1.プロローグ
人知れぬ山奥の、気高い崖の先に、その洋館はあった。
洋館は誰の所有物か、とんと見当がつかない。
厳重に塀に囲まれ、鍵がかけられ、窓も塞がれており、中の様子はまったく分からないし、もちろん、中に侵入することも、ほぼ100%不可能な状態だった。
多くの盗賊らが、この洋館にはお宝があると信じ、何とかこじ開けて中には入れないか、さまざまに手を尽くしたが、窓の向こうは壁で覆われ、ドアは電子キーのようなもので固く閉ざされており、どうしても内部に侵入することができなかった。
それもそのはず。洋館というのは外観だけであり、その内実は、さるマッドサイエンティストの手によって作られ、バックに大物の黒幕が控えているような、悪魔の研究所だったのである。
フィクサーもマッドサイエンティストも、いずれも現在は行方不明である。もしかしたら、この研究所内部にこもって、今でも何か良からぬことをしているのではないか……事情通はそう推測する。
しかし、真相はまったく違っていた。
2人ともすでにこの世を去っている。所有者も権利関係もまったく不明な洋館は、外から見る限り、完全に静まりかえったまま、朽ちることもなく、そこに立ち尽くしている。
そこで行われていた実験は、事情通でさえ詳しいことは分からないらしい。ただ、世界を支配する方法が見つかった、と、一度だけ、マッドサイエンティストが漏らしたことがあるとのことである。
外の人間は誰も知らない、世界を支配する悪魔の方法。果たして、それが本当に可能だったのかどうか、何によって支配が可能だったのか、真相は闇の中である。
……しかし。
中の人間は、その方法を知っていた。知って……「いた」のである。
それは、人間を「快楽」によって支配し、洗脳するという、恐るべき手段なのだった。中でも、性的な快感によって、人間の精神に深く入り込み、自由意志を奪ってしまう手段である。
性的な快楽によって絶頂を迎えた人間の脳に、特殊な電波を送り込み、快感の虜にしてしまう。それによって、その人間は、自由意志を失い、支配者側の思いのままに、なんでもしてしまうようになるのである。
快感で支配する!
その非人道的な研究はもちろん、完全に秘密裏に行われ、その研究のほとんどは、ほぼ完成したらしい。あとは、快感にやみつきになって脳を支配者にゆだねた人間に、具体的に高度な作業をするよう指示する系統、アルゴリズムを叩き込むプログラミングだけで、研究は完成する予定だった。
だが、あと一歩手前のところで、上記の通り、研究所は活動を停止し、ひっそりと山奥にたたずむようになってしまったのである。
一体何が起ったのか、もちろん外の人間にはまったく分からない。そして……中の人間にも、分からない。
内部では、何かが起こっていたのは確かだ。だが、それを知る人間は、もはや一人もいなくなってしまっている。
大勢いた研究員たちも、黒幕どもも、すでに行方不明なのである。
最後に残った研究員は、この悪魔の研究を阻止しようとして、黒幕どもに捕まり、「モルモットルーム」という牢獄に捕らえられていた。そこで快感実験の材料にされるところだったのだ。
だが、彼への実験は果たされなかった。
研究所内で何かの事故かトラブルが起き、研究員たちがみんな、脱出もできずに、こつ然と姿を消してしまったのである。
反逆を企てた研究員は、この異常事態を前に、二つの対策を打った。一つは、自分が閉じ込められていたモルモットルームを改造し、自由に出入りできるようにしつつ、研究所のメインコンピュータの指示系統から外すこと。これは成功し、メインコンピュータから切り離して独立領域にすることができた。
もう一つが、もしもの時のために、自分のクローン人間を製造することだった。それはモルモットルーム内でも十分実現可能なことだった。これで、自分が死んでも、自分の代わりにクローンが、この研究所を脱出し、真相を世に暴露することができる。研究所は破壊され、悪魔の研究は、事故とともに葬り去られ、二度と同じことがくり返されないよう、予防策も採られることだろう。
こちらの対策は、半分しか成功しなかった。
研究員の遺伝子そのままのクローンは完成したのだが、女性版は作れず、男性も、自分と同じ年ではなく、14歳くらいの少年時代の自分の姿でしか、クローンを作ることができなかったのだ。
モルモットルームの外側は、すでに研究所が制作し、または召喚した、悪魔の快楽装置たちが大勢、うろつき回っている。モルモットルームだけは、支配系統を切り離しているので、彼女たちの侵入を防ぐことができているが、一歩外に出れば、女の怪物たちが、このクローンの下半身に迫ってくることになる。
年端のゆかぬ少年であっても、彼女たちは容赦しない。性的な快楽に晒し、射精させてしまうだろう。絶頂したが最後、メインコンピュータの支配電波に打たれ、正気を失ってしまうことになるのだ。
まずいことになった。性に不慣れな姿で、しかも、性的な快感にもっとも敏感な年代のクローンしか排出できなければ、脱出は絶望的だ。
だが、どうやっても、クローンはこのタイプしかできなかった。
……これに、賭けてみるしかない。
おそらく自分は、外に出て、脱出できないまま、どこかで快楽に犯されて果ててしまうことだろう。定期的に、自動的に生成されるクローンたちよ、君たちのうちの誰か一人でもいい、脱出して、この恐ろしい研究を止めさせて欲しい。
彼はそう願って、モルモットルームをあとにした。……その後、この反逆者の行方も分からなくなっている。