「……ご苦労様です。時間です」
けっこう仮面が拉致されている地下室に、交代の警備員が降りてきた。
ひとりのようだ。
それまで椅子に腰掛け、いかにも眠そうにコーヒーを啜っていたガードマンが鷹揚に返事をする。
「おう、待ってたぜ」
「私、遅れましたか?」
「そういうことじゃないさ、もう眠くってさ」
そう言ってガードマンは目を擦った。
相棒の方は机に突っ伏して眠りこけている。
ガードマンはぼやくように言う。
「24時間勤務ってのはきついよな。せいぜい12時間にしてくれねえかな」
交代に来た若い警備員も同意するように言った。
「まったくですね。でも、この手の常駐警備員なんて、どこもそうですよ」
「まあな。しかしウチは特殊なんだからな。こうやって、危険人物を見張らなきゃならないわけだし」
男はそう言って、ちらりと牢の方を見やる。
中には、赤いマスクとブーツの、半裸の女がぐったりと倒れ込んでいた。
若い警備員──ネームプレートには「長峰」と入っている──も、つられるようにそっちを見た。
「あの女……、学園長……じゃない学院長に殴り倒されたままですか」
「いいや」
先輩らしい中年の警備員がにやつきながら顔を振った。
「へへ、学院長さまにこってりと可愛がられたらしいぜ。ここに運ばれてきた時は、身体中が汗と体液まみれだったからな」
「……」
「ま、確かにあれだけいい身体した女だからな、放っとくバカはいまいよ。学院長だけでじゃなく、生徒どもにも輪姦されたらしいぜ」
若い方は、些か表情を歪めてけっこう仮面を見ている。
先輩は揉み上げを掻きながら言った。
「俺たちにもそのお零れでも来るかと思ったが、許可は出なかったな。けっ、あれだけいい女を目の前にして何も出来ねえで見てる
だけだ。欲求不満もザーメンも溜まる一方ってなもんだ」
下劣な冗談を口にしていやらしく笑う男を、若い方は半ば軽蔑するような目で見ている。
それには気づかず、男は相棒を叩き起こした。
「おら、起きろ! いつまで寝てんだよ!」
「うう……」
「うう、じゃねえんだよバカ。研一が来てるよ、引き上げるぞ」
ようやく立ち上がった連れを情けない表情で見てから、ふと気づいたように男が研一に聞いた。
「そういやおまえの相棒はどうした?」
「あ、はあ……。いやその、あいつ腹の具合が悪いみたいで、さっきから便所に籠もりっきりなんですよ」
男が笑うと研一も苦笑してみせた。
「まあ、そのうち来るでしょう。どうせ、ぶっ倒れてる女がひとりいるだけですから、俺ひとりだっていいくらいです」
「それもそうか。じゃあ、よろしく頼むぜ。交代は明日の午前零時だな」
「はい」
三人は向き合って互いに敬礼し、交代の儀式を済ませた。
長峰研一は、ホッとしたように肩を落として立ち去るふたりがドアを開けて外に出るまで見送ると、足音を殺して扉に近づき、内側から鍵を掛けた。
念のため、周囲を何度か見回してから、壁に掛かっている牢の鍵束を手にする。
もう一度辺りを見てから、部屋と廊下の照明をいくつか落とした。
次の瞬間、小走りになってけっこう仮面が閉じ込められている牢の前にやってきた。
「……おい」
返事はない。
じっくり観察してみたが、死んではいなそうだ。
大きな胸の隆起が小さく動いている。
呼吸し、鼓動もある証拠だ。
研一は躊躇なく扉の鍵を開け、中に入ってけっこう仮面を抱き起こした。
「おい、けっこう仮面」
「……」
「しっかりしてくれ。起きるんだ、けっこう仮面」
「……ん」
眉間に皺が寄り、マスクの中で閉じられていた目がうっすらと開いた。
研一の表情が、薄く笑顔になる。
「起きろ、けっこう仮面。大丈夫か?」
「あ……、あんたは……」
「俺は長峰研一ってんだ。あんたを助けに来た」
「え……?」
恵の意識がパッと醒めた。
研一の手が背中に添えられて、けっこう仮面は半身を起こされている。
「助けに来た。立てるか?」
「た、助けにって……、あんた、ここのガードマンじゃないの?」
「そうだよ……って、あれ? あんた、俺のこと何も聞いてないのか?」
「聞いてって……、あ、あたしは勝手にひとりでここへ来たんだ」
「え? そうなのか?」
研一が首を捻った。
「昨日の連絡じゃ、そんなこと言ってなかったがな。けっこう仮面をひとり潜入させる、とかしか聞いてない」
「え……?」
研一がじっとけっこう仮面の顔を見つめた。
「あんた……、あの時のけっこう仮面じゃないんだな」
「あの時?」
「若月先生じゃないんだろ?」
「え!? あんた、そのことをなぜ……」
「それじゃあ俺のことを知るはずもないか」
若いガードマンは制帽を取って、額の汗を拭った。
白い手袋が薄暗い中でぼんやりと光を反射している。
「俺、もとSSSのガードマンでな。咎島事件。あんたも知ってるだろ?」
「あっ……。あの時、香織先生を助けてくれた男の子って、あんたなの!?」
「はは、助けたっつうよりも、怪我した俺を助けてくれたのが若月先生のけっこう仮面なんだがな」
研一はそう言って笑った。
けっこう仮面の背に手を回し、左腕を取って立ち上がらせる。
「それが縁で、俺もあんたたちのお仲間になったってことだ」
そうか、学園長が言っていた「ネズミ」というのは研一のことだったらしい。
彼が警備員としてこの学院に潜入し、内偵していたということなのだろう。
ということは、研一がここに来ているのは、センター責任者である夏綿けい子の指示だということになる。
つまりけい子は、恵が三光学院のことでねじ込んだ段階で既にここを探っていたのだ。
ならばそう言ってくれればよさそうなものだが、けい子なりに恵に対して気遣った結果なのだろう。
そして、いくら止めても、このまま放っておけば恵は間違いなく関わってくる。
そうしたら、内部に潜り込んでいる研一がサポートすることになっていたようだ。
研一がぽつりと言った。
「若月先生は……元気かい?」
「ああ……。あたしも2年ぶりだったけど、ここへ来る前に会ったよ。相変わらずだ、元気そうだったよ」
「そうかい」
若者の頬が少し赤らんだが、すぐにその表情が引き締まる。
「詳しい話はまた後でゆっくりしようぜ。とにかく今はここから逃げよう」
「わかったわ。でも、その後は……」
「心配するな、「作戦」は決行だそうだ」
「作戦?」
「これで俺の正体も連中にバレるからな。それまでどっかに隠れてるしか……」
その時、ドンドンとドアが叩かれた。
施錠しておいて正解だったようだ。
ひとりだったことが怪しまれたのか、それとも来る前に気絶させておいたやつが目を覚ましたのかも知れない。
出口はあそこしかない。
絶体絶命のはずだが、研一はにやりと不敵に笑っていた。
「もう来やがったか。あんた、いけるかい?」
「もちろん」
恵もマスクの奥の目が笑っている。
危機に陥るほどに、恵の気持ちは高まっていく。
ドアが破られた。
ダダッと数人のガードマンが駆け込んできた。
「き、きさま! けっこう仮面!」
「行くぜ」
「はいよ」
ふたりは、飛び込んでくる敵に対し、待ち受けるのではなく自ら向かっていった。
