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 深夜、一人居間で本を読んでいたユーデクスは、ふと視線を感じて顔を上げた。
 見上げるのは虚空。視線の先は、そこではない異空間。
 彼は首を傾げ、読みかけの本をテーブルに置く。立ち上がり、少し空間の空いた場所へ移動すると、虚空に両手を差し出した。
 視線を辿って、今居る場所と異空間を繋ぐ。ぐにゃりと空間が歪み、無理矢理抉じ開けられた穴が一瞬で大きく広がる。
 その先には、驚いた顔の一人の天使。
「あ……」
「どうしたんだい、ホーリィ。遠慮せずに戻っておいで」
 優しい笑顔を向けられ、白金色の瞳が揺らぐ。
 躊躇いながら、緩やかな白い衣装の胸元をかき合わせ、緩慢な動きで空間の穴を通る。そうして実体化しつつ、彼は広げられた腕の中に飛び込んだ。
「お帰り、ホーリィ」
「……ただいま、ユーデクス」
 抱きしめられた腕の中で、華奢な肩がホッと力を抜く。同時に、背に広がる一対の翼も、仕舞われるように霞んで消えた。
 安堵する天使とは裏腹に、腕の中の体の違和感と微かに香る闇の気配に、ユーデクスは眉を寄せる。
「何か、性質の良くないものを貰ってきたようだね」
「……ッ、……」
 指摘され、一度抜けた肩の力が、再び強張る。
 ユーデクスはホーリィの顔を上げさせ、体を少し離した。
「見せてごらん、ホーリィ」
「いや、だ……ッ」
 怯え抵抗する彼を宥めるように、黒髪の男は優しく、慈愛に満ちた微笑みを見せる。
 大丈夫だよ、と優しく肩を擦り、体の様子を見せるよう促す。
 躊躇いながらも頷く愛しい友の体で、最初に確認するのは怪我の有無。
 綺麗な肌にホッと安堵の息をつき、続いて確認した変化に思わず笑みを深くした。
「あぁ、君にしては珍しい。呪いを貰ったのかい?」
「…………」
 沈黙は肯定。
 いつもより若干柔らかさを増した体。胸元を隠す手をゆっくりと解けば、そこには普段ではありえないはずの、二つの柔らかな膨らみがあって。
 作り物とはいえ形の良いそれに、ユーデクスは思わず感心してしまう。
「そんなに凝視しないでくれ……恥ずかしい」
「あぁ、すまない。これはまた、見事に術に嵌ったね」
「……油断、したんだ……」
「悪魔は?」
 答えがわかっていて聞くのは、意地悪だろうか。
 何故なら、呪いをかけた悪魔が滅んでいる場合、大抵その呪いは無効になっているからだ。
「……次は容赦しない」
「ふふ、その意気だよ」
 ユーデクスはそう笑うと、ホーリィから身を離してクローゼットへと向かう。
 そうして暫く奥を漁っていると、真っ白な布の束を持って戻ってくる。
 満面の笑みで、彼は衣装をソファにかけた。
 見慣れないそれらを前に、思わずホーリィの視界が眩む。
「その姿では不便だろう。これを着なさい」
 貴方は魔法使いか!
 あまりの用意の良さに叫びたくなるのをぐっと堪え、ホーリィは広げられた衣装を確認する。
 清楚な白いワンピースは、胸下でキュッと絞ったバストを大きく見せるデザインで、背中には小さな翼のような大き目のリボンがセットされている。裾は繊細なフリルと刺繍で彩られており、素材を見ても高価な品だとわかる。一緒に出された薄灰色のカーティガンも、ふんわりとした袖口と、所々に使われたリボンが女性らしく可愛らしいデザインだ。
 下着も白で、レース地の透けた薄いパンティと、刺繍の施されたシンプルなブラジャー、そしてヒラヒラと裾が広がるスリップタイプのランジェリー。
「……なんでこんな物が貴方の部屋から出てくるんだ」
 ユーデクスしか使っていないはずのこの部屋には、ホーリィの制服やら普段着、果ては下着までもが確かに存在している。それは確認済みだ。
 だが、普段のホーリィは男性体。女物の衣服など、全く必要ない物なのに。
「昔、祭には、女装がつきものだと友から聞いたことがあってね。学園祭で必要になったら、出してあげようと思って用意しておいたんだよ。
 詰め物もあるのだけれど……その大きさなら必要なさそうだね」
「……本当に着ないと駄目なのか? 別に、私はいつもの普段着で構わないのだが」
 確かに、いつものサイズは多少合わないかもしれないが、其処までおかしな事にはならないだろう。
 だが、ユーデクスは穏やかな笑みを浮かべたまま、諭すように言う。
「折角の機会なんだ。女性の事を良く知る為にも、着てみて損はないと思うよ」
 何だろう。この、穏やかなのに、拒否を許さない笑みは。
 しかし友の言うことも一理ある。
 『望むなら、花嫁衣裳を出そうか?』という提案を丁重に断り、ホーリィはゲンナリしつつも、仕方なく下着を手に取った。



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