■domine-domine seil:12 腕の中 01

「それなら大丈夫」
 クラインはさらりと口にした。
「もうないから」
 わかってはいたが、本人からはっきりそうだと告げられると、心がざわついた。大きく表情を変えれば、また気遣わせてしまう。不甲斐無い自分がつくづく嫌になる瞬間だ。


 提督が攫われた。
 報告を聞いて、俺はめまいがしそうになり、耐えた。2秒して、目の当たりにしたらしいその士官が、取り乱した言葉足らずを訂正するまで、動悸を隠す術をひたすら探した。
 彼がいなくなれば、次席的な俺が艦隊をまとめなければならない。個人の不安や恐怖など持つことは許されない。アミはやく出世してくれ、誤報? に撫で下ろした胸中で、多少くだけたぼやきを抱いても良いだろう。そのくらいは、赦して欲しい。
 覚悟が出来ていない訳はない。先任や艦長、当時佐官ですらなかったクラインも、提督を失った事があるという。そういうもんだ。場を治める訓練も、繰り返し、叩き込まれた。その日が来れば、出来るだろう。いや、やる。俺は軍人だ。副官としての責務を全うする。
 ソレが、職の上での総てだ。


 だけど、俺は、ジョス、と呼ばれる俺は多分ダメだ。
 あの人を喪うなんて、俺は、その震えを隠せるのか。


 だから俺の内心は穏やかでなかった。同僚の底がしれない笑顔をみても、癒えることができなかった。
 何といえばいいのか、憤りか。
 いかにして下すかではなく、いかにして、赦すか。考える葦が辿り着く標。
 俺は神を畏れているが、この言葉を記した賢人と、同じ道は行けない。戦で糧を得るから、ではない。まあ、確かに天国になど行けそうにはないが。違う。
 気持ちがそうさせない。
 俺は変わったのか。知っただけなのか。わからないが、心は掻き乱されたままだ。


