■僕は月をみない猫に 02
我に返ると、どこをどう移動したのか、洗面所の前にいた。
間抜けなコトに、消しゴムを握りっぱなしだ。
顔が赤い。
そりゃそうだ、と思い、またその気持ちを殴りつける自分がいる。
トムは火照った顔を洗うと、部屋へ戻った。
何故だかそんな気がしていたのだが、隊のオフィスはがらんと静まり返って、きちんと片付いていた。何事も無かったかのように、机もPCも、誰かが投げっぱなしのスリッパでさえ、変わらずそこにあった。
やっぱり幻覚、気のせい、あんなことは無かった。
トムは叫びながら歩き回りたかった。
そんな訳ないから。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
トムはそこだけが違っていた消えた灯りを点す。
消えてなかった筈の灯りに、自分のデスクが照らされる。
上には、書き掛けの書類。
消しゴムで消そうと思った書き損じが、そのまま。
何事も無かったかのように、トムは作業を続けようとする。景色だってそうしているのだからと、ため息をつく。微かに人の気配がして、顔を上げる。
カウンターの向こうの暗がりに、ぼんやりと華奢な人影。
「隊長?」
「なに?」
何事も無かったかのように、ユイは顔を上げた。
まあ、部屋の隅にしゃがんでいる、この程度の奇行なら、いつでも、この人にはありえる、とトムは思う。
「ご免、もどります」
そうだ、いつものように何か突っ込まれると思って、ユイはそんな事を口にしている。
「お疲れなら、休んでて下さい」
「いや……別に」
こうやって聞いていると、なんだかもう、トムは叫び出してしまいたかった。
──おかしい。
──この人は何を言ってるんだ!
ユイが直に床へ座っている暗がりまでつかつかと歩み寄る。
「えーっと、すいません、もうしません」
またもやユイはピントのずれた言葉を紡いだ。
──もういいです、もういいですから!
吐き出してしまいそうなソレを飲み込んで、トムは震える声で言った。暗がりで顔が赤いのがバレていなければ良いのだが。
「あの……」
「なに?」
正座したトムの尋常ならざる視線に、さすがのユイもちょっとは身を入れて聞く気になったのだろうか。ぺたりと座り込んだままではあったが、耳は傾けてくれそうだ。
「身体、大丈夫ですか」
「え……なに?」
「あのあの、あの、何ていったらいいかその! そのあの、ケ……ケガとか無いですか……あー! ナイ訳ないですよねでも」
言うべきだったのか黙っているべきだったのか、混乱して、トムは支離滅裂なコトを言った。
「すいません、やっぱり、黙っておかなくちゃいけなかったんです、でも、大丈夫なんですか? いや何言ってるんだ僕そうじゃなくて……あの、隊長……さっきの……」
顔を上げると、ユイはいつもは眠そうな目をこぼれ落ちそうに見開いて、固まっていた。トムは彼がこんなに大きな表情をするところを初めてみた。
「えーっと……」
そのまま、白手袋の手で自分の口元を押さえ、見ているこっちが熱くなりそうなくらいユイは耳まで赤くなって呻いた。
「みた?」
このまま泣いてしまうんじゃないかと、トムは内心うろたえたが、それで動揺を何とか収めたようだった。まあ、さすがというか。
「ごめんなさい」
トムは兎に角頭を下げた。
「……いいよ……でも、なんで?」
やっぱり、とトムは思った。アレは見えるべきでない何かだった。
「は……はい」
