性霊の棲家7
「その顔は、身に覚えがありそうね。」
「た、たしかにあのアパートに越して来てから色情霊達に襲われていましたが、でもここは学校で、彼女達は本物の人間だと思ってました。彼女達も幽霊だったんですか?」
「そう、そのアパートが問題なのです。あのアパートは、性霊の棲家なのです!特に今あなたの住んでいる部屋が元凶のようです。私達は、あのアパートに巣食う性霊達を退治すべく、大沢君と一緒に調査に乗り出していました。」
「大沢って、…ああ、アパートの端に住んでいる方ですね。でも、一体あなた達は…」
「私達は『性霊バスター』の隊員です。世界中に彷徨う幽霊、特に色情霊の類を成仏させるために日々活動しています。」
「はあ、そうですか…」かなりあやしいんですけど。
「自己紹介が遅れました。私は石川かりんです。人呼んで性霊バスター最強のアイドル、『ゴーストレンジャーかりん!』」シャキーン!
「…。」
「ちなみに私は大沢隊長の下の部屋に住んでいます。」
「下の部屋などいないっ!」
「え?」
「あ、いや、何でもありません。そうですか、性霊バスターですか…。所で、どうしてその格好なんですか?」
「趣味です。」
「…。」
「さ、詳しい話は後にしましょう。ここにいると危険です。私の今の術は、一定時間性霊どもをこの世から『隠す』程度の効果しかありません。暫くしたら、またあなたの前にあらわれるでしょう。」
「で、でも、僕に取り付いているんだったら、どこへ行ってもおんなじなんじゃ…。」
「あ、そうか…。」
大丈夫なのかなあ、この人。
「と、とにかく、ここから離れましょう。アパートに戻れば大沢君がいます。彼と一緒ならあなたを守れるでしょう。」
「分かりました。ここ男子トイレですもんね。」
「…はっ!イケナイ、私ったら殿方の聖域をまじまじと覗いて…」
今頃気づいたのか。ほんとに大丈夫なのかこの人。
「そ、それでは私はこれにて退散します。ハッ!」
掛け声とともに、彼女は窓から飛び出してどこかへ走り去ってしまった。どう考えても正義の味方の退場の仕方じゃなかった。なんだったんだ…。
ピロリロリロリ! ピロリロリロリ! ピロリロリロリ!
突然、床から電子音が響いた。何かバッジのようなものが鳴っている。どうやらさっきの石川さんが落としていった物のようだ。拾ってみる。電子音は鳴り響いたままだ。これって何だろう。タイマーか何かかな。それとも小型の無線機だろうか。音の止め方が分からない。どうしよう…。と、思っていたら電子音が止まった。なんだこれ。
「あーーーっ!!! やっぱりここにあったー!」
石川さんが戻って来ていた。大事な物をなくしたと思ったらしく、大急ぎで戻って来たのだった。ゼエゼエ言ってる。ますます正義の味方からかけ離れてゆく…。
「これって、なんですか?」
「通信機よ。大事な物だから返して。」
「はい。」
通信機を手渡すと、彼女はカチャカチャと操作し、バッジに向かって話し出した。
「こちら石川、こちら石川、正義の味方石川かりん参上♪ …応答せよ!」
「(ピーガガガー)こちら大沢。さっき呼び出したのにどうしたんだ!」
「え、えっと、そう、丁度性霊と戦っていたのよ。」
落としたとは言えないらしい。
「まあいい、とにかく緊急事態だ。扇女山の仙草寺に異空間のゲートが開いた!性霊界のホールだ。僧侶達は全員非難させたが、このままでは近隣の住民に被害が及ぶ。現在、ホールから霊が出ないように抑えるのが精一杯だ。至急応援頼む。穴を塞ぎに来てくれ。」
「了解!すぐに向かいます。」
「よろしく頼む。」プツッ
会話の意味はほとんど分からなかった。が、何か大変な事が起こったらしい。
「ごめんなさい、急に出動指令が出ちゃった。大沢君、私に黙って仙草寺に行ってたのね。多分一人で十分、簡単に仙草寺の性霊を退治できると思ったんでしょう。でも何かの拍子でゲートが開いてしまったといった所かしら。」
「あの、何の事なのかさっぱり。」
「ああそうね、何も知らないんですものね。私達は、依頼を受けて性霊が出る所に出向いて霊を退治するのが仕事なの。普通は、性霊というものは『性霊界』と呼ばれる世界にいて、その中で男女の霊が交わってるんだけど、あるきっかけでこの世界に性霊が出て来てしまうの。強い恨みの念がこもっていたり、呪術を施したりして、思念に歪みが生じると、霊界と現世界が繋がってしまう事があります。一番多いのが餓鬼界からの餓鬼。二番目が不足霊界からの復讐霊。恨みの霊ね。恨みなどの不満を抱えた霊達の世界って凄まじいらしいわよ。そして三番目が、私達の担当する性霊。やっぱり人間だって動物だから、セックスへの欲望も強烈なのね。」
「はあ。」
「それで、普通は性霊界と現世界とが繋がるといっても一瞬小さな穴が開く程度で、その瞬間に出てきてしまった性霊を退治する事になるの。だから、退治もそんなに苦労しない。元の性霊界に押し戻すだけだから。でも仙草寺のように、『ゲート』と呼ばれる大きな穴が恒常的に開いてしまうと、その被害は計り知れないわ。だから緊急事態なの。分かった?」
「なんとなく分かりました。」
「なんとなくじゃ困るのよ!そもそもあなたのアパートの場合には…」
「あの、緊急事態なんじゃないんですか?時間がないんじゃ…」
「あ、そうだった!じゃ、続きは後でね!」
ほんっっっっとに、大丈夫なのかなあああ、この人!
