lucis lacrima - 3-13

「クロエ! お帰り」

 部屋に入るなり、執務机に就いていたもう一人の自分が満面の笑顔で迎えてくれた。

 立ち上がり、自らお茶を入れるために簡易な給湯室へ向かう。

「疲れたでしょ? ソファで寛いでていいからね」

 言葉に甘えようとしてソファを見、思わず身体が緊張に固まる。そこには、ハクビの護衛が寛ぎきった様子でふんぞり返っていた。

「あ、そこのデカイのは気にしなくていいからね」

「ひでぇ言い草だな」

「ホントのことじゃないか」

 動けないクロエを他所に、神官と護衛は歯に衣着せない軽口を叩き合っている。出会ってまだ数日とは思えないほど、傍からは意気投合しているように見えるだろう。

 しかし、そんな様子すら気付けないほど、クロエは完全に硬直していた。そんな彼を苦笑いを浮かべて見やり、琥珀色の目を持つ男はソファから手招きする。

「ほら、突っ立ってないで座れよ。別に取って喰やしねぇよ」

 その友好的な態度に、クロエは戸惑いながらもフラフラと近寄っていく。

 有る程度近寄ったところで手を強く引かれ、隣に強制的に座らされて、彼は驚きと恐怖と混乱で、今度こそ心臓が止まるかと思った。

「……心配しなくても、今は手を出したりしねぇ。お前にも、勿論アイツにもな」

 俯いて硬直するクロエの頭上から、小さな声が振ってくる。驚いて見上げれば、憮然とした表情の男がお茶を入れるハクビの方を静かに見ていた。

「釘刺されたんだよ、アイツに。よっぽど、お前の事が大事らしいな」

 信じられない思いで、クロエはただ呆然と目の前の男を見上げる。

 ハクビは、男が片割れに復讐しに来たことを知っているらしい。知っていて尚、護衛に置いているのだ。

「まぁ、お前もノウノウと生きてたわけじゃなさそうだし、当分はそれで我慢してやるよ」

 ただ呆然とするしかない仇の頼りない黒い瞳を、降りてきた鋭い琥珀色の瞳が射抜いた。

「ただし、当分は、だ。俺はお前を許すつもりはないし、いつかは必ず仇をとってやる。正々堂々と、な」

 それは、言い換えれば、ハクビには手を出さないと言う事だろうか。

 多分、そうなのだろう。再び片割れの方へ向けられた男の視線を見て、何となくクロエは思う。

 殺気も何も無い……どちらかと言うと、慈しみや信頼にも似た視線だ。お盆に3つのカップを乗せて、裾の長い衣装でこちらに向かうハクビの姿に立ち上がり、手を差し伸べる。

 凝視するクロエの視線が居たたまれなかったのもあるだろうが、どうにも危なっかしい様子に思わずといった感じもあった。

 大丈夫だと言い張るハクビに、火傷されると護衛の立場がねーだろーが、とか何とか言う顔は、笑顔では無いが穏やかで優しい。

 なんだかんだ言って、多分、お互いにお互いを信頼しているのだろう。

「クロエ? どうしたの?」

「……なんでもない」

 知らず知らずのうちに顔を緩めていたクロエに、結局お盆を取られたハクビは不思議そうに首を傾げる。そんな片割れに、問われた側は首を左右に振る。

 信じてみようと思った。とりあえず、この二人の間にある見えないものを。


 目の前の男が、クロエの大切なものを傷つけなければ、それで良かった。


  →
 第四章へ
 戻る