人間驚きすぎると疲れるものである。いつものふざけた余裕からでない脱力ぶりでユイは赤いままの顔を伏せている。そんな表情を目の当たりにすると、トムは何だか背中がざわざわしてきた。返事をする声も、かすれてうわずった。
聞いているのかいないのか、ユイは床に手を付いて、何事か考えつつ、震えるようにため息をついた。滅茶苦茶恥ずかしがっている、とトムは思う。自分だって、同じ立場だったら、きっと今すぐにでも叫び出したい、ぐるぐる歩き回って騒いでしまいたい。
「あのー」
「うん」
ユイは恥じらったままの表情で、うなずいた。うわの空というワケでもないらしい。
「今までも、時々あったんです、見えてしまうみたいなんです、誰かがいなくなったのを皆が知らなくてソレを変だなって思ったり、すれ違った人の部品が、なんだか多かったり少なかったり、おかしな形をしてたりとか」
「そうか……」
要領を得ないトムの話を黙って聞きながら、ユイは少しずつ落ち着きを取り戻したようだ。全てを語り終わった頃には、少しこの部屋は暑いかな、くらいの顔色で、いつの間にか窓枠に手を置いて月を眺めていた。
「こんなこと誰に相談していいものかもわからなくて、まあ、そういうものもいるのかなと思いながらスルーしてきたんです」
そう、知ってはいたし、熱いハートでクールに闘わねばならない今となっては、重なり合う幾つもの世界に他のどんなものが潜んでいるのかくらいは、なんとなく。
「何かしてくるワケでもされるワケでもなし、僕が見なかったことにすれば深淵も目をつぶってくれるだろうって……ホント運が良かっただけといいますか」
古典の一説を引き合いに出して、苦笑する。
「あの、でも、これからも僕誰にも言いませんから、た……隊長のその……プライベートなコトなんかも、僕は何も見てませんから」
そう言うと、ユイはまた口許を押さえて赤面した。
「いや……そんなコト言われると」
余計恥ずかしい。当然だ。
──あんな……あんなコト……。
消そうとしても蘇る記憶を丸め込む、蘇る、叩き潰そうと頑張る。
「あー! あー! すいません! 忘れます! 忘れますから!」
「いいよ」
トムが我に返ると、柔らかな白手袋の手が、平謝りして頭を下げ続ける肩に乗っている。
「自分のせいじゃないし」
「た……隊長……すいません」
うなだれるトムに、ユイはポケットテッシュを渡した。
「えっと、泣くなよ」
「そ、そんな、泣いてませんよ!」
「メガネ曇ってる」
この状況でこの立場はおかしいだろうと思いながらトムはテッシュを受け取り、これ以上は何を言ってもムダだと気付く。
デスクに戻ってメガネを拭くトムに、ユイは自分も椅子に腰掛けながら言った。
「やっぱり、ちょっとだけ寝ていい?」
「いいですよ、30分経ったら起こします」
それから、トムは何も言わずに仕事を続けた。本当に、その日は何も起こらず、ユイはいつもと変わらぬ態度で黙々と次の隊に引き継ぎを行ってカードをスキャンした。
更衣室で着替える時も、何とも言えない沈黙のままだった。考えてみればいつもそんなに何か話をしていたワケでもなかった。ユイはカタブツのトムがハラハラするくらいふざけるのがダイスキ──もっともこの隊では自分以外は全員そう──な人間だったが誰かが話し掛けないと口を開かない。
そして、トムは仕事中に雑談の出来ない性格だった。そう、誰かに話し掛けられでもしない限り。
