───CAUTION───
 以下の文章には「催眠術」「催眠療法」についての記述がありますが、すべてフィクション
 です。
 事実と思われることも一部書いてありますが、そのほとんどは妄想の類です。
─────────────


佐藤美和子警部補の様子がおかしいことに、最初に気づいたのは彼女の母親だった。
美和子は実家であるマンションに母親と二人暮らししている。
収入面だけ見れば、もちろん独り立ち出来るのであるが、何だかんだと理由をつけて家を出
ない。
自分が家を出たら、一人になる母親が心配だというのは一面の事実だろうが、むしろ美和子の
生活態度の方が原因だろう。

職務面ではキビキビと無駄のない仕事ぶりが評判の女刑事だが、家へ戻ってプライベートになる
と、これが見事にずぼらなのだ。
滅多にない非番が回ってきても、自室や居間でゴロゴロしているだけだ。
太らない体質に自信があるのか、寝っ転がってのカウチポテトを決め込んでいる。
別に見たい番組があるからではなく、他にすることもないからそうしているだけらしい。

刑事に成り立ての頃は「疲れているのだろう」と、母親も気づかって黙っていたが、単に暇で
他にやることがないからだとわかると呆れてしまった。
「若い娘が部屋に閉じこもってばかりでは」と言って、外へ遊びに行ったらと勧めるのだが、
娘は聞く耳を持たないようだ。
そういった親切な忠告にも、さも面倒くさそうな顔を見せるだけだった。
買い物でもすればと言われても「余計な無駄遣いはしたくない」と断る。
そもそも彼女は、化粧にも衣装にも至って冷淡で、見られて恥ずかしくない格好であればそれで
良いと思っている面がある。
確かに素材が良いから何を着ても似合うことは確かだが、特別に出かけることがなければ、G
パンにポロシャツという味も素っ気もない格好で通している。

「いい歳して恋人もいないのか」と問い詰められれば「大きなお世話でしょ」と切り返す。
母親があんまりしつこいので、一度だけ義理でお見合いをしたことはあるが、本人にその気が
まったくなかったから当然まとまるものではなかった。
相手が偶然白鳥警部だったこともあるが、そうでなかったとしても結果は同じだったろう。

ただ、この件に関しては、最近は拒絶ではなく話をはぐらかすようになってきている。
同僚であり後輩の高木刑事と、名実ともに恋人同士になったからだ。
母親も、相手までは知らなくとも薄々は感づいているらしく、あまりうるさく言わなくなって
いる。
取り立てて問い質すようなこともしない。
娘の性格を考慮するに、恋愛関係についてはまったくの奥手であり照れ屋であることはよく
わかっているので、聞いても言わぬことは目に見えているからだ。
母親としては相手の男を見極めたいところではあるが、取り敢えずは娘を信用するようにして
いる。

その娘の様子が最近少しヘンだった。
非番の時、普段より明るく出かけることが増えてきたのは良いことだ。
しかし、帰宅した美和子の様子がおかしかったり、少々機嫌の悪いことも多い。
まあ、居間まで男っ気のない生活だったのだから、男女間のつき合いというものがよくわから
ず、相手と衝突したり誤解を招いたりすることもあるのだろう。

そう思って放って置いたのだが、非番以外でもおかしなことが出てきた。
まず、母親と一緒に居間にいる時間が減っている。
以前は、非番で家にいる時はもちろん、勤務明けが早かった時などは、食事をして寝るまで
一緒にテレビを見たりだべったりしていたものだ。
それが、日によっては食事を終えるとさっさと自室に籠もってしまうことが目立ってきた。
母親としては寂しいし、心配でもあるのだが、部屋に戻って携帯で彼氏と電話でもしているの
かも知れない。

父親も刑事で殉職しているし、美和子自身も過去に撃たれて生死の境を彷徨う重傷を負った
こともある。
そんな危険の仕事はさっさと辞めて結婚して欲しいと願っているのだから、これは良いこと
なのだと思う。思うのだが、
それにしては表情が暗く、あるいは苛ついていることも多かった。
彼氏と諍いが多いのかと思うが、深くは聞けない。
結局、放任して様子を見るしかなかった。

────────────────

美和子は関東第二警察病院に訪れた。
それも正面玄関からではなく、職員用通用門からである。
前もって電話で予約を入れ、人目を忍んで受診に来たのだ。
こうしたことは珍しいことではないらしく、病院サイドもふたつ返事で了承してくれた。
美和子が警視庁の刑事だということもあるかも知れない。

警察病院は、設立当初こそ警察関係者しか受診できなかったが、今では誰でも分け隔てなく
治療を受けることが出来る。
それでも警察官やその家族が多いのは当然で、だからこそ美和子も融通が利くかも知れないと
思ったのだろう。
予約しただけあって、時間通りに尋ねるとすぐに部屋に通された。
診察室ではない。
落ち着いた感じの応接室だった。
美和子はカウンセリングを受けようと思ったのだ。