─────────────────────
恵と研一が地下室から出る直前に、電気は戻ったようだった。
外へ出てみると、すべての建物から煌々と灯りが漏れ出ている。
見張り台のサーチライトも、校庭に光の輪を作っていた。
ガードマンたちが慌てたように駆け回り、校門や建物の出入り口を固めていた。
その様子を眼を細めて見ていた研一が舌打ちする。
「ちっ、やつら執銃してやがる」
「……さっきもそうだったけど、ここって本当に自動小銃なんか装備してるのね」
「ああ。俺もここへ来た時たまげたよ。研修二日目でいきなり射撃訓練だったからな」
ふたりは校庭や校舎を油断なく見渡している。
まず、どうすべきか考えているのだ。
「でも、普段はさすがにトンファーだけで銃なんか持って来ないだけどな。へへ、あんたが潜入したってことで、やつら形振り構って
られなくなったんだろうぜ」
「厄介ね」
「そんなことはないさ。それだけ連中が焦ってるってことだ。逆にチャンスだよ」
研一はけっこう仮面を振り返ってにやりと笑った。
危機になるほどに血が滾るタイプらしい。
同じような資質の恵も不敵な笑みを浮かべる。
「そうね。じゃあまず寿々美を助けに行きましょう」
「寿々美? ああ、あんたとつるんで来たここの生徒か?」
「ええ。他の生徒たち……どれだけここから脱走できたかわからないけど、今の状態ではこれ以上無理よ。なら、寿々美を救出して
彼女も逃がすわ。寿々美のことはけい子先生たちも知ってるから、彼女が連絡を取ればきっと……」
念のため、寿々美にはセンターへの連絡先は伝えてある。
他の生徒はともかく、寿々美がうまく脱走できて、どこかで電話が出来れば事態は一気に急転するはずだ。
「どこかわかる?」
「……講堂だな」
「講堂?」
「体育館だよ。あそこの体育用具室……半地下になってるんだが、その下に取調室があるんだよ」
「取調室?」
「そう。あんたが捕まってたのは拷問部屋だが、そこはもう罪が確定した連中が放り込まれる場所だ。でもまだ容疑が固まってない
生徒を自白させるための部屋があるのさ」
「そこに……」
「恐らくな。その寿々美って女生徒を締め上げて、あんたとの関係やバックの組織のことを聞きだそうってんだろ」
「寿々美はそんなこと知らないわ」
「知らないってことをやつらは知らないんだよ。だから……」
「行きましょう! 寿々美が危ないわ」
言うが早いか、けっこう仮面は真っ直ぐに校庭西側にある体育館に向かっていた。
慌てて研一が追いかけるが、けっこう仮面の足は速く、とても追いつかない。
今さらながらにけっこう仮面……紅恵の運動能力に驚かされた。
それにしても無茶だ。
闇雲に突っ込んでも敵が群がってくるだけだ。
そう思っていると、けっこう仮面は走りながらも巧みにサーチライトから逃れているし、ブッシュや繁みに身を潜めつつ近づいている。
こうした動きは、実戦をかいくぐってきたからこそ身についたものだろう。
研一は感心しながら続いた。
「おっ」
それでも、さすがに講堂入り口を固めていた警備員たちには見つかった。
ふたり立っていたが、ひとりはハンドレシーバーで連絡をし、もうひとりが小銃を構えている。
「危ねえ!」
研一はそう叫んで腰の拳銃を抜いた。
丸腰で小銃相手は無理だ。
と思っていると、けっこう仮面はいつの間にかヌンチャクを手にしていた。
いつ拾ってきたのかわからないが、それにしても飛び道具が相手では危険だ。
「バカヤロ、無茶すんな……って、もう終わってるんだ……」
研一が全力疾走でようやく入り口に到着すると、ふたりのガードマンが伸されている。
けっこう仮面は、小銃を構えた方に向かって、大胆にもヌンチャクを投げつけたのである。
まさか相手もそんなものを投げてくるとは思わなかったらしく、咄嗟に銃で払い除けることも出来なかったらしい。
まともにヌンチャクの柄底を顔に食らって昏倒したのだ。
レシーバーの男は、素手と足技で難なくぶちのめしたようだ。
研一は呆れたように顔を振った。
「……なるほど、若月先生じゃなさそうだな。あの人はこんな無茶はしなかったよ」
「そう? でも香織先生だって、ライセンスもないのにセスナ操縦して島から脱出したのよ。相当無茶じゃないの」
「ああ、あれは俺が無理矢理やらせたんだ。若月先生のせいじゃないさ」
ふたりは軽口を叩きながらスチール製の扉を開けて講堂内になだれ込んだ。
照明はついているが、中には誰もいなかった。
「きっと奥だ。行くぜ」
研一がそう言って、舞台の脇にある用具室入り口に駆け出すと、いきなり照明が戻った。
体育館内は、煌々とした灯りで照らされている。
ふたりの足が止まると、用具置き場のドアがいきなり開いた。
「!!」
「学園長!」
現れたのはサタンの足の爪だった。
「寿々美!」
「恵さんっ!」
後ろ手に縛られた寿々美が、学園長に引き摺られてきている。
サタンの足の爪が講堂内のほぼ真ん中で立ち止まると、けっこう仮面たちもそこから3メートルほど離れて対峙した。
サタンの足の爪は、もう正体を隠すつもりもないらしく、顔にはトレードマークの悪魔面をつけ、サタンのマスクを頭から被っていた。
マントまでは着けておらず、軍服調の制服のままである。
研一が一歩前に出た。
「……ふふん、マジで学園長だったんだな。聞いてはいたが、まさか本当だとは思わなかったぜ」
「貴様か。貴様がネズミだったか。一匹小うるさいのが入り込んだと聞いてはおったが、職員や教師どもには怪しいやつはおらんかった。
ガードマンどもを調べ始めた矢先だったが……図星だったな。それにしても、わしを知っておるのか。けっこう仮面めに聞きおったか」
「そうじゃないさ。あんたのその姿を見れば誰だってわかるってもんさ。元スパルタ学園関係者ならな」
「なんじゃと?」
「あんたは知らないだろうが、俺はあのSSSのガードマンだったんだよ」
「SSS? 阿久沢の……」
「ああ、そうさ。おまけに学園OBだよ。学生の時にけっこう仮面に助けられてな、いつか恩返ししたいと思って、この任務を志願したんだ」
「くくっ、そうか……。この裏切り者めが」
「誰も裏切っちゃいないさ。最初っからこうするつもりだったんだからな。あんたに人を見る目がなかったってことさ」
そこまで言わせると、今度はけっこう仮面が進み出た。
もうあまり駆け引きする時間はない。寿々美を取り戻してさっさと逃げねばなるまい。
また学園長と一騎打ちになるだろうが、さっきほどにはやられはしない。
相手の手の内はわかったのだ。
「……寿々美を返して」
「返して、じゃと? この生徒はもともとうちの学生じゃ」
「いや、離して!」
「嫌がってるじゃないの。離しなさい」
「断る。この藤寿々美は脱走しただけじゃなく、学院の秘密を外に漏らそうとしたのじゃ。重罪だ。今後のことを考えて、生徒どもの前で
公開拷問に掛けてやるわい。素っ裸に剥いて浣腸責めじゃ。二度と裏切り者が出んように、見せしめにしてやる。乳首にクリップを噛ませて
