に座りなおすと、固唾を呑んで見守る仲間たちを前に、ユーリは何かを思い出す瞳で口を開いた。
「――あれは、俺がまだガキでフレンと一緒に暮らしてた頃…、ちょいと性質の悪い風邪ひいちまってさ。
でまあ、フレンが一生懸命看病してくれるんだが…栄養とって体力つけないと、つーてメシ作ってくれるんだよ。あいつが」
全員がうっと言葉に詰まる。
忘れもしない、料理対決。
審査員全員が卒倒したあのフレンの手料理を、体の弱った子供が食べさせられるなど。
それは、なんという名の苦行であり艱難辛苦なのかと問いたい。
特に、審査員の一人として実際に体験したカロルなど蒼白だ。
「それ…大変だったね、ユーリぃ」
「ちょ、泣くなカロル。お前はあの時よくやったよ…」
「う、うん…」
カロルを慰めつつ、ユーリは思い出話を続ける。
「作ってくれてたのは雑炊だったんだが、…ていうか、だと思うんだが、さすがの俺もどんどん参っていってな。
見かねた近所のおばさんたちが差し入れてくれたんだが、それもたまたま雑炊でな。
いつもならたいしたことねぇんだが、弱ってたもんだから、味覚が記憶の連鎖起こして受け付けなくなっちまったんだよ」
「……ユーリ、命の危機に瀕したんですね…」
むしろ、いつもならたいしたことない、と言い切ったあたり、幼少期から実に器の大きな男だったようだ。
「まあな。
で、ひとりのおばさんが、これなら食べられるんじゃねぇかっつって持って来てくれたのが、柔らかめに作ったフレンチトーストだったんだよ。
あれは、マジでうまかった…」
遠い目でしみじみと呟くユーリ。
いつもは茶化すレイヴンも、素直に話を聞かないリタも、神妙な顔をして黙り込んでいる。
「中にたっぷり染み込んだ牛乳の甘さも、ふんわりやわらかいパン生地も、外のカリッとした歯ざわりも、卵と絡んだ香ばしい香りも…思い出すだけで、俺生きてて良かったな、と」
全員、無言でこくりと頷いた。
「で、おまけに、ずっとフレンの手料理食べてたから、自分の味覚に自信がなくなってたんだよな。
なもんで、あのフレンチトースト食べて、俺の味覚に間違いはなかったと再確認できたんだよ。それも感動だった。
命もヤバかったけど、俺の味覚も危なかった…。
あれがなかったら、今頃俺はどうなってたんだろうなぁ」
「ユーリの味覚がおかしくなってたら……ボクたちも、大変なことに…」
「そのおばさんは、ユーリの恩人なんですね。色々な意味で…」
つい、ユーリ含めて全員でしみじみと感慨にふける。
「ま、それが理由のそのいち、だな」
「ええ、そのいちって。まだあんの?」
ぐいっと身を乗り出したリタに、ユーリは軽く頷いた。
「ああ。俺が甘いもの好きになった、とどめみたいなもんだけどな」
「えーーっ、どんなのどんなの?」
「もう随分前に死んじまったけど、ハンクスじいさんのおかみさん、死んだばあさんが妙に甘いもの作るのが上手くてな。
その頃フレンや俺は、甘いものどころか日々の食うものに切羽詰る日もあったんだけど、年に数回、ばあさんが俺たちを家に呼んで甘いものを食わせてくれてたんだよ。
特にクレープが、もう絶品で。
今でもあんな美味いクレープ、なかなかお目にかかったことねぇなあ…」
それはもう、手の届かない美しい思い出に浸るような、そんな溜息のユーリ。
城の料理番よりずっと上手い、とエステルが太鼓判を押したユーリが、感傷に浸れるほどのクレープがあったとは。
「そ、それ…どんなクレープだったの?」
ゴクリと生唾を飲み込むカロルの問いに、ユーリは目を細めて懐かしいものを見つめる瞳で、何もない虚空に視線を向けた。
あたかも、遠ざかってしまった大切な何かを見送るように。
「そりゃあ…
外の皮は、縁をパリッと香ばしく、それでいて固すぎずサクッと口の中で崩れる焼き加減。真ん中はもっちりした腰のある生地で。口に入れると吸い付くようなきめの細かいしっとりとした絶妙の歯ざわり、舌触り。
乗せるのは、生クリームと果物だけだったけど、その生クリームがまた最高。
念入りに泡立てた、ほどよく甘いクリームは、口あたりがなめらかで皮に包んで口に入れた途端、口の中でふんわり溶けていくのな。
焼きあがってすぐの皮に包むから、熱で溶けたところとまだ冷たいままの、その甘みの違いがまた格別で…」
思い入れが強いのか、実に細やかな熱の入った描写で語る語る語る。
こんなに語る、あるいは語ろうとするユーリを見るのは、ラピードのビッグボス闘争についての物語を語ろうとして未遂に終わった、あの時くらいか。
「…あんなもん食べたら、甘いもの嫌いになんかなれねぇよ。
なんていうか、もう絶対に食えねぇものってことで、思い出の中で美化されてんのかもしれねぇけどな」
ふ、と苦笑交じりの溜息をつくユーリ。
誰かの喉がゴクリとなった。
「あーーーー!もう!」
「リタ?」
突然の大きな声に、ユーリが目をしばたかせた。
「どうしてくれんのよ!
