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 近づいたソファで優雅に横になっていたのは、一人の学生。歳はジュレクティオと同じくらい。艶やかなミルクティ色の髪が、部屋の薄明かりに照らされてたゆたって居る。
 それを見て、天使は眉を寄せた。
『……貴方に懐いていらっしゃる、貴族のご子息ではないですか』
 そう、どんなにジュレクティオが邪険に扱っても、めげずに声をかけてくる青年。
 そのくせ、他人にはどこか空虚な笑顔を向ける、どこか心が荒んだ人間。決して悪い子ではないが、その心の空洞は見ていて痛ましい。
 そして、気まぐれと好奇心でジュレクティオの【仕事】に首を突っ込みたがる、厄介な素人でもあった。魔力は高いし魔術的なセンスは有りそうなので、今後の成長は楽しみだ。しかし、付け刃の魔法や訓練されていない体術で太刀打ちできるほど祓魔の仕事は容易ではない。
 下手に手を出されて怪我をされても責任は持てないと、ジュレクティオが彼を冷たく突き放しているおかげか、今のところ現場に居合わせた事はないのだが。
「…………」
 ジュレクティオは、眠る学生に声をかけようとしたが、彼がアイマスク代わりに顔に被せている本を見て、眉を寄せた。
 用途を間違えて本を使用していることではなく、その題名が気になったのだ。
 見れば、ソファの上に無造作に置かれていた本は、どれもジュレクティオが読んだ後だったり、探していた条件に合う本ばかりで。
「……余計なことを」
 抑揚の無い冷たい声音で呟くジュレクティオに、天使は穏やかに微笑む。
『彼なりに、協力しようとしていたのですかね?』
「ただの興味本位だろう? かえって邪魔だ」
 欲しい本が見つからなくて、苦労し……てはいないが。その分、得られたかもしれない情報を逃し、時間を無駄にしたのかと思えば、確かに邪魔なのだろう。
『でも、彼が此処に居ることを知っていたのでしょう? そろそろ閉館時間ですし、起こさないと帰宅が遅くなってしまいますね』
 不器用なジュレクティオの優しさを誰よりも知っている天使は、彼の意図を見事に代弁してくれる。
「居ることは知っていたが、こんな事をしてるなんて知らなかったぞ、俺は」
 気まずさからだろう。言い訳のように小さな声で呟いた彼は、意識を切り替えるように無表情を作ると、ソファで眠る同級生に鷹揚な声をかけた。
「おい。……おい、起きろ」
「んー」
 返って来るのは生返事。一応意識はあるようだが、寝ぼけているのか、まだ動く気はないらしい。
「起きろ、ローレンス」
「……どうせなら、コーティって呼んで欲しいなぁ、レッティ」
「俺の名前はジュレクティオだ。勝手に略すな」
 本の下から聞こえるくぐもった声に、ジュレクティオは眉を寄せて吐き捨てる。
 とりあえず、しっかりと起きた事は確認できた。
「もうそろそろ閉館時間だ。さっさとその本を片付けるんだな。お迎えが待ってるぞ」
「いいよ、待たせておけば。
 それより、手伝ってくれないかな? この本、何処にあったか、わかんなくなっちゃって」
「何で俺が……」
「寮生の門限ってまだ余裕あるよね? それに、二人でやれば閉館時間までに終わるだろうし」
 ね? そう笑って差し出す同級生の手には、先ほどまで彼の顔を覆っていた、一冊の本。深みのある茶色い革張りの、分厚い装丁がされた魔術書だ。
 勿論、それを返して来い、という意味ではないことは、彼の笑顔を見れば解る。
『おやおや。彼の勝ちですね』
 クスクスと笑いを漏らす天使の言葉を黙殺し、ジュレクティオは黙ってそれを受け取ったのだった。

 薄暗い図書室の、僅かな灯りを頼りに全ての本を戻し終えたのは、閉館時間5分前。
 また明日、と朗らかな笑顔で挨拶を向けてくる同級生に、曖昧な返事を返して、ジュレクティオは寮へと足を向ける。
 腕の中には、数冊の本。勿論、受け取った例の賄賂も混ざっている。
 司書に確認した時には、貸出中だった本。貸出し先は、下級生であるジュレクティオにはまだ馴染みのない、気難しいことで有名な上級生担当の教師だった。しかも、半年前に貸し出されたまま、長らく返却されていなかったのだ。
 あの青年が、どういう手段で自分が探していたこの本を知り、手に入れることが出来たのかは解らないが。
『嬉しそうですね、ジュレクティオ』
「別に。アイツも、たまには役に立つと思っただけだ」
 慈愛に満ちた笑顔でそう指摘してくる天使に、ジュレクティオはそっけない口調で返す。
 しかし、緩んだ顔を締める事は出来なかった。

 今度、宿題ぐらいなら見せてやってもいい。

 そんな事を思いながら、ジュレクティオは珍しく笑みを浮かべたまま、寮棟の扉を開けたのだった。



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