電流責めしたり、わしの腕くらい太いディルドをあそこにぶち込んでやる」
「いやああ……」
「ふざけるな!」
顔を振りたくって泣き叫ぶ寿々美の声にかぶるように、けっこう仮面が絶叫した。
「あなたの相手はあたしがしてあげる。無関係な寿々美は離して!」
「無関係ではないわい。それに、貴様の相手はわしではない」
「何? あっ……」
講堂の床がズシンと揺れた。
地震かと思ったがそうではなかった。
「な、何あれ!?」
けっこう仮面が驚きの声を上げる。
彼女が指差した先には、見たこともない大男が講堂舞台を突き破って現れていた。
もうもうと埃を上げながら、瓦礫と化した舞台の床をへし折り、押しのけ、ズシンズシンと荒々しい足音をさせながらそこから飛び降りる。
あまりの重量のせいで、そこにいたけっこう仮面たちは反動で軽く飛んだような気がした。
研一が引き攣ったように叫ぶ。
「ぶ、VJか!?」
「VJ?」
驚きおののくけっこう仮面と裏切り者を見て、学園長が満足そうに笑う。
「そうじゃ。長峰とか言ったな。おまえもここの職員だったなら、こやつの噂は聞いておろう」
学園長の側で、寿々美が腰を抜かしていた。
ウソだと思っていたフランケンシュタインが目の前に現れたのだ。
「……何なの?」
「あ、ああ」
呆気にとられたようにVJを見つめていた研一が我に返った。
「こ、ここの用心棒だよ。生徒どもの噂だと、身長3メートル、体重300キロの改造人間が学院に飼われているって」
「……」
「当然そんなバカげた噂、誰も信じちゃいなかったさ。だいいち、あれを見たことのあるやつなんざ……」
「いないじゃろうな」
学園長が言葉を引き取った。
「VJは三光学院の最高機密じゃからな。うっかり生徒どもなんぞには漏らせはせん。知っておるのは上級職員の他は、特別クラスの
連中だけじゃ」
「特別クラス?」
ハッとけっこう仮面は思い当たった。
恐らく、彼女の身を穢したあの学生どもだろう。
もう高校生というよりは、サタンの足の爪の立派な私兵である。
その間に、巨大な男は床を踏みならしながら学園長の側までやってきていた。
「何なのよ、そいつは!?」
「そこの裏切り者が言っておったろう、通称VJじゃ。本名は、昔はあったが今はもうないわい。戸籍は抹消した」
「今はない?」
「もともとはここの生徒じゃ。じゃがな、あまりに凶暴な上、こちらの制裁も受け付けない体力と筋力を持っておったのでな、特別な
処置を施したわけじゃ」
「特別な処置ですって?」
研一が学園の支配者を睨みつけて叫ぶ。
「き、きさまっ……、まさか本当にあの外道な手術を……!」
「何のことよ」
「ロボトミーだよ」
精神疾病患者に対する脳外科手術。
具体的には前頭葉の一部またはすべてを切除してしまい、性格を改善させる医療とされていた。
1939年アメリカで初めて施術され、
成功したと見なされている。
治療不能とされた精神疾病が外科手術である程度は抑制できるらしいという結果が出て、世界各国で行われるようになった。
しかし、確かに成功もあったが、少なくない失敗──死亡例が続出してしまう。
しかも、手術は終わっても治癒されていないこともしばしばあった。
おまけに精神的副作用──人格の一変、感情抑制不能などの重大な欠点が露出し、一気に廃れてしまう。
抗精神病薬が飛躍的に発展したこともその理由だが、まだまだ技術的にも未熟で、ややもすると人体実験じみたところもあったから、人々の目は一転して冷ややかになっていったのである。
学園長が満足げにVJを見上げる。
「外道じゃと? どこがじゃ。あの手術のおかげで、こやつは極めて扱いやすくなったわい。もともとIQは低かったし、まともな精神
だったとしても何の役にも立たんかったろう。だが、今ではわしの忠実な僕じゃ」
「きさま……」
「くくっ、怖いかけっこう仮面。いかにけっこう仮面と言えども、こやつとまともに張り合って勝てるはずはないわい」
サタンの足の爪はそう言うと、上げた腕を振り下ろして命令した。
「行け、VJ! あの女と裏切り者を八つ裂きにせい。見事に始末できたら褒美をやろう」
その言葉を聞くや、VJは「おお」と吠えてふたりに向かってきた。
巨大だった。
噂の3メートルは大げさにしても、充分に2メートルは超えている。
しかもジャイアント馬場のような痩身ではなく、上半身にも下半身にもみっちりと筋肉の帯が巻き付いていた。
体重も、300キロはともかく200キロ近いのではなかろうか。
逆三角形の肉体と言えば聞こえは良いが、いかにも不自然に作られたような体つきだ。
恐らくは筋肉増強剤の類も投与されているのだろう。
ほとんど実験動物のような扱いらしい。
裸の上半身にはゴツゴツとした硬そうな筋肉が膨れあがり、腿の筋肉も異常なほどの発達していて、元は学生ズボンだったらしい
腰巻きようなものが破れ掛かっている。
むっとするような汗と獣の体臭が漂ってくる。
薄く開いた口の端からは、よだれが垂れていた。
「こ、ここは俺が!」
研一がけっこう仮面を庇うように前に出た。
腕を後ろに回して手を振り、「行け」と言っている。
自分がこいつを引き受けるから、学園長を捕らえろという意味だろう。
恵は片時もVJから目を離さずに言った。
「無茶言わないで! あんたがまともにぶつかっても勝てるわけないわ」
「じゃあ、どうすんだ! ここにあんたが加わってもこいつにゃ勝てねえよ! 俺が引きつけるからその間に……うわ!」
ぶうんと空気を裂く音がして、巨大な拳が上から降ってきた。
研一と恵が別れるようにさっと避けると、その真ん中に人間どは思えぬ拳が突き込まれ、体育館の床をぶち破っていた。
危うく巨大な拳から逃れ、尻餅をつきながら研一が喚く。
「いいから早く行け! サタンの足の爪を逃がす気かよ!?」
その言葉に応える声は天井付近から降ってきた。
「相変わらず勇ましいのね、長峰くん」
「だ、誰だ!?」
研一と恵は慌てて周囲を見回す。
学園長も驚いたようで、あちこちに視線を走らせていた。
腰の抜けていた寿々美も、あのVJでさえギョロリとした目を声の主を捜している。
ひゅんひゅんと何かが風を切る音が混じる。
いた。
天井近くの高さで周囲を巡っているキャットウォークの西端に、真っ赤なマスクをした全裸の美女が立っている。
「け、けっこう仮面!?」
「か、香織先生か!?」
「正解」
研一と恵が同時に言うと、もうひとりのけっこう仮面が笑顔を浮かべる。
すらりとした肢体に、けっこう仮面チームの中でもひときわ白い肌。
手にしたヌンチャクは、柄がメタル製でシルバーに輝いている。
香織特製のクロム合金製のものだ。
「学園長! 性懲りもなくまた悪さをしているようね」
もうひとつ、別の声が今度は南側から響く。
別のけっこう仮面がいる。
やはり手にしたヌンチャクを軽快に操り、縦回ししている。
ヌンチャクでL字を描くように動かし、小さな回転で身体の方に沿わせるように縦回転させていた。
香織よりも若い声だ。