「多分一日あれば戻って来れると思うから、それまでこのお守りで我慢してね。」
石川さんは僕にお守りを手渡した。
「大事にしてね。決して肌身離さないように。私の手作りよ。んじゃ!」
そう言うと石川さんは再び窓から飛び出して行った。訳の分からん人だ。
さて、僕もこんな所に長居していても仕方がない。性霊も一定時間したらまたあらわれるとか言っていたし。アパートに戻るとするか。インターネットもせず、テレビも見ず、寝ないでマンガでも読んで、風呂もやめて、じっとしていれば、何とか一日耐えられるだろう。
駐車場に向かった。僕の大事なバイクちゃん…。
「ぬああああああああああああ!!!!!!」
ない!僕のバイクがない!たしかにここに停めたのに!しまった!盗まれたか!でも鍵は僕がたしかに持っている。一体…。と、路上にガムテープか何かで貼り付けてある小さな張り紙が目に止まった。
「急いでるんでバイク借ります。ヒーローはバイクの上で変身よ!石川」
「ふざけんなあああああ!!!!!!!」てゆーかどうやってバイクに乗って行ったんだろう。鍵はここにあるのに…。ああそれにしても風が冷たい。
ここにいても仕方ないので、歩いて帰る事にした。幸い山道はアパートまで下りだ。歩けない事もない。でも今度会ったら無断借用に厳しく抗議しなくちゃ。つーか殴りたい。
トボトボと下りのアスファルトを歩く夕暮れ。いつも痛快、バイクで通り過ぎていたこの見慣れた道も、こうしてゆっくり歩いてみると不気味だ。木々のざわめきがかなり怖い。
途中で、でかい水溜りに遭遇した。道路一杯に広く深く広がっている。来る時はこんなのなかったし、雨も降っていなかったのに、何か変だ。これも霊障の一種かな。とにかく足を踏み入れたらそのまま引き込まれてしまいそうだ。何とか避けて通ろう。水溜りを踏まないように…。
そーっと道路脇を歩く。水溜りに触れないように気をつけながら。なんとか水溜りを避けて通る事ができた。
「…ふう。さて、…うわっ!」
これまでの経験のおかげで、僕も注意深くなったものだ、という自信が出てきたその時、僕の左足が道路脇の土を踏みそこない、そのまま滑って転落してしまった!水溜りは通り過ぎたけれども、今度はそのまま下へ滑り落ちてしまった!道路の左側は絶壁。絶壁といっても、勾配はゆるやかだったので、死と隣り合わせという程ではなかった。でもかなり怖かった。
「うわあああああああ!!!」
ずざざざざざ〜!
しばらく滑り落ちた後体が止まった。木の合間を縫い、草をなぎ倒しながら、僕は随分滑り落ちてしまった。道路があると思われる所まで、200メートル以上ありそうだ。滑った跡が上に長々と続いている。
「いてて…」
幸いにもちょっとかすった程度で、骨折とかはなさそうだ。うう、ひどい目にあった。こうなったのもすべて石川のせいだ。今度あったら絶対ぬっコロ!
