■black-in-truth 下

 魔力が満ちる。
 娘の長い黒髪がそよいで燐光を帯びる。スミレを絞り殺した嘆きの淡い色彩にアクアマリンを砕き事切れる絶叫を溶かした、そんな光。光は白い翼も覆い、美しい爪の先を巡り、その彩りを塗り替える。無色の光沢と清楚な白いレースを思わせる縁取りを、鳩羽の黄昏に。幾分か伸びた指先が、更に精緻に、優雅に変わる。少女らしいデザインの編み上げリボンが包む脚も光が撫でると変化を遂げる。大人の女の品位を備えたブーツの寸法は、丈長くなり、より[あで]やかに育った脚線を引き立てる。どこか可愛らしさを残した襟ぐりから豊かさと柔らかさを誇示していた胸の双丘も、はっきりとした変化を以て膨らむ。ソレを包む上衣はもはや控え目なフリルではなく、所々白金の装飾で継がれた黒革となった。誇示せずとも目を惹いてしまう、美貌は鮮烈であり同時に静謐だった。
 麗しき姫は、少女から女へと、羽化するように移り変わった。
 ──愉しみましょう。統て、尽きるまで。
 睡りから目覚めようとする彼の為に微笑む。
 その[おもて]は、女であっても、変わらず透明な瑞々しさを湛えた花だった。


