Another Ending - 1

 喉に閊えたたった一つの言葉。

 その大切な言葉は、最後までどちらの耳にも届かなかった。


 たったそれだけ。


 たったそれだけで、俺は……。



「救世主様、謁見の時間です」

 窓の外に広がる森を見下ろしていた俺を、勇者が迎えに来る。

 一瞬、何のことか判らず呆然と見返した俺を急かす様に、傍に控えていた数人の侍女が俺のローブを剥し、煌びやかな王の装束へと着替えさせていく。

 慣れた手つき。

 俺がこの城の王となってから、幾度も行われた儀式。

 そうして、漸く、自分の置かれた状況を思い出す。


 あぁ、どうして俺は、此処に立っていられるんだろう。


 王の部屋にしては随分と小さな、だが住み慣れた場所を後にして、俺は勇者を引き連れ謁見の間に移動する。

 重い衣装を引き摺り、見慣れた廊下を迷い無く歩き、ロビーへと続く階段を降りれば、謁見を待つ人々がざわついた。

「救世主様だ!」

「あれが、魔王から世界を救った救世主様!」

「なんと美しい……」

 溜息と羨望と畏怖と値踏み。

 熱気に満ちた人間の視線も、今の俺には何の感情も齎さない。

 ただ、幾人もの人間の顔を、視界に映しては記憶の中で照合し、そして忘れるのを繰り返すだけ。


 あぁ、どうして此処に、『彼』が居ないんだろう。


 賛辞と媚と駆け引きに満ちた謁見。後を経たないそれは、昼を過ぎて漸く終了する。

 俺の疲労を危惧した勇者が、謁見人数に制限をかけているのだ。

 権利から漏れた人々から向けられる、縋るような視線。俺はそれを振り払うようにその場を後にする。未練など微塵もない。

 そもそも、未練と言う感情すら、どんなものだったのか思い出せない。思い出す気もない。

「お疲れ様でした」

 頭を下げる勇者を横目に、俺は味気ない食事もそこそこに、執務室へと向かった。

 綺麗に掃除がされた部屋。

 執務机に宛がわれた大きな椅子は細身の俺には不釣合いで、『彼』は似合っていたのだろうな、と何度か考えた。
 もっとも、一度も彼が執務室で仕事をした様子を見たことが無い俺は、その姿を思い出すことも、永遠に知ることも無い。

 座り始めた頃は、思い出すたびに涙を零して書類をゴミにしたが、今となっては何の感慨も浮かばない。

 ただ、チリリと炎が胸の奥で燻り、焦げきって硬く閉ざした感情を炙るだけ。しかしそれにすら慣れきった俺は、それが痛みであると認識することもない。

「隣国の王から、支援の要請が来ておりますが……」

 数人の宰相が、書類を手に俺に報告をしてきた。

 あーでもない、こうでもないと目の前で議論を繰り広げ、俺に最終的な指示を仰ぐ。

 だが、それも儀礼的なものだ。

 俺に、国を動かす力はない。政を動かすだけの知識も経験もない。

 あるのは、神父としての知識と、魔法の心得と、僅かばかりの剣術。

 所詮は、過去の名声だけを肩に着た、お飾りの国王だ。

 殆ど決まったも同然の結論が書かれた書類に形だけの署名をして、俺は残りの書類にも印を押した後、日が傾きかけた頃に、ようやく執務室を後にした。


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