カウンセラーはちょっとふくよかな中年の女性だった。
美和子は内心ホッとした。
男性には話しづらい内容だったからである。
東京とシカゴで美和子が遭遇し、解決にあたったパレット事件のことだ。

最後まで黙って話を聞いていたカウンセラーが、小さくため息をつきながら言った。

「……そう。言いにくいことだったでしょうに……。それで誰にも相談できなかったのね?」
「はい……」

詳しい話は知らないが、カウンセラーもパレット事件のことは噂レベルで聞いている。
何でも、国際的な人身売買組織で、女性を拐かして凌辱した挙げ句、売り飛ばしていたらしい。
フィクションのような話だが、実際に被害者は多数いる。
アメリカで美和子が出くわした事件のせいで、その組織の一角が崩れ、FBIを始め、インタ
ーポールや各国の警察が協力体制を執って、真相解明に躍起になっているらしい。

目の前の女性捜査官は、日本でその捜査にあたっていた。
噂では、捜査の過程で美和子自身もその被害に遭ったらしかった。
だが、それが単なる噂ではないことが、美和子の口から語られたのだ。
つまり美和子の悩みとは、その性的暴行から来る精神的な障碍ということなのだろうと推測した。

「そうね……。私がお話を聞いて、それで何とか出来ればそれがいちばん良いんでしょうけど
……。私はただのカウンセラーだから、治療行為は出来ないの」
「はあ……」

警察病院は巨大な総合病院である。
内科や外科はもちろん救急科も小児科も、整形外科に形成外科、リハビリ科もある。
耳鼻科や眼科、果ては泌尿器科や産婦人科まであるのだ。

「でもね、ここは神経科はあるんだけど、精神関係はないのね。つまり、あなたのような症例
を治療する専門医は残念ながらいないの」
「……」
「そういう場合は、専門医を紹介させてもらうことにしているんだけどね」
「専門医……。民間、ですか」
「ええ。でも心配しないで。信頼の置けるちゃんとしたところよ」

カウンセラーは自分のデスクに戻り、そこから一冊のファイルを取り出した。
ペラペラとページを繰りながら美和子のところへ戻ってくる。

「そうね……、あなたみたいな例だと……」
「……」
「……うん、ここかしらね」

ページを開いたまま、ファイルを美和子に差し出しながら彼女は言った。

「あんまり大きなクリニックじゃないけど、先生の腕は良いわよ。私の行ってた医大の後輩なの」
「そうですか」
「紹介状を書いてあげるから、そこに行ってみてくれる? 私からも電話しておくから」

────────────────

それからちょうど一週間後、勤務を定刻で終えた美和子は、クリニックに向かうべく、庁舎から
出てきた。
そこに声をかける者がいた。

「あのう……」
「え?」

振り返った美和子の目に、よく見知った少女が映った。
毛利蘭だった。

「蘭ちゃん? どうしたの珍しい、こんなところまで」
「ええ……」
「私に何か用?」

普段は屈託のない活発な美少女なのに、今日はうつむき加減で沈んでいるように見える。
紺色のブレザーに緑のネクタイをしていた。
定丹高校の女子制服だ。
見るとスポーツバッグも持っているから、帰宅の途中でここまで来たらしい。
美和子は務めて明るく言った。

「どうしたの、蘭ちゃんらしくない。いつも一緒の園子ちゃんはどうしたの? コナンくんは?」
「……」

何も言おうとしない。
番兵の警官が、訝しげに美和子たちの方を見ている。
警視庁の前でこれ以上不審な行動もとれない。
美和子は携帯で時間を確認し、「取り敢えず」と言って蘭を喫茶店へ誘った。

そこで話を聞いた彼女は驚いた。
蘭も美和子と同じように、パレット事件での凄惨な凌辱により、かなりダメージを受けていた
らしい。
美和子は表情を暗くして蘭の話を聞いた。
もう三十路に近いおとなの女性であり、警官でもある美和子ですら、あの事件の精神的衝撃は
強烈だった。
蘭がどのくらいの悲惨な目に遭ったのかはわからないが、彼女に比べればまだまだ子供のはずの
蘭には、美和子よりも遥かに衝撃的だったに違いないのだ。
美和子は、そこまで気を回せていなかった自分を責めた。
自分がここまで苦しんでいるのだから、当然、蘭はもっとつらかったはずだ。
こんなことを相談する相手もなく、ひとりで苦悩していたのだろう。

ただ、美和子と「同じ悩み」であることはないだろう。
美和子が他人にこの「悩み」を打ち明けられなかった最大の原因は恥ずかしかったからである。
暴行を受けたことが恥ずかしかったのではなく、その結果として自分の身体に起こっている現象
に恥辱を感じていたのだ。
蘭はそうではあるまい。
性的暴行の結果による男性不信とか恐怖症、生理不順など、そういうことなのだと思う。

美和子は、それ以上の詳しい話は聞かなかった。
少女にとって、それを口にすることはセカンドレイプにも等しいだろう。
いずれにせよ放ってはおけない。
出されたコーヒーにまったく手をつけてない蘭に、美和子は言った。

