Tweet


変態学園の実相


 ここは、絶海の孤島にそびえ立つ、全寮制の学校である。正式な校名はほとんど知られていないが、俗に「変態学園」と呼ばれている。かの変態体育祭が執り行われることで、ちいさな噂が出ては消える程度ではあるけれども、その実態の多くは謎に包まれている。

 情報が遮断されていて、世間一般では秘密が保持されているためである。社会問題になることのない後ろ盾がきちんとできているらしく、そのタブーを破る者がいれば、人知れず行方不明になるという曰く付きだ。

 その話は追って説明されることになるだろうけれども、今は、この学校内で行われていることを、一部紹介するに留めておきたい。内実を紹介するだけで、書き手にも危険が及ぶためである。

 連れ去られた先に待っているのは、箝口のために設けられた快感プログラムであって、筆者もその一員として行方知れずになることは避けたいと思っている。

 「変態体育祭」は、この学校の一大イベントであり、その校風、理念のすべてが体現されている。

 そこで行われているのは、男女対抗の、さまざまな性的営みの競技であり、そこに共通しているのは、セックスが愛の営みだとか快感の共有といったものではなく、快楽を憎みつつ、敵の異性には快楽で負けさせるという、一貫したものだ。

 そこには、この学校の理念が凝縮されているのであり、彼ら彼女たちはその競技で、普段から教育され訓練されていることの成果を試す、大きなチャンスを持たされ、闘いに挑んでいるのである。

 それは、男を絶頂させることが女の名誉・勝利であり、それを積極的に、複数でも構わないからぜひとも実現させるのだという理念。また、女からの快感攻撃を堪え、欲情から身を守り、射精を絶対悪と捉えて、ぜひとも耐え抜くのだという理念にほかならない。

 その理念は、校風そのものと教育プログラムに、すなわち普段の学校生活そのもの、朝から晩までのすべての営みの中に、きちんと含まれている。

 この学校は、小等部、中等部、高等部に分かれているが、エスカレーター式の一貫校。全寮制であり、卒業までは外に出ることができない。島の行き来は物資移動に限られ、誰の潜入も脱出もできない状態になっている。

 情報は厳しく統制され、内部の人間は外の情報をほとんど知らされない。そうした遮断された環境で、とある壮大な「実験」として、この学園は運営されている。

 その教育理念は、人類が本能的に、あるいは社会的教育の過程において、おのずから培ってしまった考え方に対する、真っ向からのアンチテーゼであり、人類の性的な行為や共通感覚に対する、明確な反逆である。それがどのくらい通用するのか、未来にどんな好影響を与えうるのか、学校生活の中で試されている。

 一般には、セックスは悪であり、背徳行為であり、特に女性にとっては、忌み嫌われるもの、憎まれるもの、嫌悪され、敬遠され、時には激しく突っぱねてはばからないものである。

 性的な営みは隠されるべきタブーのひとつであり、性欲は抑えられ、性的な表現さえも「ポルノ」と称されて常に批判と非難に晒される領域である。ポルノというだけで、非常に多くのことが制限され、制約を受け、悪者というレッテルを貼られる。

 それが世界共通の通念であり、人によっては、ポルノの存在それ自体が人権侵害と考えることさえもある。社会通念に反するため、あけっぴろげな性行動は、多くの国家によって、罪として裁かれる対象となっている。この学園は、それを真っ向から否定するために営まれているのである。

 すなわち、

・性的な行動は忌み嫌われるものではなく、むしろ積極的に、かつ日常的に、大々的に行われる正当なものである

 ポルノを多くの企業が禁止事項にするのは、企業イメージの悪化を懸念するためである。だが、そもそも性的な行動がイメージを悪化させるという通念の方が間違っているというのである。

・とくに女性は、もっと積極的に、主体的に、性衝動のままに解放されて然るべきである

 女性が受け身でなければならない理由はないし、性欲を抑えるという通念の方がバイアスだということである。

 告白するのも男、誘うのも男側、セックスを求めるのも男性の特権という通念は、いよいよ排除されるべきものであり、そのまったく逆があってしかるべきである。また、女性がセックスのいっさいに拒絶的になること自体が、本能ではなく社会的バイアスに過ぎない。

・男性の性衝動は、これまで以上に抑制されるべきである

 むしろ性衝動に積極的になりすぎたのは男性側であり、ここからは、立ち位置を逆転させていく。そこには、男女共通の新しい考え方が根付いている。すなわち、

・性的行動自体は積極的に開放的たるべきだが、「自分が快楽を受ける」ことに対しては厳しく断罪されるべきでもある

 これは少々わかりにくいが、自分の快感のために相手を利用する、という従来の考えを捨て、快楽の応酬をまったく「勝敗」の領域に押し込めることを意味している。

 気持よくなってしまったり絶頂してしまったりすることは即座に敗北であり、恥であり、それこそが悪の本質である。とりわけ男の快感、欲情、射精は、本質的に忌み嫌われるべき悪の正体であり、言い訳を許さない罪過である。

 自分の快楽を追求し、その快感に没頭、欲情の赴くままに自制が利かなくなってしまうことは、とてつもなく恥ずかしい結末だ、という強い意識を植え付ける。

 いかに相手を悦ばせ、同時に絶えず訪れる性的な営み機会の坩堝で、自分の性感を抑制できるかが、男女対抗で競われ、もちろん我慢強い方が同性からも羨望されるというわけである。セックスの意味自体を根底から覆す。

 性行為は積極的かつ日常的に、時と場所を選ばずに行われて然るべきである。しかしそれは、自分が気持よくなる目的ではなく、「敵」の肉体を快楽で屈服させ、その倒した数の多さを自らの性的な魅力、攻撃力と捉える。

 相手を射精させればさせるほど、その女性は強い女と位置づけられる。強ければ強いほど、その女子は賞賛される仕組みである。その結果、性の機会は格段に大きく膨れ上がるけれども、かえって男性側は性を嫌い、射精の快楽を堪え、必死に耐え抜こうとする。

 そうなれば、現状の男女間の性的感覚の違いを、はっきりと乗り越え、逆転せしめることも可能なはずだ。つまり、これまで女が嫌がっていたセックスを逆に女性側がとことん追い求めるようになり、隙あらばその機会を作ろうとして、目の色を変えて集団で迫ってくるようになる。

 そして男性側は、これまで積極的に好んで求めていた態度を改め、セックスを忌むべきもの、抑制されるべきもの、嫌悪対象という位置づけで防御に回る。これで、男女間の社会的通念は、完全に逆になる。

 これまで女性が感じていた拒絶感を男性側が示すようになり、これまで男性が求めていた衝動的性欲を、女性側が積極的に追い求めるようになる。

 そのことは、性というタブーがいかに空虚な、ありもしない根拠に踊らされた、いわばデマによって成り立ってきた常識・道徳に過ぎなかったかを、明らかにする。

 性の価値観が逆転し、それでもちゃんと成り立ってしまうことを見せつけることで、世界中を支配しているおかしなタブー感が、いかに嘘に満ちていたかをはっきりさせることができる。しょせんは思い込みによって、性の好悪が決められていたに過ぎないということである。

 それを確かめる実験設備としての役割が、この学校に託されている。

 男女とも、上記理念に基づき、起きてから寝るまで、じつに多くの機会で、性的な行為が賞賛され、そのことごとくが、本気の勝負事として、男子と女子とが対立しながら、その性的な実力をお互いに分からせてやろうと、必死で攻防し続けている。

 彼ら彼女たちは、セックスそのものが悪ではないこと、むしろ四六時中でも開放的に行われて然るべきことを、小等部1年から徹底的に叩き込まれる。教育によって、性の価値観を180度、人為的に変えていくのである。

 また、性行為は戦闘であり、自分の性欲に打ち勝つべきこと、また、相手の絶頂を誘うことが勝利であることをも、徹底的に教育され続け、さまざまな機会に実践されている。変態体育祭は、その実践の最大の見せ所となっているのである。

 女子たちは、いかにして自分(たち)の肉体を駆使し、相手の男を欲情させるのか、さまざまな教育プログラムで教え込まれる。

 ペニスを勃起させ、自分の身体に強い性的興味を覚えさせるための、ありとあらゆる方法、視覚、聴覚、触覚に訴えるすべての手段を、幼い頃から覚え込まされている。そしてチャンスさえあれば、いつでもどこででも、一定学年以上の相手であれば誰にでも、その手段を用いることができる。

 彼女たちにとって、まずは男の欲情を誘うことが、第一段階の「勝利」である。ペニスを勃起させるために必要な、数々の誘惑方法を、女子たちはしっかり心得ている。

 競技などでは一定のルールがあるけれども、そのルールの範囲内でこそ、ペニスを劣情の充血に追い込むことができれば、彼女たちは、自分が魅力的な、強い存在であることを自覚できるのだ。

 顔、胸、お尻、背中、脇、脚、そして性器……少女たちは極めて高い露出度の服装で、クラスや他学年の男の子を誘惑する。言葉も、抱きしめるたびに発生するやわらかな弾力も、れっきとした武器になっている。相手を勃たせることができるかどうか、それが第一の関門となって、彼女たちのチャレンジ精神を、ことのほか刺激するのだ。

 そして、まんまとペニスを隆起させることに成功したら、「第二段階」の勝利を求める。すなわち、欲情に敗北したペニスを刺激し、これを脈打たせるまで快楽一色に晒してやることで、完膚なきまで男に勝つのである。

