lucis lacrima - 1-1

 何も見えない。
 前も後ろも上も下も右も左もない。
 真っ黒な闇。

 ただただ、真っ黒な。

 声が聞こえた。
 唸るような、禍々しくて恐ろしい。

 足を捕まれた。
 一つだった手が、二つ、三つ……無数に増えて。
 足だけじゃない。腰も、手も、肩も。
 ありとあらゆる場所に手が触れ、掴んで沈ませようとする。

 怖くなって、逃げようともがく。
 けれど、手はそれすら逃がさないと更に増えて自分を拘束する。
 逃がさないと。逃げる権利など無いのだと。

 判っている。これは夢だ。
 けれど、無数の手は間違いなく生きていた。

 生きていたのだ。まだ。
 自分が、あの時殺さなければ。

「ごめ……なさ……ごめんなさい……」

 涙が溢れる。
 自分の犯した所業が、自分の犯した罪の深さが、恐ろしくて。
 抵抗することも出来ない。
 抵抗する気も無くなる。

 ただ、恨みを綴る声に、手に、引き摺られるまま堕ちていく。
 これ以上罪を犯さないように。
 このまま、終わってくれることを願って。

 けれど、無情にもその先は断ち切られる。



 目が覚めると、真っ暗な自室の天井だった。
 部屋にたった一つの窓に目を移せば、厚いカーテンで閉められているその端から、微かな朝日が漏れている。

 また、目が覚めてしまった。

 自分が生きているという事に、クロエは失望と絶望と嫌悪を覚える。

 身体に残る、生々しい手の感覚。
 実際に、あんな風に触られたことは無い。
 けれど、幾度と無く向けられてきた憎悪と嫌悪、恐怖の感覚は、あの手の感覚に酷く似ていた。

「ごめんなさい……」

 彼はただ、涙を流して許される事の無い謝罪の言葉を紡ぎ続けた。


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