「……ねえ蘭ちゃん」
「……はい」
「私、これから医者に行くの」
「お医者さん……? 佐藤刑事、身体の具合が悪いんですか?」

途端に、蘭の表情に後悔と自責の色が浮かぶ。
他人のことなど考えずに、いきなり押し掛けて相談に乗れというのは、図々しいにも程がある。
そう考えたらしい。

「ご、ごめんなさい……、そんな時にお引き留めして……。私……帰ります」
「待って。このまま帰っていいの?」
「でも、佐藤刑事は……」
「いいから」

美和子は笑って、立とうとする蘭の腕を押さえた。
再び席に着いた蘭に美和子が提案した。

「あのね、蘭ちゃんも私と一緒にそこへ行かない?」
「そこって……、病院ですか?」
「そう」
「でもあの、あたしはその、身体の方は別に……」
「蘭ちゃん、聞いて」

美和子はそう言って、蘭に自分のことを話した。
すべて正直に打ち明けたわけではないが、美和子の症状もパレット事件で受けた暴行によるもの
だということは伝えた。
蘭は大きな瞳がこぼれ落ちそうなほどに見開いて、美人刑事を見つめた。

「佐藤刑事も……。その、あの……」
「いいわ、遠慮しなくて。そうよ、私も暴行されたことは知ってるでしょ? それで、いろいろ
ね……」
「そうだったんですか……」

蘭の目に同情と慈しみの色が浮かぶ。
自分のつらさを忘れ、相手を気づかっている。
そんな少女を、美和子は好ましそうな目で見ながら言った。

「だからね、私も警察病院でカウンセリングを受けたの。そしたら、そこの病院を紹介されて
ね。これからそこに行くところなのよ」
「そうですか。あ、でも、それならあたしが行ってもいいんですか?」
「いいわ、私が向こうのお医者さんに説明するから。ひとりだけって言われたら、今日は蘭
ちゃんが診療してもらえばいい」

恐らく蘭は、美和子とは正反対な悩みだろうと思うが、いずれにせよ精神的なものには違いない。
どちらかと言うと、蘭の悩みの方が一般的なのだろう。

「でも、それじゃあ……」
「いい、いい。私も受けないわけじゃないわ。次回にして予約入れるから」
「でも……」
「いいから。あ、もう予約時間になっちゃうわ、行きましょ」

美和子は、気を使って渋る蘭を立ち上がらせて店を出た。

────────────────

それからきっかり30分後、美和子と蘭は小さなクリニックの前に来ていた。
思ったより小さかった。
警察病院どころか、町の小さな診療所という感じである。
ただ、建物自体は真っ白で小綺麗な作りになっている。
大きな看板には「やすらぎメンタルクリニック」と書いてあった。
「心療内科 精神科 各種カウンセリング」とある。

ふたりとも、こうした病院に来るのは初めてだから、幾分戸惑っていた。
しかし、もう日が暮れかかっている。
予約時間も少し過ぎていた。
意を決した美和子は、蘭の手を引いて中に入っていった。

予約のことを告げると、受付の看護婦はすぐに診療室へ通してくれた。
美和子と蘭のふたりが入っていったため、少し怪訝そうな表情だ。
ドアをノックすると「どうぞ」という男性の声がした。
医師らしい。
美和子は少し躊躇した。
さすがに、この手のことは男性には話しづらいのだ。
蘭も同じらしく、心細そうに美和子を見ている。
ここでためらっていても仕方がない。
相手は医師だし、こっちは患者なのだ。
おかしな勘ぐりは失礼に当たろう。
美和子はドアを押して中に入った。

「やあ、ようこそ……って、あれ?」

医師はきょとんとしていた。
美和子ひとりでなく、蘭を連れていたからだろう。

「んーーー……、警察病院からの電話だと、確か佐藤さんという方がおひとりだと聞いていた
んだけど」
「はい、すみません。事情はこれからお話しますが、この子も私と同じなんです……」
「そうですか……。わかりました、色々事情がお有りのようですから、けっこうですよ」

ふたりはソファを勧められた。
蘭も美和子も驚いたが、この診察室には応接セットが出ているのだ。
普通の病院なら、医師はデスクに、患者はその前に丸椅子か何かに腰掛けるはずだ。
そのことを聞くと、精神科や心療内科の場合、家族なども一緒にカウンセリングすることもある
ので、こうした作りになっているらしい。
また、患者も家族や肉親が一緒であればリラックスしてくれるという意味合いもあるようだ。

そう言われれば、室内も普通の病院とはまるで違う気がする。
壁は落ち着いた薄いモスグリーンに塗られており、医療関係のポスターだのグラフなどは一切
貼っていない。
代わりにエッシャーやロートレックのリトグラフが飾ってあった。
薬棚もない。
病院の香りとも言えるツンとしたアルコール臭すらもなかった。
言ってみれば病院らしくないのである。