 この勝ったという感覚こそが、彼女たちの最大の悦びであり、相手を性的に敗北させたという優越感に酔いしれることができる、唯一の方法となる。そのために必要な、フェラチオ、スマタ、体位、手コキ、胸使いなど、ありとあらゆる性的な動き方もマスターしている。

 それぞれのルールの下、彼女たちは、一日に何本の男根を絶頂に追いやったかを記録し、その数の多さを自慢の種にする。大事なのは相手の見た目やステータスではなく、完全に人数だけである。

 自分の肉体でペニスを膨張させたなら、それが誰であれ、射精まで持ち込まない手はないだろう。なんとしてもそのペニスを、最後まで、イク律動まで追いやらなければ気が済まない。

 教育次第で、女子といえども、セックスをあれほど憎むくだらない世論はどこへやら、まったく逆転してしまって、いかようにも積極的になれることを、この学園では示している。

 男子の方は、女子からの誘惑に勝ち続ければ、それがステータス、自慢の種になる。学校の食事は、性的な枯渇をなくすよう調整され、その若さも手伝って、彼らは一日に数回ほど、射精することができる。

 精通に至らなくても、絶頂の脈打ちは訪れる。精液が出たかどうかではなく、その脈打ちにいたる回数がカウントされ、快感に負けた者ほど立場が低く、ばかにされる確率が高くなる。同性からも異性からも、イッてしまった男子は蔑まれる。

 彼らはそれがイヤでたまらないし、またそのように教育されてもいる。異性の誘惑に甘んじてペニスを勃起させるのは恥であり、さまざまな誘いに対して嫌悪感を持って返し、衝動に踊らされないよう叩き込まれている。

 だから男の子たちは、生理的に訪れてしまう勃起衝動をいかにして抑え込むか、目の前の女の子たちの肉体に、いかに劣情を催さないか、日々訓練と我慢を強いられている。

 まして、勃起した末に相手の娘に抜かれてしまうのは大恥である。射精回数の多い男子は劣等生であり、自分の欲望をろくにコントロールできない野蛮な人間という烙印を押される。

 敗者はあけっぴろげに名指しで厳しく断罪され、学校中の笑いものになる。勃起自体が敗北であるのに、射精までしてしまうのは最悪なのである。これが一日に何回もとなると、いよいよ下卑た劣等男子という誹りは免れない。

 男たちは、勃起しないように踏ん張り、女たちは勃起させるようにあの手この手の誘惑を強める。そして、勃起の敗北を喫した男子は、こんどは、性欲の刺激に負け、股間を律動させることがないよう、快感を我慢しなければならない。

 劣等感を持ちたくないので、彼らは必死に、勃起も射精も耐えようと、日々踏ん張り続ける。しかし、実情は、若娘たちの肢体の魅力に負け、情けなくペニスを隆起させた末、かんたんにビクンビクンと大きく脈打たせてしまう。

 若さと栄養のせいで、一回の射精で枯れることはなく、引き続き女子たちの誘惑は続く。弱い男子は、強い女子たちに徹底的に攻撃され、一日に何度も、精を抜き取られてしまう憂き目に遭う。その日の大敗北は、翌日以降の評価に直結するため、その男子は大きく格を下げてしまうことになる。

 このような男女対抗のセックスバトルは、小等部5年生から本格的にスタートする。高等部卒業まで、その勝負は続けられ、女たちは勝利の快楽に酔いしれ、男たちは敗北の恥辱に犯され、こうして、男女間の性に対する意識を、根底から覆してしまうのである。

 5年生からと定められているのは、4年までの男女はまだまだ性に疎く、異性を見ても劣情を掻き立てることができない男子も多いからであり、また女子の方も、肉体の成熟がまるで追いつかず、その魅力を武器にしづらい側面があるためでもある。

 個人差はかなりあるけれども、もっちもちの肌の質感や、吸いつくようなみずみずしさ、女性的なやわらかさを体得する学年に達していないと看做されている。男子は論外にせよ、女子は実戦において、お預けを食らっている形であり、そのフラストレーションは、学年が上がった途端に爆発するようになっている。

 その学年に達するまで、少年少女たちは、さまざまな”性教育”を受け、適性学年になったときのための準備と訓練を受けることになる。それは、上記の理念を執拗に刷り込み、完全に彼ら彼女たちの考えを固定させるのに十分な期間である。

 その間に、性欲のコントロールと快楽の応酬という発想は完全に定着し、実践に向けての肉体づくり精神づくりも完成している次第だ。

 小等部4年生まで、男女は完全に別クラスになっている。男子だけ、女子だけに分けられ、共通部分の教育と、別個の性教育プログラムとに分かれるためだ。共通の教育は、普通の勉学に加え、早い段階からの性行為の知識と技術を教え込む作業だ。

 入学からすでに、生徒たちはさまざまな性交教育を施される。男女間のセックスとはいかなるものか、勃起のメカニズム、オルガスムの概念、性感神経と股間の性欲、性器から全身へと拡がる快楽の仕組みなどを、言葉巧みに教え込んでいく。

 そしてこれに加えて、快感に我を忘れることがいかに悪であるのか、相手に快楽を与えつつ自分の快感を退け、また男子は容易に欲情してはいけない旨なども教わる。

「男と女とのえっちな刺激は、とってもいい気持ちだよ! でも、その気持ちいいって感覚、おさえないとだめなんだよー! 気持ちいいからって、それに甘えないようにしましょう!」

 自分が快楽を受けて、その刺激に心地よい感覚を覚え、その肉欲にほだされてしまうことが、道徳的によくないこと、抑制すべきものであることを教わる。それでいて、

「おんなのこは、おとこのこをいっぱいいっぱい、気持ちよくさせてあげましょう! 自分が感じちゃダメだけど、相手が感じるなら、おんなのこはエライんですよー!」

 と、女子サイドには付け加えていくのである。少年少女たちは、知識や道徳としてセックスの内容を知ることになるが、当然、まったく実感が湧かない。日々あちこちでビデオを見せられることになるが、その内容は、

・男女の身体と成長
・世間に流通しているAV
・学園内で行われている男女間の勝負や変態体育祭の詳細な様子

が主体となっている。

 男子と女子の性器のアップ、年齢ごとに成長していく変化の様子、生足やお尻、乳房の女性的な成熟などが、間近で撮影されており、低学年生たちは、それらの肌をじっくり眺めることになる。

 男子のペニスの成長と皮の剥け具合、身長が伸び声が変わっていく様子なども放送されるが、圧倒的に女子たちの身体パーツやその成熟の差について撮影されたものが多く登場する。

 女性器が成長して、より具合がよくなっていく様子、ピンク色の綺麗なワレメがしっとりと濡れそぼっていく様子、中学に上がった娘たちがどのくらいの大きさになっていくのか、高等部の女子であればもう立派に性交に申し分ない、大人と変わらなくなっている様子など。

 また、お尻の膨らみや、肌触りのきめ細かさ、そして個性豊かな乳房の形や、同一人物が年齢とともに大きな胸になっていく様子。そういう肉体パーツが次々と映し出されていく。

 ついで、モザイクのない、なまのAVが、容赦なく低学年生の目に映ってくる。これは、じっさいの性行為のノウハウを男女に知らしめる効果を持っている。フェラチオ、クンニ、手コキやパイズリ、縛ったプレイやコスプレでのマグワイなど、きわどいものも遠慮なしに流される。

 加えて、いきり立ったペニスをオンナにねじ込んで腰を振る動作、全身を重ね合わせてこすりあいながら、お互いの肌触りを愉しんでいる様子も、体位がいくつもバリエーション豊かであることも、つぶさに目の当たりにできる。

 同様に、学園の先輩たち、中等部や高等部、体育祭の競技などの映像も流される。男の子たちが太ももの誘惑に負け、情けなく勃起していく様子を、少年少女たちはじっくり眺めている。

 ペニスは、じんわりくすぐったい性欲に負け、ぐんぐんと跳ね上がるように隆起していく。前屈みになって恥じらう少年の股間から、ぴょこんと肌色の包茎ペニスが跳ね上がっていて、それを女子たちが囃し立て、交代で触ったり揉んだりしごいたりしながら、嬉しそうに大騒ぎしている。

 少女たちは自分も将来これで勝利の悦びを味わえると思い、少年たちはこんな情けない状態を敵女にさらけ出すわけにはいかないと深く心に刻む。

 とはいうものの、1年生2年生程度では、知識などはあっても、何を教わっても、ほとんど実感も湧かないのが正直なところだ。なんでコレがくすぐったくていい気持ちなのかも理解できないし、そもそもそうした、男女間の肌をこすり合わせる行為の意義自体を、まるで分かっていない。

 ただ、年上の男女が性欲に身もだえし、快楽の応酬でがんばっている様子が、ぼんやりと頭の奥にこびりつく程度である。AVを見ても、じっさいのところ、男女が何を行っているのかを理解できる子はいない。

 それを特殊な性教育で補っていきながら、だんだんと内実を理解していく仕組みであり、教室や寮の自室で、自動的に放映される動画の群を目の当たりにしながら、「まずは脳裏に刻み込む」ことを主軸においている。

 成長が早い子は、なんとなく股間がムズムズしてくることを感じる。男女とも、自分の性器を軽くいじっていい気持ちになってみたり、硬いものを股に挟み込んでじんわり性感が股間の奥に発生していることに気付いたりするくらいだ。「これが授業でやっていた”気持ちいい”って感覚なのかな」と、なんとなく感じる程度である。

