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 遠くに車の往来の音が聞こえる。
 時折突風のように響く音は、特急車だろうか。
 太陽はとうに沈んで久しい時間。月も昇り、星々も瞬いているというのに、喧騒は絶えることがない。木々に隠れた此処からは闇しか見えないが、少し開かれた場所に出れば道を照らす明かりが煌々と輝いているのだろう。
 ユーデクスは騒がしい街から身を隠すように、小さな林の茂みの中で身を休めていた。
 黒い巨大な狼。普通の人間ならば、彼の姿を一目見て悪魔の遣いだと思うにちがいない。実際、祓魔師を名乗る人間に追われた回数は数え切れない。
 刃を向けられても人間を傷つけることを許されておらず、本来の姿を晒して人と交流することも許されていない彼は、ただ彼らを前に逃げることしか出来ない。
 今もそうだ。魔物を倒し、力を使い切って傷ついた体を引き摺り、己を倒そうとする祓魔師を避けて此処まできた。
 ユーデクスは顔を天に向け、空を見上げて目を細めた。
 月蝕。部分月蝕なので、酷い飢えはないが、それでも普段より力が抑えられてしまう。
 今、彼に残された力は、精々この茂みの中で人にばれないよう、目くらましの結界をかけるくらいだ。これも、力ある人間や悪魔にならば、見破られてしまうだろう。
 だが、月が最も欠けるピークは過ぎた。後は力の回復を待って、天に戻るだけだ。
 ユーデクスは顔を地上へと戻し、木々の向こうに見える小さな明かりに視線を向けた。
 暖かな優しい光。光源となる魔力の主の魂が垣間見える。
 姿を見ることはできずとも、こうして近くで気配を感じることができる。
 それだけが、慣れない地上での過酷なお役目の中、彼が唯一心休められる癒しだった。
 そこは、小さな教会。
 一人の司祭と、数人の孤児が暮らしている。
 司祭はこの街では名の知れた祓魔師で、悪魔や魔物と多く対峙し、その類稀なる魔力と才能で人々を救っていた。
 時代の流れからか、神への信仰が薄れつつある時代に、珍しく信仰の厚い司祭としても有名で、その影響か、この辺りの人間の信仰心は他の街より強く、強力な魔物もあまり現れていないようだ。
 彼が居るからか、他の祓魔師も少なく、ユーデクスもこうしてゆっくりと足を休めることが出来るというわけだ。
「…………」
 あの教会の中で、司祭は子供達と穏やかな夜を過ごしているのだろうか。
 もうそろそろ、寝かしつける時間だろうか。
 天使のような優しい微笑で、子守唄を歌っているのだろう。
 実際に声を耳にしたことはないが、その歌声は想像できる。
 【彼】と同じ、柔らかで穏やかな歌声を。
 記憶の中の声を思い返しながら、ユーデクスは休息のためにその瞼をそっと閉じたのだった。



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