■helleborus 06

「熱いお茶とぬるいお茶、冷たいお茶とか、どれにしますか」
「熱いお茶」


 ぼくが急須でお茶を淹れる様子を見ながら、駐在さんはぽつぽつ話しはじめた。
「別に、何かしてくるワケじゃないんだ」
 目を合わせるのは、気まずいみたい。湯飲みを見つめて、その人の事を話す。
「時々ああやって、俺の事見てる」
 手は絶対に出さない。それが約束だった。約束は守る男。それが古い世界に生きてる人達。それは、遠いトコロの話だけど、ぼくだって知ってる。
「いいの?」
 駐在さん。ぼくが大事に呼んでるソレは、ニックネームなんかじゃない。その仕事、すごく大切にしてるって知ってる。
「話しちゃって、いいの?」
 駐在さんが駐在さんである為に、絶対触れられたくないトコロ。きっとそう。お子様なぼくにだって、すごくナイーブなことだってわかる。
「苦しかったら、言わなくていいよ」
 どうしてなんて、聞かないから。
「でもでも、言っちゃって、楽になるなら話してね」
 ぼくは慌てて付け足した。そっちの方が、いいなら、それでいい。ぼくはあなたが安心できるなら何でもいいんだ。
「俺サイアク……」
 駐在さんは、がっくりぼくの胸に突っ伏した。
「振り回して、お膳立てしてもらってって、ウザいにも程があるよなー……あーしばきたい」
 そんな愚痴を言って、顔を埋める。
「お前いい奴だなー」
「だってぼくジェントルメンだもん」
「……お前ね」
 駐在さんはいつもの調子で呆れると、そっと手を廻して、ぼくを抱き締めた。
「きいてもらえるなら……いや、そうじゃない、そうじゃなくて」
 話したい、胸の中ではっきりと告げた。


「親父……最後に俺を引き取ったおっさんで、血は繋がってないけど、兎に角その親父と約束したから手は出して来ない」
 因みに、俺から接触するとかも、そんなのがバレたら親父は俺を殴りに来る、と駐在さんは付け足した。
「だからって、諦めたワケじゃなくて、気が付いたら視界の端にいる。顔見る度に殺したくなった」
 多分、いつもみているって、部屋の外立ってるとかじゃなくて、事件なんかで関わり合いになるとか。犯罪を狩っていれば、嫌でも顔合わせたりするハズ。
「でも賢い奴なんだよ。何度ふん縛ってやろうと罠を張っても、掠りもしなかった」
 もっとも、お互い様だけど、と乾いた笑い方。
「俺だってあいつのものにはならなかった」
 ずっと暮らしてた街を出る時──多分駐在になったときだ──諦めた顔してた、と駐在さんは言った。
「だからもうピリピリすることなんてないのに」
 ダメなんだ、苦しげに床を見る。
「あの花束みて、誰かってわかるくらい、俺は奴のセンスのこととか、何が好きなのかとか……」
 しってるんだ、と呟く。
「サインみたら震えそうになった」
 懸命に言葉を続ける。でも、傍には来なかったから、ぼくも抱っこしたりはしない。いまは、話したいんだよね。
「カードは他に何も書いてなかった。奴もそうなんだ。アレだけで俺が気付くって、わかってる」
 駐在さんは悔しそうだった。
「それで何があるのかって、何もない、伸ばしても、奴はもう俺には手が届かない」
 だったらそれでいいのに、と、吐き出した。
「奴のこと考えると落ち着かなくて、苦しかった」
 駐在さんが見てたのは訃報だった。
「死んだって書いてあって」
 それで、壊れそうになった。
「驚いたっていうか、ムカついたっていうか……悔しくて、何か惨めになった」
 ぬるくなったお茶を啜って、続ける。
「勝ち逃げされたっていうか」
 駐在さんは暗い目で言った。
「俺は今も怖いんだ。大嫌いだったんだ」