 少しずつ少しずつ、男子はセックスの仕方を、女子は性的な技術のさまざまなバリエーションを学びながら、同時に、快感のトリコになってはいけない、相手を悦ばせつつ自分の性欲は堪えるべきという認識を植え付けられていく。

 そうしている間に、男子はペニスを自分の手で揉むようになり、女子はオンナ表面から内部へと指を這わせて、オナニーを自動的に覚えていくことになる。幸いにもオカズには困らない。自室に設置されたモニターから、強制的に男女の肉体、エロビデオや中等部高等部などの映像が勝手に流れるからだ。

 少年少女たちは、強い背徳感に苛まれる。オナニーしながら、それはいけないことだ、何がいけないかというと自分が感じまくっていい気持ちになっているからいけないんだと、くり返しくり返し自分自身に言い聞かせるようになる。

 そのため、絶頂に至るまでオナニーを続ける子はほとんどいない。絶頂は最も忌むべき悪であると、毎日のように教わっていて、そこに達する前に、快感を自制しようという意識が働くのだ。

 まだあどけなさすぎる男子は、ペニスが脈打たないよう、ペニスを揉みながらもその快感を我慢しようと踏ん張りながら手を動かし、一線を越えそうになってしまうと、手を離すようになる。

 成長がまるで追いついていないので、オナニーを途中でやめても、身体はなんともない。そこまで発達していない。

 女子も同様で、自分が感じてしまうのは情けないこと、この快感は男の子に与えてこそ本当の悦びだと思い込んでいるので、やはり途中で手を止めてしまう。オナニーは自然と、快感に抗おうとするための訓練になる。

 わけがわからないまま学年が過ぎ、3,4年生くらいになると、性教育はより具体性を持ってくる。

 ペニスを舐めるときの舌の使い方、這わせ方、細部に亘るところまで、より高度で細かい指導を受ける。ペニスのしごき方、亀頭先端の責め方も教わるようになる。

 また、誘惑手段として、どんな言葉をどんな調子でかけたらいいか、一人のときと数人いるときとの誘惑の仕方の違い、まずは下半身が性的に成長するので、その太もも生足お尻の見せつけ方なども学ぶ。

 男子の方は、そういう女子たちの魅力的なパーツについて教わりながら、勃起してはいけない、快感に負けてはいけないと厳しくしつけられる。授業中に写真や映像を見せられ、股間を隆起させてしまうと、途端にクラス中から笑われ、教師からも叱責される。ガマンをじっくり教わるのである。

 同時に、セックスの際の腰の使い方、タテスジのどこが気持ちいいのか、内奥なら子宮入り口そのものではなくて少し周辺を刺激することなど、丁寧に細かいところまで、女体の感じる部分について教わることになる。

 また、3,4年生の男女には、すこしずつ”訓練”の科目が追加・増加されるようになっている。男女共学で、ひとつのクラスに男の子と女の子が混じるようになるのは5年生からではあるが、その前の訓練段階でも、やはり男女別学のまま、訓練が進められる。

 男子の訓練の仕方は、非常に単純な、それでいて効果的な装置が用いられる。血圧測定器のような機械がペニスに取り付けられ、VRゴーグルを装着され、一定時間、快楽を堪えるという内容だ。

 ”締め付け機”と呼ばれる機械は、随所にイボ状突起のついたやわらかシリコンの筒塊に、空気で膨らむ風船のような機能がコーティングされている。萎えたペニスは、空気圧のかかっていないシリコン筒の中に収まり、ぷよぷよした弾力に乗せられる。

 それだけならもちろん、勃起してしまうことはあり得ない。だが、一定のリズムで風船が膨らむと、まさに血圧測定器さながらに、プシューーーっとシリコン筒が締まり、ペニスをやわらかく強い圧迫に晒してくる。

 風船部分が膨らめば、やわらかいシリコンの塊はペニスに喰らいつき、ぎゅううっと強く圧迫してくる仕掛けである。

 40秒程度で空気は抜け、ペニスは締め付けから解放されるが、20秒もするとまた、シューッと強く締まってくる。1分ごとに圧迫と解放がくり返される。その締め付けは、言うまでもなく、実物のオンナに比べればまるで桁の違う、弱い刺激に過ぎない。

 強く圧迫するといっても単調で、イボ突起はあれども、実際のヒダは比べものにならないほどの快感になる。この装置はそれだけ、ソフトな性感刺激に留まるよう設計されている。

 しかし、性的にまるで未熟な、10歳にも満たない少年なら、それだけでも十分な気持ちよさになってしまう。

 いきなり本物と同じような刺激を与えてしまうと、あっという間にペニスは脈打ってしまい、「どうあっても勝てることは絶対にない」という観念を植え付けてしまうことに繋がる。それを避けるために、あえて弱い快楽だけを出せるように仕掛けられている。

 装置がペニスを締めたり緩めたりするだけで、締まっている間には、きゅんきゅんとくすぐったい快感が、股間の奥からじわりじわりと湧き上がってくる。解放されている間は刺激がない。

 そのほんのり心地よい圧迫刺激に、若年男子は耐え続ける必要がある。ヘタをすればその刺激だけで、ペニスを勃起させてしまい、叱責対象にもなりかねない。恥をかかないための正念場だ。

 だが、そんな彼らに待ち受けているのは、VRゴーグルから流れてくる少女たちのクスクス笑い、優しい誘惑のくすぐったい囁きや甘え声、そして、学園内の少女たちの裸体やパーツの群であり、AVのさまざまな体位シーンである。

 少年たちはいつも見慣れている、ときには寮の自室でオナニーのオカズにしている映像を、間近で見つめながら、締め付け機の圧迫に耐えなければならないのだ。締まっている刺激が続く中、股間の奥のくすぐったさが増し、その心地よさと映像および音声が、がっちりリンクしてくる。

 そうなると、まるで異性の身体をオカズに、その太ももや乳房、臀部、脇の下や綺麗な腕、背中、ふくらはぎ、首筋、そしてどアップの性器をガン見して、締め付け機で気持よくなるプレイをしているようになる。

 その訓練が度を増すにつれ、また、男子たちの性欲が身体の成長に合わせて強まるにつれ、彼らはだんだん、その弱い圧迫の刺激にさえ、耐えきれなくなってくる。

 彼らは締め付けられると、意志に反してペニスを大きく硬くさせていき、女の子や女子高生たちの身体のあちこちを見ながら、きゅんきゅん締まるシリコンの刺激によって、かたくなに耐えようという意志を失ってしまう。

 その瞬間、堰を切ったように性感刺激が増し、少年たちは、機械的なシリコンの筒の中で、恥ずかしくもペニスを脈打たせてしまう。精通などまだまだ先の話、ペニスはピクピクとかわいらしく脈打って絶頂するだけである。

 だが、ツルツルした異性の、お姉ちゃんたちの女性的な部位をあちこち見せつけられ、その魅力的な膨らみや、みずみずしい肌の質感を目の当たりにすることで、4年生程度の少年では、その欲情を押さえつけることが叶わず、ついつい絶頂の憂き目に遭ってしまう。

 この学園では男女とも、首から下の毛は綺麗に抜き取られるので、陰毛をはじめ他の毛が肌を隠すことはない。特に女子は念入りに、カプセルの中に首から下を埋めて、肌麻酔の上、透明の産毛にいたるまで丁寧に処理して、毛根からしっかり抜ききってしまうので、ツルツルの肌が丸見えになっている。

 それを目にした男の子は、単調な締め付け機ごときの刺激にも耐えきれなくなる。教師はそれを堪えるよう厳しく注意するが、クラスの男子たちの中には、音を上げて絶頂まで至ってしまう子が続出してしまう。

 訓練は執拗に続けられ、少年たちは視覚聴覚、そして機械の締まる快楽刺激に抵抗すべく踏ん張り続ける。

 男子がその程度の性感訓練を受けるのも、絶頂しては異性の身体の魅力を脳裏に刻みつけるのも、学園側の計算の内だ。男女混合で実戦に入ると、男の子たちはどんどん、女子に勝てなくなっていく。

 そのプロセスを再現しながらも、”がんばればなんとかなるかも”というニセの思い込みを作らせることに役立っている。訓練過程で絶頂を堪えきった男子たちも、寮に帰ればビデオでオナニーし、やはり自分の手で絶頂を覚えてしまうのである。

 いけないことと刷り込まれ分かりきっていながら、女体を思い、その映像を目の当たりにしながら、イクまでペニスを揉みしだくのである。この年代になると、律動まで刺激を止めることができなくなってしまっている。

 男子の強化訓練が名ばかりである一方、女子の強化訓練はじつに本格的だ。男子よりも成熟が格段に早いので、女子たちは意識も肉体も相当に進み、成長し、4年生ともなると、乳房に膨らみが見られる娘さえ現れる。

 彼女たちが快楽をガマンするのは、本当に厳しい試練のさなかを通る道となる。彼女たちは2人1組で抱き合いながら、教室内で長く伸びた、太く硬い金属棒に跨がっている。女同士で抱き合い肌を滑らせながら頬ずりし、性欲を高めておく。

 大人の握りこぶしくらいの太さがある長い棒に跨がっていて、両脚内股でその硬い異物をしっかりと挟み込んでいる。

 訓練が始まると、その棒が激しく振動し始める。ヴヴヴヴヴとバイブしながら、少女たちの内股とオンナ表面を直撃するのである。彼女たちは息を荒くしながら、締め付け機とは比べものにならない角オナニーと、クラスメイト同士で抱きつき合い包み込み合う肌触りの性感とに晒され、急激な快楽に全身襲われることになる。

