ぬるり、とした感覚に思わず体がすくんだ。条件反射で叱咤しようとして声が上擦るのに気づいて声が出せない。
それでも漏れる吐息を隠そうと口元を押さえるとてのひらが熱く湿った。
「―――――」
うつろな目で天井を見る。いち、に、さん、染みをいくつか数えてぼやける視界。そしてすぐに覚醒。首筋ばかりをしつこく舐める赤い舌は、まるでそれ自体が別の生き物のようだ。根元から切り落としたとしても止まらず動いているのではないかと物騒なことを想像する。ちょっとした悪趣味なホラー映画ではないか。
ふ、と微笑すると怪訝そうな目つきで眺められた。子供のそれに似た真剣さで上から下まで、じっと。
「余裕だな」
不満そうないいぐさがさらに子供のようで喉を鳴らす。不満なのかと問えば少し、と正直に言うので上擦った声で笑った。
その笑い自体が熱を持っていてさらにおかしくなる。自嘲だ。
こんなところで、居間で、柱に押しつけられて肌を舐められている。感じている。
そうだ。否定は出来ない。だから笑いつづけていると、その喉を舐め上げられた。ふくらんだ喉仏を、急所を噛まれて仰け反る。それが招いた結果になって、今度はそこばかりをしつこく舐められた。
なだらかな起伏をさきほどの視線のように、上から下まで、下から上まで繰り返し這っていく舌。ときおり尖った歯で食んで。
喘ぎが漏れる。とっさに身を丸めて耐えようとして、喉仏を舐めていた男の頭を上から押しつぶすように挟んでしまう。驚いたように、舌は浮いて離れた。が、その寸前首に厚めの先を押し当てて、横へと素早く引き払っていった。
刷毛で色味のないペンキを塗っていったかのように、唾液のあとがてらてらと露骨に光って褐色の肌の上に残る。
「馬鹿野郎。舌噛んだらどうしてくれるつもりだ?」
「そんなに君はやわではないだろう。……なにしろ、こんな行為に興じるくらいだからな」
「もし、この舌噛み切っちまったら―――――」
耳元にささやかれる声。
「もう、おまえの体の隅々までが舐められねえ」
食まれる。耳を。やわらかい肉を食まれ、軟骨を齧られる。耳朶を吸われるに至っては乳房に吸いつく赤子のようで、いっそ浅ましい。口内に溜まった唾液と合わせてもてあそばれる耳朶はすでに性感を得ていて、熱く火照っていた。
骨付き肉でもしゃぶるときのようにあっけなく、獰猛に男は肉を、骨を、貪った。
食われるようだ。と、思う、味見をされて、食まれて、啜られて、しゃぶられて、貪られていく。
己がなくなる。
それは魅力的な提案だ、そう思いながら日頃より近くに聞こえる数々の音に翻弄された。耳に直に吹きこまれる吐息にも。
■■■■■―――――と。ささやかれる名に、背筋に走るのは複雑な感覚だった。
おそろしいようなうれしいような感じ入りたいような恥じ入りたいような、ああ、どうしたら?
「ランサー……」
「ああ?」
くちゅりと濡れた音。本当の狗のように口周りを唾液で汚した男は、申し出に不思議そうな顔をした。それからほどなく、に、と笑う。
「いいぜ。……来いよ」
快諾されて多少驚かないでもなかったが……陶酔して、笑う。
「ランサー……」
つぎは。
わたしが。
わたしから。
させてほしい。
対抗心があったわけではない。ただ、この男に自分がされたことをこのまま返したらどうなるのだろう。この男の肌はどんな味がするのだろう。この男は快楽を味わったとき、どんな声を―――――。
想像するだけで頭の中に靄がかかった。おそるおそる、まずは唾液に濡れた口周りに舌を這わせる。ゆっくりと、ゆっくりと。
胸元を掴みあげて固定し白い肌を一心不乱に舐め上げ唾液を啜ると、ぼうと腹の奥が熱くなってきた。血液のレベルとまでは行かないが、これも体液。立派なサーヴァントの動力源になる。ぴちゃりと舌を鳴らしてなるほど、と納得しながら荒く息を吐いていると、男がにいと笑って顎を上げ、自らの首筋、喉仏をさらしてくる。
「ここも、やってくれるんだろ?」
最後まで言わせず、むしゃぶりついた。男に抱かれるうちに獰猛な獣の質が伝染ったのかもしれない。歯を立てて、血が滲むほど。男の生かす殺さずな手管など知りようもない、ただ、ほしかったのだ。首筋の血管を舐めて、ここを噛み破ったら、だとか、喉仏を食んで、ここで私の名前を呼ぶのだ、だとか。
そんなことを想像していたら、たまらなくなってしまって。
「…………おいおい」
あからさまなみっともない喘ぎが漏れる。気づけば抱きしめられ、耳元でささやかれていた。ああ、耳―――――口をぱくと開いて齧りつこうとして、頭を軽く叩かれた。
「……あ?」
「焦るな。……今度ゆっくり教えてやるから、な? 今はオレに従っておけ」
情事の熱と魔力の熱に浮かされて意識を飛ばすなんざ、まだまだだ。言われて、乱れた自らの格好に気づく。これは?この男が?