 提督は戻ってきた。そもそも、未遂に終わっただけで、拉致などされていない。
 正確には孤立無援に一度なった。しかし自力で喰い破って出て来るのだ、あの人は。恐ろしい話だ。電脳戦に於いては、アミ程でなくとも常識の枠の外。
 忌まわしき咎もつものどもは相応に。想定外の距離からコアを介して蹂躙された。
 その狂気? へ至るメカニズムは易く説けない。現代科学に於いても、総てが解明されたわけではない。頑丈な脳殻で外部からの衝撃を抑えようと、複雑な数式によって幾重に防壁を巡らせようと、意識の奥から湧いて出られたら抗えない。超自然的な技能を持てば或いは、しかしそんな連中は表でも裏でもない、別の世界に棲んでいる。少なくとも、今回はいなかった。因みに俺は一度も会った事がない。コアを虚心[コア]¢ォらしめる虚を実に変える、ないものに干渉する、なき力。物質を辿れば素粒子に行き着くように、体積や質量ではかれない精神体やタマシイのようなものを辿ればそのもとなるものがあるという。実体が無く、当たり前の手足では触れることが出来ない虚ろなナニカ。世界は虚と実が重なり合っている。今のテクノロジーでは完璧に制御しきれてはいない故、跳躍にはリスクが伴う。しかし虚数空間があるからこそ、我々は光速の括りを解いて拡がる事が出来た。だから、多くの者にソレを知覚する術はなくとも、虚≠ヘある。なきものであるのに、確かに存在している。
 みえないものはみえないもので動かす。虚に触れるのは体ではなく心、精神だ。そして実体のない心は、虚に素がある。精神素子論といえば、詳説出来ずとも名前だけは普く、知れている。
 ダイバーが行う(違法である)脳潜入は、通常個人のアドレスを抜く。対象の生死を問わなければ、物理的な手段で脳殻に穴を穿つことさえある。大抵はスロットを狙って強引に結線し、防壁を破る。最終的には精神力がものをいうが、数学的な頭の良さで補える技術だ。電脳戦、というからにはプログラムの支配する世界だからだ。生身の目で知覚はできなくとも、そこはまだ、半分実の領域だ。しかし、常識から離れれば、実からどんどん離れていく。潜れば潜る程、水面が遠くなる。何にでもいる規格外がここにもいて、ダイバー≠ニは本来真にこうした力を行使出来るものに使う言葉で、エッジなサイバー者からすれば、底まで辿り着けない命綱もち≠ヘタダのクラッカー、曰くパリパリに軽い。
 精神の探査は、跳躍以上に危険である。ダイバーはそのリスキーな駆け引きを生きる糧にしているが、俺にはついていけない。脳に潜るということは自分でないものの自我に入ることである。しくじれば己の自我が崩壊する。対象の精神状態によっては、軽く結線しただけでも精神汚染を招く。それ程、人の心理というのは深遠なるものである。奥底は、正も負もない闇だという。禍々しくもなければ神々しくもない。なにもないものがある。なにもなければ虚である。精神の深部は、虚に繋がっているということだ。深過ぎて自分自身さえ辿り着く事はまずない、そんな先だ。それは自我の向こうでもある。虚を制御するのが心であるのは、心の素が虚であるから。ソレが今の世で識れる理だ。
 ホンモノ≠フダイバーには、コンセントさえいらない。
 本当だろうか。
 通信回線どころか、家電の差込口からでさえ、侵入してくるなど、冗談にしか思えない。だがホントウだ。アミにはソレが出来る。頼もしい。だから無駄使いするなと言いたいが。
 ──まあ、入口はどこにでもあるんですけどね。
 恐ろしいことをいう奴だ。しかしソレもホントウだ。まだ、みたことはない。ソレをみるような状況には陥りたくない。
 電気的な信号ではなく、虚──例えば、虚数空間やコアのようなもの、或いは俺には計り知れない魔導的なナニカでヒトが寝てみる夢に入り込むとかだ──に潜り、その基底部から実の壁を突き破って辿り着く。はてのない虚の中に浮かぶ個をみつけて、掴む。闇から這い寄る脅威だ。自身が認識できない心の奥から、他人がやってくる。堅く扉を閉ざしても、勝手に湧いて勝手に座っているのだ。最もプライベートなスペースに。まあ、ソレで隠してあった日記など声高に朗読してニヤニヤして去っていくのは俺のただ1人知るそいつだけだろう。大抵の場合、侵入を許した時点でホワイトアウトだ。ソレか、死ぬよりも酷い目に遭う。実の時間で2秒、ソレが40日に増幅されて毎日肝臓をついばまれて夜中に再生するとか。そんなのは生温いか。だが俺の貧困なイマジネーションではオモシロイ狂気など思いつかん。
 ここまで潜れるダイバーは、ある意味正気でない。だから常人には推し量れない深淵に、人をひとり、放置することも、名状しがたい状態にかえることも、できるだろう。
 俺はそこまですごいことはできない、とか言ったが、コアがなかったらタダの人です、アミの一人勝ちだ、とか言ったが、そんなものはヘリクツだ。エビに今から炭火で焼くのとオーブンで焼くのとどちらが良いかきいているようなものだ。加熱調理されて食われることに何の変わりもない。
 ホンモノ≠ンたいにいかないといいながら、(理論上の)圏外からコアにアクセスするなど、そこから複数の自我を侵蝕するなど、される方には誰だって悪魔だ。2秒の間になにをしたのか、ききたくもないが、いつもの悪趣味なジョーク──ココにももう1人いた──などではないだろう。行儀の良い、上品な絶望とかだ。震えている間に記憶を辿り、蜘蛛の巣を張ったのが何であるのか出歯亀するつもりだった、そう聞いた。用心深い、痕跡がない、自分の電脳スキルではコレが限界だと言った。いつもの、さしておもしろくもなさそうな顔でだ。よく言えば物静かな提督のいつもの顔。はたしてそうだろうか、軽傷だった士官が上げてきた報告書にあった『ころしてくれおわりがない≠ニつぶやいていた』という供述は何であるのか。副官として問う必要のない項目だ。触れずにおいた。
 まあ、惨状には僅かながらも同情するが、因果応報だ。奴らのトラウマなど知ったことか。
 戻ってきた事自体異常だが、彼は更に、下手人を生かしていた。少なくとも、クラインに殺意はなかっただろう。言い分に説教をして、二度と、こんな危険な企ては止めて欲しいと懇願した。わかったと言ったが、必要ならまたやるだろう。命令するのは彼だ。俺達は従うのみ。だから、一緒にいた士官達も責めなかった。受けなければならないペナルティは受けてもらうが、ソレ以上の罪を感じる必要はない。負傷した者には、兎に角休養を取る事を最優先と念も押した。


