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どれくらいそうしていただろう。
崩れ落ち、乱れた呼吸を繰り返しつつも、ようやく落ち着いたユーデクス。
彼に膝枕をしながら、レイシオは優しく黒髪を梳いて言った。
「……少しおやすみ。あの日から、一度も眠っていないんでしょ?
君の大事な部下が、心配していたよ」
だが、ユーデクスは小さな膝に頭をこすり付けるように、首を左右に振った。
まるで、だだをこねる幼子のような仕草で。
そんな自分より大きな弟を、レイシオは笑って窘める。
「だぁめ。術かけちゃうからね。
抵抗できるならしてごらん?」
そんな力、残ってないでしょ?
ささやきながら、レイシオは少しずつ術を強くしてくる。
暖かな温もりを持った安眠の術。
最初は抵抗できていたユーデクスだが、しかしその力の大きさに抗いきれず、徐々に意識が薄らいでいく。
「……いや、だ……レイシオ……や、め……」
涸れたと思っていた涙を再び零しながら、必死に懇願する。
その腫れた瞼を、小さな手がそっと伏せた。
「大丈夫。眠っていいんだ。誰も君を傷つけたりしないよ」
「いや、だ……きえて、しまう……」
本能が、無意識に傷を消してしまう。
絆が、薄れてしまう。
目が覚めたら、大切な笑顔が名前が、記憶から零れてしまうかもしれない。
「……あい、ぜい、や」
容赦ない術が、ユーデクスの意識を闇に沈める。
縋るように空へと伸ばされた手が、力を失い雪に沈む。
弛緩した体に、彼が完全に眠ったことを確認して、レイシオは銀世界に目を向ける。
真っ白な世界。地上と違い、永遠に溶けることのない雪に覆われた世界。
「大丈夫。たとえ本能が働こうとも、君が望まない限り、傷は消えやしないよ」
レイシオが本気を出した力に、ここまで抵抗したのだから。
その想いがあれば、本能に心が勝つのは容易かろう。
「そして……その胸の痛みも、大切な人の記憶も……消えやしないんだ」
たとえ体の傷が消えても、胸の傷は消えない。
やるせない表情で呟いた智天使は、再び、膝の上で眠る愛しい弟に視線を落とす。
そして、彼の束の間の休息が安らかなものであるよう祈るかの如く、その額に祝福のキスを落としたのだった。
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