待ち人来たらず。
ぼうっと突っ立って広い施設内を眺める俺の耳に、きゃあきゃあと甲高い歓声が届く。相変わらずいつ来てもここはすごい。いつ来ても季節は夏。人工の日差しといえど、素晴らしくまぶしくて爽快だった。
それにしても。
「遅い」
ひとりつぶやく。そんな俺を、ちょうど通りかかったカップルが横目で見て通りすぎていった。きっと彼女に待たされてる彼氏に見えたんだろう、ふたりでくすくす笑いながら。
―――――でも、あながち間違ってないと思う。いや、待ってるのは彼女とか、そういうのじゃないんだけど。そういうのじゃなくて!
「なにをひとりで百面相している」
背後から無愛想な声がした。俺は慌てて振り向い、て。
その目の前にあった光景につい見惚れた。
「? なんだ……間の抜けた顔をして」
「あ、いや、その、」
言葉が上手く出なかった。そこにいたのは、アーチャー。原因はわからないけれど(本人は繰り返す四日間のバグだ、とか言っていた)女の子になっちまったアーチャーは、俺より小さくなって、その……スタイルも抜群になっていて。
胸なんか、ものすごく大きくて。
眩暈が、した。
アーチャーは怪訝そうな顔をして、腕を組んでこっちを見てる。その水着はライダーと同じ黒で、ビキニなんだけど腰まわりにスカートみたいなのがついていてまるで聖骸布みたいに見えた。全体的にかわいいデザインだ。お姫さまみたいなひらひらフリルは女の子にしか着られないデザインだし、胸元にリボンとピンク色の小さな花の飾りがついてるのもかわいい。
前髪を下ろしてこれも黒いヘアバンドでまとめたアーチャーは本当に幼く見える。ひょっとして見た目はセイバー以下じゃないだろうか、なんて思った。
……それに見惚れちゃう俺って。
「なにを項垂れている」
がっくりと膝をついた俺の耳に、呆れたようなアーチャーの声がした。
ううん。
なんでもありません。


「ほら」
「……なんのつもりだ?」
「なんのつもりって。別になんでもないって」
苦笑いして手にしたジュースを差しだす。ハイビスカスの華が添えられたトロピカルジュース。アーチャーはまたも怪訝そうな顔をして、それを受け取った。首をかしげながらストローを口にしてちゅうちゅう吸いだす。
「すぐに泳ぎだすのもなんだからさ。ちょっと休んでからにしようと思ったんだよ」
ちゅう。
ひときわ大きな音を立ててジュースを吸いこむアーチャー。くるんと巻かれた透明なストローに鮮やかな色の液体が吸いこまれていく。
「ふん、軟弱者め」
「なっ」
「だがしかし、その案には私も賛成だ」
またジュースを吸いこむアーチャー。ふふんと笑う顔は、かわいいけど憎たらしい。
「それにしても、衛宮士郎?」
「うん?」
「どうしてこんなところに私を誘った?」
う。
また、答えづらいことを聞く……!
「チ、チケットが余ってたから……」
「なら、他の者を誘えばよかろう?」
「……おまえがよかったんだよ」
「なに?」
「アーチャーがよかったんだ!」
大声が響いた。
しまったと思ったけど、取り返せない。耳まで真っ赤になるのを感じつつ、ぶつぶつつぶやく。
「おまえと一緒に、ここに来たかったんだよ」
アーチャーは目を丸くしている。ヘアバンドがちょっとずれていた。それもかわいいと思ってしまって、重症だと思う。
ああ、もう、本当重症だ、俺。
ちょっと頭を冷やしてこよう。
「泳いでくる」
言って、駆けだした。すぐ戻ってくる!と叫んで。
そうしないとまた、自分がなにを言いだすかわからなかったから。
ばしゃんと勢いよく飛びこむと、やわらかな水が全身を包んでくれて少しほっとした。プールは早めに来たせいか空いていたけれどそれでも人は多い。邪魔にならないように俺は泳ぐ。あっちへこっちへ行ったりきたり。
ぷは、と水面から顔をだせば、人工の太陽がさんさんと降り注いできていて、目を手で覆った。まぶしい。まるで今のアーチャーみたいだと思った。まぶしすぎてまっすぐ見られない。
日頃のあいつは月だけれど。
そんなことを考えているとまた頭に血が昇りそうだったので、急いでプールサイドに上がった。うん。少しは、頭が冷えた。ぐ、ぱ、ぐ、ぱ、と手を開いては閉じて開いては閉じてしてみると、一度うなずいて俺はアーチャーの元へと駆けだす。
アーチャーは泳げるかな?泳げないかな?それとも泳がない?
どれでもいい。どれでも俺には対処出来る自信がある。今までの経験は役に立った!ありがとう、皆!
アーチャーの腰かけたデッキチェアがどんどん近づいてくる。俺はそのまま大きく笑顔で手を振ろうとして、硬直した。
囲まれていた。
アーチャーは、二、三人の知らない男たちに囲まれて眉間に皺を寄せている。あれは、きっと、おそらく、ナンパだ。あああ、と後悔。そうだ、あんなアーチャーを置いていけば野獣たちの餌食になるのはわかりきっていたことじゃないか!それなのになんで!
勢いを増して走る。早くアーチャーを助けないと。
そのとき、俺の脳裏にはサーヴァントだとかそんな単語は一切浮かばなかった。だって、アーチャーは小柄で非力な、ただの少女にしか見えなかったのだ。
そんな女の子を、放ってなんておけない。
「アーチャー!」
叫んでアーチャーの前に飛びだすと、男たちはむっとした顔を俺に見せる。男たちは背が高い。形相もどちらかと言えば凶悪なほうで、獣のような目つきで睨まれたらちょっとやそっとの相手ならがたがた震えて動けなくなっていただろう。
だけど生憎。こっちは慣れてるんだ―――――。
「おい、衛宮士郎」
心配そうなアーチャーの声。
「大丈夫だよ」
そう返すと、褐色の小さな手を握った。そして。
「―――――走るぞ!」
驚愕の表情を浮かべるのが目端に見えた。某英霊のように最速までとは行かないけど、全力で走り抜ける。
「衛宮士郎!?」
驚いたようなアーチャーの声。コンパスが違うからなのか、わたわたとついてくる様子を背中で確認しながら、引き離しすぎないように、それでも大股に。
背後から罵声が聞こえてくる。男たちのものと、アーチャーの。
それらを全部無視して走った。途中でアーチャーを抱き上げてしまおうかと思ったけれど、いろいろと無理そうなのでやめておいた。