 女の子たちは腰をくねらせ、ぐにぐにと前後させながら、しきりにオンナ表面を、バイブパイプにこすりつける。そしてクラスメイトの肌を味わい、抱きしめられている充実感とともに、少女の滑る肌を上半身に味わう。

 お互いに高め合い、愛撫し合いながら、激しく腰を揺らして、鉄の棒の刺激を身に受ける。棒はあっという間に、愛液が滴る長いパイプとなる。パイプに跨がる女の子たちは、一列ないし二列に並んで感じまくってしまう。

 だが声を立てることは許されず、もちろん、アクメを簡単に迎えることなどもってのほかだ。バイブする内股の刺激を本気で堪え、クラスメイトの上半身に抱かれる快楽を抑えて、ぎゅっとガマンし続けなければならない。

 こんな刺激でイッてしまっては、男子たちには勝てないし、まして年上の中等部高等部のお兄さんたちには太刀打ちできないと、厳しく仕込まれている。だから3,4年生の女子たちは、必死でこの振動に耐え、絶頂してしまわないよう、下腹部にギュッと力を込める。

 とろけそうな振動の中で、じっと堪えて力む性器周辺の動きは、やがてペニスを強く締め付けるための膣の動きに直結していく。

 少女たちの訓練は苛烈だ。とにもかくにもその振動刺激に絶頂しないよう厳しくしつけられ、バイブにも慣れるよう仕向けられる。性感に強い女の子を育て上げなければ、勝負に勝てなくなってしまう。

 そのため、訓練には本腰が入り、彼女たちはだんだんと、同じ刺激に耐性がついていくようになる。なんとか絶頂を堪えることができるまで、一人残らず厳しい訓練が課され続け、一人また一人と、その試練を乗り越えていく。5年生になるころには、おそらく同じ快感なら難なく耐え抜けるだろう。

 同様にして、ハリガタを使ったフェラチオ訓練、模型を用いた挿入訓練、手コキの具体的な方法やテクニック、自分たちで動画撮影しながら、誘惑ポーズやパーツの魅せ方の研究などをさせられ、少女たちは防御のみならず、攻撃においても一流となるよう、連日強烈な練習を重ねていく。

 自分の生足が、自分で思っている以上に魅惑的な存在であることを確かめるため、その脚の膨らみ方、座って内股が椅子の上に乗ったときにプックリと肉が溢れる有様を研究する。内股の肌のきめ細かさを顕微鏡で確かめ、体勢を工夫して生足をより女らしく魅せるためのコツも学んでいく。

 相手を勃起させるような言葉の使い方、声の出し方を学び、異性に身体のパーツを押しつけこすりつけるときに、どうすれば一番やわらかい弾力で潰れるのかもたっぷり教え込まれる。こすれる肌の気持ちよさが一番発揮されるタイミングと速度も、何度も練習が重ねられる。

 女子たちの訓練は、男子よりも遥かに本格的で、念入りに行われている。また、少女たちの成熟度の高さは、そうした訓練にも耐えられるよう、はっきりと肉体で応えられるレベルに達しているのだ。

 こうして、男女ともに訓練と教育を施されたのち、いよいよ5年からは男女混合のクラスになる。人数比は女子の方が圧倒的に高く、男子1人につき女子は5人程度の組み合わせだ。この学年比は、最後の卒業まで変化しない。

 快楽訓練を受け、相当に強化された女の子たちは、卒業まで、あまたのペニスを絶頂に追いやる強力な身体武器に改造されている。これに対して男子の方は、女子ほど苛烈な訓練に晒されないまま、弱い身体で彼女たちに、少人数で立ち向かわなければならなくなっている。

 しかしそれでも、彼らは精神論として、勃起や射精を恥辱と認識し、これを堪えようと日々努力を重ねることになる上、男子たちには特有の利点がある。一日に射精または絶頂できる回数が、肉体的に限られている点だ。

 栄養の点で申し分なく、他の男性よりも多く脈打ちに至ることができるものの、それでも限界はある。通常で3回、多くても5回が限界であり、それ以上になれば股間が疲れ果て、痛みさえ伴うようになってしまい、彼らは女子との戦闘どころではなく、精根尽き果ててしまう。

 その分、日も暮れはじめてからは、男子たちを勃たせることは困難になっていく。そこを絞り立てることができた女子たちは、相当の栄誉と賞賛を浴びることになる。

 逆に、欲動に負けて限界を超えて絶頂の憂き目に遭った男子は徹底的に弱者であり、以後蔑まれつつ女子たちからのマークが入り、日々執拗に性的に狙われていくことになる。

 外の世界で、「いくらでもやらせてくれる女」という扱いを受けるのと同じ恥辱だ。「いくらでも射精させられる男」というのは、学園カーストでは最下位の部類に属してしまう。

 そのため、彼らのペニスを徹底的に絞れるのは、午前中や日中に集中する。変態体育祭などのイベントの日を除き、男子たちは、起床直後から誘惑攻撃に晒される。4年生までは通常の寝起きであるが、共学クラスになってからは、その様相が一変する。

 起床を待ち構えていたクラスの女子たちが数人、少年の目覚めとともに入ってくる。彼女たちは学園からの義務として、”朝立ちチェック”を行う係である。勃起が恥である以上、朝の勃起も統制される。彼らは起きた瞬間から、ペニスの隆起を理性的に抑え込まなければならない。

 しかしながら、それは自然な生理反応であり、とうてい自力で抑えつけることは困難だ。そこへ押し寄せる女子たちの前に、のっけから大恥を晒すことになってしまう。

 ズボンもブリーフも脱がされ、女子たちの前でペニスが丸出しに晒される。幼いので、もちろん包茎の肌色性器のままだ。5年生くらいであれば、まだ朝立ちの生理反応が起こりにくいこともままあるが、年を重ねていくにつれて、その調整が極めて難しくなっていく。

 少女たちは男子の身体に触れてはならず、また、自らの性器を露出させてもいけないルールになっている。そのため彼女たちは全裸にはなれず、パンティ一枚で男子の周囲を取り囲む。遠慮なく胸板を見せつけ、学年が上がるごとに膨らんでいく乳房や谷間を間近で凝視させる。

 また、発達してシコシコした肌触りをスベスベと具えているので、その太ももを強調し、やわらかな膨らみをプニプニさせて、その女性的な肌の魅力を存分に見させる。クスクス笑いながら、彼女たちは脚を拡げ、下着の奥に隠れているオンナのワレメ跡を、くっきり食い込んだスジのまま、じっと見せつけるのである。

 男子は彼女たちの視覚誘惑に耐え、生理反応にも抗おうと、必死で勃起を堪えるけれども、朝立ちを抑えることはできない上、少女たちの衝撃的な肢体とパーツを目の当りにし、ムクムクと股間を膨らませてしまう。

 勃起したら負けという厳格なルールの中で、はじめから敗北が印象づけられるような仕組みが、学園内に出来上がっているのである。朝立ちチェックに抗える男子はいない。

 これは、誘惑攻撃で女子の勝利を確かめる儀礼であると同時に、一晩かけて溜め込まれた精を吐き出させ、登校後の欲情に直結しないよう、あらかじめ男性の性欲を抑え込む目的がある。

 勃起してしまった男子には、女子たちからの思い思いの快感攻撃が待っている。手コキ、フェラチオ、スマタ、中学生以上ならパイズリなども加わって、数人がかりでペニスを責め、スリスリと揉みしだいて、イクまで刺激してくる。

 男子はこれをガマンしようと踏ん張るけれども、朝一番の性感刺激に耐えきれる者はおらず、ペニスは程なくして、同学年の滑らかな肌ややわらかな手の餌食になり、あっけなく律動を始めてしまう。

 精通を迎えていようがいるまいが、まったく問題ではなく、快楽への欲望に負けたかどうかが問われる。そして男子たちは、集団で愛撫されながら股間を責めまくられて、全身への強い性感刺激に耐えきれず、彼女たちの魅力に負けてイッてしまうのだった。

 朝一番の時間は挿入こそできないが、むにむにした女の肉に包まれ、スリュスリュした肌でこすり回され、生足に包み込まれて、もっちゃりした舌でねぶり回され、すでに女体のどこもかしこもが気持ちいい存在であることを、いやがおうにも思い知らされる。彼らの一日は、こうしてスタートを迎えるというわけだ。

 登校後は、授業、訓練、休み時間の3カテゴリーに時間分けがなされている。普通の勉学もこなすけれども、その間とて、彼らは緊張を解くわけに行かない。

 一回起き抜けに脈打っているけれども、少女たちは水着に近い制服のほか、生足露出のミニスカート、短パン、タンクトップ一枚という上半身など、あられもない私服で行動しており、ちらっちらっと彼女たちは意図的に、男子に向けて身体のあちこちのパーツを見せつける行為を仕掛けてくる。

 授業中も、席を立ちさえしなければ、男子に向けて太ももを見せたり、胸チラ攻撃したりすることはできる。声を出してはならないが、視覚に訴え、さらには、教師の許可を取って机を並べ、椅子を密着させ、さらにぴったり少年に寄り添って、太ももをみっちりはり付かせ滑らせることもできる。

 生足の感触が両側から押し寄せても、授業中の欲情などもってのほかだ。男子は理性的に、授業に集中しなければいけない。両脚にぴったり密着している女の脚の感触を味わいながら、彼らは集中して、劣情に負けないように踏ん張り続ける。

