■僕は月をみない猫に 01
トムソン=ブレイド、だなんて大仰な名前がついてるけどひ弱な僕は、それなりに努力して、今や、熱いハートでクールに戦う筈の司法の尖兵だ。それなのに、
「僕ってサイテーだ……!」
何でこんなコトに、なってるのか、こんな出来事があったからだ。
その日、彼は24h勤務だった。いわゆる丑三つ刻という時間だろうか、つい船を漕いで消しゴムを落とした。人気の無いオフィスは気味が悪い。自分達のデスクだけを照らすライトは、冷たい輝きで、5分前まで人間だった異形を思わせる月に似ている。
どうせなら昼光タイプにしてくれればいいのに、とか思いつつ、彼はそのとき、椅子の下の消しゴムを拾おうとしたのだ。
途端、奥歯が軋むような感覚に、視界が引っ張られた。
見えてはならない筈のナニカが、視
それなのに、
一瞬で白髪となった男に、反物と引き替えに娘を失った老夫婦に、女房を空へ還してしまった旦那に、永遠を手に入れそこなったやんごとなき始祖に、彼は首を傾げていたのに、今なら分かるというのだろうか?
みてしまった。
怖い怖いと言いながらも、指の隙間からのぞく怪奇映画のように、塞いだ筈の視界から、彼はソレを見い出した。
はじめはぼんやりと、砕け散る機材──PCのモニタやデスクの書類があちこちを飛んだり、置きっぱなしのコーヒーカップが割れたり。やけにゆっくりと変化が展開され、信じ難い様相となり、追い付いた現実が脳内の速度を並みに引き戻した。
内耳に響くのは、刀身がぶつかる音だ。時代がかったブロードソード。ファンタジー系のゲームなどで当たり前の剣として登場するそれは、主に叩き斬るのが目的。遠目にも美しい装飾がなされた柄には、内側から光を放ってでもいるような、緑色の宝石。実在する刃のついた武器には疎い彼にも、その剣が尋常で無いシロモノであると容易に想像がついた。そして、その持ち主も。
それは、彼の想像を軽く蹴飛ばすような戦い方だった。
剣の持ち主は彩る宝石に似た緑色の瞳に、淡く透明な草色の髪をなびかせ、ありえない力でパーティションをバターのように斬り捨てた。
まさに彼が散々やり込んだソレ系のゲームから抜け出して来たかのような男。引き締まった体躯を覆う鎧、肩より僅かに長い後ろ髪、切れ長の瞳。ついでに右頬のバッテン傷。
彼女らがみたら沸き上がる夢やら何やらに卒倒しそうな美青年。
想像を蹴飛ばす、というよりは、現実の世界に想像が無理矢理その間のナニカを突き破って出てきたかのような。
「何だよ、根性ねえな、オマエ最近たるんでるんじゃねえか?」
にやり、と形の良い唇の端を釣り上げ、男は息一つ上げずに言い放った。
──エルフだ……!
彼は身を潜めたデスクの下で驚いた。彼の視界で初めて制止した男は、一対の長い耳を持っていた。動いていた時よりも、その顔は苦みばしって見えたが、それでも青年と呼べる外見だ。まあ、エルフなんだから実際に何歳なのかはさておき。
──一体なんなんだ!?
「これで終わりかよ……そんじゃま、そろそろ」
屈み込んだ男だったが、素早く顔を上げ、一瞬前まで何も無かった目の前の空間を蹴飛ばす。右手の剣が斬り掛かった何かと激しく衝突し長い脚の先にある靴底が、薄っぺらな人影をこれ以上ないくらい派手に吹っ飛ばした。
プラスチックが弾ける音、紙の山が崩れる音、それから倒れたデスクをかき分けるように、ゆらり、と人影はそれでも立ち上がった。左手の刀で小柄な身体を支えるようにして、いつにも増して浮いたような瞳が、男に向けられる。
──た、隊長……!