それでもまだ落ち着けない。
蘭などは、どうしてもソワソワしてしまう。
それを見て、医師はにっこりと笑った。
その医師もニコニコとした庶民的な笑顔をしている。
まだ若そうである。
年齢は30代半ばといったところだろうか。
やや小柄で、身長は美和子たちと同じくらいかも知れない。

ただ少し気になったのは、全身真っ白だったことだ。
白のワイシャツにネクタイで白衣を羽織っている。
医者なのだから白衣を着ているのは当たり前として、スラックスやネクタイ、おまけに靴や
ソックスまで白だったのには驚いた。
白以外の色彩は、素肌と髪や目くらいのものだ。

「もっとリラックスしてください、病院だとは思わずに。ああ自己紹介が遅れましたね、私は
院長のレスリー・リャンと言います。どうぞレスリーと呼んでください」
「あのう……」

少々聞きづらそうに美和子が尋ねた。

「先生は、その、日本の方では……」
「はい、僕は香港人……ではない、今では中国ですね。中国の香港特別行政区の出身です。
でも日本も長いし、言葉は使えますのでご安心を」

美和子と蘭も緊張していたが、レスリーの方は内心驚いていた。
警察病院からの紹介だが、この患者はセックス関係の心症だと聞いている。
それも彼の専門分野ではあるのだが、言っては悪いが、この手の相談者で美人はほとんどいない。
レスリーの経験上もゼロではないが、かなり少ないのだ。
それがどうだ。
今、彼の目の前で不安そうにしている女性はすこぶる美形である。
ふたりともだ。
こんなことは奇跡に近いのだ。
思わず凝視してしまうのを堪えながら、レスリーは言った。

「まあ、こういう治療院に来られる患者さんはみな不安なものです。でも、その不安を和らげて
リラックスしてもらうために治療するのですから」
「はい……」

俯いてしまっている蘭の代わりに美和子が小声で答えた。
若い医師は出来るだけ気安い口調で言った。

「ええと、まず確認させてください。佐藤美和子さんとおっしゃるのは?」
「はい、私です」

返事をしたのは年上の方だった。
警察病院からFAXしてもらった問診票には28歳とある。
座っているせいか、ぴっちりと着込んだ青いスーツの胸元やスカートの腰部が窮屈そうだ。
肉付きは上々である。
レスリーは頷いて、手元のカルテに書き込む。

「それで、そちらの学生さん……ですよね? 彼女は?」
「あ、はい。その、も、毛利蘭と言います……」
「毛利蘭さんね」

蘭に字を教えてもらいながら、彼女のカルテも作っていく。
レスリーがペンを走らせている時に美和子が発言した。

「あの先生、ちょっとよろしいですか?」
「はい、何でもどうぞ」

女刑事は、さかんに女子高生の方を気にしながら訊いた。

「私はともかく……この子がここに来たことというのは、その、出来れば内密にしていただき
たいのですが」
「ああ、もちろんですよ」

レスリーはペンを休めて微笑んだ。

「毛利さんがここに診療に来たことも、お話してくれる内容も、治療のことも、誰にもお話しま
せんよ。もちろん佐藤さんについても同様です」
「はあ……」
「ご安心ください、こういう仕事というのは法的にも守秘義務というのがありますから。佐藤
さんたち警察官と同じで、職業上知り得た情報というのは他に漏らすことは出来ないんです。
法的にも倫理的にもね」
「そうですか」
「ですから、ここでお話したことに関しては看護婦すら知り得ません。室内は完全防音ですしね、
秘密厳守ということに関しては細心の注意を払っていますよ。カウンセリングに見える患者さん
たちの多くは、人に言えない悩みを抱えていらっしゃるわけですから」

レスリーがそう告げると、ふたりの女性は少しホッとしたらしい。
彼のソフトな人当たりも、彼女たちの緊張を取るのに効果的のようだった。
まだおどおどしているみたいだが、今度は蘭の方が訊いてきた。

「よく知らないんですけど、精神科とか心療内科……ですか? それはどういう……」
「なるほど、基本的なことから来ましたね」
「すいません……」
「謝ることはありませんよ。実を言うと、どの患者さんも最初にしてくる質問なんですから」

レスリーがそう言って笑うと、美和子と蘭も少しだけ微笑むことが出来た。

「まずお聞きしますけど、あなたたちは何らかの心的ストレスを受けているということですね?」
「はい……」
「で、そのせいで肉体的な不調はありますか? 例えばお腹や頭が痛いとか下痢気味だとか」
「はあ、そういうのはありません。蘭ちゃんは?」
「あたしも、身体の方は何ともないです」
「そうですか。それなら心の症状ですね」
「と言いますと……?」

