■いつか宇宙エレベータで

「ハナイカダか」
 箱絵には、暗い海に浮かぶ半透明の板があった。
 体積の大部分を占める、水面のような光沢。昼の半面にいる間は、その板を常に太陽に向け、都合の良い位置に修正し続けている。
 板の真ん中に寄った建造物が、ステーションの本体で、軌道ライナーの駅だったり、何かの工場だったり、研究施設だったりする。豪勢なリゾート設備が整っているのもデフォルトだ。将来的にはソレ専用のステーションが作られ、住居として販売されるとも言われている。
 本体部分は、昔のSFのように回転する円筒や球体ではなく、地上の船舶とビルを足したような、フラットなデザインだ。あまり未来的な感じがしないので、そういうエッジさを期待する者には不評だったりする。
 ドーナツ型や球形が普及しなかったのは遠心力を利用して重力を発生させる必要がないからだ。宇宙へ出て問題になるのが筋力やカルシウムの減少だった。ある物質を合成するには都合のいい無重力状態も、一方で生体の正しい分化を妨げている。しかし地上で物を浮かせる技術が発達していて、既に重力制御は容易になっていた。建物全体を回転させるより、重力を発生させる設備の方が低コスト低リスクだった。
 進んでいないのはテクノロジーではなくて、遅れ気味なのは極めてウェットな部分だった。政治や企業のしがらみが、新しい土地? をどう使うか未だに決めかねていた。
 いつ崩れるか分からない地表近くの空間を捨てて、根を張らない大樹を待つ人は多いだろう。浮いているのなら、災いを避ける手だても多くなる。しかし当分宇宙──というのもおこがましい大気のほんの外側の部分──は工業団地や学研都市、あとはほんの僅かな人々の贅沢旅行コースとしてくらいの使われ方しかしないだろう。
 その方が静かでいいかもしれないが、多分余計なお世話だ。
 小さなリンゴだってその周りに埃の粒が少々あろうが無かろうが、きっと気にも留めていない。
 シールドの向こうの地球は大きかったし、その周りはもっと大きいからだ。


「久しぶりにみた……」
「駐在さん行った事あるの?」
「あるよ」
 仕事でだけど、と付け足す。自前で昇れる程、甲斐性はない。
「えー、すごーい」
 ルナは目を輝かせた。ような仕草をした。うねうねと楽しそうに揺れる。
「この前行ったお家に、高校の修学旅行で行ったって人がいて、いいなーって思ってたんだ。綺麗だった?」
「うん」
「やっぱり青かった?」
「地球のことか? 青かったけど、ゴミも結構浮いてるから、ガガーリンががっかりするかもな」
「へえー」
 ルナは見たことないものを思い浮かべて、ユイを見上げている。目がないから分からないが、ソレっぽい体勢だ。
「思ったより白っぽくて、よく見ると所々、ちょっとピンクに輝いてて、綺麗だったな」
「えとね、欠けてた?」
「え?」
「地球のこと。いまもホントに穴開いてるのかなーって」
 ある日突然変わってしまった世界、気付くとあったのがその穴だ。穴が世界を変えたのか、世界が変わって穴が生まれたのか、順序はっきりしない。
 はっきりしているのは、北半球にあったある大陸のどこかが、かじり取られ、代わりにソレが今もある。そこだけ。他はカオス。世界と同じ。
「開いてる」
「そうなんだー」
「穴っていうか、何か黒いまんじゅうみたいなものがくっついてる感じだった」
 まあ、その部分が黒いのは何かある≠けでなく、ない≠ゥらだからやっぱり穴というべきなんだろう。


 誰が何の為にとか、そんなことは追求するべきじゃない。科学者が甘いものや素敵なものを合成して、生成物から何を得るつもりだったのかとか。


「日本が開発した超小型ブラックホールのちわじゃ[しわざ]、なんてハナシもあった」
「そうなのー?」
「俺が日系だからって擁護するわけじゃないがまあ都市伝説だろ」
 と苦笑する。
「何でも薄く小さくするのと白いご飯にかけて食ってしまうっていうので有名だけど、ロケットはなかなか飛ばなかったらしいから」
「そうなんだー」
「図書館の超古新聞に『国はまた数億の花火を打ち上げた』とかいうジョークが載ってた」
「うわー」
 笑ったら悪いけどおかしくなった。


「夜の半面から出るときに、植物プラントの隔壁が透き通るんだ。単純にシャッターだと思ってたからびっくりした。あれは綺麗だった。丁度別のブロックにいて、そこから目の前が一面緑になってな。何か得した気になった。ブレックファーストが切り替わる瞬間とか食料品に半額シールがガンガン貼られるトコロ見たみたいな」
 時折目を閉じながら、ステーションでみた景色を言葉にして並べる。閉じた瞳の奥で、綺麗だったものを探る。
「それか、夕方、街頭が一斉に灯っていくところとか。ああいうときは、夕焼けじゃない方が俺は好きだな」
 とユイが付け足したのでルナは苦笑した。最後のソレだけにしておけばすごく感傷的だったのに。


