lucis lacrima - 5-16
「俺より、クロエのほうが気をつけないと」
クロエの思考は、ハクビの言葉で中断された。
視線を上げれば、執務机に行儀悪く腰掛けたハクビが眉を寄せて首をかしげている。
「なんで?」
「だって、鎮圧とか行くんでしょう?」
その言葉に、自分を心配してくれている片割れの思いが伝わってきて、嬉しさに心躍る。
安心させるように笑って、クロエは首を左右に振った。
「大丈夫、あんまり俺の所にはそういう命令は来ないから」
「そうなの?」
「反乱が組織的なものだったら、その中心を制圧しに行くんだろうけど……まだ其処まで分かってないし」
たまたま、反乱兵が点在していて模倣的に騒ぎを起こしているだけかもしれない。軍内部ではそういう見方をする隊長も少なくない。
大きな組織は粗方潰しているからだ。
「それって、一番危険な事なんじゃないの? 中心を制圧って……」
「慣れてるから平気。俺が強いの、知ってるだろ?」
そう言って笑えば、ハクビはさらに不思議そうに首を傾げてクロエの顔を凝視した。
「なんか、クロエ変わったね」
「どうして?」
「自分の力に、自信持ったみたい」
その言葉にはっとして、クロエは苦い笑いを零した。
「自信……じゃないけど、気付いたから」
「気付いた?」
「穢れてるのは、俺だけじゃないって事。
軍にいる皆が、同じだって事……褒められた事じゃないけど、それで大切な物を守れるなら、必要かもしれないって」
気付かせてくれた人を思い出して言葉を紡ぐクロエを、ハクビは不安げに見つめていた。
まるで、片割れが自分から離れていくようで、心が微かにざわめく。
しかし、そんなハクビの心を知ってか知らずか、クロエは彼らしい自嘲ぎみな笑みを浮かべた。
「出来れば、力は使いたくないけどね。
それに、最近、待機か後方支援ばっかりで戦場に出てないから、そう思うのかもしれないし」
「そんなもの?」
「良くわかんないけど……多分」
「ふぅん」
戦いを知らない故に理解は出来ないが、ハクビはとりあえず頷いておく。
クロエも特に理解してもらおうと思っていなかったし、自分自身良くわかっていないのでそれ以上言葉を重ねる事はしなかった。
「何事もないといいね」
「そうだね」
ハクビの呟きにクロエも深く頷く。
この二人の関係にも、この穏やかな日常にも。
本当に、何事も起こらなければ良い。
その思いだけは、立場の違う二人に共通したものだった。
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