思えば他に誰もいない状況で、この隊長と何か話をした事などあっただろうか。強いて言えばコーヒーに入れる砂糖の量くらいか。
幻のような風景を追い掛けて、追い付いて、今や手を延ばせば届く距離にいたのに、そう思うとラクになれると思ったのに、気持ちは沈む。ちらりと盗みみた背後で、ユイはぎこちなく、億劫そうに私服の上着を羽織っていた。あちこちぶつけられて打ち身だらけなのではないだろうか。でも、気の利いた言葉のヒトツも掛けられないまま、トムはおつかれさまでした、とやっと一言告げてドアを閉じた。
翌日は日勤という困ったシフトにも係わらず、トムは一睡も出来なかった。
そして、また困ったシフトが巡って来た。
「それじゃ、そーゆーことで、よろしく」
いつものセリフで、ユイは黄色いテープを潜る。
今日は仕事があった。まあ、例によっているだけ、の一山幾らの仕事。上位組織に散々小突かれて、邪魔にされて、端に追いやられて控えを取り、雑多な作業を引き受けたりとか。
与えられた領分をこなして、やれやれと派手な看板が巡る空を仰ぎ見る。見事な満月だ。
「お疲れ様です」
晴々とした気分で、つい、声を掛けてしまう。自分達のエリアに戻った安堵ですっかり忘れかけていた。
──あ、話し掛けちゃった。
そして、何事も無かったかのように淡々と返されて、また自分は無意味に傷付いたような気になるんだろうと投げやりに思う。でも、返事は無かった。
「……隊長?」
様子をうかがうようにそっと話し掛ける。
振り返った瞳は気怠そうに澱んでいて、一瞬、あの夜にみた妖しい影がよぎった。
「あー……何だっけ」
「ツインテールの卵なら、五番目の扉の端ですよ」
「わかった」
「……」
いまこの人はうわの空で、何か他のコトを想っていたんだ、と悲しくなりながら、幾分か乱暴に自動ドアを通る。
「先に戻ります」
「何怒ってんの」
「怒ってませんよ」
「そうか……そうかも」
ぼんやりとつぶやきながら、後を付いて来る軽い足音。まあ、行き先が同じだから仕方が無いと言えば、無い。
真面目くさった表情で足早に歩くトムの後ろを、ヘッドセットを着けたままユイがとことこと付いて歩く。気の抜けたセリフにキレ気味の受け答え。それを、すれ違う社員がちらり、と見る。顔を知らない訳じゃ無し、彼らの事ならお決まり。のんびりした隊長に、せっかちな若いヤツ。あそこはいつもそうだよな、と思ったりとか。
「ナニコレっていうか……何か痴話喧嘩っぽくないか? こんなコトしてると」
「ななななな何てコト言うんですか! ホントにそうだと思われたらどうするんですか!」
「そんなワケないって」
「え? ……そ、そうですよね」
もしかしてワザと言ってるんじゃないかと思うくらい、ユイは面白くも無いふざけ方をしている。
考え過ぎだと思いながら、トムは黙って歩いた。
腕時計を取りに更衣室へ戻ると、出しっ放しの水の音がした。しょうがないな、と思いつつ奥へ進むと、棚の影から脚が床に投げ出されている。
人が、倒れている。
「うわっ、た、隊長、隊長! どうしたんですか」
肩を掴んで揺さぶると、トムは懸命に呼び掛けた。
「……気絶してません」
「え? ええ!?」
トムが慌てて手を離すと、ユイはふらふらと立ち上がった。
「ごめん、ちょっと立ち眩みしてしゃがんでただけだから」
水、出しっ放しだよな、と言いつつ、ユイは洗面台へ歩み寄る。
──ま、まさか……。
また、またって、あの時言ってた!
