lucis lacrima - 10-4

 足幅が違う相手に合わせて、少し歩調を速めていた青年は、ふと足を止めて空を見上げる。

 屋台の張りの隙間から覗く輝く点。眩しい太陽。

 ふとした瞬間に見上げてしまうのは、癖、なのだろうか。

 今までは意識した事が無かった……いや、太陽自体をあまり見なかった気がするのだが、それも気のせいなのかもしれない。

 指摘された事はない、気がする、のだけれど。



 酷く、懐かしい気がする。

 その温もりが、輝きが。



 光の向こうで、誰かが呼んでいるような、そんな錯覚を覚える。


 両手が空いている事に、違和感を感じてしまう。


 手の届かない、遠い、記憶。




「……!?」

 急に手を掴まれて、青年は驚いて視線を前に戻す。

 赤い髪が視界で揺れて、黒い優しい闇色の目が彼を心配げに映す。

 何故か胸を襲う、落胆。虚無感。

 理由はわからない。しかし青年は、その感情に罪悪感を覚えたりはしなかった。

 むしろ、その落胆することに安堵を覚えている。



 この人は、大切な人。

 でも、求めていたのは、足りないのは、彼ではない。




 しかし、いつまでもそんな感傷を引き摺っているわけには行かない。直ぐに意識を切り替えた青年は、男を安心させるように笑って、首を振った。

「大丈夫。なんでもない」



 大丈夫だよ。



「……人が多い。迷うな」

 そう言って、シラナギは手を掴んだまま、今度は歩調を落として歩き出した。

 それが嬉しくて、クロエは微笑みながら、合わせて歩き出す。

 もう、太陽を見上げる事はしなかった。

 それでも、頭を優しく撫でる温もりを、常に感じていた。



 大丈夫だよ。

 俺は、笑ってるよ。




「大丈夫だよ……ハクビ」

 俯いて漏らしたクロエの言葉は、雑踏に掠れて消える。



 言葉から。記憶から。



「何か言ったか?」

「え? 何にも言ってないけど……」

 振り返る男に、問われた青年は首を傾げる。

 本当に、何も言った記憶は無い。

 暫くその顔をじっと眺めた男は、軽く首を振って前を向いた。

「……なら、いい」

「きっと、疲れてるんだよ。ほら、早く宿行って、ご飯にしよう」

 繋いだ手を離さず、今度は青年が前に立って歩き出す。

 ざわめく街は、賑わいを増していく。



 そうして、青年と男は街並みの風景の一部になって、紛れて、見えなくなった。


  
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