 美しい女だった。こんな出遭いでなければ、ひっそりと盗み見ていたい。自分だって若い男だ、誰にも信じられなくても、劣情くらいある。そんなに潔白だと思わないで欲しかった。ソレは少し息苦しかった。そう生きる事自体が生業であった。ソレで終わった人生だった。
 それなのに、自分は息をしている。気を抜くと呻いてしまいそうな痛みも、生きてこそだ。抉られた右目の代わりに左目から水滴が伝う。情けないが涙だ。あまりの疼痛に、意志に反してこぼれてしまう。手があれば触れている。そして体を二つに折って苦しむ。そんなトコロか。
 白い翼に黒い髪の映える女。
 背丈は自分とそう変わらない。まあ、かつて脚があった頃の寸法だが。
 蔦に埋もれた旧世界の遺跡。その一室。発掘調査の視察で来たことがあったか。
 かつては高くそびえ、おびただしい数の窓を、今の技術では生むことの出来ない上質なガラスで覆っていたという。
 死した己を起こした女。常なるものである筈がない。強者を示す圧倒的な魔力は目映い程だ。
「魔族」
「判っていただけて光栄だわ。皇子様」
「……私、は、もう、何者でもな、い」
 無理に起き上がろうとしてみたが無駄だった。息が詰まる激痛に弄ばれただけだった。
 シーツの代わりに蔦が這う、旧い世界ではテーブルだっただろう葛の葉の褥にただ転がる。
「だから、ど、う……黄泉還……ら、せよ、うとお……前の期待、に……は添え……ない」
「生き返ってなんかないわよ。あと、貴方のいない貴方の国なんて興味ない」
 どういうつもりなのか。魔族は気紛れで国を欲する事がある。喰う為か、単に攻略が愉しいだけか。そうでないなら、この女は何をしたかったのか。蘇生していないとはどういうことか。
「確かに貴方は死に掛けだったけど、死んではいなかったのよ。私が割り込みを掛けて、命の灯が消えたと思わせただけ。貴方は死よりも深く睡っていただけ」
 魔族の女は美しい爪の指で、クラインの前髪を梳いた。
「そんなに怖い顔をしないで」
 激情に駆られそうになる。だからといって何が出来るという事もないのだが。
「厳しい顔も綺麗ね。とても好きよ」
 許可なく勝手に頬を撫でる。手があれば、振り払っている。近い顔は目眩がしそうなくらい綺麗だが、相手は魔族だ。全く嬉しくない。
「一連の出来事が、私達魔族の仕組んだ事だったなら、もう少し貴方は浮かばれたかしら」
「……」
 会話するまでもない。魔導師団長は乱心し、弟は狂気に駆られた。ただソレだけだ。敬愛する帝を失った事も心に寂しく突き刺さる。何者かに召喚されたあのような異形に、一瞬にして引き裂かれ喰われた。陛下こそ誰より辛かった筈だ。弟の事も、うっすらと察していたかもしれない。
「私はね、貴方が落ちてくるのを待っていただけよ。美しいひとが好きなの。心まで」
「他を当たってくれ」
 この心など何の価値もない。誰を止めることも叶わなかった。
「いいえ貴方が良いの。私のもの。待っていたのよ。愉しみましょう」
「もう私には、こうして、息を……すること……しか出来な、い。折角……生き……餌とした、よ、うだがそう……先……も長くは……ないだろ……う」
 割れながらも残った、旧いガラスに映る己。右目の位置の包帯、二の腕の半ばから失われた腕、大腿の半ばから存在しない脚。無理矢理着せられた衣服で見えないが、目と同じ包帯できつく縛られている。
「四肢を無、くしては……もう自分を養う、事、すら出来ない。だんだん死ん……でいくだけだ」
「悲観的ね」
「それとも、こ、うしてヒトが……少しずつ……朽ちていく様を、眺め……る嗜、みでもあるの、か」
「バカ言わないで。貴方を腐らせるなんて勿体無い。手足をくれてやったのも譲歩よ、譲歩」
 そして蠱惑的に微笑む。
「貴方のこの、髪の一筋さえ、本当は渡したくなかったのよ。そうだわ。感謝してもらいたいくらい」
 抵抗出来ない事を知りつつこんな事まで言う。
「キスしても良いかしら」
 痛みを忘れる程の柔らかさ、己を忘れそうな甘さだったが耐え抜いた。
「そんなにイヤそうな顔をしないで、身体は美味しいと言っているでしょう」
 精気の交歓か。強引な。肌が粟立つ。
「犯されたのは、そんなに怖かったの?」
 心が折れそうになる。無意識に触れた所から、女の精気を奪ってしまう。衰弱が激しいからか、ひとりでに性魔術が発動しようとし、脊髄を砕かれたような痛みに気が遠くなる。
「可愛い顔ね。でもかわいそう。その刻印、ほどいてあげるわ」
「いやだ」
 深いキスを拒んでもどうにもならない。この女を斬り伏せる腕はもう無い。
 抱き締められると切断された傷痕が痛んだ。今はまだ、痛みが勝っている。でも、どうなるのだろう。また無理矢理暴かれるのか。胸が刺されたように痛い。ノルヴェール、どうして。
「さっき言ったでしょう。私に感謝、してもらいたいって」
 優しい手つきで、上着を脱がす。本来下に着込む筈の防具が無いので簡単に肌を露わにされてしまう。そして、失われたという事実も。両腕の包帯が、そのことを突き付ける。
「彼、貴方の死体を抱こうとしたのよ」
「……!」
 ただでさえ精彩を欠いているだろうが、自分の顔は紙より白い筈だ。
 どうして、と今でも思う。
 そして悔恨に引き裂かれる。
「そんな暗い顔しないで。寸止めイエすんでのトコロで拐ったのよ」
 弟は更なる狂気に至らずに済んだのか。そう思っていよう。
「ソレでね、たったひとつ手に入ったのは、愛した人の右目」
「お前」
「また怖い顔。屍姦されるよりマシでしょう」
 ──口に含むくらいはするかもしれないけど。
 酷い女だ。そんな言葉で成す術もない自分をからかってくる。いやだ。もうノルヴェールに、触れられたくない。
「!」
 近付く女の顔。白く、気品があった。
「……っ」
 痛いのか、熱いのかわからない。残った左目の感触。
「綺麗な涙ね。飲んでしまいたいわ」
 ヘビかのように舌をのぞかせ、見せ付けて笑う。眼球を舐められた。異物感に、涙が止まらない。
「赤い血も似合うけれど、涙も映えるのね。可愛い」
 目尻の涙を吸われて、同時に精気が奪われたのもわかる。得体の知れない快感。死に近付く安堵かもしれない。こうして、魔族の糧となっていくのか。
 暴いた肌の胸を綺麗な爪が這う。胸の先を撫でられるのはとても嫌だった。ある筈のない手を上げようとしたら、包帯の二の腕が軋んだ。白地に赤い染みが出来、そして滴り落ちる。
「乱暴に動いたら、傷が開くわよ」
 触れられたくない先端を、彼女の指が摘まみ、微かに爪を立て、撫でられる。あのときの甘噛みのようだった。嫌だった。
「綺麗ね。あんな男に暴かれたなんて勿体無い。最初から奪えば良かったかしら」
 舐められるとか死んでも嫌だ。そうされてどうなったか、思い出したくもない。だが、自分は死ぬ事も出来ず、抗う術の無いまま陵辱されている。痛みの方に集中して、彼女の愛撫を流そうとする。
「女の子みたいに可愛い色。お姫様になれば良かったのに」
 勝手な台詞に、勝手な動き、ソレに胸を弄ばれて呻いてしまう。こんなのは開いた傷のせいだと心に言い聞かせる。こんな事で、こんな事で達してしまいたくない。
「貴方の泣き顔、堪らないわ」
 勝手に顎を持ち上げて、勝手にキスして絡み付く。逃げているのか、絡ませ合っているのか、分からなくなる。いつの間にか痛みが遠のいて、思い出した時だけ、激しい鼓動が一拍、身体を震わせた。
 そして胸の先以上に触れられたくない場所へ指が降りていく。何をされるのかわかっていても、女の手を掴む手がない。


