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春の丘。
花咲き乱れる草原の中、一本だけ異色な大きな木。
淡いピンク色の花をたわわに付けたその木は、とある智天使が気に入り、神に請うて植えたものだという。
天使の羽ばたきで流れた風に煽られ、ひらりひらりと花弁を散らすその木の下で、二人の智天使が盤を挟んで向かい合っていた。
黒と白の駒。
王冠や馬を模したそれらが、単純に線を引かれた盤の上で、先ほどから激しい頭脳戦を繰り広げている。
駒は白の方が多く、優勢に見えるが、実際は黒の方が優位に駒を進めている。
「そういえば、この間ユーデクスに会ったよ」
レイシオが言いながら、駒を動かす。
歩を進める黒のポーン。
「ユーデクスに?
わざわざ私に報告するような、面白い事でもあったのかい?」
返すアイゼイヤも駒を指で摘む。
白のナイトが動く。
黒のポーンを蹴散らし、陣を置く。
「彼、僕を見て名前を呼んだんだ」
黒のクイーンが白のナイトを誘惑する。
ナイトは陥落し、クイーンが陣を取り返した。
「……それで?」
「いつの間に話せるようになったのかなって」
失った駒。予想通りとはいえ、戦況は変わらない。
しばし悩んだ末、動いたのは白のルーク。
「……私の名前を呼ぶようになったのは、随分前だよ。もう100年は経つ」
「へぇ。そんな前から自我が出てきてたの?」
黒のキングが本陣を移動させる。
更に苦くなるアイゼイヤの表情に、レイシオは愉快げに笑みを見せる。
「自我といっても、そこまではっきりしたものではない。
目が合うと微笑んだり、話に合わせて軽く表情を変える程度だ。
言葉も、まだ挨拶程度だからね」
思い切って動かした白いビショップは、黒いナイトに討ち取られた。
お陰で、白のクイーンが黒い騎士を陥落したのだが、まだ油断はできない状況が続く。
「それでも、自我の芽生えは自我の芽生えだよ」
「……まるで、彼が自我を持つ事を憂いているような発言だね」
盤上に落ちる長い沈黙。
休戦ではない。いかに被害を少なく相手を討ち取るか、緊張感を孕んだ沈黙だ。
「憂いている……そうだね。心配はしているかな」
「…………」
「サジタリア様と話をしていてね」
沈黙を破ったのは黒のキング。自ら立ち上がり、白のルークを手にかける。
戦場に出た敵将に勇みたくなるが、下手に動けば白の王が危険に晒される。
「天使を裁く役目は何かと心労が多いでしょ?
彼はそれに耐えられるんだろうかって」
「考えすぎではないかな?」
動けない白の駒。しかしどこかで足を踏み出さなくてはならない。
「だといいけれどね。
……でも、耐えられなかった天使を僕は知ってるから」
「…………」
呟くレイシオに、アイゼイヤは返す言葉が見当たらない。
気の利いた……レイシオの心情を慮った言葉を返すには、自分は余りに若く、経験が少なすぎた。
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