「だけど、奴がいなかったら、俺は何度も死んでたと思う。教わったことは、今でも役に立ってる」
 悔しそうに吐き出して、苦笑する。
「でも、嫌なんだ。忘れたくても、出来なくて、嫌いでって、仲の悪い親子みたいだ」
 ソレもイヤだ、何もかも、彼の事は考えたくないと、駐在さんは首を振った。
「そうやってもう逃げなくてもいいのに逃げ回って、こんな惨めになって何だって思って」
 苦しくなった。ぼくの目を見つめて、またうつむく。
「あいつはもう死ぬってわかったから、挨拶程度に寄越したんだろうな」
 恥ずかしそうにため息をつく。
「大人なんだから、ソレでスルーして終わりでいいんだよ」
 言い終わって、またぼくにもたれてきたから、黙って肩を抱いた。


「その人は、どんなひとだったの?」
「男だよ。只の男。謀が好きで、芝居が好きで絵が好きで歌が好きであとショタ……どっちかっていうとアレはロリコンか。いや、ソレも違うな。人形好き、お人形趣味な男だ」
「サイバー化、しなかったのかな」
 訃報には、死因は書いてなかった。だけど、事故や他殺ならこんなおとなしい記事にならない、だから病気だったんだろうって、駐在さんの分析。
「あいつは生身が好きなんだ。俺がサイバー化したときも残念がってたからな。自分の粋を通すなら、残りの寿命削るくらい、造作もない」
 そういうトコロがまたムカつくんだよ、駐在さんはおもしろくなさそうに言った。


 実業家、出資者。そんな言葉が、記事には載ってた。ぼくでもわかる名前の株式に、劇場や舞台の名前。才能を持つ人達のパトロンである事も、その人の顔だったらしい。
 だけど、教養と資本をもっただけの人じゃなかった。文字になった姿は、半分だけ。
 幼い駐在さんを養ったその人の、本当の力は、もっと怖い所にあったんだ。名誉ある男、それが彼の名前だった。


「だけど、駐在さんの住所って、みえないものなんでしょ」
 この人には、ぼくらみたいな戸籍がない。こうやって街に赴任してるときは、ソレ用の身元を管理局が発行してるだけ。だから、外≠ナ仕事してて命を落としても、誰にも回収してもらえない。そんな人物、最初からいなかった。死してシカバネ拾うものナシってやつだ。
 ぼくの気持ちになかなか応えてくれなかったのも、そういうこと、気にしてたトコだってあったみたい。
「その……ひと、魔物とかに詳しいの?」
「いや、そういうトコロには、噛んでないと思う」
 裏社会にいるからって、世の中の不思議なこと──ってぼくみたいな生き物のこととかだけど──に通じているとは限らない。反対に、ぼくは魔物だけど、難しい社会の仕組みなんてよく知らない。企業のことも、ヤクザのことも、そんなの、今だってどこかよその世界みたいに感じてる。
「多分、親父が気を利かせたんじゃないか」
「お父さん?」
「ギルドの人間なら、まあ、調べられないこともないし」
「そうなんだー。えとね、お父さんは、何ていう生き物なの?」
「普通に人間だ」
「じゃあ、結構お年寄りなんだ」
「多分な。まあ死んだって聞かないし、元気なんじゃないか」
 でないと奴の要望を聞くとは思えない。駐在さんは少しうつむいた。
「親父は奴が俺をどこかに括りつけて飾ってたと思ってる」
「えと」
 違うってことかな。
「お[]んが死んでいなくなって、独りになった俺を攫ったって」
 駐在さんは少し迷ってから、そのことを言った。
「そうじゃない。似てるけど、違う」


「好きだった女の子供が同じ顔してたから、撫でたりさすったりしてただけなんだ。別に、俺の事が好きだったわけじゃない。俺もそうだった」
「嫌いだったんだよね」
「違うよ」
「え?」
「一緒にいた時は、好きじゃなかった。それだけ」
 すごく、後悔してるみたいだった。
「腹が立つようになったのは、もっとずっと後の事なんだ。その頃は、俺は何も考えてなくて、誰のこともどうでもよかった」


「奴は俺を家族にしようなんて考えてなかったと思う。あのまま側にいたら、どうなってたかはわからないが」
 沈黙の向こうなんて興味なかった、駐在さんはまた暗い目をした。
「ていうか、何もなかった。お人形って言われても仕方ないくらい、毎日適当に生きてたし」
 なりたいものも、ほしいものもなかった。ただふらふらしてただけ。きっと、そんな投げやりな自分が嫌だったんだろうな、ぼくは沈んだ瞳を見て思った。