 枝を辿り切れなかったと不満げな彼にも俺は同じ言葉をかけた。おこるなよ、と言われたがしるか。これがおこらずにいられようか。部下達にするような配慮はいらない。だから、胸の内を正直に述べた。
 いつ死ぬかわからない。だが、わざわざその確率を上げるなど。死ななかったとしても。


 俺は、クラインに傷付いて欲しくない。


 だから、勝算があったとて蜘蛛の巣に絡まりに行く彼が許せない。そうだ、俺が腹を立てる筋などないのに、許せない。
 もっと呪わしいのは、クラインを欲しがった網の向こうだ。蜘蛛なのかさえ、俺の目ではわからない。闇が濃過ぎて見通せない。
 咎人どもは、警察の手に委ねた。仲良し、とは言い難い間柄だが協力もしなければならないときはし合う。そもそも、勝手に魔人≠ニ言われているだけで、提督自身は人並みの社会正義も持ち合わせているし、どの閥にも寄らないがあえていうなら穏健派だ。彼への畏怖と感謝にか、俺の神経質な態度――人を視る仕事の者には隠せない――にか、去り際に刑事の一人が教えてくれた。
 警察にも、軍にも、あの工廠でさえ掴めない物流があると。
 永きに渡り追っているが、今回のクラインのように糸が途中で切れて、繋がらない。幾例か、潰した記録もあるにはあるが、やがてまた、どこからともなく芽吹くという。
 それ程に熱望され人を沸かせるもの。俺には嫌悪しか湧かないが、確かに人は時に血を好む。我が身と同じヒトを買い、あるいは飼い、手慰みに刻む。らしい。知りたくもない。
 軍の中にもその爛れた同好の士がいるとも忠告――まあ、俺みたいな頭に血の上りやすいカタブツに縄張りを荒らされるのはメイワクだろうということにしたい――された。
 忠義立てするなら今後もガードしてやりなさい、とか。
 アンタも気を付けろとはどういう意味だ。むしろ俺に自分の身辺に気を配れという態度が、居心地悪かった。全くどういう意味だ。意味など一つしかないが、止そう。


 自分が、理に外れた娯楽の対象であるとよぎるだけでも、僅かな可能性に吐き気がする。赦すことなど。
 うしないたくない、恋人であるなら、尚更だ。俺の方が、殺したくなる。
 俺の止まないくすぶりは、戦でない欲や戯れで、提督を奪おうとする穢れた手が、煽っている。腐った風を送られて、怒りが灰になっても冷えない。ちいさな炭火が、いつまでも。
 結果的になにもなかった。ならばさっさと切り替えるべきだ。彼等も化物かもしれないが、クラインも魔人≠ニ呼ばれる常識外れの兵士だ。円熟を極めた者どもであるなら尚更──狩れなかった獲物を即時狙うことはまずないし、容易く攫えなければ殊更。
 だから、必要ない。
 なのに俺は赦せなかった。
 いつか、彼の布陣でさえ、コアの耀きでさえ、破れるかもしれない。
 ソレだって、ただの男の俺は、堪らなく嫌だ。死なせたくない。
 だが、撃てば撃たれる。斬れば斬られる。墜とせば、墜とされる。
 軍人とはそうしたものだ。
 望まぬ形で職務を全うすることも普通だ。よくはないがそれでいい。
 机上の諍いによる、謀殺であっても、ソレもまた、戦争の一面だ。提督ともなれば、クラインが好まなくとも腹芸の一つも、政への見識を述べることも、こなさなければならない。
 拉致や暗殺など、珍しくもない。あっても理不尽とはいえない。戦の果ての因果であればだ。
 欲しいから奪うなど。悦びの為に供するなど。あってたまるか。
 憤りに我を忘れそうだ。