香織に比べるとやや肉づきが良いものの、脚が長いからぽっちゃりしている印象はなかった。
「いい加減にしたら? もうあなたの悪巧みは知れているのよ」
彼女の隣には、また別のけっこう仮面がいた。
身長やスタイルは殆ど同じで、見た目そっくりである。
使うヌンチャクも同じようだ。
香織と同じ金属製のようだが、もっとずっと軽そうである。
ジュラルミン製の特殊ヌンチャクを肩回ししていた。
縦回しの応用で、回転させて脇へヌンチャクを取りに行った手に柄を当ててヌンチャク自体を反転させ、その反動で反対側の肩へヌンチャクを振る。
そして首から逆の腋の下へ回してそこでヌンチャクを掴む手法だ。
敵を倒す技というよりは、相手を威嚇するための動きである。
恵が意外そうに叫ぶ。
「結花……、それに千草もか!?」
双子のけっこう仮面も恵を見て笑った。
「ひさしぶりね、紅さん。同じ大学なのに」
「そうよ。あなた、愛想がないのは高校時代と同じなんだから」
その声に被るようにまた別のけっこう仮面が現れる。
今度は北側であった。
「ここで会ったが100年目ってところね。覚悟なさい、学園長!」
幾分低い声で、結花らに比べるとやや身長が大きい。
肉体も、すらりというよりは腿や腕に筋肉が少し目立つ。
このけっこう仮面はヌンチャクではなかった。
1メートル弱ほどの棒を振り回している。
狭い通路でこれをやるのだから、かなりの腕前のようだ。
と、そのアルミ製と思われる棒を、けっこう仮面が左右から引っ張る。
途端に棒はふたつに別れ、ヌンチャクに早変わりした。
柄の間は細いチェーンが繋いでいた。
この特殊ヌンチャクを使うのは、棒術の心得もある彼女しかいない。
「光一……! おまえもいるのか!」
「あたしがいちゃ悪かったかい? それに、もう「光一」はやめてよ。ちゃんと本名で呼んで」
ギィィと少し軋む音を響かせながら、体育館の重い鉄扉がゆっくりと開いた。
月明かりを背中から浴びながら、最後のけっこう仮面が登場する。
「……場所は変われど悪事は同じ。学園の生徒への乱暴狼藉、教育の名を借りた本省無視の独善的な思想の強制。そして女生徒に
対する不埒な行為。教育者にあるまじき犯罪行為。学園長! あなたの悪事は、このけっこう仮面が許しませんよ!!」
恵と同じ樫性のヌンチャクを、肩口から背中を回して反対側の腰の上で取っている。
肩回しと背中回しを連続させながら、激しく左右に繰り返していた。
この派手で難易度の高い回転法を難なくこなすのは。
「先生! けい子先生!!」
「遅くなってごめんね、恵」
恵は自主的に仲間のけっこう仮面たちの名を叫んでしまったわけだが、そんなことはどうでもよかった。
まさかと思っていたが、仲間達が駆けつけてきてくれたのだ。
また一緒に戦える。
驚きとも感動ともつかぬ気持ちで身体が震えた。
事情がわかったのか、研一も余裕を取り戻していた。
「……遅かったじゃねえか、夏綿先生」
「ごめんなさいね、証拠固めに時間が掛かってしまって……。出動命令を取り付けるのが遅くなっちゃったのよ」
「香織先生もひさしぶりだな……。元気そうだ」
「おかげさまで」
香織は、研一の方を見てマスク越しにニコリと笑った。
どうやら研一の方は、いずれけっこう仮面が介入してくることは知っていたらしかった。
ただ、恵の乱入は予定外であり、こうなるとは思わなかったのである。
恵の方は、結花たちから視線が離せない。
「結花、千草。おまえたちまで……」
「あなたの様子がおかしかったのはすぐにわかったわよ。同じキャンパスなんだから」
結花が澄ましてそう答えた。
そう言えば、結花と千草も恵と同じ東大だったのだ。
結花は理科三類の薬学部、千草は生命工学の方だったからほとんど校内で顔を合わせることがなかっただけだ。
たまに学食や寮で出くわしても、軽く挨拶する程度だったのだ。
特に結花に対しては照れがあるため、恵の方は素っ気なかったはずである。
千草もにっこりと微笑みかけてきた。
北を見やると、光一がまたヌンチャクを棒状にしてバトンのように振り回している。
「まさか光一まで来るとは思わなかったよ。おまえ、京都だろ?」
「そうね。でも、結花たちから連絡を受けてね、こうして駆けつけたわけ」
面光一は仲間の中ではひとりだけ東京から離れ、京都大学へ進学していたのだった。
彼女たちの言葉を引き取るようにけい子が言った。
「私と香織が本省に出動要請している最中に、結花と千草から連絡が入ったのよ。恵の……あなたの様子がおかしい。何か事件があったのかって」
「……そこに正式な命令が出たの。でも、今出動できるけっこう仮面は実質的にはゼロなのよ。そこで私たちが……」
という香織の言葉を受けて、結花が締めた。
「引退していたはずの私たちが、また出動ってわけ。断ることも出来たんだけどね、でも恵がまた無茶しそうだってことだから」
「……」
「あの時と同じく、スパルタ学園チーム全員出動ってこと」
結花がそう言うと、キャットウォークにいた三人のけっこう仮面たちが、一斉に階下に飛び降りてきた。
いとも身軽に、片膝をついて着地した三人を見ながら、リーダーのけい子が歩み寄ってくる。
そしてヌンチャクを構えた。
けっこう仮面のオールスターキャスト登場で呆気にとられていたサタンの足の爪が我に返る。
同時に憤怒が込み上げてきたようだ。
「きさまら……。またしてもわしの野望を邪魔立てしよるか」
「ええ、何度でもね。あなたが良からぬことを企み、それを実行しようとするならば、私たちけっこう仮面はいつでもどこでも現れるわ」
けい子の力強い言葉を聞き、学園長は喉の奥で「くっ」と悔しさを噛み殺している。
スパルタ学園殲滅作戦時の、無惨な己の姿が蘇るのだろう。
5人のけっこう仮面を従え、その前で仁王立ちになったけい子が厳しく問う。
「今度は何をやらかそうと言うの? スパルタ時代も随分と過激ではあったけど、まだ可愛げがあったわよ。でも今回は酷すぎるわ。
生徒たちに軍事教練を強要した挙げ句、訓練中の死亡も私たちが確認しているだけで14件。いくら何でもやりすぎだわ」
「うるさいわい! もう、スパルタ時代のような甘いことを言ってはいられなくなったのじゃ!」
学園長にしては珍しく、感情を剥き出しにして喚いた。
突き出した左手の拳が震えている。
「あの頃はな、まだわしも穏健じゃった。悪たれの生徒どもを集めて性根を叩き直し、仕込み直すことで日本も変わると思っておった。
同時に子飼いも増やせる、そう思っておったのだ」
スパルタ学園での彼の行動を「穏健」とは笑わせるが、確かに三光学院と比べればそうなのかも知れない。
それにしても「日本を変える」とは大きく出たものだ。
当時、けい子たちはこのデビルのコスプレをした男が、そんな大仰なことを考えているなどとは微塵も思っていなかった。
学園長は血を吐くような声で続ける。
「だが……だがな、そんな手ぬるいことでは間に合わん! それをあの方に指摘されたのじゃ」
「あの方……?」