とにかく登ってみようか。だが、雨が降っていた訳でもないのに随分土が湿っていた。登ろうとしてもツルツル滑る。このまま登るのは危険かも知れない。逆に、目の前にあるこの細道を下った方がよさそうだ。舗装されてはいないが、昔使われていたであろう細い道が下へ通じている。少し行けばアスファルトの道に出るだろう。アパートも近い。よし、このまま降りる事にしよう。
立ち上がって歩き始めた。
「しっずかな湖畔の森の影から…」
…。いや、たしかに何か聞こえた。気のせいではない。後ろから。バッと振り返る。だが誰もいなかった。
「…気のせいか?」
「しっずかな湖畔の森の影から…」
今度ははっきりと聞こえた。そーっと振り返ってみる。すると、一人の女の子が僕の後ろからついて来ていた。モコモコしたコートに身を包んでいる。
「…誰?」
「…。」彼女は何も答えない。
「あ、もしかして…。性霊か?」
「…。」彼女は何も言わない。今までのパターンだと、性霊はすぐさま僕に襲い掛かって来るのだが、彼女は黙ったまま僕を見つめるばかりだ。何もして来ない。見つめ合うだけ。訳が分からないので無視して先を急ぐ事にした。
「しっずかな湖畔の森の影から…」
「だーかーらー!その歌はなんなのよ!」振り返りざまに彼女を問いただす。彼女は黙ったまま僕を見つめるだけだ。「幽霊だってのは分かってるんだ!ついてくんな!」
「もう立っちゃいかがとカッコが鳴くぅ」
僕の真後ろ、つまり進行方向から、別の歌声が響いてきた。僕はびっくりして振り返った!僕のすぐ後ろに、やっぱりコートを着た女の子が立っていて、僕を上目遣いに見つめている。その距離10センチにも満たない。
「うわっ!」僕は純粋にびっくりして、後ろにのけぞった。それに合わせるかのように、彼女も僕から離れた。
「もう立っちゃいかがとカッコが鳴くぅ」前後から少女の歌声がこだましている。
「それを言うなら、もう起きちゃいかが、だろ?」
「かこー、かこー、かこっかこっかこー♪」だめだ、まるで聞いてない。彼女達の目もうつろだ。間違いない、こいつらは幽霊だ。でも一向に襲ってくる気配もない。性霊じゃないのか?
「しっずかな湖畔の森の影から…」「しっずかな湖畔の森の影から…」
「うわ…」
左右に乱立している木々の後ろから、コートの女の子たちが次々と顔を覗かせ始めた。
「もう立っちゃいかがとカッコが鳴くぅ」「かこー、かこー、かこっかこっかこー♪」「しっずかな湖畔の森の影から…」「かこー、かこー、かこっかこっかこー♪」「もう立っちゃいかがとカッコが鳴くぅ」「しっずかな湖畔の森の影から…」
この歌は全フレーズがハモっているから美しい訳だが、それを本当に森の中で少女達が歌っていた。そういえば女の子だけの合唱を聞くのは初めてだな。結構美しい声で僕の心をくすぐる。女の子の数はどんどん増えて行き、合唱もいよいよ美しく、大きくなってゆく。その数は先ほどの男子トイレの比じゃないぞ。
でも一斉に襲ってくる気配はない。ジリジリ近づいて来ている訳でもない。只歌っているだけだ。その歌声の魅力にメロメロになりそうだったが、もしかしたらこれも作戦なのかと思い我慢する事にした。
歌声に魔力があるかのように、僕をゾクゾクさせるが、たぶん歌で酔わせて、骨抜きにしてから僕を襲おうというのだろう。こいつらはやはり性霊だ。それもセイレーンとかいうヤツだ。歌で酔わせてから食べる魔物。彼女達の魅力的な歌に引き込まれてはいけない。僕はとっさに耳を塞いだ。
それでもかすかに歌声は聞こえて来る。でも僕には裏技があった。人差し指で両耳を塞ぎ、僅かに離す。指を軽く耳の穴に出し入れするような形だ。するとシャホシャホと耳元で音が出て、外界の音が聞こえなくなる。声を出しながらやるとなお効果的だ。
これでセイレーンの歌声はほとんど聞こえなくなった。彼女達は一生懸命歌っているようだったが、僕には効果がない。それで業を煮やして襲い掛かって来るだろうか。そうなる前に逃げることにしよう。
「しっずかな湖畔の森の影から…」
え…。耳をシャホシャホしているのに、はっきりと歌声が聞こえて来た。いや、歌声は、頭の中で響き始めたのだ!しまった、こんな力も持っていたなんて!これじゃ彼女達の歌を聴く他はないぞ!どうしよう…
歌の魅力は僕の頭を直撃した!僕は耐え切れずに歌声に酔いしれ、メロメロになってしまった!が、いつまで経っても彼女達は襲って来ない。僕も聞き惚れているだけで、心地よい感覚に包まれてはいるけれども、性欲までは湧いて来ない。只僕に歌を聞かせているだけだ。一体どうなっているんだ?
