■black-in-truth 上

高貴なタマシイの持ち主の絶望
そしてその心臓から流れ落ちる血潮


 望むものを見つけた。
 いつの頃からかは覚える気がなかったから覚えていない。
 帝国エフタルの第一皇子クライン。
 皇子というより、姫。
 少女じみていると思っていた彼が、少しずつ男に変わっていく。そんな様子を盗み見たりしていた。その時点で、兄弟だという彼らには[ひず]みがあった。
 兄を、国を求める弟と、無欲に運命を背負う兄。
 彼は最期まで弟の想いに応える事はなかった。だけど、まっとうな方法で愛を伝えたとして、彼は受け容れただろうか。
 そんなわけないでしょう。
 おかしくなって笑う。
 多分どう転んでも彼らはすれ違い続けて、兄が誠実であればある程、弟は届かぬ想いで潰れただろう。
 哀れな奴だ。
 兄は魔導の長を乱心しうる程の魔導の使い手。そして神官。剣の腕だってひとかど。
 いつか手に入れる獲物に、私はもっと近付きたかった。でもソレは出来ない。あまり凝視していると気取られる。
 だからかわいそうな弟や才能の割に小物な魔導の長を観察した。
 弟の狂気には気付かなかったけれど、魔導の長の心中には気付いていた。その上で彼は、己を疎んじる彼からさえ、いつかは信頼を得ようと努力した。儚い願いだけれど、確かに、高貴なタマシイだと言える。
 狂気と二心が綻んだ日、彼は咎を着せられた。あの困惑と絶望はとても美味だった。
 そして彼は弟の愛に暴かれて穿たれて、ソレでも怒りにうち震える事もなく、ただ哀しみで目を閉じて、憐れみで拒絶した。
 私は彼の美しい鼓動から溢れる紅い命が欲しい。
 咎を負った第一皇子は処刑される。
 心臓が欲しいなら、あの身体を無傷で貰わないと。思ったけど考えを変えた。
 愚かな男だけれど、あの弟の[しつら]えた処刑がなかなか見られないものだったから。
 1日掛けて、少しずつ切り刻むなんて、良い趣味だ。あれ程美しいものを破壊し尽くす、人間はそういうおぞましいものを、内心では望んでいるフシがある。
 全員そうなら奪うタマシイが減ってつまらないけれど、人類の半分が下衆な感情を隠しているのならソレはソレで良い塩梅だ。どのくらいアホが集まるか観てやろう。ただでさえ、水は低きに流れるのだ。


 投げた石は、障壁で弾かれる。
 どうしようもない男。他人に傷付けさせたくないのね。
 だけどホントウが見えない民草は見えるものだけ畏れる。この場合見えないものも込みか。第一皇子の遠大な力。魔人と呼ばれた男の魔力。ソレが嘲りを赦さないと。祟りを怖れて後ずさる者もいれば、己の正しさを声高に叫ぶものも。恐いからこそ、叫ばずにいられないのでしょうけど。引かぬものの蛮勇で、投石は時折為され、やはり弾かれる。嘲りを込めた卵も、辿り着く事無く弾けて、みえない壁を、殻の中身が滑る。
 視れば解る刻印。
 彼はもう魔導を振るえない。計り知れないソレを封じるもの。
 礫を防いでいるのは彼自身でなく、他者によって張られた障壁。
 だからこれは、弟皇子が命じた事。処刑以外で一切の傷を付けぬ為。刃は神聖なものでなくてはならないという指針。そういう建前かしら。滑稽な程わかりやすい。
 本当はきっとその刃だって己が振るいたい。あの肌を切り裂きたいと、深く願っている筈。


