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じわり、と浸かった湯に血が溶ける。
役目を終えるなり、風呂場に直接移動して、その身を……全身に浴びた返り血を熱いシャワーで洗い流した。
それでも落としきれなかった血か? ……否。新たに生まれた血だ。
脇腹と、肩にそれぞれ深い裂傷。気付けば、ジクジクとそこに痛みがある。
いつもなら意識もせず跡形もなく治る筈のそれが、未だ癒えていない。
湯船に浸かる男はその左右色の異なる瞳を眇め、傷口に順番に手を当てていった。傷口はたちまち浅くなり、あふれ出る血は止まる。しかし、完全に治ったわけではない。その肌理が細かい皮膚には、醜い裂傷の跡が大きく残っている。
だが、それ以上傷を構おうとはせず、彼は仄かに赤く染まった湯に深く身を沈め、目を閉じた。
今宵は天からの聖なる力が弱いせいか、悪魔の欠片は酷く浮き足立っているようだ。
魔に欲を喰われ、もはや助かる手立てのない人間……魔物達も多く、また、強かった。
しかも、天からの聖なる力が弱いということは、それを糧に存在している天使の力も半減するということだ。
流石に、弱った力で一度に5体も完全体を相手にするのは辛く、余分な傷まで負ってしまった。
止血はしたが、とてもそれ以上の治癒まで力を回せない。
少しでも、力を温存しておかなければ。
まだ蝕は始ったばかり。これから再び完全に月が現れるまで、魔物達は容赦なく増えていくだろう。同時に、自分の役目も休むことなく与えられる筈だ。
まぁ、いい。あと少し……月蝕が終わるまでの間、もてばいい。
そうすれば、再び現れた月の光が、天からの聖なる力を齎してくれる。
幸いなことに、今宵は満月。月蝕が過ぎれば、幾分体も楽になるはずだ。
男は瞼を開くと、ゆっくりと体を起こす。
湯船から出てシャワーを浴びなおすと、浴室を後にする。
用意したバスタオルで付いた水滴を適当に拭い、バスローブに手を伸ばす。身に着けた真っ白なローブに、背に垂らした湿った長く黒い髪は良く映えた。
裸足のまま殆ど物の置かれていない殺風景な部屋を横切り、窓際へと移動する。
見上げた夜空に浮かぶのは、細い三日月のような月。大分と蝕が進んでいるようだ。
僅かに残る月光を浴びるように、男は壁に背を預けてその場に座り込み、瞼を閉じた。
浅い眠りを妨げたのは、役目ではなく控えめなノック。
音の先を見やると、外に続く唯一の扉が、ゆっくりと開く。
「……ユーデクス様……いらっしゃいますか?」
囁くように問いながら現れたのは、月。
否、月の様な眩い輝きを放つ魂を持つ、一人の青年。白金色の髪をさらりと揺らして、部屋に入ってくる。
昼真のような制服姿ではなく、自由時間らしいラフでシンプルな服装。
彼は窓際に座り込む人影を見つけると、ますます不安げな様子を見せつつ、まるで窺うような静かな足取りで近づいてきた。
周囲に誰も居ないことを確認して、肩の強張りを少し解く。
「すまない……来るなと言われたのに……胸騒ぎがして」
幾分砕けた口調。だが、その白金色の瞳が、揺れている。まるで、水に映る月の様に、不安定に。
言いつけを守らなかったことを、詫びているようだ。
「……怒っている、か……?」
「いや」
怒ってはいない。故に、男は否定する。
小さな否定に何を思ったのだろう。青年は不安定な瞳のまま、男に近づき跪く。そっと伸ばされた指先が、男の目の下を走る古い傷をなぞるように触れる。男は抵抗することなく、好きなようにさせた。
指先から伝わる体温が暖かい。
「……冷たい……乾かさないと、風邪をひく」
前髪から零れる雫に触れたのだろう。青年は眉を顰めてそう呟く。
風邪。あぁ、そうか。今は肉体を持っているから、人間のように風邪を引くこともあるのか。
だが、今ある力を使うのはやはり得策ではない。実体化を解けば、今のこの濡れた状態も直ぐに乾くだろう。はじめから、無かったことのように。
他人事の様に考えながら、男は再び青年を見る。
綺麗な、月。聖なる力を湛えた体。
あぁ……とても…… オ イ シ ソ ウ ダ ナ 。
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