「お姫様みたいな顔をしていても、しっかりと男ね」
 そろそろと、触れるか触れないかの指が、茎を這い回る。
 うっすらと濡れた箇所に爪が触れる。四肢のない胴が跳ね上がる。
 女はクラインをゆっくり抱き締めると、下腹でくねらせていた指を舐めた。その仕草は美しかった。そして、最も厳重に刻印がなされている首を撫で、左胸にたどり着き刺す。
 細い刃物のような形状となった女の爪が、つい、と肌を越し、しなやかな肉に潜り込み、脈打つものを捕らえた。
「刻印を[ほど]いてあげる。貴方の命が解けるその血潮で」
「ぁ……」
 爪が触れる。大切な奥を、鋭い痛みと、被虐感が刺し貫く。
 ゆっくりと、女の、あの綺麗な爪が通る。ソレを感じる。長くも、甘美な一瞬。
「ぅぁ」
 さくり、爪が心臓を貫く。胴を貫通しない程度で止めて、その感触を楽しむ。貫いた瞬間、拍動とは違う動きで心臓が大きく震え、ソレが堪らなく快感だった。呼吸を微かに荒くして、光の失われた瞳を覗き込む。少しずつ涙が乾いていく。微かに開いた唇から、血が伝い、白い衣装を汚す。
「ぁ」
 死んでいるのに、まるで達し切ったカラダのように微かな声を聞いた。支える力が無くなって、弛緩がもたらした空気の動きだ。
 この、死して尚快楽に踊らされているかのような肢体が、この上無く昂りを招く。
 鬱々と真面目そうな素振りだが、こんなに可愛いなんて、と嬉しくなる。
 彼は確かに、心臓を刺される、その行為に悦びを得ていた。されるがままに、貫かれる。たった一度の大きな快楽。替えの効かない臓器の中を貫く取り返しの付かない刃。美しい人の指、爪。一拍だけの大きな痙攣。刺されて命が解ける。死んでいく、弛緩する。しどけなく、死を浴びて、瞳が濁っていく。貫かれる快感に、命まで明け渡して。
 ソレは淫靡な匂いの交わりだった。
 ソレは心までもが蕩けそうな、血潮の味だった。
 女の魔力が満ちる。髪がそよいで、羽が踊るように浮かび、降り積もる。
 彼の胸を穿つ小さな創に口付ける。彼女の銀灰色の瞳が紫暗の燐光を帯びる。満ちる魔力も同じ色彩を放ち、彼の身体を縛る刻印を消していく。同時に、穿ったその痕が、滑らかな肌に戻ってゆく。