荒い息。
「……巻いたかな」
「……巻いた、な」
競泳用プールのところまで走り抜け、辺りを見回せばそこには追っ手の姿はなかった。ほっとして隣を見ると、消耗した風のアーチャー。
「うわ、ごめん! 悪かった、無茶させて……」
「謝るな、気色が悪い。…………それに、だな」
こほん、と咳払いして言うことには。
「私たちと一般人では戦闘能力に差がありすぎる。あそこはおとなしく逃げておくのが得策だっただろう」
「…………え?」
「いい作戦だった、と言えんこともない」
は、とため息。久々に走った、という顔をして、アーチャーは目を閉じたまま再度息をついた。
「だが、少し疲れた。私はしばらく休ませてもらう」
「あ、ああ」
「おまえは少し泳ぐといい。せっかく来たのだから、楽しんでいけ」
「でも……だけど」
「なに、回復したら付き合ってやる。だから……そんな情けない顔をするな」
そう言って。
ぷい、と顔をそむけたアーチャーの頬は赤くて。だから、調子に乗ってしまったのだと思う。
「な、衛宮士郎!?」
「少しだけ! 少しだけなら大丈夫だろ、な、泳ごうアーチャー!」
「私は疲れていると言って……こら、手を引っ張るな!」
「だから少しだけなら…………」
言っていると。
たぷん、とプールから水が溢れて、俺は思わず足をとられた。
「へ?」
おかしな声が出る。ぐらり、体が揺らめいて、驚くアーチャーの顔。その一瞬後には、衝撃が全身を襲った。
どすん。
「あ……い、って……」
転んでしまった。顔がかあと赤くなる、調子に乗りすぎた。まだまだ未熟ということか。またアーチャーに嫌味を言われる……と、その姿を探してみたが、どこにもいない。
あれ?
というか、なんだか体の下がやけにふんわりと、温かくてやわらかいような?
わけのわからないままに手を伸ばし、届いたものに触れてみる。丸く大きいそれ、豊かな弾力性に驚いて手を引けば押し殺した低い声がえみやしろう、と俺の名前を呼んだ。
「―――――あ? え? あ、えっ、えっ!?」
転んでもそう痛くない。当然だ、アーチャーを体の下に引いていたのだから。
アーチャーは顔を怒りにか、羞恥にか真っ赤にしてこちらをじっと睨んでいる。涙目で、胸元に組んだこぶしを押しつけて。
「早くどかんか! 重いわ、恥ずかしいわでもう最悪だ!」
「あ、ごめっ、すぐどくから、すぐ、すぐ!」
だけどアーチャーの体はどこもかしこもやわらかくて、なんだかいい匂いまでしてきて神経が麻痺しそうになる。上手く動けなくなってじたばたもがく俺を、忌々しそうに見るアーチャー。舌打ちなんてひとつ、ああ、その姿にそれは似合わないのに。
「あ、あれっ? あれ、あ、あ、あれ? なんでだ?」
焦っているせいか上手く起き上がれない。そのたびにべしゃんと潰れる体は、アーチャーのやわらかい体のどこもかしこもを存分に味わって、堪能して―――――。
「衛宮、士郎……っ!」
甲高いアーチャーの声を、耳元で聞きながら必死に起き上がることに専念しつづけた。


「……タオル」
「なんだね」
「脱いで、一緒に泳ぐ約束、は?」
「そんなものは忘れた」
「ひで……っ」
「ひどい、のはどこのどいつだ! 散々人の体を撫で回してくれよって! やはりおまえはろくでもない奴だ!」
ぷいとそっぽを向いたアーチャーに、はいすみませんとばかりに頭を下げることしかできない俺だった。



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