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 ランプの仄かな明かりに照らされる、所狭しと本棚が並べられた地下室。

 散乱する紙、紙、紙。
 崩れた本の山、山、山。

 酷く荒らされたその部屋の中で、力尽きたように本棚に凭れ、頭を垂れる一人の男。
 目は虚ろで、顔もやつれている。良く見ると、目の下は大きな隈。手には、古びた紙の束。
 懐かしい孤児院に到着するや否や、挨拶もそこそこに、この地下図書室に閉じこもった。
 薄明かりの下、寝るのを惜しんで本という本を読み漁った。
 流石に食事は摂らないと、用意をしてくれた老いたシスターが心配するので、喉に流し込んでいたが。
 それ以外はとにかく本と、メモをする紙とペンに視線を走らせていた。
 時間が無い。地下室では時間がわかりにくいが、持ってきた時計が正しければ、今日の夜には此処を発たなければならない。もぎ取った休暇は残り僅か。王都から此処まで、馬車で2日はかかる。
 図書室の本を調べつくし、最後の最後で手に取った古びた紙の束。出来れば、二度と触れたくなかった。二度と見たくなかった、僅かに震えた拙い己の字。
 そこに、目的の情報が載っていた。
 本当は、自分は此処にその知識があることを知っていた。知っていたが、出来ればこれには頼りたくなかったのだ。
 錬金術の知識と強大な武力を持つ悪魔。召喚陣からその特徴、弱点まで全てが記載された、彼の悪魔の書を複写したもの。
 自分を育て、守ってくれた師匠の魂と引き換えるように手に入れた、この世に一冊しかない書。
 脳内で、今はもう滅んだ憎い悪魔が嘲笑う。ほら、やはり必要になった、と。手に入れて、良かっただろう、と。
「ははっ」
 乾いた笑いを吐き出して、男は紙の束を力なく床に放り投げるように落とした。バサリ、と大きな音が地下室に響き、当てられたランプがカランと倒れる。安全機能が作動し、倒れると同時に唯一の光源が消えた。
 何も見えない冷えた闇。まるで、今の自分の心の中のようだ。前も後ろもわからず、途方に暮れている。
「…………」
 ふわり、と男の前に光源が生まれた。彼を驚かさない為だろうか。いつもより光度が落とされたそれは、まるで蛍の光のように柔らかく暖かみがあった。
「……ジュレクティオ」
 心配げに名前を呼ぶ、優しい声。まさに、天使の囁き。
 男が虚ろな顔を上げると、光に包まれ現れた青年はホッとしたように微笑んだ。
 背に広がる白い翼から放たれる、聖なる光。その光の中で、透けるような美しい金の髪がフワフワと波打っている。優しい笑みの中で、青い瞳が心配げに此方を見つめていた。
 いや、その片方の瞳は、若干灰色にくすんでいる。師匠の仇討ちをした時、悪魔に奪われた自分の魂を補う為、犠牲にしてくれたのだ。元は、残っている瞳と同じく、澄んだ空のように美しい色だったのに。
 自分が、この天使から、奪った。
 天使は男の心を知ってか知らずか、彼の前に膝を付くと、そっと白い華奢な手を伸ばして頭を抱きしめてきた。冷えたその体を、心を温めるように、背の真白き翼で包み込んでくる。
 白く暖かいその温度に、疲弊した心が安堵する。抵抗する気力も無く、男は引き寄せられるまま、その胸に頭を預けた。
「嫌な所に現れるんだな」
「すみません。……でも、貴方が……泣いているような気がして」
「…………」
 泣いてない、とは言わなかった。泣きたい気持ちなのは確かだった。魂で繋がったこの天使には、全て筒抜けだっただろう。もしかしたら、天界で自分の様子を視ていたかもしれない。
 全く、情けない。
 情けなさに、大声を上げて泣きたい気分だ。
「……アイツが、悪魔と契約しやがった」
 零れた言葉は、まるで泣き言のように震えていた。
 アイツ……どうしようもなくやる気の無い、自分の上司。学院時代の同級で、腐れ縁の……親友と、言っても良いかもしれない存在。普段はとても口に出して言えないが。
 それが、よりにもよって、悪魔と。
「悪魔と契約することが、どれだけ危険なことか……アイツはわかってない。
 わかってないんだ……っ」
 言葉の最後の方は、自分でも解る程潤んで掠れてしまっていた。
 それでも天使には、ちゃんと聞き取れる。その胸のうちの、怒りと、悔しさと、哀しみと、恐れまで。その全てが、天使には伝わっている。
「……たくない……これ以上、失いたくない……のにっ」
 大切な、人を。大切な、友を。
「俺は、何も出来ないっ……無力で……あの時と何も変わっちゃいない……っ!」
 あの時と、何も変わっていない。
 肝心なときに、何も出来ずに無力感の中で溺れるしかない。

 何の為に、膨大な知識を頭に詰め込んできたのか。
 何の為に、体を鍛え、少ない能力を駆使し、祓魔師として腕を磨いたのか。
 
 必要な時に何も出来ない自分は、今まで一体何の為に生きてきたのか……!



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