蘭だけでなく美和子も少し不安げになる。
儚げな美貌が悩ましかった。
レスリーは少しうつむいて、バレないようにツバを飲み込んだ。

「いろいろありますよ。代表的なのは鬱ですよね。他にも不眠だとかイライラだとか幻覚だとか」

思い当たるところがあるのか、蘭と美和子が顔を見合わせた。
レスリーは噛んで含めるように言って聞かせる。

「あなたたちがどんなストレスやトラウマを抱えているかはまだわかりませんけども、ストレス
っていうのは、そのほとんどが自分の側の問題だということです」
「私たちの……?」
「ええ、そう。そう言うと怒る患者さんもいるんですがね」

そう言ってレスリーは苦笑した。

「ストレスをストレスとして受け取らない人もいるんですよ。「そんなこと、大したことじゃ
ないじゃないか」と思える人ですね」
「……」
「見方の問題だとも言えるんです。だから、自分を含めて状況を変えてやればいいんですね。
まあ言うのは簡単ですけど」

美和子が訊いた。

「具体的にはどういう……」
「そうですね、診療してみなければわかりませんけども、投薬して周囲の状況に対する反応感
度を少し下げてやるとか、あるいは少しゆっくりと休んでもらって心身共に回復してもらって、
状況に対する抵抗力をつけてもらうとか。いろいろあります、臨機応変ですよ」

よくわからなかったのか、口ごもってしまった蘭を見ながら美和子が代わって訊いた。

「私も門外漢なんですが、いわゆる催眠術というのをかけるわけでしょうか」
「まあ、そうですね」
「……」

途端に訝しげな表情を浮かべた美和子を見て、医師は破顔した。

「あははは、怪しげだなと思ってるんですね」
「あ、いえ……」
「いいんですよ、まともな方はみなさんそういう疑いを持ちますから」
「はあ……」

笑いを納めて、レスリーは頬を掻きながら困ったように言う。

「最近はこう、何ていうのか、よくいう悪徳商法でもよくこれが使われるようになりました
からね。胡散臭く思って当然です」
「あ、やっぱりそういうのはインチキですか」
「そうです」

医師はきっぱりした口調で言った。

「心理療法士はともかくとして、催眠療法自体は無免許で出来ます。医師や療法士のように
国家試験もありません。だから極端なことを言えば、昨日まで八百屋をやってたオヤジさんが
今日から「催眠療法」の看板を立ててしまえば、それで営業できてしまうんです」
「……」
「ですから、信頼できるクリニックを探すには、そこの医師がちゃんとした医学博士であるのか
どうかを確認した方がいいですね」

美和子は言葉を選びながら聞いた。

「では、本物の療法士……つまり先生のような方であれば、催眠術で他人を自由に操ったりも
出来るんですか」
「そんなことは出来ませんよ」

レスリーはきっぱりと言った。

「知られていませんが、催眠状態でも意識はあるんですよ。寝てしまっているわけじゃないん
です。だからフィクションであるように、何でも術者の言うことを聞いてしまう、なんてこと
はないんですね」
「そうですか……。では、催眠から目覚めなくなったりすることは?」
「それもありません。字は似てますけど、催眠と睡眠は別ですよ。さっきも言ったけど、眠って
いるわけじゃない。だから、術者……つまり僕が目覚めてくださいと言えば簡単に戻って来られ
ます。戻らない人も稀にいますけど、そうした場合は、催眠に入っている本人が何らかの理由で
現実に戻りたくない、催眠状態でいたいと願っているからなんです。そういう時は、目覚めたく
ない理由を確認した上で、もう一度解催眠暗示を与えれば大抵は戻ります」
「はあ……」
「ま、万が一それで戻らなくても、乱暴なようですが、放っておけば勝手に戻ってきます。心配
することはありませんよ」

それでも不安げな美女ふたりを見て、医師は安心させるように微笑んだ。

「最初は誰でも不安なものです。一度催眠を試してみればすぐに「どうってことはない」とわか
りますよ。それで実際のカウンセリングですが……」

医師はそう言いながら、デスクでスケジュール表をチェックし始めた。

「まあ、おふたりとも同じ席で一緒に、というのもはばかりがあるでしょうから……、日を改め
ましょうか」
「と、言いますと?」

壁に掛かった時計を見ながら医師はつぶやく。

「どうもなかなか根が深そうですし、ゆっくりお話を伺う時間があった方がいいと思うんですよ
……。そうですね、次の日曜なんていかがです?」
「日曜ですか? こちらが休診なのじゃありませんか?」

不審そうに尋ねる美和子に、医師は笑顔で答えた。

「そうなんですけどね。実を言いますと、普通は予約制になってまして、もうけっこう埋まって
しまってるんですよ」
「……」
「でも、あなたたちもつらそうですから、カウンセリングは早い方がいいと思いますし」
「すみません……」
「気にしないでください。けっこうあるんですよ、こういうことは。それで、どちらからやりま
しょうか?」

レスリーは、蘭と美和子を等分に見ながら訊いた。
ふたりは顔を見合わせて、お互いに「お先にどうぞ」と手を差し出す。
その手を押さえて年上の女性が言った。

「いいえ、蘭ちゃんからどうぞ。私は次の日曜も勤務だけど、蘭ちゃんはお休みしょ?」
「そうですけど、でも何か悪いです。あたしは付け足しだったのに……」
「付け足しなんてことないわ。どっちにしても私は今度の日曜はダメだから、次の非番をその
来週の木曜に取るわ」