「あ、まさか!」
お守りの事を思い出した。もしかしたら、石川に貰ったお守りがある為に彼女達は手を出せないでいるんじゃないのか。セイレーン、いやアレは海の魔物だから、森の魔物、ドリアードとでも呼べばいいか(歌も歌だし)、彼女達は歌うだけしかできないんじゃないか?
もしそうだとしたら、このお守りを使ってこの性霊どもを退治できるかも知れない。僕は早速ポケットからお守りを取り出した。その瞬間、ピタリと歌声がやんだ。やはりこのお守りに慄いている様子だ!
握り締めていたままでは、魔よけにはなるけれども、退治はできないだろう。僕はお守りを握った手で性霊にパンチを食らわす作戦を立てた。
「喰らえ〜!悪霊退散メガトンパンチー!」
ボッ!
「うわっ!」
パンチを繰り出す前にお守りから青い炎が噴出した!思わず右手からお守りを落としてしまった!お守りは青白い炎を出して燃え盛っている。どうなってるんだ!
「ふう。やっとお話できますね。」
「なっ!」そうか、お守りのせいで、彼女達は僕と話す事もできなかった訳か。
「さあ、そのお守りを遠くへ捨てて下さい。そしたら私達とイイ事ができますよ?」「気持ちよくなりたくないんですか?」「お願いです、それを捨てて下さい。」「あなたのおちんちん、そろそろ立ってはいかがです?」
そうか、「もう立っちゃいかが」って、そういう意味だったのか。それよりも彼女達は2〜3メートル程僕から離れて、話しかけて来ている。さっき近づきすぎた子もいたけれど、おそらく熱くてすぐに飛びのいたのだろう。このお守りの近くにいる限り彼女達は僕に触る事はおろか、近付く事もできないという訳か。
こうなったら、絶対にお守りを捨ててはいけない。だが拾って逃げようにもますます強い炎を出しているお守りに触れる事はできそうもない。てゆーかなんで燃えるんだよ!一定の効果はあるけど、やっぱり欠陥品だ!石川め!
膠着状態に陥ってしまったようだ。お守りが熱く燃えているので、彼女達の歌が響く事はない。その意味で操られる事はなさそうだ。が、僕も逃げられず、彼女達もこれ以上に迫る事ができない。どうしよう。いや、ここで根負けしてはいけない。石川も大沢って人も、ここから遠くに離れているから、今度こそ助けは来ない。襲われたら最後、今度こそ抜けられないだろう。お守りは絶対に捨てない!こいつらが僕を襲えない事に愛想をつかして、立ち去ってくれるまで、根気よく待ち続ける事にしよう。
そうと決まったら立ち尽くしていても疲れるだけだ。僕は腰を下ろし、時間が過ぎ去るのを待つ事にした。
「うふふ、根気比べをしたいんですか?でもムダですよ?私達には、あなたとは違う時間の感覚がありますから。そうねえ、気長に待つ感覚、人間にとって1時間じっとしている事が、私たちにとっては200年なのよね。私たちが200年じっとしている時のストレスが、あなたが1時間じっとしているストレスとおんなじなのです。これで根気比べできるかしら。」
そうか、ドリアードって、時間の感覚が非常にゆっくりだったんだっけ。さすがは木の性霊。太刀打ちできないのか…。いや待てよ!
「それじゃあ、僕はこのまま年をとるか、餓死をしてしまうね。200年も人間は生きられないもん。若い男でないと、魅力がないんじゃないの?」
「ほほほ、人間がそんなに根気よく待てるものですか。一生そこに座っているつもり?」
ダメか。口からでまかせは通用しないようだ。…そうだ!
「ふん、一日もすれば、仲間の霊媒師が僕を探しに来る。多分このお守りの『気』を感じて、すぐに見つけてくれるだろうさ。そしたら、おまえ達なんか一網打尽さ。」
「…」
これはでまかせではない。彼女達も困惑しているようだ。どうやら口げんかは僕の勝ちのようだ。
「そう…。それじゃあ、早く勝負を決めないといけない訳ですね。じゃあ、奥の手を使いましょうか。ねえ皆さん。」「そうですわね。」「あなたがそのお守りを捨てないのでしたら、捨てる気にさせるまでですわ。」
こいつら、一体何をする気だ?!
「ほら、見て…。」
目の前の性霊が、コートのボタンに手を掛けた。ゆっくりとボタンをはずし、コートを脱いだ。コートの下は裸だった。