lucis lacrima - 便りの風4
眩しい光が瞼の奥まで差し込んできて、クロエはそれを避けるように眉を寄せて身動ぎをした。
まだ眠っていたい。
そう望む意識とは裏腹に、十分な休息を取った体はあっさりと覚醒してしまい、先ほどまで見ていた夢も綺麗に霧散してしまった。
残ったのは、穏やかで幸せな気持ちと、ほんの少し切ない感情。
きっと、それも直ぐに何処かへ消えてしまうのだろう。
「起きたか」
掛けられた声に横を見ると、一緒に旅をしている赤い髪の大柄な男が既に身支度を整えて地図を眺めていた。
今日、この街を発つと言っていたから、その段取をしていたのだろう。次の街まで距離があると言っていたから、暫くはまた野宿になるに違いない。
相棒が準備万端なのに、自分だけが惰眠を貪るわけにもいかない、とクロエはすんなりと身を起こした。
「おはよう、シラナギ」
「あぁ」
そっけない返事だが、優しい眼差しで体調を確認するその視線に、クロエは頷いて見せた。
今日はとりわけ調子がいい。天気がいいせいだろうか。
窓の外を見れば、雲ひとつ無い青空と輪郭さえ見えないほど眩しく輝く太陽が確認できた。更に窓に近づけば、宿の庭の木に、紫色の大柄な花が咲いているのが見えた。
「ぁ」
「どうした?」
思わず声を上げたクロエに聞こえる、男の声と紙擦れの音。地図を畳んだのか、ベッドに置いたのか。
しかし、クロエには地図の扱いよりも花の方が気になって、視線を外す事ができなかった。
「いや、あの花……」
「……あぁ、もうそんな時期か。夏ももう直ぐだな」
横に立った男が、花を確認して呟く。
「神宮で、咲いてた気がする。散ると、天使の羽根みたいで綺麗だねって」
笑って、頭一つ分背の高い男を見上げれば、伺うような眼差しがクロエに向けられていた。
まただ。時々、この男はこういう、何かを探るような視線を向ける。
10年ほど記憶の退行した自分が、何かを思い出したのではないか。きっとそう思っているに違いない。
クロエは自嘲を含んだ笑みを浮かべて、首を左右に振った。
神宮であの花が咲いていた。そんな気がするだけだ。街でよく見かける花だし、気のせいかもしれない。まして、誰がそんな事を言っていたのかなど、わかるはずも無い。
きっと、神宮に上がってから出会った神官か、軍で出会った人間だろう。
「……そうか」
小さく呟く男に、クロエは頷いた。
哀れむような、少し寂しげな視線は、見ない振りをした。
「出るか。日が高いうちに進むぞ」
「うん」
意識を切り替え宣言する男の言葉に乗って、クロエは明るく返す。
そうだ。早く次の街に向かおう。
まだ見ぬ街に思いを馳せて、クロエは気分を上げた。実際、見たことも聞いた事も無い世界を見るのは凄く楽しいし、何よりこの男と旅をするのは安心感があって好きだ。
地図を畳んで荷物を纏めた後、それぞれ自分の荷物を背に負って二人は宿を出る。
宿を出るとき、もう一度花を見上げたクロエは、風に乗って花弁が舞い散る様を見て微笑んだ。
初夏の便り。
夏は、直ぐそこまで来ていた。
end.
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