このクリニックは、木曜と日曜が休診で、水曜、土曜が午前中の診療である。

「そうですね、それがいいでしょう」

レスリーも頷いた。

「では毛利さん、今度の日曜のご都合はよろしいですか?」
「は、はい、大丈夫です。でもあの、部活があるんですけど、その後でも……」
「けっこうですよ。部活は何時までですか? 午前中だけ? それでは午後2時くらいでどう
でしょう。あまり遅くなっても、ご家族が心配なさるかも知れませんし」

夕方から診療で帰宅が遅くなれば、小五郎もコナンも心配するだろう。
通院していることは言えないし、ここは医師の提案通りにするしかなかった。

「わかりました。では、お願いします……」
「はい。ではもう今日はけっこうですよ、気を付けてお帰り下さい」

レスリーは立ち上がってそう告げた。
その彼に、蘭が心配そうに尋ねる。

「あのう、つかぬことをお聞きしますけど……料金の方は……」

家族に内密で来ているだけに、お金は自分で負担しなければならないのだろう。
美和子は、責任上自分が負担してもいいと思っていたが、今それを言ったら蘭が遠慮してしまう
かも知れないと思い黙っていた。
医師は笑って答えた。

「心配なさらずとも、そんなには戴きませんよ。今日はこれだけですから診察料はけっこう
ですよ。次回以降も、カウンセリング一回につき5000円がいいところです。ああ、ついでに
言っておきますけど、カウンセリング料金を一回一万円以上取ったり、回数券を買わせたりする
ようなところは怪しいですから気を付けて」

レスリーはウィンクしてそう言った。

ふたりの美女が帰ると、レスリーはどっかと椅子に腰を下ろして大きく深呼吸する。
まだ美和子と蘭の残り香があった。
ひさびさの大当たりである。
彼は腕も良く、信頼の置ける心療内科医として評判が高かったが、悪い癖もあった。
患者に手を出すことがあるのだ。

とはいえ、レスリー自身が言ったように、セックス関係のストレスで相談事にくる女性に美形
は少ない。
彼も5年ここで診療しているが、手を出した患者はふたりしかいなかった。
いずれも催眠療法を悪用し、患者を誤魔化していたから訴えられたようなことはない。
レスリーも、二度三度と同じ患者を強姦するようなことがなかったから、危険性も低かった。

しかし今回ばかりは別である。患者としてというよりも、世間一般すべての女性の中で考えても、
あの佐藤美和子と毛利蘭という女は超の字がつく一流の美女だろう。
鉦や太鼓で探しても見つかるものではない。
それがいっぺんにふたりもレスリーも元に来たのだ。
この機を逃すわけにはいかなかった。彼は看護婦を帰すと、日曜に向けての策略を練り始めた。

────────────────

日曜日。
約束の午後二時に少女は訪れた。
遠慮がちにノックの音がしたので、レスリーは出来るだけ明るく「どうぞ」と応えた。

毛利蘭が入ってきた。
紺のブレザー、スカート、グリーンのネクタイ姿である。
日曜だが、部活で学校に行ったため制服なのかも知れない。
彼女らしい若々しさや清純さが強調されるようで、よく似合っている。
深刻な性の悩みを抱えているとはとても思えなかった。

今日は休診日で、院内がシンとしているのが気になるのか、蘭はキョロキョロしている。
レスリーが言った。

「今日は僕の他は誰もいませんよ。だからリラックスしてください。さあ、座って」

そう言われて蘭は、バッグををソファの上に置き、自分も腰掛けた。
この医院では、ソファの座り心地にはかなり気を使っている。
硬いソファでは意味ないし、柔らかすぎても落ち着かないものだ。
硬すぎず柔らかすぎない、座り心地の良いものを選んでいる。
だが、蘭はお尻をほんの少しソファに落としているだけだ。

「そんなにしゃちほこばっていてはカウンセリングできませんよ。さあ、リラックスしてくだ
さい。もっとゆったり座って。ここには僕とあなたしかいません」
「はい」

蘭はようやく深く座り、背をもたれさせた。
レスリーの優しい物腰や、室内に僅かに流れるヒーリングミュージックが効いてきたのかも知れ
ない。
だがそれ以上に、もう目の前の医師しか頼れる者はいないという切迫感もあるだろう。
少女の表情から緊張感が薄れつつあった。

催眠にかかるかどうかは圧倒的に個人差がある。
一般に、頭の良い人がかかりやすいという俗説もあるが、これは根拠がない。
療法士の腕ということもあるが、患者の要因の方が強い。
患者自身が「絶対にかからないぞ」と思っていれば、かけようがないのだ。
そこまで行かずとも、患者がセラピストの働きかけに応じてくれなければ同じことだ。
そのためにセラピストは、苦労して患者の緊張を取り、信頼感を与えようとするのだ。
こうしてセラピストは、環境を利用し、言葉を使って、患者の潜在意識へと侵入していく。
そして彼女の心に直接話し掛けるのである。