 授業中に勃起した場合、教師の叱責とともに、教室の外に出されてしまう。勃起に成功した数人の女子たちとともに、廊下でモモズリの刑が待っている。交代で内股に挟み込み、スリスリムニムニと揉むようにペニスをこすりあげ、絶頂の律動まで、攻撃が続けられてしまう。

 男子は少女に抱きつきながら、彼女たちの生足の感触に酔いしれ、じかにペニスを包み込む内股のふにふにした弾力の中で、ガマンしきれずに精を吐き出してしまうというわけだ。

 休み時間は、女子たちの積極的な誘惑タイムである。彼女たちは自分の身体に魅了してもらおうと、主に2つの攻撃を仕掛けてくる。

 ミニスカートや短パンからすらりと伸びている、女らしい滑らかな脚が、男子の机の上に乗せられる。その周囲にずらりと並んだクラスメイトたちも、太ももを強調して男子に露骨に見せつけてくる。

 そして彼の手を引き、無理にでも内股を撫でさすらせるのである。少年たちは、クラス女子たちの脚を撫でさすり、そのもちもちした肌触りが全員に具わっていることを改めて思い知らされる。

 その誰の脚の感触でも、手で撫でさすって感極まり、股間を膨張させたら敗北である。彼らは生足を手で感じさせられながら、その吸い付く感触に負けることなく、休み時間をやり過ごす必要がある。

 また、学年が上がり、胸が発達してきた女子たちは、太もも触らせ攻撃ではなく、おっぱい揉ませ攻撃に入る場合もある。背中をぴったり男子の上半身に密着させ、その手を取って、自分の乳房を揉みしだかせるのである。

 その、どこまでもめり込むようなやわらかな肉厚を感じ、手のひらに乳房の重みを味わわせ、膨らんだ乳頭をコリコリと指で弾くに任せている。女の胸の感触良さをしっかりと教え込んで、少年の欲情を誘うのである。

 こちらも同様にして、数人交代で、色々な胸をさすらせ、揉ませ続ける。むにむにと揉みしだきながら、男の子は股間の充血を抑え込もうと必死になり、女の子はペニスの隆起を待ち望んで、さらに厳しく迫ってくる。敵女の色気に負けてしまえば、すぐさま射精させられてしまうことになる。

 休み時間をやり過ごせればよいが、そのあとの授業や訓練でも、撫でさすり揉みしだいた感触の記憶は残っていて、矢継ぎ早の誘惑には勝てなくなるだろう。どのみち彼らに勝ち目はない。

 休み時間中に勃ってしまえば、やはり女の全身のどのパーツでも、精を抜き取られてしまう。両脚とも少女たちの素足に挟み込まれ、スリスリされた状態で執拗な手コキやフェラチオが加わったり、交代パイズリでしつこくしごかれ続ければ、いやがおうにも精液は少女たちに奪われてしまう。

 彼女たちは男子の情けない敗北を、自分の肢体で勝ち取ったとして、大いに悦び沸き立つ。勃起しなければ、休み時間で誘惑タイムは終了となり、女の子サイドの負けとなるが、勃った場合は、時間が来ても、精を抜き取るまで快感攻撃は続けて良いことになっている。

 このとき、手っ取り早く挿入で、一気呵成にオンナの締め付けとしごきにより、簡単に勝つことも可能だ。男子の学年が幼いほど、勃起しやすく、また絶頂にも時間がかからない。

 もっとも苛烈を極めるのは、”訓練”の時間だ。さまざまな形式の訓練がある。フェラチオ実戦、クンニの仕方講座、体位の研究など、多岐に及ぶ訓練が実施される。そこでも理念は完徹されており、男は劣情を催さないこと、女は勃起させ射精させれば勝ちなので積極的に責めに転じることが推奨される。

 一定時間、一組の男女が寝そべり抱き合って、お互いの脚をスリスリこすりあわせ、上半身もスベスベさせて、強く男女が抱き合っている。女子は、その滑らかな悩ましい肌触りと皮下脂肪のやわらかさで、クラス男子を籠絡し、ペニスをいきり立たせようとして、全身のあちこちを駆使してくる。

 男子はこれに立ち向かい、下腹部のくすぐったい劣情に負けないよう、ギュッとお尻の穴に力を込める。

 中等部や高等部の生足は、もう大人と変わらない女性らしさを具えているので、その素足がスリスリ大きくこすれ続ける中、男子たちは勝ち目なし。時間までガマンしきれずに、少女たちの下腹部めがけて、ペニスを大きくさせてしまう。

 勃起が確認された途端、彼女たちはパンツを脱いで正常位か側位で挿入、グイグイ腰を振って、精が脈打つまで容赦しない。

 また、仰向けに寝かせ、ペニスをやわらかなまま腹部に反らせた男子の上に、ツルツルのオンナ表面を乗せ、騎乗位スタイルで、ワレメの感触を上から押しつける訓練もある。少女たちは前後に悩ましく蠢いて、勃起前のペニスをふにふにと揉みしだく。

 小等部男子は、この幼いスマタ攻撃に太刀打ちできず、彼女のスジの感触をじかに受けて、すぐさま我欲のままに股間を膨らませる。

 少女は、勃起したペニスにもホットドッグのままスリュスリュと前後に腰を動かし、ワレメに挟んだまましごいて、いい気持ちのまま、絶頂の天国まで腰を止めてくれない。

 寝そべる男子の上に全裸で抱きつき、数秒間、ぎゅっと体重をかける攻撃訓練もある。学年が上がるとともに、男子の上にのしかかる女子のやわらかな弾力がむぎゅうっと強く潰れるようになる。

 そして男の子たちは、体重をかけてくる女子が思った以上に重たく、圧迫感の強い人間の肉体であることを思い知らされる。うつ伏せでも仰向けでも、女子たちはぎゅみっと重たくのしかかり、女の子の体重がしっかりあることを刻みつける。

 そこに恥じらいはなく、むしろその重みで殊更に、胸やお腹の肉が男子に向けてやわらかに潰れることを愉しんでいる。何人もが交代して、むぎゅっむぎゅっと上から抱きつき、おっぱいの感触やお腹のやわらかさ、生足の心地よさを味わわせる。

 そのうち耐えきれずに、彼らはペニスを反り返らせてしまうだろう。すると彼女たちは、玉袋をくすぐりながら、集団騎乗位で応戦し、男子が脈打つ完全勝利に持ち込もうと躍起になる。

 集団で男子の全身を、スベスベの手のひらや甲で撫でさすり、ペニス以外のすべての部位を愛撫し続けて欲情を誘う訓練も行われる。女手の心地よさを存分に刻みつけるためだ。

 くすぐられ、撫でまくられ、揉まれるままの男の全身は、やがてそのすりっすりっと蠢く、あまたの艶やかな女手の前に、情けなくもペニスを反応させてしまう。

 そのまま彼女たちは、交代で射精まで手で揉み、しごき立て、先端から根元までを、手指甲すべて駆使して刺激をやめてくれない。女の子の手がこんなに、自分の手なんかよりも遥かに気持ちいいことを分からせられた男子は、いとも簡単に精を吐き出してしまうのだった。

 さらに、膣圧耐久訓練として、正常位で結合させられることもある。半立ちでもムリヤリで、オンナに飲み込まれ、膣内に完全に包み込まれてしまう。あくまで圧力に耐える訓練なので、男女とも腰を使ったり集団で愛撫補助を加えたりはしない。

 男子はひたすら力んでガマンを続け、女子はひたすら、オンナを締めてペニスを悦ばせ続ける。締まる感触だけで感極まってしまうようでは、男子は弱小者のままであるから、彼らは必死に、オンナのキツい締まりに耐え抜こうと奮闘する。

 30秒くらいで交代。別の少女に正常位で結合させられ、その娘もまた、ぎゅうぎゅうとオンナを締めまくる。そして耳元で、「ね? 私で出しちゃいなよ?」などと囁き、自分の魅力で精液を奪ってしまおうと画策する。

「きもちいいでしょー。いいよ、このままドクドクさせちゃっても。ねぇ、私のナカでイッちゃっていいからねっ!」

 下から抱きしめられ、甘い声でくすぐるように魅惑の声が脳天をくすぐる。それが3人、4人と続けられ、5人目くらいで、たいていの男子は音を上げてしまう。二人とも動かないまま、ペニスが勝手に律動し、体液がほとばしっていく。

 きゅうんきゅうんとやわらかく締まっていくオンナの悩ましい感触に、ペニスは奥底から快楽一色に染まり、しごかれていないのに、若い男子はその膣圧に耐えきれないのだ。

 訓練の時間のほとんどは、男子側の敗北になる。だが、2回、または3回くらい、イッてしまったペニスは、急激に強化される。性的な誘惑にも靡かなくなり、実際の快感攻撃にも、なかなか脈打たないようになる。

 午後になるとそれが顕著に表れ、いわゆる賢者モードに陥ったペニスは、もはや朝や日中のような、弱く情けない欲情から解放される。

 生足を撫でさすってもおっぱいを揉んでも、じかに手で握りしめられてさえも、ペニスは反応しなくなる。精巣の体液は枯渇し、プロラクチンも豊富に分泌され、もはやその肌触りの心地よさだけでは、ペニスを勃起させることが難しくなる。

 男子たちは、女子の肉体のどこもかしこもを触り心地よい、抱き心地よい、やわらかくて気持ちいい身体だといつまでも認識しはするが、すでに全部を出し切ってしまっているので、股間がもうそれに追いつかなくなっているのである。

 そのため、午後の授業での誘惑はなかなかうまくいかず、休み時間も、午前中のような活発な射精はあまり見られなくなる。ギリギリ勃起させることができても、刺激する途中で萎えてしまう男もいる。彼らは疲れ切っていた。