 ソレは抗えない快楽だった。強引でなく、奪われていると感じない、優しい感触だった。肌の下の組織も、奥に眠る心臓もその暖かさで突き刺された隙間を閉じていく。白かった肌に血の気が戻り、血液が正常に送り出される。心臓が再生し、拍動を起こし始めたからだ。
 呼吸をしても、絶望的な痛みを感じない。
 僅かな量だが精気の交歓を行ったが故の喪失感はあっても、痛みが増すことはなかった。
 首輪に隠れた刻印を指で辿る。
「しぶとい封印ね」
 執拗に指先で撫でられると声が出そうになる。嫌だ。
「コレは可愛いけれど外すしかないわね」
 刃と成りうる爪の先で、重なる革を断ち切る。首輪は葛の葉に受け止められ、埋もれていく。もう必要の無い戒めだ。視界から消えるに任せる。
「彼は本当に扱いが荒いのね。傷がすこし、残ってる」
 首輪のあった辺りの小さな痛み。乱暴に引かれていたから首輪との摩擦で出来た痕だろう。
「綺麗な肌が勿体無い。消してあげるわ」
 そしてまた、許可なく口付けられる。戒めで出来た傷痕を、彼女の唇が、舌が執拗に往復し、撫でる。それまでの痛みが霧散して、快感に連れ去られそうになる。意識が薄れて、四肢が無いなりに入れていた身体の力が抜けていく。
「まだ、気を失っては、ダメよ」
 彼女が蠱惑的な微笑でささやく。
「ちゃんと気持ち良くなって、私に奪われて、ソレを感じて、私のものになるの」


 鼓動を止める事も動かす事も思うがままである。こうして精気を与え、己で満たして、最期にはまた吸い尽くす。そうしたいと思っていた。
 愚かなあの男は、ずっと、一つしかない眼球を愛せばいい。この身体から夢のように赤いものを送り出す心臓を、綺麗な声を作る肺を、掴み出すのはこの私。柔らかく温かい身の内を、幾種もの臓器を愛でて、味わいたい。
 そうして喰らい尽くした空っぽカラダにまた、精を満たしたい。
 お気に入りの可愛い人。殺すのはとても楽しい。
 だって死ぬって一回しかないから。
 その死を快楽にするなんて、素敵と思わない?


 なのに、予想外の事が起きた。
 私に奪われているだけの彼。
 ただ喰われていくだけの対象が、私を浸食する。息も絶え絶えに乱され、時折壊れてしまいそうに歪む拍動でありながら、私を奪おうとする。間合いを取る脚も剣を振るう腕も喪っているのに、私を切り刻もうとする。
 喰らった精気で紡いだ魔力。ソレで強く絡んだ呪を解いた。
 私に身体を好きにされて、その心が抗う程に傷付いて事切れそうな姿がたまらなかった。そんなしどけない素振りで、相反して満ちる清廉な力。私のものでない、別の魔力。


 女の絶妙な曲線を持った脚の付け根、しろく美しい下腹の真下には、赤黒い肉で出来た器官があった。信じ難い体積を持った剛直。その先端は長さや径に違わぬ大きく張った傘状であり、ナニカの水分によって濡れていた。男でもないのに、精を吐くつもりなのか。魔族というのは不可解な生態である。そうであったとしてもおかしくはない。


