■かわいやあの子
「ちょっと君たちいいかな」
呼び止められる。
首だけ動かしてそちらを見ると、スーツの男が2人いた。
「ふざけてるようには見えないけど」
口調はまだ穏やかだが、目は笑っていない。知らない相手だが、良く知ってる顔だ。職質かける警官の仕草。そいうときにする顔。
彼らは多分鉄道警察だ。
「最近ね、ここいらで、アキバ狩りっていうの? ソレが流行ってるからね」
厳しくなりつつある視線は主に、男を引っ掴んだままのユイに向いている。
「「ちょ」」
冗談じゃない、と2人は顔を上げた。
「あんな幼稚な二次元コンプレックス共と一緒にせんでいただきたい」
「ナニー!」
誠に遺憾だと眼鏡のつるを直す男に、ユイは思わず声を荒げた。
「オマエ自分の方が上等な人間だと思ってるのか!」
光の乏しい目で懸命に睨みつけるユイの姿をじっと見つめる男。真摯というより、万鈞で、イヤな熱がこもっている。
「君は聡明だと思っていたが私の買い被り過ぎか」
「何が言いたい」
「現実における人間の温かさ、この掌に伝わる熱の甘美を知らぬ者を愚かと呼ばずにどうする」
汚らわしい、と鼻で笑う。
「永遠に触れることの叶わぬフェチズムなど」
遅れた文明を憐れむ目、未開の奥地で日記を綴る勘違いした学者の態度、或いは可愛い女にしょうがないなと慈しんだ目を向けるやっぱり勘違いしたインテリ男。
「お前全然分かってない」
「何!?」
反論されると思っていなかったのか、今度は男の方が驚いた声を上げた。
「作り物だから萌えられるんだよ!」
大体、とユイは男を睨み付けた。勢いで手は離したが逃げる隙は与えていない。
「モニタ見ながらティッシュ無駄使いしても自分の部屋なら勝手にやってろだけど、外でハァハァ他人に触ったら犯罪なんじゃ!」
再び腕を捻り上げる。
「ひぃー! 乱暴はやめ給え」
「うるさい、痴漢の分際で偉そうに」
「……君」
「何でしょう」
「ひょっとして痴漢捕まえたの?」
「他に何にみえますか」
駅の事務室は空調が効いて暖かかった。掲示板にはびっしりと予定が書き込まれ、不審物、迷惑行為などの対処について書かれたポスターが貼ってあった。
「えーと、つまりだね」
鉄道警察の刑事は少し疲れながら話をまとめた。
まあ、見ようと思えば見えなくもないか。ちょっと暗そうだが、イケメンというより可愛い系の顔だちだ。
「女の子だと思って彼の体を触ったと」
「全然違います」
「??」
すかさず横から華奢な手が伸びる。
「お前は! この期に及んでまだシラを切るつもりか。何か適当に罪状を付け足してやってもいいんだぞ」
「いやいやいやいや」
ダメだろ、と手を振る刑事。男の胸倉を掴んだユイを眺めて軽く咳払いする。
ユイが渋々手を放すと、男はまた鼻で笑って眼鏡のつるを直した。
「勘違いしないでいただきたい」
もったいぶった口調に、イライラが募るが、同業者? に睨み? をきかされては殴ることも出来ない。ユイはぐっと堪えて椅子に腰掛けた。
「この私が女の尻を触るような下衆だ、とは実に心外」
何かひしゃげたような音がしたが、ソレだけで終わる。何とかパイプ椅子の端を握り潰しただけで済ませる。そんなユイの顔を、男は穴が開くほど見つめている。
やがて眼鏡が白く光り、彼は大仰に言い放った。
「こんな可愛い子が女の子のはずがない!!」
2秒後に、顔面を踏みつけられて砕けた男の眼鏡を拾いつつ、刑事は苦笑した。
「まあ今回は見逃しておくよ」
どんな生命力か──本人曰く可愛い子に虐げられたという貴重な経験でエネルギーが充填されたとか──即座に復活した男の供述はこうだった。
自分好みの容姿で且つ、押せば抗えそうに無い対象ばかりを狙っていた。通える範囲全ての路線で、露見しそうになる度に場所を変えての痴漢行脚、綿密なリサーチを行い実行してきた。ユイに目をつけたのも一目見て気に入ったからだが、基本自転車通勤の彼が当該路線を毎日利用する訳では無かった為、焦って人となりを確信するまで待てなかったのが敗因だった。何せターゲットを定めている間は、他の獲物を探ることはしないというストイック(本人談)な取り組みでいた為、すっかり参ってしまいそうだったのだ。
「彼に触れるまで、私の掌は3ヶ月の永きに渡って渇きに耐えておったのですよ!!」
「全く飢えというのは恐ろしいものですな」
「大体何でゴミ箱の雑誌拾って読むような人間をターゲットにせなイカンのですか」
こんなシケた野郎の尻触りやがって、とぼやきながらユイが男を小突く。
「そんなこと私に主張されても」
本格的に疲れた。とある鉄道警察隊の刑事は思った。実在していたんだな、まさにソレ。もっとちゃんとしたイヤ惨劇は望んでいないが、もっと違うシーンでソレを言いたかった。最初にスキャンしたカードを見、その結果にも良い意味で呻きそうになったのに。なんだこれ駐在≠チて初めてみたのに。忘れられそうにはないが早く忘れたい。そういう日になってしまった。
(1stup→221022sat)
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