「きさまらは知らんでもいいお方じゃ。国家の中枢におられ、これから日本の舵取りをなさる方だ。その方と誼を結んで戴き、わしは
目が醒めた。こんな生半ではいかんとな。見てみい、世の中を。中国にも北朝鮮にも舐められっぱなしじゃ! 民主国家ということで
仲間の振りをしておる韓国にもだ! いいやそれだけではない、同盟国のアメリカとて信用ならんわい。そんな中、我が国が自尊を
貫くには今の政治家どもじゃダメじゃ。保身しか能のない与党は使い物にならんし、ケチを付けるだけの情けない野党どもには何の
期待もできんわ。わしの育てた生徒どもが成長し、国家の中枢に行くにはまだまだ時間がかかる。掛かりすぎるのじゃ。だから……」
黙って学園長の長弁舌を聞いていたけい子がぽつりと言った。
「だから、手っ取り早くテロでも起こそうと言うわけ? 学生たちを使って」
「……」
「随分と偉そうな所信表明だったけど、要は野蛮なテロリストと変わらないってことじゃないの」
「無差別テロをやるような愚か者と一緒にするな!」
学園長は激怒した。
「わしはあんなやつらとは違うわ。狙うのはあくまで利権に群がる奸臣どもと、その甘い汁を吸っている企業家どもだけじゃ。内戦を
起こすわけにもいかん中、そうしたテロは有効じゃ」
「どこがよ。そんなテロリズムを繰り返していたら、それこそ内戦が起こりかねない騒動になるわ。そっちの方がよほど対外勢力の
思う壺じゃないの。問題はそんなことじゃなくて……」
そこまで言って、けい子は軽く頭を振った。
「……ここであなたと主義主張を論争させても仕方がないわ。でも、それだけ思うところがあるなら、出るところに出て堂々と
主張すればいい。あなた自身がそのことを訴えて国民の支持を受ければいいだけよ」
「残念ながら、わしはその器ではない。それはあのお方に任せておる。わしに出来るのはそのお手伝いじゃ。あのお方がやりやすい
ように、その敵を排除する」
「これ以上、話し合いは無駄みたいね」
「笑止」
学園長はせせら笑った。
「きさまらと話が通じるなどとは思っとりゃせん。わしはわしのやり方で行くだけよ。VJ!」
それまでおとなしくしていた巨人に、学園長の声で活が入った。
「おおお」と唸りながら足を踏みならす。
「やれ! けっこう仮面どもを踏みつぶせ! 見事やつらを倒した暁には、どれでも好きなやつを貴様の嫁にくれてやるぞ!」
その言葉を聞いて、VJはさらにいきり立った。
口の端からはよだれが垂れている。正気があるとは思えなかった。
「うがあっ!」
知恵も何もなかった。
力任せに大木のような腕を振り回してくる。
それを避けるのは造作もなかったが、こっちの攻撃も通用しそうにない。
それでも恵が突っかかっていった。
「ええい!」
ヌンチャクの柄がVJに叩き込まれる。
巨人は逃げようともしなかった。
通常なら、この一撃をまともに食らえば打撲では済まないが、VJはビクともしない。
無造作に腕で攻撃を受け止め、ヌンチャクを弾き返した。鋼のような筋肉だった。
「くっ……!」
反動でけっこう仮面の身体が飛ぶ。続けて、結花や千草も仕掛けていくものの、やはり攻撃は効かなかった。
「どいて!」
そう叫ぶと、光一はヌンチャクのバトンを組み合わせ、金属製の六角棒にしていた。
棒術も心得る光一の、最強にして最後の戦法だ。
薙刀術を元にした竹生島流棒術の継承者なのである。
光一は、小脇に抱えた棒を構えてじりじりと合間を詰めると、気合い一閃、VJ目がけて一撃を加えた。
「うわ!」
思い切り突いた切っ先が見事に巨人の腹に食い込んだものの、VJはそれすらものともしない。
あっさりと棒を掴むと、光一そろとも振り回した。
「ぐっ!」
放り投げられた光一は、背中から壁に激突した。
結花が駆け寄る。
「光一! 大丈夫!?」
「か、構うな! おまえたちは学園長を……!」
「わかったわ!」
恵とけい子、香織たちがVJに取り付いている隙を伺い、結花と千草が学園長に向かっていく。
人質の寿々美を盾にするかと恐れていたが、それはなかった。
それどころか、まるでVJのように無頓着で突っ立っているだけで、仮面の下の顔からは、余裕の笑みさえ浮かべている。
「行くわよ、学園長!」
そう叫んだ結花がまず突っかかっていった。
それを見た恵が悲痛な声で叫ぶ。
「ま、待て、結花っ! そいつは……」
恵の声に被さって、鋭い金属音が響いた。
「!?」
信じられなかった。
結花必殺の一撃は、見事に学園長の左腕に決まったのだ。
というより、学園長は結花の繰り出した攻撃を左手で受けたのである。
受けたと言っても生身の身体だ。
結花のヌンチャク──ジュラルミン製のバトンをまともに受ければ骨折は免れないだろう。
なのにこの男は実に無造作にそれを受け止めたのである。
「あっ……!」
打ち込んだ手が衝撃で痺れて、ひっくり返ったのは結花の方だった。
「姉さん!」
倒れ込んだ結花に代わり、今度は千草が仕掛けていく。
なぜ結花がやられたのかわかっていないから、同じようにヌンチャクを打ち込んだが、同じようにサタンの足の爪の左腕で弾き返された。
仲良く転がされた双子の美姉妹は、唖然として学園長を見やった。
「な……なんなの、こいつ!?」
VJの攻撃を躱しながら恵が叫んだ。
「気をつけろよ! そいつの左手は妙に硬いんだ、あたしのヌンチャクもまるで効かなかった!」
「ヌンチャクが効かない……?」
驚いているけっこう仮面の様子に満足したのか、学園長は高笑いして言った。
「わはははっ、恐れ入ったか、けっこう仮面めが。相変わらずヌンチャク頼りの進歩のない攻撃ばかりしよって」
「何ですって!」
「もう貴様らの手口などお見通しじゃ。どれ、見せてやるか」
学園長はそう言って不敵に笑った。
そしておもむろに左手にはめていた長手袋を取り去る。
「ああっ!?」
信じられないものがあった。
なんと学園長の左手が、照明を受けて光り輝いているではないか。
金属製だ。
義手だったのである。
しかもただの義手ではない。
人の腕に見せかけるような気遣いはまるでなかった。
機能一点張りで、自由に腕や指は使えるらしい。
サイボーグのようなものだ。
恐らく繊細な機械だろうから下手な衝撃は禁物だろうに、学園長は平然とこれで攻撃を受け、また仕掛けていた。
ということは、義手というよりも武器に近いのであろう。
それなりの装甲も施されているに違いなかった。
なるほどこれを一発食らえばタダでは済むまい。
何も知らなかった恵が一撃で叩きのめされたのも無理はなかった。
結花が脅えたような声で叫んだ。
「こ、この化け物! その腕……」
学園長は澄まして言った。
「化け物とは失敬な。おまらに吹き飛ばされた腕よりも役に立つわ」
やはりそうなのだ。
スパルタ学園壊滅計画で、追い込まれた学園長が自爆した際、左腕を失っていたのだ。
そのDNAが検出され、結果として学園長の死を確定したのである。
事実は、失ったのは左腕だけで、しかも新たに取り付けた義手には攻撃能力まで仕込んでいたわけだ。