 命に別状は当然なかったが、非常識をやらかした後だ。電脳のスキャンから擦り傷の手当てまで、細かく細かく、アサギリ少佐に念を押して頼んだ。いきさつを話すと、彼は彼で渋い顔をした。珍しい。が、そんな顔をするということはやはりやってはいけないことをケロリとやったからだ。すごい説教された、と言われたがもっと言ってやれと俺は思った。何ならもう一度隅から隅まで検査を受けて来るがいい。いつもなら、俺も触れた事のない──そしてこれからもきっとない──彼の大切な器官に触れるあのインテリメガネに、持って行き所のない感情を抱く。イヤ、即物的な意味ではなくて、脳とか神経みたいなものだ。サイバーウェアとか。医者なんだから当たり前なんだが、それでも、俺よりもずっとあの人を深く理解しているようなアサギリ少佐が、俺は少し苦手で、その意味を認めたくなくて、情けなくなる。惨めだ。俺は無力だ。傷を癒すことも、安心させることもできない。そうだ、もっとこんな神経質な接し方でなくて、諌めるにも言い方がある筈だ。いい年をして何だ。
 こんなとき、クラインの話題に一切触れずにかわりなく接してくれるアミの態度がありがたいと思った。いつものように節度のある範囲でふざけるが、ソレもワザとではない。気持ちは沈んだままだったが、そんな同僚に当たる程下衆ではない。だが、不甲斐無い男であることにかわりはない。俺なんかと一緒でスマンなどと卑屈な気持ちを飲み込む。うまくないコーヒーだ。素直に淹れてもらえばよかった。
「これから非番なのに申し訳ありませんが、チョトおつかいお願いしてもよろしいですか」
 そんな俺に、アミは封筒を渡した。
「寝る時間削っちゃってスミマセン」
「いや、構わん。それ程疲れてはいないし」
「では、連絡いただけたら取りにうかがいますので。よろしくです。そして数時間さらばなのですお疲れ様なのです☆」
 採決は後日でいいとのこと。急ぎではない。
 提督に会ってこいということか。


 骨折、打撲のようなものもない。血液中のナノマシンに妙なものが仕込まれてもいない。いたって健康。よって異常なし。との結果はきいた。但し、精神汚染や電脳ドラッグの影響などはないものの、脳にかなりの負荷──つまりストレスだ──がかかっているだろうから出来るだけ休養を取って欲しい、とのお達しだった。身体は元気で本人に自覚はなくとも脳は疲れてるから仕事はするな、ということだ。何も無ければ5日間、休暇……などは無理なのでスケジュールを空にして非番扱いにした。医者の見地からするとせめて10日はなにもするな、であるし俺もそうしてもらいたいが無理だ。提督が生きている限り副官が代理で出来る業務には限界がある。まあ、ミッション中でないことだけでもありがたいと思うしかない。この5日だっていつ奪われるかわからんのだ。できませんとはいえないのが宮仕えの身。提督とてその御定法には抗えない。
 俺とアミとで時々寝に帰りながら交替でブリッジに立つ。よって、別に非番だからどんな格好をしようが良いといえば良いのだが、寝る時以外は制服で、呼ばれたらマッハで行くという条約を結んでいる。提督に休んで欲しいのは同じ考えだし、何かあったら気心のしれた相棒が側にいる方が安心だからだ。今のところ、何のトラブルもない。
 だから俺はこうして情けなくクラインの心配ばかりしていられるのだが。