「いつも余裕なんだ」
 駐在さんはぼくにもたれて言った。話すだけで、すごく疲れてる。
「俺が親父に引き取られても、悔しがるわけじゃなし、それまでだって、他の……人間と出て行ったって何も言わなかった」
 それでも、泣き出したりはしなかった。
「俺がシカトしてるみたいにじゃなくて、本当に動揺しない。余裕だった」
 何でも知ってるって目をしてた。ぼくの手を握って吐き出す。
「俺がピリピリするのをみて、喜んでたのかもな」
 投げやりに笑って目を閉じる。
 それで花も返さなかったんだ。
「拒否ったら反応してることになるし、それで受け取ってスルーしてるってそういうコトにしようとした」
 今は変わらない。過ぎたこと。それでいいハズのこと。
「親父もそのつもりなんだろうし」
 こんなトコ見られたら間違いなくボコられる、と駐在さんは苦笑した。
「全然出来てなくて、お前に気だけ使わせて、何も悪くないのに花も無駄にして」
 俺ダメ過ぎ、ぼくの胸に埋まってつぶやいた。
「本当に、ごめん」
 悪かったって言うから、ぼくは指をその唇にあてた。
「わるくないよ」
 片方の手で抱き締めて、じっと顔をみる。
「ホントはいけないことだけど、悪くないよ。駐在さんは悪くないから、悪くないのに何でって思うことあったら、怒っていいよ」
 話したいなら聞きたい。どんなことでも。
 駐在さんはじっと見られて照れながらも、小さく、ありがとうって言った。
「おこったら湯気が出て、その分軽くなるかも」
「そうだな……」
 駐在さんはぼくから離れて少し笑った。
「ここまでしてもらったら、これでいいよ」
 いいの? いいのかな。
「死んだ者の事は、悪く言うもんじゃないんだろ」
「えとね」
 ぼくはぷにょんと形を変えた。
「急になんだ」
「ぼくはいまからプリンです」
 丁度いい高さに身体を伸ばす。だいたい目の高さ。
「だから何もきこえないしみえません。何でも好きな事、フテキセツな事言っても誰にも分かりません」
 ぼくの大好きなあの目が丸くなって、ぽたりと何かがこぼれたような気がしたけど、それは見なかったことにした。


 駐在さんはぼくの身体に抱きついた。ぷよんと頬ずりして、目を閉じる。
 泣いたり怒ったりとかじゃなくて、ただじっとしてた。あったかい身体。ぼくはうれしいけど、これでいいのかな。
 そんなこと考えてると、くすぐったい感触がした。
 びっくりして、思わず声を出しそうになって飲み込む。代わりに身体が柔らかく震えた。
 駐在さんはちょっと顔を上げて、こんなこと言った。
「プリンなんだから、味みたっていいだろ」
 あったかくて、優しいキス。今のぼくに口はないから、ただ猫みたいに何度も舌を這わせて舐めてるだけなんだけど、ぼくにとっては、同じ。
 食べたら死んじゃう花なんかじゃないよ。ガラスみたいに冷たい、お人形でもない。
 愛おしくて、溶けそうで、耐えられなくなった。柔らかに触手を絡めて、腰を抱く。
「ぼくも……していい?」
「……お前ね」
 呆れた顔でぼくを見る。
「プリンはもの喰ったりしないだろ」
「だってたべたいんだもん」
「まあいいよ」
 どうぞ、と駐在さんは目を閉じた。
「いただきます」


「やっぱり、毒はあるかも」
 唇を離して、ぼくは言った。
「何だよ」
「えとね、恋人をケダモノにしちゃう毒」
 あと乱暴だし。
「何でお前はいつもいらんことを吐くんじゃ、イロイロ台無しだろ」
 そんなの、ぼくだって同じだよ。
 でも、ただ綺麗なだけの駐在さんなんて、そんなのはダメ。
 雰囲気なくても、今みたいなこの人がいいんだ。

 (1stup→080619thu)


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