魔王と救世主 - 4-12

「お帰りなさいませ、魔王」

「あぁ」

 ロビーに出るなり出迎えたレヴァに、魔王は短く返す。

 いつもの事だ。どちらも気にはしない。儀礼的なやり取りに近い。

「このまま、お部屋に行かれますかな?」

「いや、先に湯浴みする」

「直に準備させましょう」

 ロビーを抜けて上階へと続く階段を上がる魔王の後を付いて、老年の魔物は甲斐甲斐しく声を掛ける。

 別に、魔王を慕っているわけではない。自分を売り込むための癖が、未だ残っているだけだ。

「特に変わったことは……なさそうだな」

「そうですな……おや?」

 長い階段を半ばまで差し掛かった時、正面に現れた人影に二人は足を止めた。

「魔王様、お帰りなさいませ」

 にっこり笑うキーズと、いつもは居ないはずの銀髪の青年。頼りないバスローブ姿で、魔物の後ろに所在なさげに立っている。

「何故、彼が此処に……枷を外されたのですか?」

「あぁ、城内限定でな。言ってなかったか」

「聞いておりません!」

 喚く側近を放置して、魔王はゆっくりと階段を上る。

 徐々に近づく魔王に、救世主は逃げも隠れもせず……ただまともに彼を見る事ができず、俯きがちに視線を廊下に落として近づくのを待つ。

「ただいま。お迎えか?」

 余りに嬉しそうな声に、更に恥ずかしくなって顔が上げられない。

 救世主は視線を外したまま、ぼそぼそと口の中で声を発した。

「……キーズが」

「ん?」

「キーズが、行けばお前が喜ぶだろうと……言った、から……」

「そうか」

 顔など見なくても、子供のように無邪気で嬉しげな魔王の様子が手に取るようにわかる。

 くしゃり、と銀色の髪を無造作に撫でられて、救世主はその手を避けるように身をわずかに捩る。

 嫌悪はない。顔が熱くなるような嬉しさと、締め付けられるような恥ずかしさの混じる何とも言えない感情が、セナの中に存在している。

 こんな感情は初めてで、どうしたらよいのか分らず、取り合えず思いついた言葉を口に出してみる。

「俺は子供じゃない」

「それは悪かった」

 いつものような無感情ではなく、微かに拗ねた様な色が混じる救世主の口調に、魔王は本当に楽しそうな声でそう謝罪する。
 そして、手触りの良い銀糸を一房手にすると、そっと口付けた。

「ただいま」

 もう一度、噛み締めるように魔王が言う。笑顔とともに、優しい目で愛しい青年を見て。

 たったそれだけで、心がほっこりと暖かくなり、救世主は微かに口元を緩めて、漸く顔を上げた。

 誰も入る隙のない、柔らかく融けた二つの赤い視線が交錯する。

「……おかえり、魔王」

 そうしてセナは、求められているであろう言葉を、静かにその唇に乗せた。


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