「くく、もうおしまいか? では、わしから行くぞ」
そう言うと学園長が結花と千草に仕掛けてきた。
過去、スパルタ学園時代にはなかった行動だった。
戦いは常に雇った連中にさせておいて、自分は何もしないのが常だった。
それもこれも、とてもじゃないが自分ではけっこう仮面になど敵うはずもないと思っていたからだろう。
この男がしゃしゃり出てきたのは、けっこう仮面を捕らえて身動き出来ないような状況に追い込んでからだったのだ。
その、卑怯姑息と思われていた学園長が、今回積極的に戦いを挑んできたのは、やはりそういう理由があったのである。
学園長の手刀がけっこう仮面を襲う。
あまりのことに萎縮したのか、結花も千草も腰が引けていた。
辛うじて攻撃を避け、その間にこちらからもヌンチャクを繰り出すのだが、まるで効果がない。
光一たちが、変貌を遂げた学園長に手こずっている間、けい子と香織、そして恵は共同してVJと戦っていた。
が、どちらも決定打を与えられずにいた。
巨大なVJは馬鹿力で襲いかかるが、その動きの鈍さもあって、ちょろちょろと動き回るけっこう仮面たちに苛つき始めている。
一方のけっこう仮面たちも、VJの攻撃を避けること自体は難しくないものの、敵もこちらの攻撃をほとんど受け付けないため、攻めあぐんでいた。
象と蜂では戦いにならないのだ。
象は煩そうに鼻を振るが、敏捷な蜂は楽にかわしていく。
蜂の針は的確に象に刺さっているものの、その分厚い表皮は傷も付かなかった。
「くっ……、この化け物め!」
「せ、先生っ!」
業を煮やしたけい子が突入した。
無謀な攻撃だが、言うまでもなくこれは囮のつもりだろう。
VJの意識がけい子に行っている隙に、香織と恵で何とかしてくれ、という意味だ。
ふたりは顔を見合わせ、すぐに頷き合った。
香織は左翼に、恵は右に回り込んで、VJのバックを取ろうと試みる。
しかしその直後、けい子がやられた。
けい子はVJの脛を狙っていた。
いかに強靱な筋肉の鎧をまとっていようとも、脛や膝、肘、足首などは骨が皮膚の直下にある。
筋肉で装甲されていない数少ない弱点だ。
いかに人間離れした巨人でも、それは同じはずだ。
けい子はがに股になっているVJの股間に潜り込み、いったんは右足を狙う素振りを見せた。
気づいたVJがけっこう仮面を跳ね飛ばそうと繰り出してきた右腕を、ぴょんとジャンプしてかわした。
ストッと着地したけっこう仮面は、右腕を大きく回転させてヌンチャクをそのまま左の脛に叩き込んだのだ。
手応えはあった。
しかしそれは硬い骨を打った感触はなかった。
手許が狂ったのか、それともVJが避けようと足を少しずらしたのか、けい子が打ち込んだのはふくらはぎだった。
けい子必殺の一撃は、分厚い筋肉で呆気なく弾き返され、その衝撃で思わず尻餅を突いてしまう。
「きゃあ!」
「先生っ!」
けい子らしからぬ悲鳴を上げてしまったが、さすがに立ち直りは早かった。
すかさず体勢を立て直し、腰を上げたものの、その間隙はVJにとっては充分だったらしい。
ぶうんと腕が風を切る音がしたかと思うと、けい子の左肩付近にVJのラリアットが見事に決まっていた。
「うあっ……!」
短い悲鳴を放ったけっこう仮面の裸身が、物凄い勢いで吹っ飛ばされていく。
受け身も何もあったものではなく、けい子は背中から壁に激突した。
「ぐっ……!」
あまりのショックに、目の奥に火花が走る。
けっこう仮面は、壁際にあった消火栓ホース格納庫に背中と肩口からぶつかっていた。
その衝撃で格納庫の扉がぐにゃりと変形し、やがて外れて落ちた。
中から巻かれたホースが解け、蛇のように床を伸びていく。
消火栓自体も壊れたのか、その直後にえらい勢いで放水が始まった。
消火栓が開かれると同時に、火災報知器が一斉に唸りだした。
水は天井と舞台に向けて二本の水流を放っていた。
たちまち辺りは水浸しになる。
けい子にとどめを刺そうとしたVJも、床の水に滑って転倒した。
ずずんと地震のような揺れが生じ、同時にミシミシと床が軋み、バキバキと床板が折れる音もした。
VJを警戒しながら、香織と恵が駆け寄ってくる。
「先生!」
「けい子先生、大丈夫かい!?」
背中をいやというほど打ち付けて呼吸が止まり、頭も朦朧としていたけい子だったが、何とか頷くことが出来た。
その時、立ち上がった巨人が攻撃を仕掛けてきた。
相変わらずの盲打ちだが、一発に威力があるから油断が出来ない。
「うがあっ!」
「危ないっ!」
恵がけい子に肩を貸し、そのふたりを庇うように香織が動く。
闇雲にパンチを叩き込むVJは、放水を浴びて濡れ鼠になりながら狂ったようにあたりをぶち壊していく。
床と言わず壁と言わず、あちこちが穴だらけだ。
香織が跳び、恵が側転し、けい子はバック転して攻撃を避ける。
焦れたように恵が言った。
「くそっ! この野郎、バカみたいにあちこち穴だらけにしやがって! ……と、うわ!」
「ちっ……!」
火災報知器の赤い回転灯を見ながら、学園長が舌打ちした。
報知器は当然近隣の消防署にも連動して繋がっている。
三光学院は、もっとも近い消防分署や地域消防団ともかなり離れているが、それでも急を受けて押っ取り刀でやってくるだろう。
場合によっては警察もだ。
地域警察の上層部にはそれなりにカネをばらまいているものの、火事とあれば駆けつけるに違いない。
けっこう仮面はもちろんのこと、VJがいるところを見られては、警察に対して言い逃れは出来ない。
学園長は素早く判断した。
ここは捨てるしかないだろう。
生き残れば、捕まらなければいくらでもやり直せるのだ。
スパルタ壊滅の時もそうだった。
逃げると決めても簡単ではない。
義体化した強化サイボーグ腕でけっこう仮面どもを圧倒はしているが、何しろ手練れ三人が相手なのだ。
学園長も攻めあぐねていたのである。
しかし早く逃げねばまずいことになる。
学園長の顔に焦りの色が浮き始めた。
けっこう仮面たちは敏感にそのことに気づいた。
サタンの足の爪が浮き足立っているのがわかる。
チャンスだった。
三人は目配せをして、前と左右から一斉に仕掛けていく。
学園長もその動きに気づき、逃げるようにVJの側に走っていく。
この巨人も学園長の言うことだけは聞くのだ。
盾か囮にして逃げようと言うのだろう。結花たちも追いすがっていった。
恵の声を聞きつけたわけでもあるまいが、VJが恵を目がけて拳を振るってきた。
こんなパンチは難なく避けられるはずだが、恵たちもずぶ濡れである。
ブーツの下の床も水浸しで、足が滑った。
「あっ……!」
恵が尻餅を突いたその真上に、VJの拳がめり込んでいた。
転んだのが幸いしたらしい。
しかし、その途端にバチバチッと大きな音がして、校内の照明が再び一斉に消えてしまった。
月明かりで見てみると、どうやら大男の拳は分電盤を破壊していたようだ。
薄い金属製の扉がめちゃめちゃに壊れ、蝶番がバカになっている。
ぶらぶらになった扉の中で、メーターや破壊され、コードが飛んでいた。
その先から花火のように電気が走っている。
