魔王と救世主 - 9-12

「……セナ? おい、セナ!」

 悲鳴の後、完全に力を失った体に驚いて、セナドールは細い体を揺さぶる。

 どうも、気を失ったらしい、が。

 呼吸が感じられないそれに、一瞬、最悪の事態が過ぎって背筋が凍る。

「……、……は、ぁ……ぁ……」

 だが、一瞬の間の後、呼びかけに応える様に、荒い呼吸と共に胸を激しく上下させ始めた腕の中の体に、安堵した。

 薄く開いた瞼の隙間から夢現な赤い瞳が見えて、更に肩の力が抜ける。

「やり殺したかと、思った……」

「……セナ、ドール……」

 誰のせいだ。

 声にならない呼吸音で抗議するように名を呼ばれ、セナドールは笑って謝罪する。

「お前が可愛いから、加減できなかった」

 否、言い訳だ。

 腑に落ちないものを感じながらも、セナは幸福感に負けて、己を抱き締める男の胸に顔を埋めた。

 ドクドクと脈打つ、心臓。

 二つの音が不協和音を奏でて、耳障りなのに妙に心地いい。


 なのに。


「……っ、や……」

 不意にセナドールが体をずらし、セナは喪失の予感に怯えて、男の背にしがみ付いた。

「セナ?」

「……いや、だ……抜く、な……」

 涙交じりの声で、胸に顔を擦りつける様に左右に首を振って拒否する。

 繋がりを、解くことを。

「もう、流石に無理だ。……これ以上やったら、ホントに壊れるぞ」

 そんな事をされて、滾らない男などいない。それでも、心からセナを想うセナドールは、己の欲望を押さえ込んで諭すように言った。

 だが、忠告する声を振り払うように、もう一度、セナは首を左右に振る。

 そんなことは、本人が一番良くわかっている。

 それでも、離れてしまったら、二度と、触れ合えない気がして。

 このまま、失ってしまうような気がして。

「……ひとり、は、いや、だ……」

 それは、壊れること以上に、ずっとずっと怖くて。

 セナの全身から溢れる恐怖が胸を締め付け、セナドールは顔を苦痛に歪め、改めて腕の中の細い体を抱き締める。


 このまま二人きり、どこか遠い世界へ飛んでしまえたら。

 救世主と魔王という運命から、逃れることが出来たら。


 二人の脳裏に、同じ妄想が駆け巡る。

 だが、それは理想でしかなく、決して現実にはならない。


 彼らが生きている世界は、たった一つなのだから。


 逃げることなど、出来ない。


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