「少しは落ち着きましたか?」
「はい」
「そうですか。では、これから僕の言うことをよく聞いてくださいね」
「はい」

蘭の瞳が虚ろになってきている。
かなりかかりやすいようだ。
これは蘭の資質というよりも、やはり彼女が相当追い込まれているということなのだろう。
レスリーは、少しネクタイを緩めてから言った。

「力を抜いて。そうですね、両手はだらんと垂らしてください。そう、身体を楽にしましょう
ね」

レスリーが言うと、蘭はそれまで膝の上に乗せていた両手を足から降ろした。
指も弛緩している。

「そう、それでいいですよ。次に、ゆっくりと目をつむってください。目を閉じると、だん
だんと身体中の力が抜けてリラックスしていくのがわかりますね?」
「はい……」
「そうしていると、頭の中も身体もほぐれていきます。大丈夫、あなたがそう意識するだけで
本当にほぐれていきますから」
「……」

返事がなくなった。
蘭の方も、積極的に催眠に入ろうとしているのかも知れない。

「頬や額の力を抜いて。まだ目や眉のあたりに緊張が残っていませんか? でしたら、目に
意識を向けてください。緊張が消えましたか? すると瞼がほぐれていくのがわかるでしょう?」

蘭の顔からスッと表情が消えた。
カウンセラーの言葉を受け入れているのだ。

「瞼の筋肉がほぐれると、その感じが目の奥へと伝わっていきます。そうしたら今度は、顔自体
の緊張をほどきましょう。頬、顎、そして口。唇、舌と、咥内の筋肉がほぐれますね」

蘭はもうレスリーの言うがままに従っていた。
彼が言う通りにしていくと、本当に緊張が取れていく。
力が抜けていくのだ。
ほぐれる感覚が心地よかった。
頭、顔から始まり、首、肩、腕、そして胸や腕、指先にまでリラックス感が通じていく。

「あなたはゆっくりと楽に呼吸していきます。息をするごとに身体がリラックスしていくのが
実感できるはずです。僕の声が聞こえるだけで、もう音楽や他の雑音は一切気になりません。
そうですね?」

蘭はコクリと頷いた。

「それでいいんです。ほぐれる感じが背中や腰、足にも達しています。とっても気持ちがいい」

少女は僅かに首が動くだけで、全身から脱力している。

「今は僕の声だけが聞こえています。もう音楽や、他の雑音はまったく気になりません。身体
の筋肉を静かに眠らせてあげましょう。でも安心してください。身体のほとんどは眠っていて
も、あなたの意識は完全に目覚めているのですから」
「は……い……」

蘭はようやく声を出した。
催眠術にかかっているというより、このまま眠ってしまいそうな心地よさだった。
しかし、医師の言う通り、彼の声だけは心に響いてくる。
眠っているわけではなさそうだ。

「今、あなたは完全にリラックスしています。本当にいい気持ちですね」
「はい……」
「緊張や憂鬱はありません。気遣いや焦りは忘れましょう。不安に感じることはありません。
気丈に振る舞う必要もない。そうしたものは、取り敢えず心の奥にしまってしまいましょう」

蘭の首がコクンと垂れた。
ほぼ完全に催眠状態に入ったようである。
ただ、レスリーが言った通り、彼女の意識は生きている。

催眠術というと、術者が相手を完全に操るようなイメージがあるが、そうではない。
かかった側にも意識はあるし、同意できないことはやらないのである。
だから、この場でこの美少女を犯そうとしても激しい抵抗を受けるだけだ。
おまけに、せっかく築きつつある信頼感を永久に失うのである。
蘭を我がものとするには、本当にカウンセリングする必要がある。

「ではお話を聞かせてください、毛利蘭さん」
「……はい」

つぶらな瞳はぱっちりと開いているが、霞んでぼやけているような目線である。
視線が定まっていないというわけではなく、はっきりと目の前の医師を見つめている。
ただ、その視線に力がなかった。
リラックスしているというよりは、気力が失せているように見えた。

「お話しにくいことかと思いますが、聞かせていただかないと治療になりません。どんな内容
でも恥ずかしがったりすることはありません。僕は医師ですから、それについてどんな感想も
持ちません。診療方法を探るだけです。よろしいですね」
「はい」

少女は素直に頷いた。

「思い出したくもないことでしょうが……、シカゴであった例の事件で、あなたは性的な暴行
を受けてしまった。そういうことですね」
「あ、その……シカゴ……の前にも、その……日本で……」
「日本?」