「そもそも、一般の犯罪者を拘束するのは警察の管轄です」
 変わらず味気ない部屋に、クラインはいる。私服姿がいたいけだ。ソレも変わらずシンプルな上下、シャワーを浴びようとしていたのか、ベッドの端に着替えとタオルが積んであった。どれもこれも華やかさとは無縁。かえって、彼のもつあえかな色が際立つ。罪のない仕草で俺をみる姿から、今は目を逸らしたい。
「現行犯なら誰にでもあるだろ」
 逮捕権のことか。そういうのは、誘拐されかかった本人がやるものではないだろう。そもそもそこがおかしい。
「……向こうはいい顔しないでしょうね」
「そうでもないよ。結構普通に感謝された」
 それはアンタが怖いからだ。あと、本当にあのまま──考えたくない──解体されていたら大問題だ。
 軍は警察の怠慢だというだろうし、権威に関わることだから報復させろとか揉め事の種になりかねない。というかまあ、なるだろう。警察としては自分達の手で捕らえたいだろうし、軍は自分達に手を出したらどういう目に遭うか分からせようとするだろう。俺だってしたい。この人を弄んで殺す。その上で更に辱めるなんて赦せるか。
 感情を抑える為、黙って堪える俺をみながら、クラインは話を続けた。初日は少しやつれてみえたが、今は元気そうだ。このままおとなしくネサフでもしていればまず間違いなくストレスフリーで復帰してくるだろう。タフな人だ。
 だからこそ反省の色が全くないんだろう。
「ウワサは……お前は嫌がるだろうけど──工廠でイロイロきいてたから、あとまあ、俺の中に詰まってるパテントのモンダイもあるし、備えはしてた」
 そうだ。嫌な事を言う。狂った宴に興じる犯罪者よりはマシだが、今、ききたくない単語だ。
「ていっても俺は正直アミとか自分とかの方が心配だったんだけど」
 イケメンとカワイコチャンに囲まれてますからね、と俺の顔を見る。同時に、アミの顔も思い出している筈だ。普段なら無様にも赤面しそうな内容なのに、俺は動揺しなかった。やさしげな視線が心地良かった。そしてどこか切なかった。
 俺達はこの人に守護[まも]られている。
「まさかの俺チョイス? で正直最初は思惑と違って焦った。あの場で堂々とやらかすとは思ってなかったし……まあ捨て駒だったんだろうけど、周りに人も多かったから殺されないようずらすので精一杯で」
 こんなになにか出来ることはないかと、想っているのに。
「もうちょっとなんとかしてやりたかったんだがさすがにあの数「今何て!?」
 俺はもう冷静でいられそうにない。
「なにって人おおいなって」
「違います。ずらすって……何をですか……」
 できるのかそんなことが、できないはずはない。
「照準」
 しかし。
「あと、向こうを触るのはコッチの枝がバレたくないのもあるし、クルーとは大概数mm的に繋がってるしアクセスしやすいから、避けたり倒れ方考えたりはした」
 アサギリ少佐におこられたのでもうおこらないで欲しいと再度言われたがしるか。そんな可愛い顔をしても駄目だ。イヤ、まあソレは俺が勝手に思ってるだけでクラインの顔は何も変わってないんだが。いつもの、柔らかな瞳。無表情なんかじゃない。俺にはわかる。
「提督」
「悪かった。皆振り回して。俺はもう大丈夫だから明日からでも「結構です」
「わかった」
 まさか味方まで操って? いたとは。これがミッションなら俺は感嘆もしただろう。
「でも鵜のマネをして溺れかけたってカンジだな。本職みたいにはいかんね。アミなら抜けたかも知れんが俺にはあれ以上辿れなかったし、あー掴めるんなら腕の一本くらいくれてやったのに」
 正直ちょっと悔しい、クラインは一瞬、腐敗の手≠振るうような顔をした。底のない泉に似た視線、一軍の将。敵を下さんとする姿、自分達の提督。
 だが今はもうそんなことはどうでもいい。俺は副官でなくていい。涙こそ出なかったが、言葉が足り無さすぎる彼の言い分に、俺は苦しくなった。これがこの人の正義なのか。赦せなかったのか。
「そのような、冗談でもそんな、いや」
 そうじゃない、いつだって本気だ。こういうときはウソをつかない。
「そこまでのことを……いや、その、もっと、自分を大事にして下さい!」
 俺が急に叫んだからか、クラインはびくっとまばたきをして、体を傾けた。堪らなく可愛いが、ゆるせない。
「俺は! あなたにそんなこと、犠牲になるとか! そんなことは」
 我に返ると、労わるようなあの目で提督が俺をみていた。
「……申し訳ない。次からは、よく考えて行動する」
 泣くのだけはなんとか堪えた。今のは涙が出そうだった。多分、情けない顔をしているだろう。
「でも、俺のパーツのことならあんま心配しなくていいから。基本手とか足とか、大体2秒で換装出来るスペア持ってきてる」
 そして、大丈夫だと言った。
 既にない≠烽フを案じる事はない、と。