 最初に目を抉るなんて良いセンスだ。しかも、専用の器具。いつもどこかでこういう事が行われている証。取り乱す事のない彼の精神力は凄いと思うけれど、そんな道具が己の城の内にあったなんて、どんな気持ちかしら。出来る事ならからかってみたい。かわいそうな兄皇子。悲鳴を殺した強さの裏で、そういう些末な苦悩で傷付く人。そんな性分だからこんな死に方をする。多分そう。崇高で、人間らしくすらなくて、人でなしの魔人と呼ばれて畏れられ、遠巻きな思慕を受け、ただ導き手である事を求められた。孤独な一生。そして、まあまあ人間の中では短い。夭折と言って良いだろう。
 その感情に私は高揚する。揺らいだ魔力に弾かれた鳥が一斉に飛び立つ。カラスでもハゲタカでもなく、白いハト。なんて皮肉なのかしら。
 ヒト共がハトの嵐と砂埃に目を覆う。私には影響無い。折角だから、棄てられた目を拾っておいた。見事な緑眼。右の眼球。視神経に伝う血液を舐め取ると、哀しい味がした。そして耐えて耐えて押さえ込んだ寂しさのカケラを感じた。ソレはとてもおいしいもの。
 濁ってしまう前に、時間を凍らせて腹に納める。一息に飲み込む事だってなかなかの快感で、その続きを早くしてみたい。胃の腑のポケットは便利だ。私達魔族の臓器にあまり意味はないので、こういう使い方も出来る。食べたいものがあるときだけ、ヒトのような機能に切り替えれば良い。
 暖かい魔法の気配がする。頬を伝う血を拭い、真っ暗な眼窩を包帯で覆う。殺してしまわないように。1日命を保たせる為。
 微かな憔悴が感じられる彼の姿は美しかった。包帯の痛々しさと衣服に滲む血が映える。こんな男はなかなかいない。早く手に入れたいような、ずっとこのまま鑑賞していたいようなふわふわとした気持ちで眺める。
 最初の刃。それから10、そしてもう数えられない。剣を握るタコはあっても綺麗な爪の指が、繊細そうな手のひらが細切れにされていく。時折唱えられる呪文は、止血のみを行う特別な術式。こんなものまで用意して、人々の前で刻みたいとは。人間の感情は実に愉快だ。集まった人々の視線は様々で、御触書を真に受けて憎しみの目を向けるもの。半信半疑と物見遊山の間を行ったり来たりするもの。残酷さに顔を覆うもの。こんな事をしては神罰が、と呟く人もいるのだけれどソレならば見なければ良いものを。人間というのはわからないものだ。
 彼の身体が失われていく。私なら、複雑な術式の代償に使うけれど、どうするつもりなのかしら。
 たった一言の呪詛さえも、呻き声さえも、一切上げない彼の姿に、祈る者の数が勝る。
 苦しげな呼吸──声を出さない為の精一杯の苦痛の表現。刃が下ろされる度に、血糊が飛んで、短く吐息が乱れる。私にとってはソレも大切な糧だけど、処刑人にとっては違う様子だ。
 命乞いどころか一切の沈黙。上がる筈の悲鳴も飲み込んで、ただ残忍で緩慢な死を受け容れる。在りし日のように清廉に。
 ソレは微かな畏れを生んでいた。処刑人の瞳の底にある微細なソレ。だから隙があった。彼らの刃に私の存在を潜ませる。
 右腕を喪い、右脚を刻まれ、止血されては削がれ。血と肉片が刑場の白い玉砂利を濡らす。
 カラスが来たくても来れないのは、私のせい。私が将であるかのように控える彼らが少し可愛い。このような現象も、人々は勝手に解釈する。カラスさえも退く。その聖なる御心に。御触を出してさえ、人々の中には信じる者がいる。
 彼は咎無くて死すと。
 晩秋の光は弱い。ソレでも日が高くなると、詳細に場を照らす。
 削がれては落ちる身体の一部。
 もう印を切る指も剣を振るう腕もない。ソレがどこであったかも判らない人体の一部が磔の下に重なっている。
 脚だってこれで最後。何度も付け替えた刃が陽光を反射して、ソレが最期の一刀になった。
「そんな筈は」
 上がる魔導の者の声。
「いいえ、もうお命が尽きました」
 処刑人はそう言って、医者に判定を急がせた。
 刑場を去る処刑人の背中はとても憔悴していた。
 後に残されたスタッフは目が見付からない等と言いながら地面を処理し始め、やがて人々は少なくなり。
 晒された屍に祈り去る人、終わりの鐘を聞いて全てがなされた事を知り、祈りに来る人、隠れて花を捧げる人、そして次第に誰もいなくなり、赤い夕焼けが落ちてきた。