「……何、を」
 思わず口に出してしまう。押し開かれた恐怖が記憶から滲み出して、火照った肌が白くなる。
「コレでナニをするかなんて、聞くつもり? 賢しい貴方がしらない筈ないわ」
 労るように頬を撫で、同じ指先で己のソレに触れる。透明で、得体の知れない液体にまみれて、滑らせた指に、淫靡な音を与える。驚いた事に、ただでさえ信じ難い体積だったソレは霞んだ視界にもはっきりわかる程変化した。丈はヘビのように鎌首をもたげ、茎は根を張るように節くれ立った。その硬さを誇示するように女の指は力を込めて触れ、握る。彼女の細い指は回らない。
 なんて姿だ。
 あんなものを挿れられたら、
 腹の底が熱い。知りたくなどなかった感触が忌まわしく、神経を撫でる。
 怯えている筈なのに、鼓動が大き過ぎて、おかしいと思う。
 今、アレでされたら、きっと自分は壊れる。
「ぃ、っ、……あ」
 嫌だと、言わせてもらえなかった。
 そんな言葉の欠片さえ、彼女は、彼の統てを奪う。
「あ、あ、……ぁ」
 優しげな笑みは、見る者を安心させる。だけど、彼女のしている事は、背徳極まりなく残酷だ。
 一突き目から、全部。奥まで挿した。
「うあ」
 痛みも、快楽も、入ってくる量が多すぎる。知覚を絡め取られて、折角蘇生した心臓も、不審に震える。突かれる毎に、拍動に甘い電気が刺さる。心臓を弄ぶその感覚に、死をイメージする。あと何回、きもちよくされたら、こわれるんだろう。
 ひくん、と身体が震えて、なにもみえなく、なる。まるで刺のある蔓で絞められているみたいに、心臓が、ぎゅっと、鋭く、痛む。ドロドロと、快楽と溶け合った苦痛。
 突かれて、突かれて、頭の後ろが、痺れたようにもなる。
 脳は融けて、心臓は締め上げられて、ゆっくり、死んでいくのが、わかる。


 圧迫感が酷い。異様な体積に拡げられた身体が痛い。
「痛……ぁ、苦、し……」
 ソレだけだと、思いたいのに。
「……良いでしょう……コレで堕ちなかった男はいないのよ」
「……悪趣、味」
「私は魔族なのよ……っ……良いわ」
「……っぁ」
「忌まわしい事程、愉悦になるのよ」
 一緒に、と目を細めて、彼女は深く、腰を使った。
「良いわ、貴方の身体」
 そこに触れられたくないと思っても、抗う手段が無い。中身の無い袖が揺れる。
「いやだ」
「やっと言ったわね」
 嬉しげに額の髪を払い笑みを浮かべる。
「ぁ……いやだ……も、……やめ……」
「これが、好きなのね」
「ひ、あ」
 心が蕩けていく。
 打ち付けられると、抗いようもなく、身体が開いていく。
 傷痕に、何か取り返しのつかない蜜のようなものが入り込んでくる。
 快感で、快感で、
 続きを、もっとして欲しかった。


 強引にねじ込まれ括られていた。そうまでして抑え付ける必要が、きっとあった。畏れられはしたが、ソレ故慕われる事も難しかったのかもしれない。父母から譲り受けた魔力を、忌まわしいと思った事はない。護る為に不可欠だった。辛くは無いが、時折重く、心に隙間があるような気がした。寂しさだと言って良いなら赦されたい。もう何者でもない自分ならば。
 弟を、重臣を、狂わせたのなら、呪わしい力か。そうではない。己を強くして、多くを救ってきた自負がある。微かな寂寥など、軽い代償だった。
 息苦しい程の刻印を、女は容易く融解せしめた。
 ヒトが思い付く限り厳重に施した封を、戯れで解く。
 稀な方法で快感を突き立てる。
 嫌だった。もう受け取りたくない。
 だけど封から解かれた魔力は意志に反して編まれていく。足りなければ、押し付けられた快楽まで奪って。交わりで繋がっているからこそ、近い。距離が無い。タマシイが触れる。
 己を奪って悦に入り、微笑む彼女から、奪い取りさえする。
 もう生き延びる意味も無くしたというのに、経験だけが独り歩きして、かつてのように、再び戦う力を、得ようとしている。
 そんなに自分は、戦うことしかしらないのか。
 何故かとても、傷付いた気がする。理不尽な快感で意識は無くなりそうなのに、傷が癒えた──ソレだって無理矢理蘇生させられた──筈の心臓にナニカが刺さった。