「うわ、小っさ」
 中のピースは指の上に乗りそうだった。
「なんじゃこりゃ」
 慌てて箱の表を見返してみる。宇宙ステーションがたゆたう暗い空間に、ピース数が斜めにかかったレイアウト。出来上がりサイズは300ピースらしい。箱の中身を確かめるとご親切にピンセットがセットされている。
「うわ〜、思ったよりちいさいかも」
 ルナが横から覗き込む。
「1000ピースあるんだよん」
「そうみたいだな……」
「別に完成させなくていいからね」
「はあ?」
 何を思ったか異様に高難易度なパズルなんか買ってきて、その上で出来上がりを求めないとはどういう了見だ。まるで見当がつかない。
「作りかけでいいんだ〜」
 ルナはぴたりと頭らしき部分をユイの肩にもたせた。
「ねえ駐在さん、いま幸せ?」
 触手を一本作って、すっと伸ばす。
「……」
「……」
 黙ってしまったルナをみて、ユイはそっと手を出した。何も言わないで、触れる前に緩くまばたきした。それから、柔らかい触手を握る。
 オレンジがかったピンク色で、少し向こうが透けて見える。所々血管のような筋が走っているが、それは模様のようなものらしい。スライムの体には定まった器官がなく、ほぼ均質な組織だという。
 手の中の触手も、背中に廻った体の一部も、ほんのりと暖かい。スライムの体温は特殊で、ある程度気温と同化出来る。でないと姿を消してもあまり意味がないからだ。情報の大部分を視覚に頼る生き物の方が、珍しいのが世界だ。
 本当ならこの季節、冷たいのが当たり前の体を、こうしてあったかくしてくれる。ルナの暖かさが、心地良かった。優しく触れてくれるのが嬉しかった。
「……うん」
 柔らかく握り締めたまま、返事をする。手の中で、触手がぴくりと反応する。


「幸せだよ」
 照れずに言い切れてほっとする。
「はあ、よかった〜」
 ふにゃら、とルナは派手に床に広がった。
「言っちゃってから、不幸っておこられたらどうしようってドキドキしちゃった」
 すぐに伸び上がってまた絡み付く。
「なんだよもう」
「ぼくもしあわせ」
 一瞬だけ人型になったルナにちゅ、とキスされる。
「なんだよ……」
 一気に恥ずかしくなってユイは赤面した。
「だからねえとね、あ、チューしたらわすれちゃった」
「お前ね」
「だって駐在さん可愛くてあったかくてエロくてさわさわしたら甘くて、何かぼくわかんなくなっちゃうんだもん」
「俺もワカランわ」
 必死になって損した、とパズルの袋を開けようとする。かなり果てしない感じだが、面白そうだ。
「あっそれだよ〜」
「……」
 今度は何じゃ、とユイは面倒くさそうに顔を上げた。多分目をキラキラさせてるだろう雰囲気でルナが側に来ている。
「パズルのことなんだ。作りかけが良いって」
 ルナは身を乗り出してユイが開けた袋からピースを一つつまんだ。いつもながら器用な触手だ。
「パズル作りかけ作りかけって、気になってたら良いかなって思ったんだ」


「幸せだから思い残す事ないって、死んじゃったらいやだなって。俺はもう十分生きた、がふう。とかなったらイヤなんだもん」
 身振りを交えて小芝居しながら、ルナは懸命に訴えた。
「だからねー、作りかけだから家に帰って完成させるんだ! ってバリバリ生き伸びて欲しくて考えたの」
「お前……」
 戦場ロマンスにでも凝ってるのか、と苦笑する。
「だってー、この前読んだ本でも恋人と結ばれてハッピーみたいなシーンで『わたし幸せよ。もういつ死んでもいいわ』って言ってた女の人が後で死んじゃってガビーンって思ったんだもん」
 くねくねニョロニョロと大袈裟に騒ぐ姿は滑稽だが、ユイはそんなルナを撫でてやりたくなった。
「だからもういい≠チて死んじゃだめだよ」
 ユイは伸びてきたルナの触手を握った。反対の手でピースを選り分けながら応える。
「俺はお前が思ってる程練れてないし、いつでもネチネチ生き残るつもりだし」
 折角だからもっと手軽に地球を眺められるまで生きてみたいと思う。
 例えば二人でコンビニに行くように、軌道ライナーに乗れるとか。
「簡単には死なないよ」

 (1stup→090329sun) clap∬

 語尾の棒モンダイw が気になるので修正。
 (220801mon)


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