 そのためか、午後の訓練は、男子が女子を攻撃することに力点が置かれる。手マンの仕方、クンニの舌の動かし方を、女子の身体で何人も実験させられる。午前中ならあっさり勃起していた男子たちも、ほとんど機械的に手を動かし、彼女たちを感じさせる方法を学ぶばかりになる。

 クラスメイトのオンナに指を入れて動かし、少女たちが腰をくねらせる有様を目の当たりにしても、ペニスはまるで反応しないのだ。だからこの訓練は、どちらかというと、女子の側が、異性に肉体を触られ刺激されても、快感に耐えるために仕組まれたプログラムと言えるだろう。

 さまざまな体位の実践訓練も行われ、難しいポーズや体勢で腰を動かすこともだんだんにできるようになる。これもまた、女子サイドが、男からの体位攻撃ピストン刺激に耐えるための練習になっている。

 彼女たちもまた、性感刺激を堪え、自分がイッてしまわないよう、刺激に強くなる必要がある。低学年時に受けた機械的なバイブと違い、なまの異性がじかに女体を快楽攻撃しているのだから、その気持ちよさもかなり大きい。弱い女子は、その訓練でアクメに陥ることさえある。

 疲れていた男子たちも、こうした執拗な刺激と訓練が重なり、萎えていたはずの性欲がぶり返してしまう。夕方、無理にでも欲情させられたペニスは、女子たちの色々な体位反撃、フェラ手コキパイズリの餌食になる。

 どんなに豊富な栄養を誇っていた男の子でも、高学年高等部の男子たちでも、それで精を放出するときには、もはや水っぽい体液しか出なくなってしまっていた。そんな状態では、射精は完全に恥である。

 それこそ、自分の欲望に負け、快感に敗北して、自分のために女子の肉体を使って満足したと誹られる、格好の材料になってしまう。彼らはなんとしても、夕方の性感攻撃に耐え抜き、ペニスを抑え、射精を我慢して、できるだけ女子たちを満足させられるよう、テクニックを磨くのである。

 とはいえ、ペニスを上下から挟み込んでマン肉ズリをさせられ、どこまでも大きくやわらかなオッパイや臀部に包み込まれ、激しくピストンするオンナの出し入れに締め上げられ続けていれば、お尻の奥のくすぐったい器官がどうしても快楽に疼いてしまう。

 男子たちは、全身をくすぐられたり抱き包まれたりしながら、同学年女子たちの肉体の群れに埋もれ、ない精液を無理にでも絞り吸い尽くされてしまうのだ。どうにかこうにか律動させ、やっとの思いで吐き出したサラサラの精液は、最後の一滴といわんばかりにひねり出されたものである。

 ここまでくると、彼らは会陰部分に痛みを覚えるようになり、性的行為や衝動をさらに、忌み嫌うべきもの、セックスは避けるべきものという意識を強く持つ。外の世界で女たちが抱いている嫌悪感を、この世界では男たちが強く抱き続ける結果となる。

 夜間は休息である。だが、精力回復の食事が用意され、精子生産を促すガスが淡く寮全体に漂っているので、男子たちは一晩で、完全に回復してしまう。次の朝の、朝立ちチェックにはキッチリ間に合うよう計算されている。

 モニターからは、絶えず女体の群れやAV映像が流されているので、就寝まで、ときには夢の中にまで、セックスが入り込んでいる。彼らはその映像を見、喘ぐ音声に包まれ、くすくす笑う少女たちのイヤらしい誘惑の囁きを聞きながら、眠りにつく。

 女なんて見るのもイヤだという生理的な疲労感は、強制的に回復させられてしまっている。次の日にはもう、たぎる欲望に満たされてしまい、その朝立ちを隠そうとしても、すぐさま係のクラスメイトたちが押し寄せる。逃げ場はなかった。

 体育祭などのイベント時には、学年を跨がっての勝負となる。そのため、小等部にいながら熟練のお姉ちゃんたちが相手になったり、高等部にいながらロリ娘のちっさい肉体を目の当りにし、多感な中等部男子にも年の離れた若娘が襲いかかることになる。

 クラス対抗となるため、男子の敗北は自分のクラスの失点に繋がり、女子の勝利は自分のクラスの得点になる。競技内容は決まっているのだから、それに合わせた特訓が、大会一ヶ月前くらいから開始される。

 ランバダ勝負なら、女の脚の誘惑に負けないよう、四六時中誰かが太ももを滑らせ、素足のスベスベした弾力に勃起しないよう促される。スマタでも挿入でも、「射精するな」と厳しくしつけられ、うっかり出してしまおうものなら、女子たちから非難囂々である。

「こんなんじゃ勝てないよ!」
「シッカリしなよ! なんで大きくしてるんだよ!」

 厳しい口調とは裏腹に、ペニスを責める手や脚や、見せつける体つきはどこまでも艶っぽい。

 これは学園生活のごく一部であり、ときには学年をまたいでの誘惑攻防、別学年から射精させにくる刺客なども存在する。高等部に潜入した中学女子が、ひそかに先輩男子を魅了し、その精を抜き取ってしまう。

 また、いわゆる不良グループも存在していて、ルールを守る気があまりなく、捕まえた男子を勃たせて精を抜き取ってしまう娘もいる。

 攻撃的暴力的に組み伏せては、その若いカラダを駆使して快感に浸し、男子の体液を無理矢理奪い取ってしまうのである。校則を破って低学年生に手を出す不良女子もいる。その話は別の機会にしよう。

 最後に、この学園を指導する側、つまり教員の方にも目を向け、一旦はレポートの完結を目指したい。

 教員たちは、通常の授業の他に、訓練などにも加担しており、監督するサイドである。言うまでもなく、学園の理念は、監督側にも徹底されている。教師が勃起することも射精することも、教える側としてはあってはならないことである。

 指導教員はほとんどが女性であり、若い大人の、しかも同学園を卒業した女だけである。秘密が漏れないようにするために、女教師は年齢も卒業校も厳しく査定されている。

 そのため、学園の方針に疑いを持つレディは存在せず、性的に積極的になるべきこと、男を勃たせれば自分の魅力の勝ちであり、射精させれば肉体的にも精神的にも全面勝利と信じて疑わない。だから、女子への指導は厳しく、その性的攻撃力を高めることにも余念がない。

 これに対して、男性教員も、わずかだが存在している。これは外部の人間が採用される。ただし、理念に賛同する男性だけが査定対象となり、射精は敗北だから絶対にタブーだということを、身体で証明しなければならない。

 世界の男女における性の価値観を逆転させる、実験装置としての学園に、人類一般の価値観を持ち込まれては困るのである。その査定はかなり厳しく、女教師以上の試練かも知れない。

 女性の教師は、理想と思想でテストを受ければ採用される(ただし完全同意をする条件が細かく指定されている)が、男性の教師は、口先やテストだけで済む問題ではなく、じっさいに全身で理念を証明しなければならないのである。

 反逆したり、理念に合わないような情けない敗北や欲情をくり返すようでは、教師欠格と看做され、その後は転落人生を歩むことになる。

 欠格教師の末路は悲惨だ。まさに人格を否定され、存在を抹消される。初めからいなかったような扱いを受ける。抑うつで退職した者が寄せ書きも貰えずに職場の私物を無言で送りつけられるのに似ている。それはまさに灰色の、しかし堕落しきった生活となるだろう。

 欠落者どもは、秘密保持のため島から出されず、人知れぬところで、女生徒や女教師たちの性欲処理・訓練対象として、廃人になるまで閉じ込められてしまうらしい。

 子供から大人まで、さまざまな年代の女たちが一斉に押し寄せ、秘密の部屋で、精根尽き果てても休めずに、寝ても覚めても女体の群れに包まれ、一秒たりとも女の肌が離れている瞬間がないほど、交代で次々と抱かれ、揉まれ、しごかれ、挿入の憂き目に遭う。

 何十人もが群がってきて、ガマンしていた生徒や教師たちの性欲が発散され、その処理道具として、欠格教師の肉体がボロボロになるまで、セックスに酷使されると聞いている。空恐ろしいことだ。

 欠格と看做される基準は、授業や訓練中に何度も勃起してしまい、これを報告されること。定期試験に及第せず、何度も落第をくり返すことである。ペナルティが重なり、理念に反するという烙印を押された男性教師は、そのまま行方知れずとなる。

 すぐに新しい教師が赴任してくるので、人員に問題はない。なお、秘密を漏らそうとしたり、学園の理念に反逆を企てたりすることがバレたら、それだけで一発アウトである。

 教師たちは朝、女教師たちのチェックを受ける。この方法は、ほとんど生徒たちと同じである。朝立ちをしていたら、即尺、即ハメで、むっちりした大人の肉体に絞り取られてしまう。

 肉厚で、ふにふにっとした全裸の女体が、男性教師をいきり立たせ、抱きしめればそのやわらかさに、毎日のように驚かされる。そして、どんな難しい体位でも簡単にこなす若い女の先生たちの腰振りに、ペニスはあっさりと敗北してしまう。

 とはいえ、この射精はペナルティにはカウントされない。朝立ちは生理現象であり、なおかつ、ここで抜ききってしまうことで、その後一日の勃起を抑えることにも繋がるからだ。

 教師たるもの、生徒たちに難しい体位を教える立場である以上、自分も同じ体位を駆使できなければ画餅にすぎない。

 そして、小等部、中等部、高等部の男女の営み、女生徒たちの肉体の群を間近で見て、男子たちが精液を抜き取られる様子をつぶさに観察しながら、自分自身がズボンにテントを張るわけにもいかない。