「……なんて男なの? 私の存在≠喰ったわね」
 魔族の存在≠削り取るなどあってはならないことだ。いかに魔人と呼ばれようともたかだか人間の男である。その物理的な強さになど意義を見出だしていなかったアトロフィーだが、さすがにうろたえた。2秒して、ひっそりと笑う。面白いからだ。
「本当に貴方の帝国は愚かね。貴方を君臨させておけば世界でも手に入れられたでしょうに。ありもしない咎で追い落とすとか。どうかしているわ。
 本当にあの男、貴方と同じ遺伝子……血を持っているの?」
 愛した人を汚して殺すとか──人としては──どうかしている。いや、殺してから汚したのか、両方だったか。まあそんなのはどっちでもいい。それはそれは見事に狂った人の子。
「完全に鬼子じゃない」
「そんなこと……」
 苦しい息の下で彼は言った。
「大事だ……私の弟だ……」
「本当は従弟なんでしょう? 貴方貰い子なんでしょう? あの男実は妾腹の子とか?」
「っ……陛下を愚弄するな」
「なによ殺る気? これ以上私を喰ったら人間おわるわよ」
「……そんなこと、しるか……」
「大体皇族でしょう。妾いたって良いでしょうに」
「……そうじゃない」
「何よ。あまり無理しない方が良いわ。素直に気持ち良くなった方が消耗しないわよ。さっきみたいに」
「……っ……お前が、言うな……」
 弱々しいが精一杯、眼光が険しくなる。
「ノルヴェールが、弟が……妾腹の子だったとして……ソレならば陛下はその生母を側に呼ぶ」
 どうでもいい話題だが、一応聞いてあげるアトロフィーである。
「子だけ……成して捨……て置いたり、しない筈だ」
「あらそう。良い人って言いたいって事?」
「そうだ」
「アレを育てた男なのよ。貴方を凌辱した男」
 ──貴方を、陥れた。
「お前にはわからない」
「わからないわね」
 別にわかりたくないし。
「……咎があるならば、陛下で……も弟でもない」
「魔導師団長の事?」
「! ……そうじゃない。ソレだって……」
 ──私の。
 その言葉に彼女は心底呆れた。
「何ですって」
「うるさい……」
 目が、見えていない様子だ。
 放っておいたら真の死を迎えてしまいそうだ。
 魔の者がもたらす過ぎた快楽は人の命を削る。
「貴方は咎無くて死んだのよ。それを」
「そんなことない……」
 見えない目で無理に見ようとする。その姿は儚く美しかった。
「……ハリストフォール……いつか、チェスをまた」
 彼を抑えられなかった己を悔いる。哀しげな言葉にアトロフィーは打ちのめされた。
「ノル……気付いてやれなくて」
 勿論罪悪感などではない。別にクラインを陥れようと策を弄したワケでなし、手中に入れようと張っていただけだ。そもそも魔族は痛むような良心など持ち合わせていない。
 ──お前を咎人にしてしまった。
 そして綺麗な声も紡げなくなる。
「……俺のせいだ……ごめん」