「まるで紅茶みたいね」
 私はつぶやいて羽ばたいた。自慢の白い羽根が散る。この羽毛は抜けているのではなく自動的に湧いて散らばるものだったりする。中々に見た目が良く悪い冗談のように出来過ぎているので気に入っている。
 彼の血、きっと紅茶に合うわ。
 私は浮かれていた。
 かわいそうな弟君をからかって、あとは回収するだけ。
 クライン。
 もうすぐ私のもの。
 浮かれてベンチ代わりに座っていた教会のシンボルから飛び降りて路地スレスレに浮かぶ。
「あら」
 女の子がいた。
 私の羽根をみて驚いている。
 泣き顔の女の子の瞳の動きに違和感があるのは、視力が弱いせい。
 そういえば、遺跡からサイバーウェアを持って来ていた。
 目なら余分にある。手の中にソレを呼び出し、女の子の色に合わせて虹彩を調節する。
「少し目を閉じて」
 視神経の役目を果たす繊維が女の子の瞼に接触する。
 そこで麻酔の術式を施し、融合を応用して眼球を入れ替える。
 女の子の両の眼窩に、サイバーアイが収まった。そしてその知覚に侵入する。
「もういいわ」
 素早く微調整して、その場を去る。
 アレなら80年は保つでしょう。この辺りの平均寿命なら十分な耐久年数。
「天使さま」
 女の子が私をそう呼んだ。よくあること。
 羽根が白ければ天使とか。人間はだから面白い。
 紅茶のように赤い空。
「素敵ね」
 思わず口にして羽ばたいた。
 散らした羽毛も紅茶に染まる。


□□


皇子さまが死んじゃうんだ
そう聞かされて
私は沢山泣いた
その日はすぐ来て
お母さんとお父さんは
決して外に出てはいけないって言った
見に行くって言ってた子もいた
その子のお母さんとお父さんは
ダメって言わなかったのかな
すこし
ふしぎだった
私みたいに
もし行ったって
なんにもわからない子でも
私のお母さんとお父さんは
見たらいけないって言ったのに
私の目は
もう皇子さまの顔も映さない
近く近くならわかるけれど
もう皇子さまが近くに来ることないってしってる
はじめから
見えないわけじゃなかった
目に病気が入って
治ったけれど
見えるちからは病気に取られたんだって
少しずつ見えなくなって
いつか暗くなるって
でも皇子さまの事は覚えてる
やさしい声もお顔も
まだもっと目がみえてた頃
皇子さまに会った
兵隊さんを引き連れて歩いてた皇子さまは
私を見付けて
膝をついて
私の顔をみた
その頃の私には
膝をつくというのがどういうことかわからなくて
お父さんが教えてくれた
やっぱり
やさしい人だと思った
帰るときとてもかなしい顔をしたけれど
私は嬉しかった
お母さんもお父さんも泣いてた
それはありがとうの涙
皇子さまは病気で形が変わった私の顔を戻してくれた
あたたかくてキラキラしてるのにまぶしくない
あの魔法の光はぜったいわすれない
だから
見えなくなる目を
止められなかったって
そんなこと
私たちは気にしてない
奇蹟はじゅうぶんにいただいた
お母さんとお父さんは
皇子さまの為に祈る
だから
あの人が死ぬ日は世界で一番かなしい日だった
私の目なんかみえなくなってもいい
顔だって前みたいにゆがんでもいい
だから皇子さまを殺さないで
どうして死なないといけないの
悪い人だなんて言わないで
石を投げたなんて聞きたくない
人でなしの魔人だなんていわないで
なにがおわったのかはわからないけど
そんなのしりたくないのに
終わりの鐘が鳴って
街が静かになって
紅茶のようにあかい夕焼けの夕方
そっと家を飛び出した
聞きたくない声に耳をふさいで
皇子さまとはじめて
そしてきっとそれが最後
あのときお話しした
教会に続く道を走った
細い道でごつごつした石もあってよく見えなくて何回も転んで
もう何回転んだのかわからないくらい転んだ時
羽根をみた
白い白い羽根が紅茶の空にフワフワしてて
私の目がソレは羽根だってわかったのは
地面に落ちたのを拾ったから
白くて綺麗な天使の羽根
ソレが天使の羽根だってわかったのは
綺麗なお姉さんの背中に白い羽根がはえてたから
綺麗な綺麗な天使さま
皇子さまと同じくらい
夜みたいなのに光ってる黒い髪も似てる
とうとくて綺麗だった
天使さまは私の泣いてる頬を撫でてくれて
とても綺麗なお顔で笑った
「少し目を閉じて」