いや、男は意識のはっきりしない相手にそんなことをするような類ではない。と、すると。
これは、自分が引き起こしたありさま―――――。
かあ、と赤くなる。暴走して誘ったのだろう。男に喰らいつきながら、その肌を舐めながら、君がほしいと。
思いだすことも出来ないけど思いだしたくもない。
それでも悔しい、とつぶやけば、今度は鎖骨を愛撫し始めた男が意地悪く笑って言った。
「―――――なら、簡単なことから始めてみるか?」
ぼうと見ていると、くつくつと細い肩が揺れて。それとも刺激的すぎるか、などと言うから、かっとなってその話を受けた。
こういうところがいけないのだ、と情事のあと、己はいつも忌々しく思う。
それ、で。
「―――――ん、ふ、」
奥まで飲みこもうとして咳きこむ。生理的に滲んだ涙を掬われて、いまだ愛撫をつづけられる体のそこここに塗りつけられながら気楽にいけよ、と言われた。
「最初から全部含もうとするな。先端だけ舐めてろ。余裕が出来たら他のところもな。……舐めたいんだろ? オレを」
「…………」
うなずくと、露骨に上を向いたそれに舌を這わせる。今度はうなじを舐められながら、屈みこむように熱の上に覆いかぶさった。
ちろちろと舌を出し熱を舐める。興奮のためか唾液が溢れ、幹を伝って、結果、男の欲情の度合いがひどくなったように見えた。濡れて、濡れて。
己の体にも存在する見知ったものではあったが、他人のものを見るのは、こんなにも至近距離で見るのは初めてで。
生娘のようにこわばった。だがそうしていても始まらない。言われたとおりにどうにか先端だけでも舐める。そこは敏感な神経が集まるところだというから、ときどきは体勢をずらして幹のほうも。
濡れた音を立てそんなことをしていると、自分が獣になったような錯覚を起こした。獣といっても男のように雄々しい獣ではなく小さな。
そう、子猫のような。
「顔と口と、どっちに欲しい?」
だから、そんな質問にとっさに答えられなかった。
男は面白そうな顔をしたまま、己の下肢を指した。と、思わずぎょっとするほどそこは育っていてあと少しで解放寸前に見えた。
ほしいともいらぬとも言えずに困ってしまってとりあえず舌を出して舐めると、男は低い声で―――――
「そうか。こっちに、欲しいのか」
そして予告もなく、熱をぶちまけてきた。
「……っ! ふ……!」
顔だけでなくくつろげられた胸元にも、首筋にも、あらゆるところに飛ぶ白濁。男は汗を滲ませた笑顔でやはり意地悪くにやり笑うと、呆然としている己の顔に舌を寄せてきた。
「心配しなくとも全部舐め取ってやるよ。それから―――――おまえ、どうしたい?」
呆然としているので答えられない。ぬるりとした体液をぬるりとした舌が拭い去っていく。ときおり交わされるくちづけ、そこでも舐めあう舌と舌。体中を舐められて、ぞくぞくする。
「おまえ、どうしたい?」
男がもう一度聞いてくる。それにうつろな視線で応えると、いまだ汚れたままの顔で首の後ろに腕を回すようにしがみついた。
「……くれるのだろう?」
「ああ?」
「教えて、くれるのだろう?」
意地半分、劣情半分。
確かめるようにそう言えば、男がくつくつと笑う気配がした。しょうがねえなあ、と破顔する様すら知覚できて。
「知らねえぞ」
そんな声は聞き流しながら、体中を舐め上げていく生々しい舌の感覚に、己は酔った。
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