「貴方は何を言っているの?」


 だから彼女は彼を繋ぎ止めた。


「呆れたお人好しね」
「……そんなことない」
「黙りなさい」
「っ!」
「痛いでしょう……でも、私は快感に揺さぶられる姿の方が好きよ」
 血の気の無い頬に涙が伝う。
 失われた筈の手が強く握り締められる気配がして、その肌は薄赤く染まる。
「狂ってしまうならソレも良い」
「……っ……ぁ……」
「もっと悲鳴が聞きたいわ。解かれた貴方は可愛らしかった」
「……嫌だ……」
「そんなに弟が怖いの? 可愛い」
 何度目か。もう忘れたが口付ける。
 拒絶仕切れないのが心地好い。冥い愉悦。
「泣いても良いのよ」
 強靭であれと覆った心中に、幾重にも折り込まれた絶望と過剰な罪の意識に滑り込む。
「このまま死なせるなんてつまらない」
 何も言えない彼に絡み付く。
 押し開く。
 美しい女が男を突き挿す事で犯し抜く。
 異様な光景。
 魔族の美姫の愉悦が、彼の心を解いていく。
「ニエにするのだって惜しいくらい」
 ──好きに生きるといいわ。
「無くなった手足は私があげる。その瞳も。もっと便利に。良いでしょう」
 同意など求めている筈もなく、彼女は折り込んだ空間に仕舞ったソレを取り出し融合させる。
 浸食融合の恐怖にも取り乱さない彼の精神力は大したものだと思う。
「こんな事もあろうかと遺跡から持ってきたのよ。同規格のもの一応人間の仔で作動させてるから問題ない筈よ」
 なのにどうしてこうも人が良いのか。弟は愚かとしか言い表せなかったが、この男は何と呼べば良いのか。
「痛みには耐え切ってしまうから何をしても気持ち良い回路にしてあげたわ」
 まあ先は長い。どう評するかは今決めなくても良い。そして今夜だってまだ残っている。空が白むまでまだ長い。
夜中[よじゅう]貴方の悲鳴、聞きたいわ。もっと啼いて」
 機械的な融合と魔力による浸食で、失われた筈の四肢が脳と繋がれていく。
 麻酔が無ければ激しい異物感と痛みに苦しむ筈。ソレを彼女は快感に置き換えた。
 その上で、魔族の貴種であるが故の器官を以て深く突いてしまう。奥まで。ヒトには辿れないそんな場所まで愛撫して、毒のような甘い愉悦を流し込む。孕むことのない精だが、ソレは熱くタマシイまで犯して揺さぶる。精気の交歓。灰翼教会の神官として性魔術の心得がある彼は、無意識のうちに彼女の精気を奪い、また受け渡してしてしまう。
「こんなに解けて蕩けた貴方をみたのは私だけね」
 高貴なタマシイの持ち主を、こうまで融かしてしまう。ソレは何よりの愉悦だ。


「ねえユーリカ」
「……その……名で……」
 昇り詰め過ぎて苦し気な頬を撫でる。
 きもちいいでしょう。
 ほくそ笑む。
「……名前……呼ぶな……」
 撫でられただけで伝った涙が嬉しい。おとなしそうな顔をして意外に男のプライドみたいなものが高かったりする。そういうタイプ。悔しさと、陥落してしまった己への絶望感。
 なんて美味しいタマシイなのかしら。
 比類無き強さの奥に詰まった繊細さがとても美味だった。
「皇族でなく、貴方個人を表す名。幼名でもあるのね」
「ひ、ぐ」
 もう暴かないで。心が悲鳴を上げるが。彼女は無慈悲にソレを味わう。
 身体は快楽に開き切って、繋がったばかりの手足が彼女を抱き締めようとする。
「いいわ。触れても良いわ。耐えられないなら私の羽根をむしっても」
 元の姿と遜色ないすらりとした綺麗な腕が、女を抱き締める。
「ユーリカ」
 返すのは、喘ぎ声と言って遜色ない吐息。
「ユーリカ。好きよ」
 愛してなどいないが、とても気に入った。
「ねえユーリカ。きもちいい?」
 少しの躊躇いと微かな同意。彼女に取って何よりの愉悦。侵し難い清廉さに覆われ立っていた。そんな彼を落とした。
「ユーリカ好きよ」
 最初に犯して知った弱いトコロを遠慮なく食む。形の良い敏感な耳。時間を掛けてゆっくりと甘噛みを繰り返して舌を入れる。
 その声に、下腹部が熱くなり、彼の腹の中を圧して脈打つ。
 それはもう、助けを請うような吐息と悲鳴で、彼女の嗜虐心をしっとりと満たした。
「アトロフィー」
 彼の緑眼をみる。快感に蹂躙されて、少し濁っている。当然だ。マトモなヒトならば死に至る交歓だから。
 彼女の銀灰色の瞳が一瞬違う色をみせて、そして笑む。
「私の名前よ」
 ──呼ぶのを赦すわ。
「……アトロフィー……」
 ──貴方は特別よ。
 そして一瞬彼の背に、透き通った羽根が薄く輝いた。
 彼女とは違う姿のソレだが羽ばたくと白い羽根が散った。
 濃い魔力を注がれて、彼の意識はもう曖昧になってしまう。
「アトロフィー……」
 時折うわ言のように彼女の名を呼んで、ソレはいつしか甘いものを孕む。
 まるで恋人のように。
 そして彼女が望んだように夜が明けるまで、彼は彼女を悦ばせた。


