Another Ending - 4

 窮鼠の如く繰り出された重い一撃は、信じられないほど遠く、黒い剣を弾き飛ばした。

 塔の下へと落下していく、魔王の剣。

 残されたのは、倒すべき男の膝に乗り上げ、白銀の切っ先をその胸元に向ける救世主と、地に腰を落とし無防備な急所を晒す、魔王だった男。

「……泣くな」

 沈黙したまま、無表情のまま微動だに出来ない救世主に、魔王は優しく囁く。

 悪夢に魘される度に、布団の中で何度もそうしてきたように。

 甘い声で、低く、穏やかに。

 その顔は、滲んではっきりと分らないが、きっと笑っていた。

 いつものように。幸せそうに。

「俺を、救ってくれ。魔王という枷から、開放してくれ」

 お前にしか出来ない。

 囁く言葉は睦言のように甘く、だが死刑宣告のように残酷で。

「…………っ」

 涙を零し、呼吸すら覚束なくなり、心が悲鳴をあげても尚、その喉からは一言が出なかった。

 音にしてたった5つの、大切な人の名が。

「……大丈夫だ。お前なら、できる」

 剣を持ったまま動けない、いつも以上に白い華奢な手を、暖かく大きな手が握る。

 迷い無く急所に宛がい、最後の一突きを促す。

 ほんの少し、体重をかければ、切っ先は深々と目の前の男の体へと吸い込まれていく。


 世界が、赤く、染まる。


 苦痛に歪む顔。開かれた口から零れる、赤い命の水。

「……ぁ、……っ」

 言葉が出ない。金縛りにあったように、全ての筋肉が萎縮して、動くことを拒否していた。

 ただ、ただ、涙腺だけが壊れたように機能していて。

「……泣くな……セナ……」

 セナドールが、笑う。

 優しく、名前を呼んで。

「生きて、幸せになるんだ。……大丈夫。お前は……一人じゃない」

 だから、泣くな、と。

 まるで呪いの様な甘い囁きを零しながら、セナドールは動けないセナの体を、ゆっくりと抱きしめる。

「笑ってくれ。……笑って、俺を、幸せにしてくれ」

「……ま、おう……」

 名前を呼べないセナを、セナドールは責めることなく微笑んで、優しい口付けをくれる。

 錆びた鉄の味がする、口づけを。


 愛してる、セナ


「……、っ!!」


 なんで、なんで、そんなことを、今。

 今、この瞬間に。己を殺した相手に。

 まるで、復讐のように。

 許されぬ、忘れえぬ罪を、刻み付けるように。


 それでも、慈愛に満ちた笑みに促されて、救世主は……セナは、止まらぬ涙を拭うこともできず、ただ微笑んだ。

 微かに、だが、確かに幸せを感じて。

 『彼』が、笑ってくれるから。
 『彼』が、目の前にいるから。

 しあわせ、だった。


 抱きしめる腕が、ほんの僅かの身じろぎで、軽い音を立てて、床に落ちる。

 もう、その瞳に世界が、自分が映ることは無い。

 名前を呼び合うことも、笑い合うことも、口付けを交わすことも、抱きしめ合うことも、ない。


 世界が、徐々に色を、ぬくもりを失う。

 世界が、闇へと堕ちていく。

 魔王と、セナドールと……セナと、一緒に。


  
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