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悲痛な叫びと共にあふれ出す感情の全てを受け入れるように、天使は抱きしめる腕の力を強くする。
「私が居ます。大丈夫。今の貴方には、私がついています」
小さな、だが凛とした声が耳に心地良く響く。
女ほどではないが、細く華奢な腕。なのに、どうしてこれほど心強いのだろう。
「だから、独りで抱え込まないで下さい。貴方の大切な人を、私にも守らせてください」
ね?と願うように言われて、男は黙り込む。
情けない、と、思う。思うけれど、そう言われて心強いのも確かで。
「だが……あの悪魔は、多分……上級、だ」
思いを吐き出したからだろうか。少し落ち着いた声音で、男は呟く。
師匠の時……あの中級悪魔ですら、滅するのに一苦労……どころか、危うく命を落とすところだったのに。
そんな自分達が、上級悪魔相手に太刀打ちできるとは思えない。
「大丈夫。悪魔討伐は、私の本職ですよ。
あの時は苦労しましたけど……今度は、もしもの時は隊を動かしますから」
「……隊?」
聞いたことがない言葉に、男は訝しげに顔を上げる。否、言葉は当然知っている。ただ、この天使の口から聞いたことがないだけだ。
視線を合わせた天使は、ふんわりと優しく朗らかに笑っていた。
「えぇ。実は私、小隊を一つ預かってるんです」
まだ使ったことはありませんけど、と天使は笑う。
「聞いてない……というか、そもそもどうしてあの時使わなかったんだ?」
そんな便利な部隊があるのなら、どうして仇討ちの時に使わなかったのか。使っていれば、その瞳の色を失うことも無かっただろうに。
尤もな疑問に、天使は少し困ったように笑う。
「一応、天界の事は人間に教えてはいけないことになっていますし……預かったのはつい最近なので」
使わなかったのではなく、使えなかったのだ。
「でも、そのお陰で貴方はあの悪魔を討つ事が出来ましたし、こうして私と繋がることが出来たでしょう?」
にこにこと笑う天使に、男は呆れる。
確かに、自分の手で憎い悪魔を滅することが出来た。今、こうして天使と触れ合えるのも、その時に魂を繋いで貰ったからだ。その代償は随分と大きかった気がするが。
「だから、安心してください。大丈夫。貴方の大切な人は、私が守ります」
額に、瞼に、天使の祝福のキスを落とされ、体から力が抜けていく。
何か術を掛けたに違いない。唐突過ぎる睡魔に抗いながら、男は必死に瞼を開き、霞がかかる思考を巡らせ言葉を紡ぐ。
「俺、も……」
「えぇ。
……私は力で。貴方は知識で。力を合わせれば、きっと上級悪魔だって滅することが出来ますよ」
「……フィー……」
「少しお眠りなさい。3日も眠っていないのでしょう」
やはり天界から視ていたな。と頭の片隅で思うが、もう言葉に出すのも億劫で。
「……夜には、発た、ない……と……」
「ちゃんと起こして差し上げますよ。さぁ、目を閉じて」
もう黙りなさい。そう告げるように、天使は強引に膝枕の体制に持っていくと、頭を撫でながら歌い出す。
悪夢に魘される度、心が闇に囚われそうになる度に聞かせてもらった子守唄。
何処か懐かしい……何故か切なさを覚える、優しい子守唄。
あぁ、疲れた。
頭を撫でてくれる手が、少し硬い枕が心地よくて。
ジュレクティオは、落ちるように意識を手放した。
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約束通り起こしてもらい、天使をこき使って地下室を片付け、地上に出ると既に夜の帳が降りはじめていた。
「探し物は見つかったの?」
「……えぇ、なんとか」
出口付近で待っていた老シスターが、心配そうに声を掛けてくる。少し仮眠を取ったとはいえ、ここ3日碌に眠っていないのは、敏い彼女に見抜かれているだろう。だが、口元に笑みを作って答えれば、シスターはかつての養い子の後ろに控える天使を見上げてホッとした顔で頷いた。
「あぁ、天使様がついているなら、大丈夫ね」
はっきりと見えているわけではない、と昔言っていたので、きっと声は聞こえないだろう。
だが、フィリタスは敢えて言葉は発さず、笑顔を見せてしっかりと頷いた。それすら、彼女に見えているかは解らないが。
シスターは、小さな包みを夜食だと言って差し出してくれる。
「次は、もっとゆっくりいらっしゃいね、ジュリィ」
「はい」
もう30歳にも過ぎた男に掛けられる、幼い頃から変わらない女のような呼び名。それに苦笑しつつも、ジュレクティオは老いたシスターにしっかりと頷いた。
次は、いつ此処に来られるかわからないけれど。ゆっくり、お茶をする時間ぐらいは作りたい。
名残惜しげに見送るシスターを後に、まだだるい体を引き摺り乗り合い馬車に乗って、孤児院を後にした。
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