「もういいわ」
目を開けたら
たくさんの羽根が見えた
高く
とおいのに
教会の天窓の模様まで
紅茶の空に流れる雲まで
気がついたら
だれもいない道に私は一人になってて
だから
天使さまはとうとい
私の目を
見えるようにしてくれた
皇子さまがもういないかなしさと
天使さまのおはからいにびっくりしたのとで
泣きながら
家に帰った

尊い方が召される時
奇蹟があるって
お父さんは言った
だけどこの事は誰にも言ってはいけないよ
私たちだけで秘密に祈りましょう
お母さんは言った
かわいそうな皇子さま
皇子さまは悪くない
天使さまが連れていったひとが
わるいひとのわけないよ
だから私は秘密をまもる
世界中に私だけになっても
皇子さまの為に祈ります


この日
琥珀に血を混ぜたような見事な夕焼けに
浮かぶ白い羽根をみたと
幾人かの子供達が口にした
親は子を抱き締め
祈ったという
そして
何に対して祈ったのか
その奇蹟は何であったのか
決して明かさぬよう
誓わせた
奇蹟などあってはいけないのだ
これから訪れる
この国の黄昏の前に
咎無くて死す者があってはならないのだ
だから僅かなその人々は
彼の為に口をつぐみ
彼の為に
密かに祈った


□□


 夕刻まで保たせるつもりだったのに、日の高いうちに奪われた。神は無慈悲である。どうあっても自分の味方では無いのだろう。
 無駄な出血を抑える為に、切断した端から回復魔法を掛け傷を塞いでしまう。失ったヶ所を再生することのない特殊な構成。ソレで、少しずつ、少しずつ削いでしまうつもりだった。
 首だけ残すつもりだったのに。
 半ばで潰えた。
 わからないが、恐らくこうだ。
 ──クラインに生きる意志がなかったから。
 もう生きていたくない。そんな顔で自分を見た気がする。
 最期まで、自分を──望んだ形で──愛さなかった兄。兄弟を恋人のように愛するなど、常なる道を歩くものには出来ない。だがソレがノルヴェールの絶望で、執着の根源だ。もし彼が、自分と同じ情愛で見てくれたら。この気持ちに応えてくれたら。
 生きる事を止めたように、魔導の手さえすり抜けて消えた命の器は、変わり無く美しかった。何も映さない左目には、微かに哀しい感情の残り香を感じる。そんな気がする。憤怒でも怨嗟でもない静謐なナニカ。締観と、そして絶望。
 兄は絶望して死んだ。少しはこの、自分の狂おしいものを理解してくれただろうか。愛されない絶望を。懇願しても得られぬ継承への絶望を。


「兄上」
 愛している。と呟く。
 何も返ってこないが、ソレはソレで良い。拒絶されるより。脱け殻でも、総てを手中に入れられるならソレで。もう涙を流すこともない瞳は、嫌悪の情を浮かべる事もない。
 初めて暴いた夜のように、襟の留め具を外して上着をはだける。袖の中の残りが少ないのでそれだけで上着が落ちてしまいそうだ。
 遺体を回収して、清めて、眼球を抉り出した痕を覆った包帯も新しくし、髪も整えた。わざわざ着せ直した服だ。白を基調とした礼装。凛々しい眼差しは戻らないが、ソレでも、誰よりも似合っていると思う。
 死して尚、綺麗なままでいられるのか。死装束の代わりに、咎を着せられたというのに。
 ──ご希望であれば剥製にでも仕立てて差し上げましょう。
 ──哀れな姿を晒せば、刃向かうものも頭を垂れるでしょう。
 つまらぬ男だと思う。
 抜いた内臓をどうするつもりだ。
 削いだ肉片も骨の欠片も、回収したのは知っている。[きよ]い心身を持つものの血肉は魔力を高める要素となる。難易度の高い術式の助けにもなると。兄にならその資格はあるだろう。
 内臓を。
 思うと身の内が熱くなった。この綺麗な肌を割いて、もう脈打つことのない心臓を取り出すのか。或いは空っぽの腸を。今ならまだ温かいだろうか。施した術式の為、これ以上、死後起こり得る変質が進む事もない。何故消化器官が空なのか。凌遅刑が美しく見えるようにだ。そしてノルヴェールが何を望むのかを。
 知られている。
 魔導師団長は総てを知っている。
 もういい。欲しいものは手に入った。アレはアレでしたいようにすればいい。
 私だって、したいようにするまでだ。
 まだ、抱き足りない。
 愛撫し易い配慮があるというなら、ソレに乗せられよう。思うままに喰らうまで。
 そして、この身体を処理して残すというなら、その過程も余さず観てやろう。予定どおりに処刑が進めば観られる筈だったもの。形式は違うが、構わない。
 解体。良い響きだと思う。犯しただけでは届かぬ奥まで開いて取り出す。冥い愉悦で達してしまいそうになる。
 生きているときの最初の一人にはなれなかった。恐らくソレは性魔術の手解きをした者であろう。きっと、灰翼教会の女だ。突き止めて、死なせてと泣き叫ぶまで死ねない程度に引き千切ってやる。潰すのが良いか。
「死んでからの……初めての者は私です」
 このまま、儚く少し哀しく、綺麗なまま残る肢体。
 ソレを押し開く最初の男は自分だ。
 昂りに震えがくる。
「貴方にはこの程度が相応しいわ」
 あるはずのない、少女の声。
 たった一言が美しく、卑しからざるものだとわからせてくる。そんな声色だった。
「何者か!」
 立て掛けた剣に手をのばす。
 しかし薄暗い部屋に浮かぶのは羽根だけだった。
 白く輝くおびただしい羽毛が空間を満たし、息苦しさを感じる程だった。やがてソレは向こうが透けて見え、更に薄くなり消えた。
 2秒前まで積もった羽根があった場所に残されたのは見事な緑眼。
 狂おしい程愛する人の、ソレはきっと右の目だ。


