菓子皿に盛られたみかんを手に取ろうとしたのは、同時だった。
「……あ」
高低の差はあれど同じ言葉が、やはり同時に口から漏れる。ぶつかりあう赤い瞳。大きな手がそろそろと引いて、どうぞ、とどこか投げやりな声が権利を譲るのが静かに居間に響き渡った。
「あら、ありがとう」
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、イリヤはにこりと微笑むと山と積まれたてっぺんの一番大きなみかんを手にする。槍兵のサーヴァント、ランサーはそれを見てああ、と内心で嘆息した。
―――――狙ってたのに。
仕方なく二番目に大きなみかんを取ると大ざっぱに皮を剥いて白い筋も取らずに塊のまま、まとめて口に入れてしまう。もごもごと頬を膨らませてこれは当たりだ、などと思っていると。
自らにイリヤの、とげとげしい視線が突き刺さっていることに気がついた。
ひどく冷ややかな、これは、何だ。
純白の甘い甘い砂糖でコーティングされた…………敵意?
「……嬢ちゃん、何かオレに言いたいことでもあるのかい」
「そうね、割とたくさんあるわ。とりあえずわたしの大切な弟をたぶらかしたことについては山のように」
「た、たぶらかしてなんかねえよ」
「なら堂々としていればいいじゃない。どうしてどもったりなんかするの」
「―――――」
「後ろ暗いのね」
大した英雄だわ、と目を閉じてつぶやき、イリヤはみかんをひとふさ口にする。その妙な迫力に、ランサーは背筋に怖気を感じた。
後ろ暗い。確かに、始まりはそうだった。イリヤの“大切な弟”アーチャーとは、半ば無理矢理に関係を結んだと言ってもいい。けれどそうなってからは大事にしている、つもりだ。少なくとも今のランサーは全身全霊をかけてアーチャーを愛している。
アーチャーも初めは仏頂面ばかりだったが、今では様々な表情を見せるようになってきた。それはほんの小さなかけら程度だけど。
それでも、笑うようになったのだ。ランサーの前で、あのアーチャーが。
君は仕方ない奴だなと。
眉を寄せ、だが眉間に皺を寄せることなく、どこか困ったように。
その笑顔には正直見惚れた。もっと見てみたいと思った。だからランサーはからかうようにアーチャーと語る。軽口を叩く。フル回転でふざけて、おどけて、騒いで。……もしかしてそれがこの姉上様にはお気に召さないと?
「いくつ食べる気?」
はっとその言葉に我に返った。目の前にはばらばらとみかんの皮が散乱している。いつのまに。
呆れを通りこしたイリヤの視線が注がれる。
「そういうのを見るとつくづく思うわ。あなたはあの子にふさわしくないんじゃないかって」
「―――――ッ」
舌打ちをしかけて、やめる。イリヤはまだひとつめのみかんをゆっくりと食べていた。優雅なことで―――――ランサーは内心で舌打ちする。澄ました顔が小憎らしいと思う。そういえば、アーチャーと最初に対峙したときもそう思ったっけと回想する。
あれは小憎らしいなんてかわいいものじゃなかったが。
それがな、今じゃな。あんなかわいい奴はいないと思わせるんだから不思議なもんだ。
そうだ。アーチャーは、かわいい。男だとか女だとか、そんなことはランサーにとって関係ない。問題は自分がどう思うかだ。そして、ランサーはアーチャーをかわいい奴だと思う。だから、それでいい。
そんな風に、この姉上様も思ってくれないものか。
「なにかしら」
「……なんでも」
「なら、レディの顔をそんなにじろじろ見ないでちょうだい」
ふん、と顔を背けられた。思いっきり。
ぐちゃりと手の中でみかんが潰れる。筋力Bにかかってはみかんなど……いや、別に普通の人間だってみかんを潰すくらいは造作もないことだろうが……。
「やだ。下品だわ」
その言葉に音を立てて何かが切れた。
手を大きく振りきってずたぼろのみかんを畳に打ち捨てると、ランサーはちゃぶ台を叩いて立ち上がる。大体がねちねち遠回しに嫌味を言ってくる相手は好かないのだ。あの陰険神父だとか、陰険シスターだとか、初期のころのアーチャーだとか。
そう考えると今のアーチャーとの関係は驚くべきことだと言えた。本当に、不思議なものだ。
縁があったのだろうと思う。なにか、特別な縁が。
それほどロマンティックな思想の持ち主ではないランサーだったが、それもまた面白いのではないかと思う。だからそれをねちねちねちねち遠回しに否定されて、却下されて、排斥されて、我慢出来るはずがなかった。
たとえ相手が小さな子供(見かけは)でも、好いた相手の姉上様でも。
「てめえ―――――」
「イリヤ」
赤い瞳を光らせたところで低く落ちついた声が激情を止めた。
そっぽを向いたままで玉露をすすっていたイリヤが、ぱっと顔を輝かせて声の発信源を見る。
「シロウ!」
エプロンを外しながら居間へとやってきたアーチャーは、みかんの山を崩すほど勢いよく立ち上がり飛びついてきたイリヤを抱きとめる。こらこらとたしなめつつもその声と表情はやさしい。
ランサーはその光景にあっけに取られる。なんだ?
さっきまでのつんけんした態度とはあまりに違うじゃないか。そりゃあ、“大切な弟”相手だからかもしれないが。
イリヤの表情はやわらかく無邪気で、さっきまでのとげとげしさはまったくない。
「イリヤ……」
「こら。違うでしょシロウ」
「……姉さん。あまりランサーを虐めるのはよしてやってくれないか。拗ねると後が面倒だ」
「だって、シロウがあんまりにも彼を好いているようだから?」
ヤキモチ焼くくらい、許してくれてもいいじゃない。
ぷうっと頬を膨らませた顔は素直にかわいらしい。そんな顔をしてれば、ランサーだって……―――――
「イ、イリヤ!」
ん?
だって、シロウがあんまりにも
だって、シロウがあんまりにも
だって、シロウがあんまりにも
彼を、好いているようだから?
「アーチャー」
中途半端に立ち上がった体勢のまま、ランサーはつぶやく。
アーチャーはにまにまと笑んでいるイリヤになにか必死に訴えていたが、その声を聞いて動きを止めた。そっと顔を上げる。
その頬は赤い。
ぽたん、とランサーの指先からみかんの汁が滴る。それを指摘しようとした、する、その前に。
ランサーはアーチャーを抱きしめた。
な、と上擦った声がする。抱きしめた体が熱いような。いや、きっと熱いはずだ。
だって、ランサーの体だってこんなに熱いのだから。


弾きだされる形になったイリヤはふん、と鼻を鳴らすと大股にちゃぶ台の前まで戻った。まだ残っていたみかんを食べながらつぶやく。
「まったく、困ったものね」
けれどその声が少し笑みを含んでいたことには、きっと彼女自身気づかなかっただろう。



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