Another Ending - 5

 瞼を開ければ、そこは冷たい暗闇。

 誰も居ない。腕の中には、何もない。


 色の無い世界に零れ落ちる涙。

 瞬間、救世主の殻が弾け、闇に堕ちたセナが慟哭を上げる。


「セナドール……せなどーるっ……せな、どー……ッ!!!!」


 何も見えない。感じない。

 ……声も、笑顔も、温もりも。

 あるのはただ、失った幸せに恋い焦がれ、哀れに泣き叫ぶことしか出来ない、一人の人間。

 世界から切り離され、闇の中に封じられた、救世主の器。


「セナドール……ッ会いた、……会い、たい……ッ」


 毎日毎日、感情を焼き殺し、自制の剣を心へと突き立て、それでも、それでも、求める心が止まらない。

 決して満たされない感情が、『生きろ』という甘い呪いに縛られ、死ねない自分を苦しめる。


「痛い……胸が、痛い……痛いんだ……ッ」


 幸せだから、不安で胸が痛くなる。

 かつて、セナドールはそう教えてくれた。

 なのに、今、俺は、幸せじゃないのに、胸が痛い。


 どうして?

 どうしてだ?

 教えてくれ……教えてくれ、セナドール。


 セナが愛した、救世主が殺した、優しい人間。


 耐え切れず崩れ落ちた膝が、色を失った黒い染みの残る床に触れる。

 震える手を伸ばしても、もう、それは温もりを持つことは無い。

 流れるべき肉体を失った、ただの、こびり付いた穢れでしかない。


『俺を、救ってくれ』


 耳元で、幻聴が囁く。

 愛しい、男の声で。


「……嫌だ、セナドール……」

 あの時、決して、言えなかった言葉が口から零れ溢れる。

 何度も、何度も。

 大切な人の、名前が。

「セナドール……ッ」


『お前なら、出来る』


「……お前がいない世界で、俺は生きていけない……」

 あの時、胸につかえた言葉を……想いをぶつけていれば、結末は変わっていたのだろうか。


『大丈夫だ。お前は、一人じゃない。生きるんだ』


「……無理だ……無理なんだ、セナドール……」

 城に住まうどんな人間も、付き合いの長い勇者ですら、愛した男には遠く敵わない。


『生きて、幸せになるんだ』


「お前のいない世界なんて、いらない……ッ! 俺は、お前しか要らないんだ……ッ」

 幸せになんて、なれない。

 笑えない。

「セナドール……!」


『愛してる、セナ』


 真っ暗な世界で、愛しい男の幻影が見える。

 呪いのような甘い言葉と共に、瞼に焼き付いた優しい笑顔が俺を見ている。


 あぁ、笑わないで。

 お前が笑うと、俺は笑うから。

 幸せになってしまうから。


 たとえ、次の瞬間、お前が塵と消えようとも。

 俺は、お前が傍で笑ってくれるだけで、幸せになれるんだ。


 幸せ、だったのに。


 冷え切った手に重ねられた、焼けるように熱い手の温度を、今でも覚えている。

 強く、強く抱き締めてくれた、あの、最期の感触も、覚えている。

 残酷なまでに、鮮明に。


 だが、それが真実なのか、もう、確かめることも出来ない。


 世界を包む冷たい暗闇の中、セナは一人で泣き続ける。いつまでも、絶えることなく。



 救世主の心臓は、今も動き続けている。

 当たり前のように、規則正しく、人形のように踊り続ける。

 なのに、俺は毎日死んでいる。

 あふれ出そうとする感情を殺し、この醜い世界でたった一人、冷たい暗闇の中泣きながら。


 そして、今日も、人間の王は無表情のまま、執務をこなす。

 生きると言う、永遠に続く拷問のような執務を。


 命が尽きる、その時まで。


 end...


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