lucis lacrima - 8-14
穏やかに微笑む、大切な大切な、もう一人の自分。
そして、彼が握る白い手の持ち主である男に視線を移せば、彼もまた、満足げに微笑んでいるように見えた。
「選んだんだね。ハクビは」
自分ではなく、この男を。
「……酷いなぁ」
言葉とは裏腹に、青年は楽しげに笑いながら、自分と同じ顔に己の顔を寄せる。
額と、額が触れ合う。
もっと近くに寄りたくて、体を寄せれば、今度こそ剣が二人の間の邪魔をした。
「あぁ、痛いよね。今、抜いてあげるよ」
額で繋がったまま、クロエはゆっくりと、丁寧に、ハクビに深く刺さる剣を抜いていく。
触れ合う額が熱い。
額から何かが流れ込んできて、ほんの少し開いていたはずの闇の餌へと通じる心の扉を開けていく。
まるで、増強術を受けたときのようだ、と、クロエは鈍い頭でボンヤリと思う。
開いていく扉を止めなかった。
もう、止める理由など無い。
溢れ出る白い塊は、歓喜の熱を上げて、その流れ込んでくるものを……黒い塊を受け入れる。
遠い昔に別ったもう一つの半身と繋がり、その力を増していく。
クロエの足元に闇が生まれ、膨れ上がり、彼の居るまわり全てを飲み込んでいく。
そして、片割れから受け取った黒い塊が光を呼び寄せ、闇と交わり闇を飲み込み……やがて二つは霧散して消えた。
否。消えたわけではない。見えなくなっただけで、強い闇の力の渦は確かにクロエの中に溢れていた。
警告のような頭痛は、もう感じない。
あるのは、漸く力を得た高揚感と、愉悦のような喜びと快感。
歓喜のざわめきが、青年の体を、心を波立たせる。
「全部、終わらせよう」
もう、自分は一人じゃない。漸く、自分は完全になれたのだ。
クロエは、空になった神官の体を解放すると、護衛の傍らに寄せて置いた。
「ちゃんと、守らないと……消しちゃうから」
笑顔で、動かない男に警告する。
ハクビの心も、体も、この男にあげよう。
だが、力は、自分のものだ。
それで、十分。
この力は、片割れが遺してくれた、他でもない、自分だけの形見。
闇を纏う青年は、事切れた神官から引き抜いた血塗れた剣を手に立ち上がる。
「折角ハクビがくれた力、有効に使わなきゃね」
悠然とした動きで、彼は眠る二人に背を向けた。
そう。大切な片割れが、自分の為にくれた力。
ならば、自分の為に使おう。
何もかも壊して、何もかも飲み込んでしまおう。
それだけの力が、今の自分にはある。
何もかも、闇へと消えてしまえばいい。
人も、国も、自分も、世界も、何もかも。
そうすれば、もう、泣かなくて済む。
もう、苦しまなくて済む。
クロエは無邪気な笑みを浮かべながら、部屋を後にする。
一切、振り返らなかった。
ただ、一粒の光る雫が、赤い水溜りに落ちて、溶けた。
← →
第九章へ
戻る