「俺は……厳密にいうと、ヒトとは違う何かかも」
 そこまで、工廠のテクノロジーは、神に手が届くというのか。俺は呻いた。
 シンセシアン≠ニいう、無から創造された知的生命がある。血の流れるテクノロジーに触れる者なら一度は耳にする。迷信であるが、奴らなら、と俺は思ってしまう。タマシイを持った個体が生まれた記録も、かつて発見された。そんなものは、ジョークだと思いたい。
 この世の汚れをしらないかのような、この姿をみていると、不安だ。
 原罪をもたない、血の胎を経ない仔、フラスコの中で……何を加えるんだっけか。
 様々な、俺にとっては悪夢的な言葉が巡る。厭な妄想に、心臓がキリキリと痛む。
 細く、触れれば柔らかな身体で、異様なまでの回復力は何か。いつ寝ているのか。寝顔は知っているが、本当に、睡眠が必要なのか。戦うことしかしらない工廠の犬、やめろ、人形遊びだと、ふざけるな。クラインは、クラインは俺の前では照れたりだってする。からかい半分に甘えてきたり、しあわせそうな目で俺を、見つめたりもする。儚い笑顔は、無垢で、まるで
 ──つくりものの、ように、切なくはないか。


「いつ……から?」


「箱詰めにされたときかな」
 俺は愚かだ。
 きかなくてもいいことを、何故きいた。そして後悔する。
「送るときにかさばるし邪魔だから」
 限られたスペースを活用する為か? ふざけるな。確かに脳だけでも人は生きていける。サイバー化すれば換えがきく。パイロットというより、生体ユニット。シリンダーに詰められた状態で接続されるのだと、聞いたこともある。胴体があるだけマシなのか、ダメだ。そんなこと、幾つだって言った? きっと、子供だった筈だ。一人前の大人が志願した結果だとしても、素直に賞賛できない。
 なのに、取り外しでもしたというのか。何の不備もない人体の一部を。邪魔だからという理由で。
「手足を……切り落とすなんて」
 俺は架空の痛みを感じながら、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。静かすぎる部屋に響く。
「違うよ」
 クラインは俺の頬を撫でるように柔らかい目をした。
「俺を箱詰めにしたのは工廠の社員じゃない」
 だからそんな顔するなとでも言いたいのか。俺はピントの合わないクラインの心に苛立った。悪いのは俺だ。しかし。
 つらいんだ。
 話はそれだけかと、クラインはさっさとバスルームへ向かってしまう。
 暢気にカエル柄の手拭いを首にかけ、着替えとタオルを胸に抱える。その無防備な可愛さにも血の気が煽られて、気が付いたら強引に手を引いていた。
「何だよ」
 着替えとタオルが床に散らばった。洗いざらしで飾り気の足りない一式。彼の心身のように簡素で、清潔そうでどことなく、あどけない。守らなければならない程幼くなど、ないのに。
 床はほぼ土足状態だ。さすがにムカついたのか、クラインは俺に不満げな顔を向けた。だが、咎めるトコロまでいかない。
「何」
 掴んだ手首が痛いのか、少し顔をしかめて、引こうとする。
「座って、ください」
 殴らないのかよ。前歯くらい折られるかと思ったのに。更に強引に身体を寄せて、肩をつかんで座らせた。今度は手拭いが膝に落ちる。
 手首にはくっきり跡が残っている。クラインはソレをちらりと眺めてふわりと身体を起こす。散らばった着替えを拾うつもりだ。
「提督!」
 引き寄せるつもりで腕をのばし、肩と腕を掴んだ瞬間にバランスを崩す。
 俺の身体ごとクラインを床に押し付けてしまいそうになり、とっさにベッドへ放り投げる、というか飛び込んだ。
「……」