それは聞いていなかった。
蘭は辛そうに、それでも従順にパレット事件の経緯を医師に説明した。

取材を受けた雑誌記事が元で、国際人身売買組織パレットに誘拐され、そこで性奴隷として
売られるべく、想像を絶するような調教を受け続けた。
パレットが日本で雇ったヤクザの牧田に処女を奪われ、いやというほど……否、いやという
余裕もないほどに徹底的に犯されたのである。
そこにミシェルと名乗る外国人も加わり、淫らな器具や計測具を使われ、いかにも蘭の肉体が
性的に優れているのかということを数値で記録された。
無論、凌辱を受けながらである。
哀しいことに、少女はそこでセックスの愉悦を教え込まれたのだ。
期間は短かったが、巧みで激しい調教によって、彼女の性感は熟女にも負けぬほどの発達ぶり
を示した。
責める側をたじろがせるほどの、過剰な性反応を見せていた。
男を悦ばせ、自らも官能の絶頂に何度も達する身体にされたのだ。

あまりにも生々しい告白を聞かされ──しかも話しているのは類い希な美少女なのだ──、
レスリーは思わず股間が硬くなってくる感覚を得ていた。

「あなたはその時、まだ処女だったわけですね」
「はい……」
「失礼だが、恋人……つき合っている男の子はいなかったのですか」
「い……ました……けど……。その、まだ、あの……キ、キスも……」

していなかった、ということらしい。
であるならば、その衝撃は口では言い表せないものだろう。
さらに蘭は、それがきっかけで一時的に記憶障碍にまで陥っていたことを話した。
さすがにレスリーにも仏心が湧いてきた。
可哀相か、とも思ったが、ここで逃せば、こんな美少女には二度と出くわせないだろう。
彼はもう毒を喰らう決心をしたのだ。
「毒を喰らわば皿まで」である。

「それで……シカゴでは?」
「はい……」

日本での事件を話したからなのか、蘭はさっきよりはすらすらと答えた。
それでも核心部分──つまり凌辱されているくだり──については、言い淀んだり、羞恥で
顔を染めて言いにくそうにしている。
何とか聞き出してみると、旅行で行ったシカゴに於いて、前回の事件で国外逃亡を果たした
事件の首謀者──ミシェルに偶然出くわしたのだそうだ。
蘭を逃した悔しさもあってか、ミシェルは再び少女を拉致し、犯し、調教を加えていった。

蘭は乱れた。
ミシェルは、蘭自身に淫らな質があることを指摘して少女を辱め、苦悩させた。
友人を楯に脅迫され、逃げ場を失った少女は、徐々に男を受け入れていく。

「その男……ミシェルに虐げられると、何だか安心していきました……」
「安心した? 虐げられているのにですか?」
「はい……。あたしはこの人に従っていればいいんだ、と……。もう面倒なことを考えなく
てもいいんだ、と……」
「……」
「そうしてるうちに、それが……き、気持ちよく……なってきて……」

なるほど。
従属願望があったということらしい。
活発なスポーツ少女であり、やっているのは空手である。
気丈な面が強く、男勝りでもあったのだろう。
だがそれは、裏返せば「誰かに頼りたい」とか「虐げられてみたい」という逆願望ということ
かも知れない。

「それで、事件後に帰国した後……なんていうか、我慢できなくなった、ということですか」
「は……い……」
「自慰は……オナニーはしなかったんですか」

一瞬、蘭の顔が真っ赤に染まった。
確かにこの年頃の少女にとっては、ある意味、初体験の話をするよりもオナニーの話をする方
が遥かに恥ずかしいのかも知れない。

「し、して、ました……」
「それでも……」
「ま、満足できない、というか……」

さすがに蘭は俯いてしまった。
レスリーは畳みかけるように聞いた。

「では、誰か他の人と……そうだ、あなた恋人がいるんでしょう? 彼に抱いてもらうとか、
そういうことは……」
「出来ませんでした……。新一は今遠いところにいて……電話でしか連絡が取れないんです……」
「会えることはないのですか」

少女はさみしそうに首を振った。

「それでは……、まあ彼氏がいるのであればあまりお奨めは出来ませんけども、そう……誰か
……誰か他の男性と割り切ってつき合うとか……」
「出来ません!」

蘭は強い口調で言った。
思いもかけぬほどに強く言われた医師は、少しビックリした。
これは、その新一という少年にかなり思い入れがあるらしい。
蘭は弱々しい語り口で続けた。

「それに……、それに誰でもいいという……わけじゃないと思うんです……」

レスリーの予想は外れたようだ。
彼は蘭が──美和子もだが──女子色情症、いわゆるニンフォマニア化したのかと思っていたのだ。

ニンフォマニアとは、女性の性欲過剰状態のことを言う。
特定の男性がいても、不特定多数の男性と関係を繰り返す──繰り返さざるを得ないような症状だ。
てっきりそれかと思っていたのだが、蘭は不特定多数はいやだと言っている。

「……」

話はここまでにしようとレスリーは思った。
あとは実際に確かめてみればいい。
見れば蘭も、話しているうちに催してきているらしい。
もじもじと膝を擦り合わせるようにしている。
すっと手が胸に伸びたかと思うと、だらりと垂れ下がる。
一方の医師も、目の前で欲情している美少女に我慢が出来なくなってきていた。




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