 そのため、朝、同僚の女教師に2回抜き取られるのは、とても効率のよいシステムと言えるだろう。

 一度出しただけでは収まりがつかない可能性があるために、出したばかりのペニスにおとなの女手が襲いかかり、執拗に亀頭を撫でさすり揉みしだき、しごき上げ、もう一度熟練の陰部に飲み込んでしまう。

 そして、絶妙な腰振りで、出し切ったはずのペニスをもう一度律動させるのである。ほんの朝礼代わりだ。

 サラサラの髪を揺らしながら、先生は豊かな乳房で上半身を覆い、滑らかな太ももで両脚をこすり、そして数え切れないほどの男根を枯らしてきた肉体の筒で、ペニスをこれでもかといじめ抜いて、有無を言わさぬおとなの快楽で、体液を奪い取っていく。

 むっちりした、それでいて大人の男より小柄(中には長身の人もいるが)な肉体を駆使して、朝の段階で、ペニスがこれ以上欲情しないよう、”調節”してくれるのである。

 その調節が済んだ男性教師は、ほとんど、日中の女学生たちの痴態を目の当りにしても、それに興奮することはない。興奮してはいけないものに対して、股間を膨らませるようでは、女子たちからも教師たちからも厳しく咎められてしまう。

 彼らは、少女たちのなまの肉体を間近でじっくり見ながらも、勃起しないよう自制を利かせ続けなければならない。それは極めて難しい誘惑のかぎりではあるものの、生徒のような子供たちの未発達な肢体や、高等部でもまだまだ顔が幼く稚いままの相手に対し、劣情を催すことは断じて許されない。

 そのために、対照的に、大人の色香が漂うレディたちが、朝一番で精を抜きに来てくれるのである。日中、がんばれば、教師たちは勃起を抑え込むこともできる。日々がその至高の若い肉体との闘いなのである。

 気を抜けば、小等部女子に対してさえも、簡単にペニスを反応させてしまうことになる。たいへん緊張を強いられる仕事だ。

 その上、週一回程度、地獄のような”定期試験”が行われる。試験は、本当に教師が、教え子の女子に欲情していないか、性欲対象にしていないかを確かめる、非常に厳しい試練である。

 試験の日、朝の女教師による強制射精は、1回だけになる。回数が少なく、疲労感が少ないため、その日が試験であることが急に分かるようになっている(事前に日時は知らされない)。

 そして、その試験の日は、欲望と快楽にきちんと対抗できているか、確実に問われる内容になっている。試練にパスしきれない状態が延々と続いたら欠格になってしまうので、教師の緊張はピークに達する。

 狭い部屋に裸で入れられる。目隠しをされ、横向きに寝そべる。試験が始まると、女生徒2人がその部屋に入ってくる。彼女たちは、無作為に選ばれた教え子であり、自分のクラスの誰かであることは確実に分かっている。

 放送で学年だけが言い渡されるので、女子の年齢も自動的に分かる。が、クラスの誰であるかは分からない。普段自分が担当している生徒であることは確かだが、誰が入ってきたのかは目隠しで分からない上、彼女たちは声を出してはいけないので、相手が分からない仕組みになっている。

 小等部も中等部も高等部も、やり方は同じである。ただ、身体の大きさ、発達具合が違うため、それぞれに新鮮な快感攻撃力があるのは確かだ。その魅力に打ち勝てなければ、この仕事を続けられないばかりか、秘密の隠し部屋に監禁される羽目になる。教師の頑張りどころだ。

 少女たちは無言で、教師の前後に寝そべる。前方の女子が、萎えたペニスを内股に挟み込み、ぎゅっと強く包んだ状態で、お尻を教師の腰に密着させる。脚を交差させるなどして、しっかりペニスを挟み、やわらかな内股ともちもちした生足で全体を覆う。

 そして、小等部ならちいさなお尻が、高等部なら大きく張りだした臀部の弾力が、教師の腰にもっちりと吸い付く。

 彼女の行動はそれだけである。脚を動かしてしごいたり、腰を前後させたりはしない。下半身を密着させるだけなので、彼女の背中もはり付いてはこない。スマホでもいじって、時間を潰すようだ。ただ、ペニスは萎えた状態で、女の子の内股の肉に覆い尽くされ、強く圧迫されている。

 もう1人の女生徒も、教師に抱きついてきたりはしない。彼女は後ろ向きに寝そべり、やわらかな臀部を、教師のお尻に密着させる。ふににっとした弾力ある女性的なヒップが、心地よく男性のお尻に纏わり付いている。

 お尻のめり込むやわらかさが、教師の臀部を直撃する。彼女も声を立てず、あくまで機械的に行動する。彼女がお尻を密着させてギュウギュウ押してくるのは、男性教師が教え子スマタから腰を引いて脱出できないようにするため、そして、強制的に教師の腰を前後させるためである。

 後ろの女子と”おしりあい”の体勢になると、女のヒップのくすぐったいやわらかさが、男性の臀部全体に拡がっていく。小等部なら動きを大きくすれば、お尻の肌が大人の臀部全体をまさぐる格好になる。

 その状態のまま、彼女は腰をゆっくり大きく、一定のリズムで前後させる。一~二秒に一回程度のピストンだが、そのゆっくりした動きは強制であり、押しとどめることはできない。止めようとしても、少女のお尻のやわらかさが余計に潰れるだけである。

 彼女のお尻がぐにぐに迫ってくるのに合わせて、教師は腰を前後させざるを得なくなる。すると、萎えていたペニスは、前方の教え子の内股の中で揉まれ、しごかれ、やわらかくさすられる格好になる。

 また、前方少女の臀部も、教師の腰にムニムニ当たってやわらかく潰れる。前後からお尻に包まれてしまう。

 教師の側は、前方の少女に抱きついたり、愛撫を加えたりしてはならない。ひたすらじっとして、快感刺激を堪えなければいけない。逆に、その気持ちよさを乗り切ることができれば、教え子の肉体で欲情せず、射精もしないしっかり教師ということになる。

 生足内股に包まれ、そのむにゅっとした感触をじかに味わいながら、揉みしだかれるペニスの心地よさに感極まらないよう、ぐっと堪え続ける必要がある。

(この子は教え子の誰かだ、普段会っている子供であり、欲情対象にしてはいけない相手だ!)

 強く心に念じ、肝に銘じて、前後からのお尻と素足のやわらか弾力に負けないよう、踏ん張り続けなければいけない。目隠しされて何も見えないまま、下腹部に”感触”だけが押しつけられ続ける。

 時間は、たったの15分である。時間になれば解放され、合否が判定される。その15分を耐え抜けば、教師として合格なのである。時間がくれば少女たちは無言で立ち去り、教師は目隠しを外せる。

 射精していなければ、ギリギリ合格。勃起すらしていなければ優良合格で待遇も上がる。射精してしまったら、追試を受けなければならなくなる。

 しかし、その15分は、若い男性教師にとって、あまりに長く感じられた。一秒一秒が、非常にゆっくり流れているように感じる。その間じゅう、ペニスは心地よい内股の肉で挟まれ、ピストンさせられるごとに、女子の生足の肉にしごかれる。

 そのシコシコした感触、くすぐったい臀部の潰れる圧力、顔を知っているはずの教え子なのだという背徳感が、教師をどんどん誘惑していく。

 教える生徒の年齢が上がるほど、快感攻撃力は増している。高校生の太い脚なら、ペニス出し入れ耐久もおぼつかない。しかしながら、中学生の生足も存分に発達してしまっており、スベスベで張りだした肉厚は、ペニスを十分悦ばせることができる強力な武器である。

 それどころか、小等部女子でさえ、5年生にもなれば、すべすべ吸いつくみずみずしさをきちんと具えており、ペニスの出し入れ心地もさらに格段によくなっている。どの年代の娘たちでも、決して油断はできない。

 なお、低学年生を指導するのは全員女教師である。

 何分も、むにむにモニュモニュとペニスがゆっくり前後していると、教え子なのに、禁断の相手なのに、まだまだ稚いガキ相手なのにと思いながら、それとは裏腹に女性的な刺激に満ちた内股とお尻の感触にほだされ、朝に一回射精している教師といえども、またもやペニスを隆起させてしまう。

 そうなれば、優良合格は夢の又夢である。勃起した時点で、すでに男としては敗北であり、先生として一応認めるがダメ教師、という烙印に変わる。少女たちにとって、自分の生足やお尻で先生が勃起するなど、言語道断の話だからである。

 そのため、勃起してしまった大人の教師は、メスガキを分からせるどころか、さらに射精させられるまで、執拗にピストン攻撃を加えられることになる。

 すべすべのやわらかすぎる太ももの感触がペニス全体に刻まれ、後ろの教え子のお尻に押されてペニスが出し入れされる。欲情した状態でその刺激がゆっくりじっくり続けられる。15分はさらに長く感じる。

「うぐぁ……」

 どぴっ! どぼぼっ! ごぼ・・・

 劣等教師は、情けなくも教え子の内股の中で、精液を爆発させてしまう。女の娘の臀部が、これでもかと教師のお尻にヤワヤワとめり込む。女子高生を教えるのは尚更難しい。そのことを、射精によって思い知らされてしまうのだった。