 押し倒してしまう。怪我をさせなかった代わりに、クラインの体を組み敷いた最悪な状態だ。
「重い」
 クラインはいつもの口調で思った事を口に出した。
 俺は泣きたくなった。
 何も言えずただ彼の顔を見る。
 どれくらいそうしてたか、俺はのろのろと身を起こし、立ち上がった。
「んで、なに?」
 俺の横で、クラインが無邪気に伸びをした。多分体が固まったせいだ。猫みたいな仕草だ。
「夜這いか?」
 マイペースに俺をからかう天使。やるわけないと思ってるんだろう。その羽根をむしってやりたい。出来ないって思ってるんだろう。壊したい。苦しい。
「やめてくださいホントに犯したくなる!」
 自分の最低発言に固まる俺をクラインは黙って眺めて、2秒して肩を撫でながらベッドに腰掛けさせた。
「いいから落ち着け」
 チョット上官の顔に戻ってしまう。
「さっきからなに熱くなってる?」
 言いながら、クラインは小さなテーブルにペットボトルの茶を置いた。一つは俺に渡し、残りを開けながら椅子に座る。
「このくらいでいいか」
 椅子にお尻をくっつけたまま移動する。離れて欲しいと誤解されてる。俺はため息をついた。
「いいんです。こっちに」
 来てください。俺が頭を下げると、クラインは困ったような顔で笑い、ベッドに腰掛けた。
「悩みとかあるなら相談に乗るが、多分頼りないと思う」
 それでもいいか、と俺を見上げる。
「俺学校も行ってないし家族もいないし世の中の事もよく知らないし、仕事のことなら少しは……でも出世の仕方とかならワカランな……」
「それですよ……」
「んー? 転属願いか? 結構キツいこと言うな」
 でもいいよ、と浅い笑みを返して来るので俺はまた小さな肩を掴んでしまった。
「出ていきたいなんて言っていないでしょう!」
「俺が何にも知らないのが不満なら嫌なんだろうと解釈したんだが違うのか」
「不満です!」
「俺はお前の言ってる事が理解できない。それで俺はどうしたらいいんだ」
「俺は……あなたが辛い思いをしてるって思ってた。工廠があなたに、幼い頃から何かおぞましい事を強いていて、それに……」
「傷ついてるって思ってたのか? トラウマでも抱えてるとか」
「そうです」
 腕も脚も無いなんて。
「そうか」
 クラインは透明な顔で俺を見た。微かに笑って告げる。
「俺の為に悩んでくれてたのか。それなら、さっき言ったみたいに、工廠はそんな悪魔の館じゃないから。精神汚染なんかにも細かいチェックが入るから、負荷が掛かればその都度修復してもらえたし」
 大丈夫、頑丈なだけが取り柄です。いつものセリフを言われてしまう。
「だからお前が苦しむ必要はないよ」
「だけど、怖かったんでしょう?」
「ん?」
 必死な俺。きょとんとみているクラインに言ってしまう。
「箱……傷付けられたのは本当なんでしょう? 工廠で受けたものでなくても、あなたは酷いことをされた……箱に詰められ……一体……何が」
 聞くべきじゃないだろうに。
「そっか、酷いな。子供を箱に詰めて落とした手足を棄てるなんて悪質だな。逮捕する前に処理されても文句は言えない」
 蒼白になった俺をみて、クラインは小声になった。
「気持ち悪かったら止めようか」
「続けてください」
 何でそんな他人事なんだ。その俺の疑問は即回収される。
「俺は修復済みだから、疑問があるなら細かく聞いてくれても大丈夫。生々しく蘇ったりしないように調整も受けてるし」
 かなり引っかかるが仕方ない。今も暗い影を落としてるというよりはマシだろう。
「やったのはどこかの教団だ」
 テクノロジーを忌避する宗教団体には過激な一派がある。彼らは非道な実験を繰り返す等の冥い噂の絶えない工廠を万魔殿のごとく忌み、不倶戴天の敵と定めている。