 回収出来なかった右目。そんな報告を聞いた。
「兄上、兄上兄上」
 不自然な程瑞々しいソレに疑問を感じる心もない。
 亡骸までもがこの手をすり抜ける。
 神はどこまでも、清廉なあの人の味方なのか。
 親さえ葬って、帝国まで奪い取って、手に入れたのは眼球一つ。薄闇の中で、撫でて、口付けて、告げる。
「それでも私は貴方を愛している」


「馬鹿な男ね」
 哄笑を忍ばせ彼女はつぶやく。
 散々好きにしたのだからもう良いでしょう、と嘲笑う。
 捕らえて切り刻むまでの間、あれだけ蹂躙しておいてこれ以上何をしようというのか。呆れる欲深さ。
 魔族の己が驚く程の深く冥い感情。執着。
 全く人間は飽きのこないイキモノである。実に、養殖のし甲斐がある。
 養殖。
 この魔族の娘だけでなく大抵の者はそういう認識だ。世界の大部分を人の世が蔓延るままにしている。直接人間牧場などを手掛ける者は少ないが、兎に角こんな面白いイキモノを繁栄させない意味がわからない。そう思った上での奢り高ぶった認識。
 ──それほど奢りでもないと思うけど。
 娘は既に興味を失った壮麗な建造物を冷えた目で眺める。今の人類の力で、魔族を下す事など出来はしない。
 出来そうな奴を自分で摘んじゃうくらいアホだしね、と付け足しておく。
 手足くらいはくれてやっても良いけれど、これ以上は譲れない。
 予定より早く命の灯が消えたとか本当に素直に騙されてくれた。人間の認識に割り込むくらい雑作もない。
 死してさえ愛執の対象に精を注ぎたいとはなかなか良い趣味をしていた。
 だがソレを観察するより悦びの頂点で掠め取る方がずっと愉しい。
 だからそうしたまで。
 遂に娘は声に出して笑った。
 おかしくて笑う。そんな動作さえどことなく品を感じる美しい娘。
「愚かね」
 きっとあの眼球を後生大事にするであろう、かわいそうな男を見下すように景色を眺める。
 そして、月夜に沈む城の尖塔へ羽根を撒き散らし消え去る。
 その羽根は白く輝いてみえる。
 羽毛はしばらく宙を舞い、やがて夜風に溶けるように消えた。


「さあ仮初めの死から還りなさい」
 もの言わぬ屍に口付ける。
 ──待っていたのよ。
 ──その美しい姿を。
 ──穢されることのない高貴なタマシイを。
 白い羽根が舞い散る。
 魔力の奔流に、娘の長い黒髪が流れる。
 哀れな彼が落ちて来るのを待っていたこの賢しき娘の名はアトロフィー。
 白き肌、白き羽根を持つ魔族の姫である。

 (1stup→210715thu) clap∬

 奇跡的にw 続いたのでタイトルに『上』を追加。
 (210812thu)


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