「違う、そうじゃない」
鏡の中でうろたえるトムを見て、ユイは言った。
「はい……」
それを疑うほど、トムは不粋な人間ではない。
「すぐ直るから、先……戻っ……て」
ユイの言葉は途中から苦しげに途切れて、その手は結局水を止めることなく、倒れかけの身体を支えるように台の縁を掴んだ。
「大丈夫ですか? 医務室行った方が」
「嫌だ」
「え?」
支えようと伸ばした手から逃れるように、ユイは後ずさった。
「いや……あのー、いいから、はなれて」
「隊長?」
トムはいぶかしみつつ、手の感触を思い出す。とても、熱かった。
「もしかして、熱あるんじゃないですか?」
トムの手の平が、ユイの狭い額に届いた。振り払われるかも、と思ったが彼はそれ以上逃げなかった。
「そんなこと、ない」
弱々しい口調に手の下の表情を思って、何だか覗き込みたいような気もしつつ、用が済んだので急いで手を離す。
「ありますよ、多分、かなり熱いです」
「そんなことないって」
いつに無く早口で言い張ると、ユイは出しっ放しの蛇口に乱暴に手を伸ばし、何度も顔を洗った。それから、はめたままだった手袋をしばし眺め、脱ぎ捨てるとポケットから新しい手袋を出す。
「それじゃ、そーゆーことで」
などと言いつつ、手袋をはめ直した手と袖口で顔を拭う。それでは新しい手袋の意味が無いのでは、と思うトムを押し退けるようにロッカーへ向かう。でも、その足取りはどう見てもおぼつかない。
「駄目ですって」
思わず、しっとりと水気を含んだ手袋の手を掴む。
「……!」
しまったと思って手を引っ込めようとしたが、出来なかった。掴んだはずの手はトムのあまり大きくない手──それでもこの小柄な隊長よりはしっかりしていると思う──を握り絞めていた。一歩踏み出す虚ろな仕草にたじろいで、トムは握られた手のコトを忘れて飛び退いた。出来なかったので、バランスを崩す。気が付くと、洗面台の壁に背中をくっ付けた格好で、トムは華奢な腕に抱き締められていた。
「たっ隊長!?」
正直息が苦しい。片腕片脚だけとはいえ、サイバー化している彼に本気で締め上げられたら、自分の大したことのない身体なら無事では済まないだろう。まさか。
──あの事、口封じの為に? 僕を殺す気か?
「いや、そんな……そんなこと……」
僕は何も知らない。この人のコトを、僕は何も知らないけれど、だけどそんな人じゃない、それだけは知っていると、トムは思う。
「たい……長……」
息苦しいけれど、それ以上は力が込められるコトもなく、うろたえるトムの胸に、腕を回された背中に、苦しげな吐息が触れる首筋に、高い体温が伝わって来る。時々身じろぎすると、鼻先にある黒髪が揺れて、微かに石鹸の匂いがした。
そして、自分もまた、ひどく熱くなっていると気付く。
「……」
深呼吸して、少し考えて、そっと、自分を抱き締める背中に手を、今はきっと頼りなげな、背中に手を回そうと、とてつもなく長い二秒。
落ちていきそうなトムの後頭部を壁が殴り付ける。
「……ごめん!」
滅茶苦茶痛い。そう思いつつ目を開けると、しがみついていた身体を引き剥がすように、頭を打ったトムを支えるように、両手で肩を掴んだユイが、泣き出しそうな顔で見つめていた。
「ごめん! 俺、自分になんて謝ったらいいか……その、ごめんなさい」
悲しそう、というよりはその顔はひどく悔しそうで、どうしようもない屈辱に耐えているみたいだった。
「隊長……あの」
「マジで悪かった……ごめんなさい」
トムが言葉を掛けようとしても、ユイは弱々しい口調で言い募る。
「ごめん……で済んだらケイサツなんかいらないんだけど……ごめんなさい、その、お前の気が済むなら……! そうじゃなくて、何言ってんだ俺」
こんな時でも光の乏しい、それでもお人形のように綺麗な瞳に、涙が滲むのをみて、トムはユイを洗面台の前に立たせて、ハンカチを差し出した。