 中にはテロ行為に手を染める事もある。
「施設に侵入して、アチコチ燃やした。研究員も少し殺した。才能のムダ使いだけど、きちんと訓練受けてたんだろうな。皆珍しく混乱してて、たまたま一人になってた俺をついでに盗み出したみたいだった。俺の遺伝子に人の手が入ってるのはマーカーがついてるから簡単な検査ですぐわかる」
 彼らにとっては、小さな子供でも魔物と同じだったんだろう。
「かなり奥の方にいたから、大事な兵器かなんかだと思ったんだろうな。使いものにならなくしたら、悔しがる、開発が遅れるって、壊した」
 吐き気がしてきた。
「魔物に喰わせたり……あんな気持ち悪いやつはあれ以来見たことないな。意外と科学はダメって言って、魔導にハマってたりしてたのかもな。燃やしたり、切り刻んで研究所に送ったりしてた。目玉は神官みたいな奴が飴みたいにいつまでも口に入れてたのがインパクトあったな。他の奴は知らないけど、あいつはロリペドっていうか、カニバ趣味でもあったんだろう。腸を引っ張り出して、肉詰め? 血詰めみたいなの作って喰ってたし」
 あんなもんハァハァでもしてんと旨くないだろ、とつまらなさそうに言う。
「殺すつもりはなかったみたいで、清潔にはしてもらえたから腐らずに済んだ。最後に花と手編みのレース……えとなんかそういうのばっか、歳のいった婆ちゃんとか子供のいそうな女の人とかが黙々と作ってるっていうかまあああいう連中にもその中に社会はあるだろうから子供とか多感な世代っていうの? そういう層にはみせたくなかったんじゃね? 世話してくれた婆ちゃんとかはやさしかったし、んで、そういうハンドメイドの綺麗な布? だらけの箱に入れられて、後はよく覚えてない。クール便で送りやがったから寒くて死にそうで、途中で麻酔が切れてきて痛くて何回も気絶して目が覚めたら真っ暗なんだがプロテクトで声が出なくて」
 おかげでどんなガタガタのコックピットでもアレよりはマシだと思えるようになったけど、と苦笑する。
「あとは、命に関わる部分から治していったからしばらくタトゥーとか焼印が残ってて気持ち悪かったな。研究所の人も箱開けてアレを見て頭にきた、絶好キレイに消してやるって言ってて、ああこの人達もムカつく事があるんだなと思ったりとか」
 俺は何も言えなくなった。工廠は正しいのか正しくないのか。クラインはおかしいのか。この人は、壊れてしまっているのか。
「別に機密じゃないから喋ったけど、あんま言い触らされると士気に関わるっぽいから程々に。生理的嫌悪感っていうのはどうしようもないから。俺が平気だからって、誰もが平気って訳じゃない。まあパイロットとかは明日は我が身だからサイバー化くらいで動揺しないとおもうが……あー、なんでこうなったかは結構ダメなやつが多いかも。やっぱ漏洩禁止」
 もう十分だ。
 俺は話し続けるクラインを抱き締めた。必要なんだ、暖かい体が。
 滑稽な俺。青い顔で震えながら、何を守ろうというのか。
「クライン……」
「な……なに」
 急に名前で呼ばれて、クラインは照れたみたいだ。薄く赤くなる。
「ていうか、お前、なにしてんの」
「いいから……このまま……」
 静かに抱いていると、血の流れを感じる。愛おしい鼓動が、俺を満たしていく。壊れてなどいない。ただ駒のように盤上に展開するんじゃなくて、兵士達の心情も考慮している。人間に心があることを理解していないと出来ない事だ。
 ただ自分の事に関して大雑把で、貰えて当たり前のものの存在に無頓着なだけだ。


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