魔王と救世主 - 8-7
救世主は、魔王を仕留めそこなった、と言っていた。
本当に、手を掛けたのだろうか。
いや、『救世主』としては、正しい行為であり、世界を救うためには必要不可欠なことである。
だが、好意を寄せている相手に、剣を向けることなど、普通ならば出来る筈がない。少なくとも、勇者には出来ない。
それでも、使命の為に生きているような人だ。剣が手元に戻ったことで、己の感情に蓋をし、使命を果たそうとしたのかもしれない。
そして、失敗した。
真実はどうか判らないが、勇者は自分の予想が間違っていないだろうと思っていた。
「……ッ!!」
突然、バサリと布が跳ね上がる音がし、勇者は驚いて再び正面の檻へと視線を移す。
薄暗い明かりの中で、救世主が布団の中に上半身を起こしているのが見える。
その肩は、彼にしては珍しく、大きく上下していた。
悪夢でも見たのだろうか。
声を掛ける前に、もう少し様子を見ようと勇者は目を凝らす。
きつく掛布を握り締める手が、微かに震えている。呼吸に合わせて忙しなく揺れる髪が俯く顔を隠し、表情までは読み取れない。
「……セナ、ドール……」
耳を澄まして集中したことで漸く聞き取れた言葉の意味は判らなかったが、小さく震えるその声は、確かに潤んで……泣いていた。
「悪い夢でも見ましたか?」
少しでも安心させたくて、出来るだけ優しくかけたはずの声は、しかし救世主を酷く驚かせたようだ。ビクリと大きく体を振るわせた彼は、驚いた顔で勇者を見てきた。
見開かれた赤い目が、涙に濡れている。それどころか、後から後から透明な滴が頬を濡らしては、地へと落ちていく。
初めて見た救世主の泣き顔に勇者は慌て、頭の中が真っ白になる。
何を言えばよいのか判らず、混乱する彼を前に、しかし救世主は直にいつもの冷静さを取り戻して、その顔に浮かんでいた哀しみと絶望の色を消してしまった。
「起きていたのか」
「……はい」
慰めるはずが、逆に冷静な声に落ち着かされて、勇者は視線を逸らして頷く。
薄闇の中、人形のように表情の無い顔に見つめられて、彼は隠された感情を見てしまったことを責められているような、何ともバツの悪い思いに捕らわれる。
たとえそれが不可抗力で、避けようの無いものだったとしても。
救世主を敬愛する勇者にとっては、彼が望まないことをするのは酷い罪のように思ってしまうのだ。
「……少しでも、体を休ませておけ」
黙りこむ勇者に、救世主はそれだけ告げると再び布団を被り、横になる。
全てを拒絶する彼の空気にそれ以上踏み込むことが出来ず、勇者もまた、布団に横になる。
だが、今見た救世主の様子が気になって、当分、睡魔が訪れることはなさそうだった。
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