= 5 =

 消えた天使を確認して、ジュレクティオは今度は悪魔に視線を移す。
「おい悪魔」
「……んだよ」
 宙に横になるように浮かびながら、面倒そうに悪魔は答える。本来答える義務など無いのだが、律儀に返すのは、やはり何処かジュレクティオの怒気に圧されているから、だろうか。
「本気で滅されたくなければ、金輪際アイツを挑発するような言動は慎め」
「はっ!人間ごときに俺様が滅されるかよ……っ!?」
 何を言ってやがる、と嘲笑う悪魔の鼻先スレスレを、聖剣が通り抜けていく。
 それはガッと音を立てて、壁に突き刺さった。
 聖なる力に触れて僅かに焼けた鼻先が熱い。スレスレでコレなのだ。まともにあの聖剣を食らっていれば、滅されることはなくとも相当力を削られたに違いない。
「い い な ?」
「…………」
 一音一音区切り念を押す司祭に、悪魔は沈黙を返した。
 それを肯定と取り、ジュレクティオは最後に残った己の上司を見据える。
「コンスタンス」
「なに?」
「お前、この書類の提出期限、覚えているか?」
 書類を握り締める手に更に力を込めて、問うてみる。
 司教は困ったように笑って首をかしげた。
「んーどの書類?いっぱいあってわかんないけど」
「俺が、休みを取る前に、出しておけと言った奴だ」
 その答えに、司教は極めて明るい笑顔でぽん、と手を打つ。
「あー、なんかそんなものあったね! ごめんね、すっかり忘れてたよ!」
「お前は!いつもいつも!俺が居ないと何も出来ないのか!?」
「うーん。レッティがいないと、どうしても仕事する気が起きなくって」
「俺が居ようが居まいが、貴様はいつもしないだろうが!」
 心の底からジュレクティオが怒鳴ったとき、コンコン、と控えめなノックが扉の方から発せられた。
 執務室内の全員の目が、そちらに向く。
 妙な緊張感のある注目を浴びた訪問主は、灰緑色の瞳を眇めて荒れた室内を見回す。そして、部屋の責任者ではなくその部下のジュレクティオに視線をあわせた。
「随分な修羅場なようだな。……出直すか?」
「悪い。そうしてくれ、ロイ」
「いや……昼頃もう一度顔を出すから、それまでに頼んだぞ」
 何を、とは言わない。言わなくても解る。
 今ジュレクティオが手にしている、穴の開いた書類の提出期限は今日の昼。
 同じような書類は、床に散乱している物の中、一体何枚あるのだろう。

 もしかして、自分はとんでもない勘違いをしていたのではないか?
 とんでもなく、無駄な事をしたのではないか?
 滅するべきは契約した悪魔ではなく、この書類だったのではないか?
 少ない休暇を消費して、悪魔の対策を考えて、天使に泣きついて。

 3日前の恥ずかしい自分を、滅したい気分に襲われ、ジュレクティオは眩暈にこめかみを押さえる。

「今日は忙しくなりそうだね」
 そんな彼に追い討ちをかける、まるで他人事のように朗らかな司教の声。
「誰のせいだと思ってるんだぁぁぁ!」
 悲痛な司祭の声が、執務室に虚しく響いたのだった。



<< back || Story || next >>