水を通電して、電流がブーツの底を通してけっこう仮面たちにも伝わる。
恵が飛び跳ねた。
「ちくしょうめ、何でもかんでもぶっ壊しやがって! あちち、電気が来るじゃねえか!」
「恵!」
けい子の叫びが飛ぶ。
「それを……」
「え……?」
けい子と香織がVJをあしらいながら、必死になって指差している。
その先には、破壊された分電盤があった。
「あっ……」
一瞬考えて、すぐに思い当たった。
「よし、わかったよ! 先生たち、気をつけてくれよ!」
「あなたもね! 感電しないよう気をつけて!」
一か八かだ。
失敗すれば高圧電流で感電、ヘタをすれば命に関わる。
しかし躊躇している暇も余裕もなかった。
「うっ!」
あちこちに水たまりのある床の上で、太い電源ケーブルが踊っている。
それを掴むと、恵の手と腕にビリッと衝撃が来た。
革製で厚手のグローブを装着してはいるものの、それでも電気が通ってくる。
それだけ電圧が高いのだろう。
危険だが、うまくすればいけるかも知れない。
両手で一本ずつケーブルを握ると、ためらうことなくVJに向かっていく。
幸い、巨人はけい子たちに引き寄せられ、後ろから接近する恵には気づいていないようだった。
「食らえ、化け物ぉっ!」
そう叫ぶと、恵は両手に持ったケーブルの先──火花を噴き出しているその部分を、VJの背中と腰に押しつけた。
月明かりのみだった講堂の中が、一瞬白く灼けた。直後に恐ろしい悲鳴が噴き上がった。
「うぎゃあああああっっ……!!」
巨人は凄まじい悲鳴を上げると同時に大きく転倒し、ゴロゴロと転げ回っている。
どこをどう攻撃しても痛痒を感じないさしものモンスターも、高圧電力攻撃にはたまらなかったようだ。
確かにこれは、いくら身体を鍛えようが抵抗力はつかないだろう。
「ぐぅおおおおっ!」
「きゃああっ!」
ほぼ同時に、学園長の野太い悲鳴と、甲高い女性の悲鳴が三つ上がった。
電気攻撃のことなど知らなかった結花と千草、そして光一の放ったものだ。
それでもけっこう仮面たちはまだ大丈夫のようだ。
ブーツの皮革が厚く、底も厚かったせいで絶縁効果があったらしい。
それでも足下からビリリッと強い電流が頭まで駆け上ってくる感じはあったが、感電で倒れるところまではいかない。
しかし学園長はそうもいかなかった。
同じように長靴を履いてはいるものの一般的なものだったようで、大した絶縁は出来なかったようだ。
悪魔の面の下に驚愕の表情を浮かべ、黒いマントと濃紺の衣装に白く小さな稲光が走るのが見えた。
たまらず転倒し、ゴロゴロとのたうち回る。
それを見た恵が、今度は学園長に走り寄った。
けい子もその意図を覚ったらしく、叫んだ。
「今よ、恵! 学園長にトドメを!」
「わかってる!」
けっこう仮面が走ってくるのを見て、学園長はよろよろと立ち上がった。
しかし反撃できる状態にはない。恵は人の悪そうな笑みを浮かべ、こう言った。
「あの時の礼をさせてもらうわよ……!」
寿々美と知り合った時、電気責めの拷問を受けたことを言っているのだ。
学園長の知ったことではないが、彼の部下が恵にかけた拷問だったのは間違いない。
右手に一本だけ持ってきたケーブルを、学園長の剥き出しになった金属の左腕に押しつけた。
魂消るような絶叫が迸った。
「ぐわあああああっっっ……!!」
ケーブルの先がサイボーグ腕に触れるかどうか、という辺りで、学園長の全身に鮮烈な閃光が突き抜けていった。
さっきとは比較にならぬほどの電撃である。
生身の身体でもかなり効くだろうが、接触したのは金属である。
通電性の良さは比べものにならなかった。
その威力も絶大である。
ビリビリと痺れるなどという生やさしいものではなかった。
まるで棍棒で腕をぶっ叩かれたかのようなショックと、その痛みが脳天まで突き抜けていく凄まじさだ。
さすがに、仕掛けた恵の方もたじろいだ。
ここまで効くとは思わなかったのだ。
殺すつもりはなかったからこそ、左手に持っていたケーブルを捨てて一本だけしか使わなかったのだが、それでこの威力だ。
二本でやっていたら感電死したかも知れない。
学園長もある意味モンスター的なところはあったから、この程度なら死ぬこともないだろうと思ったのだが危なかったわけだ。
「うおおおおっっ……!」
あまりの衝撃と苦痛で学園長が床を転げ回っている。
その様子が強烈だったせいだろうか、あのVJさえも呆気にとられて学園長を眺めていた。
無論、けっこう仮面たちも同じである。
あのサタンの足の爪がここまで苦悶しているのを見たのは初めてだったのだ。
苦痛で転がりながらも、学園長がVJを叱咤した。
「VJ! 何をしておるか! けっこう仮面どもをぶちのめさんかい!」
「ぐおおっ!」
我に返った巨人が、再びけっこう仮面に攻撃を開始した。
電気攻撃は効いていたが、その怪物じみた体力には決定打とはなっていない。
今度は近くにけっこう仮面全員がいたから、それこそ辺り構わず腕を振り回し、足を蹴り上げて回った。
それでも電撃の威力なのか、動きに精彩を欠いている。
これなら何とかなるかも知れなかった。
のたうつ学園長をそのままに、6人のヒロインは一斉に大男に向かっていった。
「くそぉぉっ……、忌々しい女どもめが!」
学園長は呪詛の呻きを上げながら、ようやくにして立ち上がった。
まだ足下がふらついている。
そして、ぶすぶすと白い煙を吐いている義手を掴むと、肩から引き千切るように外し、投げ捨てた。
どうくっつていたのかわからないが、それでも金属の腕と生身の身体が接触していた部分はあったはずだ。
その部分に酷い火傷を負いながら、学園長が逃げ出した。
人質だった寿々美には、もう目もくれなかった。
義手を投げ捨てた大きな金属音に気づいたのは、それまで何の手出しもできないでいた研一だった。
「あっ! 学園長が逃げるぞ!」
いち早くサタンの逃走に気づいた研一は、そう叫ぶと追いかけていく。
学園長はよろけた身体を叱咤するようにして講堂から逃げ去っていた。
VJの体力は常識外れで、強烈な電撃でふらふらしてはいるものの、失神することもなくまだ抵抗の姿勢を見せていた。
動きは鈍いが一撃の威力が大きいだけに、まだ油断は出来ない。
無闇矢鱈に腕を文回してくるVJの攻撃を避けながらけい子が叫ぶ。
「香織! こっちは私たちに任せて、あとを追って!」
「わかりました!」
けい子の指示を受け、香織は先を走る研一を追いかけるようにして講堂を走り出た。
外に出ると、サーチライトは沈黙していた。
講堂の分電盤を破壊した影響なのか、校内の灯りも消えていた。
外へ脱出した生徒たちを追っているのか、ガードマンたちもほとんど残っていない。
研一は、後ろからついてくるけっこう仮面に気づいた。
「おっ、来たな。あの化け物はどうした?」
「夏綿先生たちが相手してるわ」
「その声は……香織先生だね。へへ、またこうして一緒に動けるなんてな」
「長峰くんも頑張ってるじゃない」
そう言うと、それまで研一と併走していた香織が一気に引き離した。
