■terror 01

「今日は寒かったね。お茶どうぞ」
 ぼくはどきどきしながら熱い湯のみを渡す。顔に出ないよう懸命に。
 ──駐在さん。
「ありがとう」
 駐在さんは湯のみを両手で包んでほっとした顔をしている。手が冷たかったんだ。


 あの距離を自転車で帰って来る、駐在さんはイロイロすごい。交通費がもったいないとか、ソッチは笑える。残りの半分は、きっとトレーニング代わり。ぼくにはあんまり見せないけど、暇を見つけては何かしてるから。
 ぼくらの住んでる地区は河口にある。だから中洲や埋め立て地を結ぶ橋が沢山ある。夜明けや夕方の空に架かる橋はすごく綺麗だ。光の白で灰色と紫を押し上げて朝が昇ってくる、雲を染めながら、夜が降りてくる。文明が作った橋だって、そんな時間の顔の一部。オレンジ色の照明が、隣の埋め立て地へ、更にずっと向こうへ、幾つも連なっている。ぼくはその電気の灯火も、生きてる光だって思ってる。だって街が死んだら、消える光だから。あれは生き物。
 いろんな人が生きてるんだな、と思いながら、橋の灯りと遠くの港の巨大なクレーンをみるのがぼくは好き。
 ネコのロゴが入った、あの大きなトラックが消しゴムより小さい。たまにバイクが渡って行くけど、人の顔までは見分けられない。最初の頃、橋に歩道が付いてるってぼくはすごく驚いた。
 いざという時の為付けてるだけかなって思ったけど違った。意識して見ると、小さな人影が見える日は結構あった。通路+αな意味がある人も少なくなさそう。
 人間は使わない養分が溜まり過ぎると毒になるみたい。だから病気にならないよう体を減らそうとする。
 この街にはソレだけ食い物が豊富にあるんだろう、駐在さんは言ってた。
 健康の為にウォーキングする人や、競技仕様の自転車なんかに、結構会うらしい。駐在さんもそうだけど、皆元気だなって思う。ぼくはだめかも。寒いのは苦手なんだ。
 揺れるクレーンと吹き流しを思い出す。橋の上なんて、今日みたいな日はどんなだろう。考えるだけで凍りそう。


 顔を暖めるみたいにお茶を吹いて、駐在さんが湯のみに口をつける。そんなくつろぎかけた姿を見ながらぼくは、何て言うのが自然か考えていた。
 駐在さん、駐在さん。
 イイコトしてあげます。


 保温にしていた鍋を下ろす。いつも思うんだけどこの火のマークって変なの。コンロの温度Lvを表すトコロには、低には1コ、中には2コ、高には3コ、しずくみたいな赤い記号がある。かわいいのだと、小さい顔が書いてあったりする。普通の家で使うコンロから火なんか出ないのに。きっと昔の名残りなんだろうな。
 でも火の出るコンロって良いよね。いつか自分で買うのもぼくの夢だったりする。そして今よりももっとおいしいもの、食べてもらうんだ。
「ごはんできてるよ〜」
 ウキウキした気分で、駐在さんの顔をみる。夢のことを考えるのは楽しい。おいしいもののことも。
 駐在さんはテーブルに湯のみを置いた。
「先風呂入っていい?」
 いまぼくが置いた鍋と、食器なんかを眺めてる。
 あらら。
「すぐ食わんといかんものがあるならやめとくけど」
 家事をしない人なら、誤魔化せるんだけどな。
「ううん、大丈夫だよ」
「何かまずかった?」
 ぼくは顔の前で手を振った。


「まだ洗ってないんだ。待ってて」
 風呂場に行って、3分待つ。そのくらいあれば、洗った感じ?
 時々シャワーを流すのも忘れない。
 最後に、掃除道具とかにもお湯をかけておく。
 部屋に戻ると駐在さんが自分で淹れたお茶を飲んでいた。
「温度はいつもと同じで良い?」
 駐在さんは熱いお風呂が好き。聞くと今日もやっぱり熱めが良いって。あんまり浸かってるとぼく茹だりそうだけど。
 洗面所に向かいながら、思い出したみたいに振り返る。
「あ、あと」
 不自然に笑ったりしないよう気をつけて続ける。
「ぼくコンビニ行ってるね。ちょっと欲しいものあるから」
 急いでるっぽくその場から、にょろりと腕を延ばす。風呂場へ着く頃には、手じゃなくて細長いスライムの一部になってる。その触手で蛇口をひねる。狭い空間がすぐにほんのり暖かくなった。
「お風呂上がるまでには戻るね」
 リビングのドアは開いてちゃいけない。出掛けるときの仕草としてごく当たり前に閉めようとする。ドアノブを握ったぼくを駐在さんが呼び止めた。
「上着は?」
「あっ、あ、そうか」
 ぼくは今度こそ本当に慌てて、コートを取りに部屋へ戻った。
「気をつけてな」
 別に急がなくていいから、なんて駐在さんは湯のみを片手に黒いままのTVの画面をみてる。多分、頭の中でこの時間の番組を検索してるんだ。
 自然な流れで玄関を閉めるぼく。バレてない。大丈夫。
「いってきますー」
 あやしいかなあ。
 ドアを戻しながら、ぼくは平たく拡がった。


次のページへすすむ
Story? 01(小話一覧)へもどる
トップへもどる