「隊長、顔、洗ってて下さい。俺何か飲み物でも買って来ます」
──あー。さっき、俺って言っちゃった。
自販機のボタンを押しつつ、トムはそんなコトを思った。余程親しい友達、それこそ、初等部以来の幼馴染みでもなければ、両親ですら、彼のそんな一人称を聞いた事などない筈だった。
あとは、大学生の頃、初めて付き合ったサークルの後輩の女の子、あの子とデートしたとき年上振って使ってみたくらいだ。俺とか言ってみたら、何かちょっと守ってあげられそうな気がしたんだ、と思い出す。
更衣室に戻ると、ユイは月に背を向けるような形で床に腰掛けて、ぼんやりと自分の影を眺めていた。
「隊長、グレープフルーツとヨーグルト、どっちがいいですか」
「グレープフルーツ」
床に座るのは抵抗があった。正直、あまり行儀が良いとは言い難い。トムは、この一見深窓の令嬢っぽい──イチヤに言わせるとモッタイつけたオヒイサマ──青年──まあ、本当の年齢から考えればそう呼ぶべきだろう──に、奇妙な癖があるのを知っていた。例えば、椅子に反対向きに座るとか、シートも無いのに平気で土の上で寝られるとか、こうやって床に座る、とか、確かに、他のどんなコトでも、彼は受け容れ、あるいは踏み付けて、生きてきたのかもしれない。
「いただきます」
手を合わせると、ユイは右手でパックを持ち、左手でストローを外した。見慣れた左利きは兎も角、手袋をはめたまま、というのが器用だな、と思う。ユイはいつも、この安価な手袋をはめている。ファイルに挟まった紙だって簡単にめくる。クリップを探る時も、外さない。それは、妙と言えば妙なんだけど、柔らかで汚れのないユイのイメージにはぴったりくるシロモノだった。
「ハンカチありがとう、洗って返すよ……えーっと、明日とか明後日とかは無理かもしれないけど」
「いいですよいつでも」
「うん……ご免……あ、でもイヤだったら新しいのと交換するし」
「いいですいいです、そんなこと」
とりあえず、コレ飲んだら戻ろう、それから、また何も無かったように振る舞えばいいや、と、トムは思いつつ、少しずつ、ストローに口を付ける。喉は乾いている筈だったし、疲れてるから甘いものはありがたいんだけど、空にしてしまうのが嫌だった。
──何考えてるんだ、僕は。
自分の気持ちを殴りつけて、横を向く。見ると、同じように一口飲み込んではぼんやり顔を上げ、床に延びる影なんか眺めたりしながら、ユイは紙パックをもてあそんでいた。へこんだ箱に息を吹き込んで、四角く戻したりとか。子供っぽい仕草だ。
空になったパックを傍らに置いて、ユイは片膝に顔を埋めるような姿勢を取った。
「俺……満月の夜とか、ダメなんだ」
背中越しに窓を見ると、青白い深淵が灯っている。優しい夜の女王でもあるが、例えば、ピュアな夢を守るお姫様とか、けれど、タロットカードのソレは、漠然とした不安や、欲望の象徴。そして、魔が崇める光。
「これでも一応人間のつもりなんだが」
元は太陽の光であった筈なのに、何故あんな冷たい岩とクレーターしかない天体の照り返しが、様々な波紋を投げ掛けるのだろうか。
「でも……半分は、何か他のものの血が混ざってる……だから……何か月が満ちてくると自分が抑えられなくて」
口にすればする程、自覚してしまうのか、時々苦しげに手を握りしめて、ユイは呟いた。
「ダメなんだ……いや、どうにかならないかって、自分で何とかしようともしたんだけど」
と、苦笑しつつ、トムの顔を見る。
「え? あー……」
ソレにはトムも笑うしかなかった。まあ、さみしい君は皆やるコトである。しかし、日頃おおよそ人間味というか本能的なモノを感じさせないユイのそんな姿は、正直滑稽だった。まあ、ちょっと心臓を掴まれたような気持ちも、しなくはなかったが。
「何か余計切なくなるっていうか……それで気が付いたら、血が欲しくてその辺うろついてる蟲とか喰べてたり」