確かに、それは彼の上司、今日のシフトの相棒、左利きのサムライ(?)、でこの街に初めて導入された司法組織によるにゅーろのうと部隊の小隊長だった。いやもちろん、さっきから尋常で無いあのエルフの騎士と斬り結んでいたのもその人だったワケだが。
にわかに信じ難い光景。
こんなのは、人間の戦い方じゃ無い。
荒唐無稽すぎる光景に、彼はうろたえ、吸い寄せられるように見入った。
大きく肩で息をする人影に、最初は労るつもりなのかと思うくらい気さくに近づき、男は大きく袈裟掛けに剣を降り下ろした。
思わず目を閉じたトムの耳に、肉を切り裂き骨が砕けるあのイヤな音は届かなかった。
剣で薙いだら容易く真っ二つにされそうな細い身体が、床を踏み抜きそうな勢いで男の剣を自分の刀身で押し返そうとしていた。
金属がせめぐ、鍔競り合いの音が響く。
「なぁ……ユイ、オマエそろそろ限界なんじゃねえの」
あんな一撃を受け止めた腕も大したものだが、指摘されたようにソレだけで手一杯のユイに対して、男は鼻歌でも歌い出せそうだった。
「俺様的にもソロソロ許してやってもいいかなとは」
どこをどんな風にやったらそうなるのか、トムには分からなかったが、男のセリフを途中で遮り、ユイは低い姿勢から斬り掛かり、弾き飛ばされながらも素早く着地し、体勢を立て直した。
「まあやるっていうならつきあうぜ」
そう言って男がぺろり、と唇を嘗めると、長めの犬歯がちらり、と見えた。
──どうして。
と、トムは思った。隊長──ユイが刀を抜くトコロを目にしたコトはあまりなかったし、本人は居合いではないと言っていたがトムには抜いた刀が鞘に戻るまでの間何をしたのか、いつも分からなかった。
携帯許可が下りるくらい、使えば直ぐに仕舞えるくらい、密かに嘆息するくらい、ユイは強い。
今だって、押されっぱなしとは言え、生半可な腕だったらとうに挽肉になりそうなトコロを凌いでいる。
でも、トムは思った。
──この人はこんなに弱くない筈だ。
男が決して手を抜いている訳ではないことも分かったが、それでも、ユイはもっと強い筈だとトムは思った。
わからない。何をどうすればあの完璧な、一見粗野にも見えるが華麗な程完璧な男の牙城を崩せるのか、そんなものは逆立ちしたってわからなさそうだったが、押されっぱなしのユイの姿を、トムはいぶかしんだ。
あれではまるで、
「もう後がないぜ」
カウンターの隅に追い詰めた獲物を見遣って、男は楽しげに告げる。
張り詰めたユイの気配。でも、一瞬怯えたように揺れた瞳を見て、トムは得体の知れない背中がざわざわする感じがした。
まるで、いつか負けると知っているかのように、その光景は軋む。
──何なんだ……。
あの男は何だ。あの人は、
そして、ついに弾き飛ばした刀を踏み付けて、崩れ落ちそうなユイの腕を掴み上げると、ぽいっと放り投げ、壁に叩き付けた。
──何で? 何で?
いつもは自分が言うセリフじゃないのに、トムは心の中で何度も繰り返した。
こんなのはおかしい。
そして、どうしてこんなに自分がうろたえているのかも、まだ気付かないままに息を潜め──自分がそうしてうずくまっていることすら忘れて、トムは目を塞ぐこともできず、ただそこに居た。
男は、やれやれと言った様子で剣を鞘に納めると、さっきまで溺れかけてでもいたかのように息をするユイを軽々と持ち上げた。ユイは、諦めたような眼差しで男を見上げて、押し付けられた壁にもたれた。男が手を放すと、ユイは姿勢を正そうとはせず、ただずるずると壁を滑って身体が傾くままになったが、それをもう一度精悍な腕が背中から抱きすくめる。
「たっぷりかわいがってやるよ」
男はそう言って、未だ呼吸の乱れたうなじに口付けた。
──ダメだ! こんなこと! こんなこと!
トムは兎に角焦って、更に身を潜めた。
──なななな何て見たら恥ずかしいんだ!
あわわわわと、叫びそうな口元を押さえて、トムは慌てふためいた。
でも、結局最後まで彼は机から飛び出さなかった。
男は、ユイに乱暴はしなかった。
多分、ちゃんと扱っていたと思う。
確かに、ユイは長い睫に囲まれた瞳を潤ませて、零れ落ちた涙はぽたぽたと床を濡らしていたけど。
今にも壊れそうな息遣いに、儚げな悲鳴に、トムはユイがあのまま死ぬんじゃ無いかと思ったりもしたけど。
きっと、彼はユイを陵辱した訳じゃない。
何でそう思ったのかは、その時のトムには分からなかったが。あの剣の輝きは邪なものではなかった。
それから、去り際にユイの黒髪をくしゃくしゃ撫でながら告げた声はどこか優しかった。
「また今度な」
次はもっとイイコトしてやるよ、という捨て台詞は男の自信をたっぷりと見せつけられたようでちょっとムカついたが。
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