lucis lacrima - 6-17

 何故、こんなに自分は苛立っているのだろう。

 煌々と明かりの灯された自室のベッドの上、向かい合って座りつつフェイの腕の傷を治療しながら、ハクビはずっと無言だった。

 幸い、傷は毒が塗られていないようで、彼は肩の強張りを解いて少なからず安堵する。



 どうかしている。コイツは、護衛だ。自分の代わりに傷つくなど、当たり前なのに。

 ましてや、反乱軍の潜入者であるというのに、何故、自分はこれほどまで心配しているのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。

 この男の傷を必要以上に心配する自分も。

 自分を庇って怪我をしたこの男も。



 ハクビは己の思考に眉を寄せ、首を左右に振る。

 夜のせいだろう。思考がおかしな方向へ進もうとしているようだ。

 出血が多く、見た目は派手だが決して深くは無い傷を、慎重な手つきで消毒し、薬を塗って包帯を巻く。

 無意識のうちに選んだ薬は治癒能力の高い高価なもので、彼は塗ってからそれに気付いたが、敢えてそれを口にすることは無かった。



 それより、クロエのことだ。

 自分が怪我をしたと思って暴走した片割れ。

 闇に飲み込まれていく彼が、怖いと思った。

 自分が知っている彼ではなくなっていくような気がして。

 声も届かなかった。

 そう、混乱した彼が受け取った声は、自分のものではなく、あの赤い髪が印象的な男の声。

 確か、何処かの隊の隊長……だった気がする。

 何度か戦場で見かけた覚えがある。その時は、特にクロエと親しげにしていた様子は無かったが……。



 ハクビは難しい顔で包帯の結び目を作ると、手を止める。



 もし、本当に自分がいなくなったら、どうなるのだろう。

 クロエは、また暴走してしまうのだろうか。

 それとも、あの男が止めるのだろうか。



 多分、止めるのだろう。今回のように。

 だが、もしこれが夜だったら? もっと、暴走は激しくなるに違いない。

 その時、あの男に止められるのだろうか?

 つがいの筈の自分が止められなかった、クロエの闇を。



 片割れの暴走を止めたいと思いつつも、自分ではなく赤毛の男がそれを成し遂げる事に奇妙な不快感を覚える自分に、ハクビは戸惑いつつも願わずに居られな かった。

 どのような結果になろうとも、クロエが悲しまない事を。

 たとえ記憶を失ってでも、笑顔で居てくれる……そんな都合の良い未来を。



 考え込む若い神官を、フェイは黙ったまま見つめる。

 難しい顔で、まるで永久の別れを惜しむかのような熱心さで。


 治療をされていない彼の自由な手は、腰の短剣の柄に、静かに添えられていた。


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