多分ソレはハチやアブなんかじゃないんだろうな、と、トムは思う。自分が今まで目を閉じてきた、あの景色の向こうに蠢く他の何か。
「びっくりした?」
「……!」
覗き込まれて、はっとする。
「はい……」
ウソは言えない。冷静でなんかいられない。むしろ、こんなに落ち着いている自分が不思議だ。
「うん……でも、喰べる為に人は殺さないから、今までもそうだったし、これからも……」
ユイは自分に言い聞かせるように繰り返した。
「大丈夫、仕事辞めないから、ずっと……」
辞めた方がいいかななんて相談はしない。強くて本当に羨ましい。だから、変人扱いされてても、尊敬してる。頼って欲しい気もするけど。
「……隊長……悪く、ないですよ」
「なに?」
「隊長は悪くないですよ、きっと」
──僕は、
「僕は、あなたみたいになりたくて、警察官になったんです」
──うわ、僕今滅茶苦茶赤くなってる、大体何で今こんなこと。
「覚えてないと思いますけど、昔、絡まれてる所助けてくれましたよね」
「うん……忘れてました」
がっくりとうなだれるも、まあ、ソレはいい。ソレはソレで、自分が勝手に追い掛けた幻だ。
「何かこう、男はターミネーターみたいなムキムキじゃないとダメみたいに思われてるじゃないですか、ソレを、僕のみじめなコンプレックスごと蹴飛ばしてくれたみたいな」
「そっか」
「そうですよ」
トムは笑顔で言った。
「だから、隊長はすごいです、この前もやっぱり」
しまった、と思うが遅く、ユイは蒼白になって硬直し、そのあとまたのぼせたように赤くなってうつむいた。
「すいません! 忘れるって言ったのに! でも、その事じゃなくて、その前に、戦ってたじゃないですか、ホント、映画みたいでした」
あてられたのと、純粋な興奮に熱くなりながら、一気に言って、自分の赤い顔を気にする。同じ毛細血管の反応なのに、なんか、こう、ちがう。
なにがって、そういうの考えるのは、ダメだ。
今のだって、ホントはいけない。
「不謹慎、ですね……」
子供っぽい自分が恥ずかしい。年相応に、男らしく──チョットちがうか──例えばイチヤのように性的に不適切な発言だってしてみたい。先輩と二人して、隊長に『ヤらせろ』なんて、軽口、そこまではムリでも、そう、色っぽいジョークのヒトツくらい、言えなくてはならないのだ。何に対しての使命感かはわからなかったが。
「スミマセン……でも、ホント、凄いです。あんな風に動けるなんて、あんな強い……エルフ? と」
「ソレであってるよ」
「エルフの戦士と戦えるなんて……ってアレ? エルフってあんな感じなんですか?」
「イヤ、標準はディードリッドが近いから。あんなD・Sは規格外」
「……隊長って、結構ヲタクですよね」
「ん、字が書いてあればなんでもおけ。メディアミックスは面倒で追えないから、しらんよ」
「そうなんですか」
「自分は細かそう」
「RPGでは設定できれば自分の名前を主人公に付ける小学生でした、勿論友達とはヒーローごっこ、自作のオムニトリックスは今でも宝物です」
「ソレ、おもしろいの?」
「最高です! あ、いや」
スイマセン……と頭を抱える。やってしまう。どこが楽しいかなんて興味を持たれたら、止まらなくなる。さすがに今はマズいだろ。
「そんな感じで、そのまま突き進んで、大きいお友達です。萌えも、燃えも、大好物で、まあ、現実の僕じゃ、叶わないユメ昇華させてます」
猫のように柔らかなまなざしに、トムは申し訳ない気持ちになった。
このまま100年でも、耳を傾けてくれそうだ。安心させるつもりだったのに、僕がもたれてどうする、と自省。
「隊長は、あの人? に鍛えられたんですか」
話を戻す。
あの美形エルフの剣もパワータイプにみえた。
「師匠って事なら、違うよ」
ああやって相手はしてくれるけど、と付け足す。
「それに力が有り余ってるから誤解されやすいけど、アレで聖騎士
「そうなんですか」
「俺の動きが雑だから、ソレに合わせてるのもある」
