「…別に、おっさんが手ぇ出さなくても良かったのに」
「あ、やっぱそう思う〜?
 んで、青年の相棒は?」
「さっき船着場でなんとなく別れたから、先に戻ってるんじゃねぇかと思う」
「そう。…そっか、ワンコの姿がなかったから、なんとなく口出す気になっちゃったのかねえ」
 苦笑を浮かべ、頬をかく。
 ひとつ瞬いたユーリが、腰に手を当て面白がる瞳でレイヴンを眺めた。
「つーか、あんたが街で今みたいに暴れるとこって初めて見たな」
「言わないでよユーリ君。
 おっさん、ちょっと後悔してんだから」
「年寄りの冷や水、ってか?」
「っていうより、美女救出だったらともかく、野郎のケンカにくちばし突っ込んでもなーんにもなりゃしない。
 あー、損した〜〜〜!」
 俺様ともあろうものが、などとぼやくのを軽く受け流し、ユーリはレイヴンに向き直る。
「そういやさっき、こう…ヤツの手を受け流すときに、なんかこう捻り入れてたよな。
 おっさん、あんなのも出来たんだな」
「ええ〜っ、そんなことしてたっけっかねぇ」
「ふーん?」
 顎をなでながら、顔を背けとぼけてみせるレイヴンに、涼しげな目元が細められた。
 ――カツッ
「ん?」
 剣先が石畳を叩く音に、ユーリへと視線を戻したレイヴンの視界に入ったのは、自分に突然殴りかかる青年の姿だった。
「のわっ?! ちょ、ええ?!」
 右からの拳をのけぞりギリギリでかわすも、そのまま裏拳で顔面を狙われた。
 それも引いて回避したところへ、死角から左のアッパーが叩き込まれようとしている。
(こりゃ避けられないかね!)
 レイヴンは反射的に受け、――衝撃を逃しながらとっさにユーリの左腕を極めていた。

「痛って……!」
「ああ〜〜〜、ごめんねぇ青年。でも、突然なんてずるくない?」
 鮮やかな関節技で返され、ユーリは痛みに眉を寄せつつ深く息を吐いた。本格的に極めてしまえば、関節が砕けてもおかしくないだろうが、動きさえしなければそこまでの痛みでもないので、一応の手加減はしているのだろう。
 …とっさに手加減できる程の腕ってことか、とのユーリの呟きはいささか不機嫌である。
「ったく…こんな隠し玉持ってやがったとはな」
「だって俺様、基本的に暴力反対なのよ。小手先で暴れる気にもなれないしねぇ…疲れることはゴメンだわ」
「ホントにとぼけたおっさんだな…。で、手ぇ離せよ」
「だって、手ぇ離してまーた殴られるのは勘弁よ?」
「もうやらねぇよ。ちっとばかり試したかっただけだ」
「試す…ねえ」
 腕を極めている関係上、なんとなく今までになくユーリとの距離が近い。
 ふと、襟元に目が行った。
 呼気でかすかに上下する喉が、印象以上に細いことに初めて気付く。
 どこかすねたようにそっぽを向くものだから、いつもは髪に隠れている白い首筋が至近距離で晒されて……つい…。
「っあ………っ、おい?!」
 油断しきっていたのだろう、ゆっくりとうなじを舐められたユーリの肩がビクリと震える。
 驚きっぷりに、悪戯心からもっと驚かせようと思ったのか、その声があまりに艶めいていたせいか理由はわからない。
 ただ、レイヴンはユーリが自分の方へ向いたところで、文句を叩きつけようとしたか開きかけた唇を奪っていた。

「んんっ…?!!」
 ユーリが目を見開く気配がした。
 とっさに抵抗しようとするも、腕を極めているためうかつに身動きできないようだ。
 相手がレイヴンだからか、腕一本犠牲にしてまで…というところまではないようで、レイヴンの頭のどこかで(相変わらず仲間に甘いなぁ)という思考がよぎるが、そんなこと考えてたっけと思いあたったのは後になってから。
 今はどうしたものか、貪るように口付けに夢中になっていた。
 奥に滑り込む直前、歯の触れる唇のきわどい箇所に舌を這わせる。一瞬動きが止まったところで深く進入して上顎をぞろりと舐め、舌を絡めた。
「ん…っ、ふ、んん………っ」
 ユーリの白い喉がコクと鳴り、乱れてくる息遣いがじわり艶を帯びてくる。
 その熱に煽られるように、レイヴンの思考は白く侵食されて、吐息も含め奪える限りの甘さだけを求めていた。
 思考外のところで、空いた手は固く結んだ帯の上からゆっくり背骨を伝い、しなやかな背をかき抱いている。
 息継ぎのため、つかの間唇を離し薄く目を開けると、伏せがちの長い睫毛の奥で、黒い瞳が熱を帯びて潤んでいた。
 なんだかもう、レイヴン自身でも自分がどうしたのかわからず、再び唇を重ねようとしたところで……。

 ユーリの気配が豹変した。
(しまっ……!!)