 自分でも、敗北した教師は激しく落ち込む。少女たちは無言で立ち去るが、間違いなく、自分の評価は大きく下がる。なにせ、指導する側の立場の人間が、大の大人が、15分も持たずに、自分の生足で汚い精を噴き出してしまったのだ。当然の評価である。

 中等部女子の太ももがこれほどまでに心地よいとは……そんな思いに駆られるとともに、そんな魅惑的な相手を教えていたのだと思うと、さらなる興奮と劣情、背徳感を味わってしまう。これにやみつきになっては失格だ。

 出してはいけない相手、勃起してはいけない対象に、情けない劣情の隆起を遂げ、さらにそのまま、精液まで吐き出してしまう不甲斐なさ。いや、教え子という、対象にしてはいけない性欲に負けてしまうことの快楽に、改めて目覚めてしまう危険性さえあった。

 そのために、失格の射精教師には、続けざまに”追試”が施される。それは、待機していた同じクラスの別女子が入ってきて、射精したばかりのペニスを強制的に飲み込み、女性上位で挿入することだった。

 肘を突き立てて体重を支えながらも、女体の前半身は教師に上からしっかりしがみついている。密着の度合いも高く、やわらかく潰れる肉厚が、確かに教師を上から覆ってきている。

 そして、少女のオンナが容赦なく、出したばかりの萎えかけペニスを強く心地よく締め上げる。教え子は体を揺すったり、腰を上下させたりはしない。目隠しの教師に密着して抱きつき、自分の膣で強くペニスを締め上げるばかりである。

 追試を受けている教師は、この膣圧に耐えきらなければならない。こちらもまた、15分間である。

 愛撫も腰振りも自由ではあるが、自分から腰を振ってしまうということは、教え子の肉体の魅力に負けているということであり、それで気持よくなってしまうことは完全にタブーであった。相手をイかせて倒せればよいが、訓練を受けた女子を絶頂させることは困難だ。

「・・・・・・・・・・・・・。」

 ぎゅうううううううううう!!

 やわらかな膣圧が、これでもかとペニスを締め付ける。小学生は小学生らしく、中学生は中学膣で、高等部なら女子高生の熟達したオンナの締まりで、ペニスは攻撃される。その締め付けに15分耐久できれば、追試で合格となる。

 彼女も動かない。教師も動けない。ペニスは、2度射精しているにもかかわらず、若い女の子の直情的に締まるオンナに圧迫され、じわじわと膨らんでしまう。だが、彼女はそんなことお構いなしに無言でペニスを締めまくるだけだった。

 少女の息づかいが、大人の男性の肩に吹き掛かって心地よい。股間がじわじわと熱くたぎり、その悩ましい膣圧に負けて、自分から射精してしまおうと心を折れさせてしまうかも知れない。

 だが、ここが正念場、本気の踏ん張りどころである。彼は、教え子の胸板やお腹の肉に密着されながら、その締まるオンナの感触に耐えきらなければならない。やはり、時間はどんどん長く感じられてくる。気持ちいい圧迫が、若い締め付けが、男教師の股間を追い詰めていくのだ。

 ただ、さすがに朝に一回、午前中今しがたに一回、精液を吐き出してしまっている。20~40代の大人のペニスが、それだけ出し切ってなおも簡単に体液を吐き出すわけがない。

 出してしまうとすれば、教え子の若い少女に激しく欲情し、その娘になら出してもいいと、心を緩め気を許してしまった証拠にほかならない。見られるのはその点なのである。ここまで射精しても、なお女生徒に性的な欲動を覚え続ける始末では、まさに教師欠格と言わざるを得ない。

 ほとんどの教師は、もう出せない疲労感も手伝って、”追試”には合格できる。ギリギリだが、15分なら耐えきれる。

 もし彼女が腰を振って積極的に責めてしまえば、3発目の15分を耐え切れたかどうかさえおぼつかない。なにしろ彼女たちは、幼い頃からセックスの訓練を受け続けてきた「強い女」たちなのである。

 若くてかわいらしくて美しく、肉体能力も高い強敵なのだ。ペニスの締め方もきちんと習っている。15分は長いけれども、プロラクチンのおかげで、どうにかこうにか、男性教師たちは追試には受かるのである。

 もし、普段、この先生が女生徒に侮蔑的な発言をしたり、意地の悪い課題や罰を与えたりし、女生徒たちにひそかに恨まれていたとしたら、もはや彼は助からないだろう。

 腰を振ってはいけないというルールを破り、彼女は小刻みに体を揺すり、気付かれないようにペニスをオンナでしごいたに違いない。軽く上下するだけ、見つからないようにそっと全身を揺さぶるだけでいいのだ。

 少女の小刻みな動きは、ペニスを執拗に揉み、先端の気持ちいい部分を集中攻撃し、肉棒全体をやわらかく締め上げながらグニュグニュしごき立てることも可能だ。大きな動きができなくても、そうした小刻みな動きなら、ひそかに教師を快楽で責めることもできる。恨まれた教師は、挿入15分の追試を耐えることさえ許されはしない。

 もし追試にも受からなければ、相当大きなペナルティが科されることになる。ペナルティが貯まったら、即座に欠格だ。翌日から出勤不可となり、女たちの性欲処理係として、秘密の場所にそのまま送り込まれてしまうばかりである。それは快感地獄と形容してはばからない。

 それだけはなんとしても避けたいので、ほとんどの教師は追試には受かる。そしてその日は無罪放免、仕事をせずにゆっくり休める。過度の緊張からも解放されるし、試練が終わったあとなら、ひそかにオナニーして果てれば済むことだ。

 この島の学園内部なら、男女間の性的な価値観は完全に逆転できている。実験は成功であり、人類が長い歴史の中で思い込んできた価値観が、まったくの幻想であることが、ひとまずは証明されている。

 女子は受け身である必要はまったくなく、むしろ性に積極的でよい。そのために、相手の射精をもたらすことが”勝ち”という判断基準が備わればよいのだ。

 また、男子はこれまでと打って変わって、性に受け身(守り)であり、精液を奪われることを恥じらいとする精神文化が醸成されている。

 快楽を受けて我を忘れることが敗北的・背徳的なのであって、勝負として、雌雄を決する深いゲームとして、セックスは日常において積極的に推奨されるべきだという考え方が、ここでは可能である。

 そこには悪いイメージはなく、白黒がはっきりつく明快な世界観でもある。そして、そうした男女間の対立の中では、性的に女性の方が圧倒的に有利、つまり男性がいかに射精にだらしないかをも、証明することができると言える。

 人数も場所も時間も選ばなければ、誰もが性の戦闘を愉しみ、「快感に負けることなく相手を悦ばせる」ことに主眼が置かれる。そこには、セックスにあぶれてしまう性的弱者は存在し得ない。ただ、絶頂して白濁液を情けなく放出しまくってしまう、男という性的弱者だけがいる。

 勝負の機会は誰にでも均等に、そして頻繁に訪れ、そのつど勝敗がきちんと分かる仕組みができる。学園の目論見は、秘密裏に成功しつつある。

 ただ……

 この価値観が一般的になるためには、いくつも乗り越えなければならない生物的・生理的・人倫的な壁が存在することもまた、確かなことだろう。

 妊娠が人為的に完全にコントロールされるということ。性病が撲滅されるということ。

 肉体年齢と精神年齢、および性的な攻防において強化維持が可能な遺伝技術操作が容認され実行されるということ。勝利が単なる気持ちの問題ではなく、じっさいのさまざまな利益に結びつくこと。

 自然の摂理に対する明白な挑戦でもあるから、神に反逆するような社会的価値観を形成すると言っても差し支えない。欲望を欲望のままに放出しておきながら、生理的な快楽は悪と位置づける根拠に欠けている点も、摂理に反するだろう。

 そして、男女の価値観は同一なようでいて、結局逆転しただけであり、「すれ違い」は残ったままとなる。

 何より、女子が性的勝負に強くなり、彼女たちが性衝動の赴くままにバトルを至る所で繰り広げるようになれば、社会基盤はどうなってしまうのだろう。それは人間の女性というよりは、人間の肉体を纏ったサキュバスのなせる業と言わざるを得ない。

 人々の心は快楽の悪に染まり、欲にまみれた異世界に陥ってしまうのかも知れない。この実験は、理論は正しいかも知れないが、まさに悪魔に魂を売るような営みだ。

 生徒たちの人格は明らかに歪んでいるように見える。教育によって、むしろここまで人格をねじ曲げられ、摂理に反した思考習慣を育てることができるということを、たんに証明したに過ぎないのではないか?

 人間の精神は、どこまででも歪めることができる。正当でありさえすれば、何をしても許されるというバイアスに陥りやすい。そのことがいかに恐怖であるのかを、快楽の攻防一色に思考が染まった者どもは気付きもしない。

 筆者は……相当な危険を冒して、このレポートをまとめている。これを外部に持ち出し、この秘密の実験を公にしようと考えている。この反逆行為がバレれば、自分はどうなってしまうのか、見当がついてしまうだけに恐ろしい。

 この秘密を外部に漏らすことは立派な反逆行為であり、教師として欠格と看做される筆頭候補である。秘密を漏らそうとしていることが学園側に知られたら、筆者は確実に快楽部屋に送り込まれてしまうだろう。その前に、書けることはかいつまんでまとめられた。あとは、この文章をPCとともに持ち出し、公開するばかりである。

 ……足音が聞こえてくる。複数だ。いよいよこの身に危険が迫っている。はやく……はやくこの島を……脱出しなけrb



###変態学園 完###




変態学園の実相 第2章 ~逸脱者たちの末路~ へ


メニューに戻る(ノーフレーム用