「……」
「なに」
「あ、あのその、模擬戦闘……」
「あれは、時空間の座標とか確率とかに割り込みを掛けるとか畳むとか……俺もよくわからない。何か結界みたいなのだと思う」
それこそライトノベルに出てくるような。
「原理は兎も角、納得は出来ます」
トムは小さく苦笑した。
しかしソレではない。
あの非常識な殺し合いへの疑問は、別のがヒトツ、ある。
「でも……」
「?」
あどけないくらい、隊長は無防備に自分をみている。堪え切れずに赤面する。
「敗北の、あのそのっ……代……償なんですか」
一瞬よぎったゲスな単語を振り払う。無様に赤面してしまう。お仕置きなんて、いけない。駄目。大体、自分が動揺したら、またこの人を不安にさせてしまう。あんな顔して恥じらうなんて、でも、傷付かないで欲しい。泣きそうにはならないで欲しい。
「模擬戦そのものも」
ユイはそっと右腕に触れながら静かに言った。自分よりも、ずっと落ち着いている。また自省。
「オマケみたいなもんだから」
だけどやっぱり、ユイの白い頬がうっすら染まる。僅かに泳いだ目が痛々しい。
「俺がおかしくならないように適度に発散させてる。消耗すれば動けなくなるし、何か喰えれば、おとなしく寝るから」
ソレが、精気≠ニいうもので、今の彼には、殺すか、交わるかでしかチャージ出来ない。
前後不覚になって、見境が付かなくならないように、誰かに満たしてもらわないといけない。
理不尽だ。だけど自分に何かしてあげられる力なんかない。寧ろ、そうやって庇護を受けられる誰かが彼にもいる事を、少しは救われてるって思った方が生産的だ。
出来る事があるとすれば、超常の世界での幻想みたいなアレに触れるんじゃなくて、両足はしっかりリアルの地面に付けて、同じチームで狩る事だけだ。
おまわりさんは、悪いことをするやつは許しておけないのだ。
サイバーリングよりも人間らしくないとか、発言に血が通ってないだとか、嫌な事言う人もいるけれど、追い付こうと追い掛けて近付いて、確信がある。
一見眠そうにも見える乏しい表情の奥に、職務への矜持がきっとある。
明かせない秘め事があっても、仲間にはなれる。
知ってしまっても、自分は変わらない。だから大丈夫だって、先で同じ出来事に遭遇しても、決して引いたりしない。
僕の真面目な部分が、何度も決意表明した。
なのに本当にしまらない。僕って──
悩ましくて眠れない。
──僕ってサイテーだ。
恥ずかしがってて、悩んでてて、かわいそう。
なんでドキドキしてるんだろう。
力になりたいって思って、寧ろ気合が入って、懊悩で身が入らないなんて事もなく。以前より毎日が充実してる気までしてる。
でも元気にならなくても良いトコロまで、なんでこんなコトになりそうなんだろう。
以来、時折僕はナニカに目覚めるように、眠る前の浮遊感をソレに奪われる。
いっそ恋なら別の悩みに置き換えられるのに、Loveではない好意。パンに塗るジャムのように、元からあった憧憬の上に拡がった。他にはナニもナイ。ないんだ。ないよね?
平日なのに、特にやりたくもないエロゲを友達にソムリエ──僕は年上だなんて属性選んでないだろ! なんで先輩がストライクなタイトル奨めてくるんだよ! おっとりしてて、猫っぽくて、マイペースで、すごい可愛いけど! はっきり言って尊いけど──してもらって、攻略して、左手にマウス、プレジャーして、この右手はナンだよ!! エロゲのせいだよ! 岬レナ系の! 先輩のせいだよ! 画面から出て来ないヒロインに萌えてるだけだから!
僕は誰に弁明しているんだろうか。なぜ動揺しているんだろうか。
おまわりさんこいつです。
月さえマトモに見られない。
でもおまわりさんはこの僕なんです!
(1stup→220503tue)
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