 口付けに夢中になりすぎて、拘束する力が緩んでいたらしい。
 締め上げが緩くなれば、多少の無理はきく。極めていたのとは逆の腕が、渾身の気迫を乗せてレイヴンの腹部を狙っていた。
「げ…っ!!!」
 レイヴンは全力でロングステップを発動させ、ユーリから慌てて飛び退る。
 と同時に。

「おっさんが悪かった全力でゴメンナサイ!!」

 早口の謝罪とともに、なりふりかまわずジャンピング土下座していた。
 それはもう、このタイミングを逃せば死あるのみ、という覚悟で。
「おっ、さん、て、めえぇぇ〜〜〜〜〜……っ!」
 烈破掌を発動し損ねたユーリは、肩で大きく息つきながら口元をぬぐい、ぐぐっと憤りの拳を握り締めた。
 地を這う声が、怒りのあまりかスタッカートを刻んでいる。
 怒り度合いから言うと、生まれてきてゴメンナサイと言いつつ自分の墓穴を掘りたいレベルだが、キスの余韻か上気した頬と潤んだ瞳で睨まれると、違う意味でぞくぞくしそうだ。
 が、そんなことを仮に口にしてしまったら…ユーリに1ダメージスキル装備の上、パイングミを貪り食いつつ寸刻みにされかねない。
 どこまでも男前な彼は、自分が認めた人間にその分容赦もない。
「本当にホントーーーにごめん!ね! ユーリたら男なのに…おっさんどうかしてるわホント!」
 女好きの風上にも置けないわよね、どうしちゃったのかね。
 そんなことを多数口走りつつ、レイヴンは両手を合わせて拝み倒す。
 おそらく、仲間以外の誰かからこんなことをされていたら、ユーリは隙を発見し次第、寸分のためらいもなく延々コンボを叩き込んでいただろう。
 しかし、彼は一度懐に入れた人間には非常に、非常に非常に甘かった。
「…………」
 幾度か深呼吸を繰り返し、諦めたようにがっくり肩を落とす。
 ドスの利いた声が、ユーリの唇から漏れる。
「……〜〜〜〜っ、たく……………、二度は許さねぇぞ」
「わかってる、よーくわかってますってば」
 がくがく頷くレイヴンに、ユーリは再び長く息を吐いて背を向けた。
 壁に手を当て、ついでに額もあてるユーリの背中が震えていた。
「くそっ………!」
 どうやら、何かに悔しがっているようだ。
 気配を探りながら立ち上がり、恐る恐る声をかけるが何を言ったらいいのか迷う。
「ええと………、青年、あの……」
 少しだけ距離を詰めて様子を窺うと、レイヴンの気のせいか袖から覗く腕が薄紅に染まっている。ついでに耳朶も火がついたように真っ赤だ。
 極められていたのと逆の腕まで赤くなっているということは、…ええと、ひょっとして。
「…あーもしかして、おっさんのキス、上手かったんで悔しい?」
 ぴたっと背中の震えが止まる。
(………う、やばい、かも…?)
 なにを思って自分は地雷を踏みに行ったのか。
 レイヴンの背中を滝のように冷や汗が流れた。
 その時、耳に飛び込んできた犬の声と少年の声は、レイヴンにとってこれ以上ない救いの神のように思えた。
「ああっ、二人ともこんなところにいた〜〜」
 ラピードがまず先行し、そのあとをカロルが駆け寄ってくる。
 一呼吸おいてユーリが振り返る。さすがのポーカーフェイスは健在だ。
 先ほどの一件を知られるわけには…と思ってのことだろうが、知られてまずいのはレイヴンも同じである。
 が、いささか妙な雰囲気だったのだろう、きょろきょろと二人の顔を見比べてカロルが首をかしげた。
「どしたの、何かあったの?」
「…いや、別に?」
「そう?
 あー、またユーリ誰か助けるのにケンカしたんでしょ」
「は、はは……、ああ、他の皆は?」
「エステルとリタも、近くにいるよ。ジュディスとも合流済みっ。
 で、ラピードが路地を気にしたから、もしかしてユーリが居るのかなと思ったんだ」
「なるほどな」
 頷き、カロルたちと表通りへと向かうユーリの後を、レイヴンもついていく。
 カロルの言ったとおり、ほどなく全員が顔をあわせ宿屋への道を揃って戻ることになった。
「ユーリ、あんまり無茶しちゃだめだよ。
 そこらじゅうの人たち、さっきの闘技場の話で持ちきりなんだからさ」
「そこらの人だけじゃなくて、あんたとエステルもそうじゃない」
「リタも楽しそうでしたよ」
「あ、あたしは別に、楽しんでなんか…」
「賞金もらえて楽しめるのはいいんだが、目立つのだけが問題だな」
「…なんか、ユーリ。遊びに行くような口ぶりだよね」
「そうか?
 ………ああそうだ」
 一行の先頭で、いつものようにカロルたちと言葉を交わすユーリがふと足を止めた。
 何かを思い出したような面持ちで一行を振り返る。
「一休みしたら、レイヴンが100人斬りやるって言ってたな」
「「「「 えっ…?!! 」」」」
 自分でも理解の出来ない衝動に内心首を捻りつつ、命拾いしたな〜、と一番後ろをぼんやり付いて歩いていたレイヴンの思考が停止する。
「レイヴン本当?!」
「大丈夫なんです?」
 半信半疑で、しかし期待に満ちた瞳で振り返るカロル、エステル。
 リタはあっけにとられた様子で言葉もなく。
「おじ様、素敵。頑張ってきてね」
 ジュディスは既に送り出す微笑みだ。
 レイヴンが何かを言う前に、どうも決定事項として話が進行している。
「ちょっ、いや」
 ユーリに目をやり、それは、と言いかけたレイヴンの舌が凍った。
 黒髪のベルセルクは、唇の端を吊り上げ不敵な笑みを浮かべつつ――カロルたちの死角になる位置で、親指を水平に滑らせた後ぐっと下に向けて突き出した。

(ちょっと待って、なにその男前なKILLマークは?!!)
 つまり、いっぺん逝ってこいと。

「…あ、…あーー、………おっさん、ちょっくら頑張ってくるわ…」
 ユーリによる無言の絶対指令に、こっそりと後ろ暗さ山盛りのレイヴンに拒否権はなく。
 この日の夜、レイヴンの稼ぎで夕食+甘味フルコースを堪能して満足げなユーリと、全力で疲労し宿屋のベッドで沈没しているレイヴンの姿があったという。