さっきご飯食べたばっかりだってのに、何か食べたくなっちゃったじゃないのよー!」
「ボクもなんだか、甘いものが食べたくなっちゃったよー」
「わたしもです…。ダイエットしようと思っていたのに、困りました…」
「ふふ、皆同じね」
「ははは、そりゃ悪かったな。
俺も食いたくなったし、クレープ作るか」
口々に苦情を訴えられ、ユーリは笑いながら立ち上がった。
「よし、食べたいやつは挙手!」
かけ声に、ササッと勢いよく手が上がる。
「いち、に、さん…五人分か」
「じゃあ、私もお手伝いするわ」
「サンキュ、ジュディ」
「僕も行くよ!」
わいわいと騒ぎながら厨房へと向かう三人を見送り…ふとエステルが机を振り返って首をかしげた。
「レイヴン、具合でも悪いのです?」
「ほっといて大丈夫よ、エステル。
きっと胸焼け起こしてるだけだから」
「でも、ゲームの時は元気でしたよね?」
にんまり笑うリタと首をかしげるエステルに、レイヴンは焦点の合わない目で手を振った。
「…おっさん、胸がいっぱい…。
ちょっと、外の空気吸ってくるわ…」
****
「ねぇ、ユーリ?」
「んー? どうした、カロル先生」
「最初ユーリ、話するのにあんまり乗り気じゃなかったでしょ。
そんなに恥ずかしい話ってわけでもないし、どうして話しするのためらったの?」
フライパンからクレープ皮を皿に移し終え、
「ああ…」
呟いたユーリが――フッと笑った。
その笑顔の男前っぷりに、カロルはぎくりと半歩下がる。
「ユ、ユーリ…?」
「そうだな。
まあひとつは、フレンの手料理が絡むから、事情のわかるやつにしか話したくないってのはあるな。説明面倒だから」
「う、うん…」
「もうひとつは、何かでやけになって甘いもの食いまくりながら散々クレープの思い出話してたら、胸焼け起こしたような顔でフレンにもう腹一杯、みたいなこと言われたんだよな」
「……う、うん?」
よくわからない、といった顔で首をかしげるカロルの後ろで、生クリームを泡立てていたジュディスが呟いた。
「そういえば。おじ様、大丈夫かしら」
「……ああっ!」
そういえば、甘味の苦手な人員が約一名。
思い起こせば、話の途中からどんどん発言が少なくなっていったような気がする。
「だから、聞いて後悔するなよって言ったのになあ、はっはっはー」
「ユーリ…わかってて話してたの…?」
「罰ゲームの話、最初に持ち出したのはおっさんだからな。
ま、自業自得ってやつだ」
そう言いきって、平然と六枚目の皮を焼き始めたユーリからじわっと距離をとり、カロルはジュディスにこっそりささやいた。
「ユーリって…レイヴンにこういうとこ、容赦ないよね。
他の皆には、笑って許したりすることもあるのにさー」
「そうね。でもそれって…」
それって、ちょっと甘えてるってことかしら。
「え? なにジュディス?」
瞬いて見上げるカロルに、ジュディスは小さく微笑んで首をかしげた。
「いいえ、なんでもないわ」
五人分のクレープを完成させ、意気揚々と食堂へ戻っていくユーリだったが、うっかりと思い出してしまった理想のクレープの姿を追い求め、その後数日にわたって厨房へ足しげく通う姿が見られたという。