□□


 呆れた男。
 殺されずにいられたら覇王となれたであろう稀有な魔力。
 危うさを秘めた静謐な姿。見事な緑眼。人を惹き付ける素養。
 聡明で清廉、時には酷薄な程の英断も、自ら粛清の刃さえ下ろせるその技。胆力。
 備わった力の使い途もしらないなんて。
 このまま無垢に死なれても何も盛り上らない。
 だから、
 綺麗なまま、汚れていけばいい。
 憐れな誰かを、這いずり回って救うとか。
 おぞましいものを、[]き尽くすとか。
 どんなに汚れようとしても、綺麗なまま。


「好きに生きれば良いわ」


□□


現帝が壊れてしまっているエフタルには冥い影が差している

その中で市井の人々の間に
あるウワサ? が
かつて処刑された兄皇子
ソレは悪魔にその崇高なタマシイを狙われたが故の計略
かわいそうなその人のタマシイは悪魔の手に落ちる寸前で
奇跡が起こり淡き翼を持つ者に生まれ変わった
いつか天使がこの暗雲を払ってくれるだろう
だからこの日々を耐えよう
彼が救ってくれる時まで


□□


壊れてしまったエフタル
いつか誰かに滅ぼされる
もうその方が良い
誰とはなしにつぶやかれる
不平を聞かれれば
命を取られる
だけどソレでもいい
今日にも明日にも
もうここには希望など芽吹かない
咲く事の無い花を
実る事の無い穂を
植え続ける
侘しいだけの生
ならばいっそと
心弱き民は思う


[いさか]いが絶えなければ
潤う者もある
ヒトの負を喰らう異形
ソレを狩る者
混迷の中少しでも利を掠め取る
その為の手駒
公の兵力では足らず
傭兵だけが宿場で賑わう
数年前までは清涼な避暑地であったその街も
今は濁った明かりを灯す
いつか誰かに滅ぼされる前に
いただける物は貰っておこう
勝者がはっきりするまでは
殺し合いが続くだろう
寧ろこのまま延々と
燻り続けていてくれれば
我々に取っては良い食い扶持であると
豪語する者さえいる
だがそんな冒険者と言うには擦れ過ぎた彼らの間で
奇妙なウワサがあった
その男は帝国を終わらせようと
密なるを以て死人さえ操り暗躍する
統一の力を示したある領主の首を刈り
神の名の元に年若き者を略取し色に没頭した司教を灰に変えた
異形という異形はたとえ愛玩向きの幼生であっても殺滅する
そいつは優秀なネクロマンサーでもあり
傭兵仲間からも敬遠される薄暗い男であった
時折チラリと見える横顔は干からびた爺さんではなく存外若い
どこかで見たような緑眼
そんな気がするのは
きっと気のせいだ……

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