研一が慌ててスピードをあげる。
僅かに振り返って香織が叫んだ。
「急いで! 学園長は東校舎に入ったわ!」
「お、屋上だ、香織先生! 校舎の屋上にゃヘリポートがある! 学園長はきっと……」
「わかったわ!」
それを聞くや、けっこう仮面の走る速度はさらに上がった。
研一が校舎に飛び込んだ時には、早くも階段を駆け上がっている。
ちらりとエレベータを見ると、ランプが上昇している。
学園長が乗っていることは間違いない。
生徒は使用禁止の来客専用エレベータは一基しかなく、それを待っている時間はなかった。
「急いで!」
上からけっこう仮面の声が聞こえた。
「ちくしょう、負けるか」と研一は、意地とメンツに賭けて全力疾走する。
しかし、それでもけっこう仮面との差は広がるばかりだ。
研一は二段抜きで駆け上っているのだが、けっこう仮面も二段抜き、あるいは三段抜きで昇っているのだ。
しかもその速度が尋常ではない。
もとより香織の瞬発力、反射神経の良さは、けっこう仮面グループの中でも群を抜いているのだ。
鍛えていたとはいえ、一般人である研一に敵うはずもなかった。
やっとの思いで研一が屋上へ駆けつけると、案の定、ヘリがホバリングして待機している。
けっこう仮面は学園長が対峙していた。
学園長は満身創痍だ。
身につけていたマントも衣装もボロボロで、まだあちこちから薄く煙を吐いている。
義手だった左腕はなく、隻腕になっていた。
「学園長! この期に及んでまた逃げるというの!? この卑怯者!」
「何とでもほざけ。ここで捕まるわけにはいかんのだ」
サタンの足の爪は、上空待機しているヘリから下ろされた縄梯子に足をかけていた。
激しいローター音に負けぬ大声で叫んだ。
「わしの野望はこんなとことで潰えはせぬ! きさまらけっこう仮面どもへの復讐も必ず果たしてやるわ!」
「愚かな! 何度やっても、必ず私たちが阻止して見せるわ!」
「ほざけ、ほざけ! 次回こそはきさまらと決着を……きさまらの組織をぶっつぶしてやるわ! わしの野望はそれからじゃ!」
その絶叫と同時に、学園長の身体がふわりと宙に浮く。
ヘリコプターが上昇し始めたのだ。
追いすがるけっこう仮面を嘲笑うかのように、サタンの足の爪は縄梯子を昇っていく。
「この次まできさまの命は預けておこう。今度会う時を楽しみにしておれ!」
学園長の姿がヘリの中に消えると、ヘリのエンジン音は一層に激しくなり、急上昇していった。
「くっ……!」
けっこう仮面はヌンチャクを握りしめ、悔しそうにそれを見送るしかなかった。
研一も呆然として逃げるヘリを目で追っていた。
屋上ペントハウスのドアがバタンと大きな音をさせて、他のけっこう仮面たちがなだれ込んできた。
けい子、結花に千草、光一。
みんな無事だのようだ。
あの大男との戦いはどうなったのか。
恵はあまり心配していなかった。
このメンバーが束になってかかれば、いかにVJが化け物じみていても、苦戦はするだろうが負けはすまい。
況して恵が仕掛けた電流攻撃が功奏し、彼の体力をだいぶ奪っていたのである。
「香織! サタンの足の爪は!?」
けい子の問いに、香織はゆっくりとヌンチャクの先で指し示した。
もう豆粒のように小さくなったヘリコプターが西の方角へ去るところだった。
けい子の肩が失望したかのように少し下がる。
「……逃げられたわけね」
「申し訳ありません……」
「別にあなたのせいじゃないわ。それにしても……」
「ええ……」
「これであの男の生存がはっきりしたわね。また新たに対策を立て直さないと……」
けい子の後ろには、妹の面光一、結花と千草の姉妹が、やはり逃げた学園長を目で追っていた。
その目には失望の色が隠せない。
光一がぽつりと言った。
「また敵が増えちゃったわね、姉さん……」
「……」
「増えたというよりは、消えてなかったってことだけどね」
無言にけい子に代わって結花が、やや沈んだ様子でそう言った。
千草の表情も優れない。
「今回は臨時で私たちが「現役復帰」したからまだよかったけど、今後はどうするつもりなんですか、先生」
「……」
けい子には答えられなかった。
ただでさえ後継者不足のけっこう仮面である。
このたびは苦肉の策として、既に引退した彼女たちを引っ張り出して来たものの、毎度毎度こうは行くまい。
恵を筆頭に、光一も結花、千草も、まだまだ体力的に衰えてはいない。
精神的にも問題なく、今すぐにでも現役復帰出来るだろう。
ただ、彼女たちに「引導」を渡し、引退させたのは他ならぬけい子自身なのだ。
その彼女が復帰を要請するわけにはいかない。
そもそも、そんな気はないのだ。
彼女たちはスパルタ学園時代、もう充分に働いてきた。
一般生徒と正義の味方としての二重生活、そして心身ともに辛く、酷い目に遭ってきたのである。
しかもけい子や香織と違って、彼女たちは完全に無報酬なのである。
そんなボランティアを強制など出来るはずもない。
けい子の要請に対し、彼女たちは澄んだ清らかな精神と強靱な正義感でそれに応えてきた。
学園の理不尽さへの怒りと、弱い立場の生徒を守る意識の高さこそが誇りだったのだ。
だからこそ、要請され、あるいは志願してきた彼女たちは泣き言ひとつ言わず、学園と学園長を相手に闘争してきたのである。
そんな彼女たちを再び戦いの場に引き戻すことは、いかにけい子と言えども出来なかった。
彼女たちはもう充分に尽くしたのである。
あとは普通の女の子としての生活を楽しんで欲しかった。
とは言え、千草の言葉が身に染みる。
戦力は枯渇していたのである。
任務が任務なだけに、強制したり徴兵するわけにはいかない。
あくまでも志願でなければならないのだ。
こんな仕事に志願するような女性は、常識的にはいないのである。
恵や結花たちは、同じ学園内であったからこその人材であり、今のけい子の立場ではスカウトすることも難しかった。
けい子と香織、そして他のけっこう仮面たちが物思いに耽っていると、ようやく恵が屋上までやってきた。
今までの彼女なら、真っ先に駆けつけただろうに、意外と言えば意外だ。
しかし、彼女の後ろにはその「原因」がまとわりついていた。
藤寿々美だった。
恵は、マスク越しでもわかるくらいに困惑した表情と仕草をしている。
不審に思ったけい子が言った。
「恵、どうしたの?」
「あーー……。それがさあ、けい子先生」
恵は、困ったようにヌンチャクの柄で頭を掻いている。
万事強気で、すっぱりとした性格の彼女には珍しいパターンの表情と仕草である。
恵は、隣にいた寿々美の顔を眺めると、やがて諦めたようにため息をついた。
けい子や香織たちは、きょとんとしてふたりを交互に見ている。
「なに? どうしたの、一体」
恵は、もう一度寿々美を見てから、その肩を掴んで前に押し出した。
「寿々美、おまえ、自分から言いな。あたしゃもう知らないよ」
「はい」
「……?」
ふたりの訳のわからないやりとりを見ていたけい子たちの前に、三光学院の少女が進み出てくる。
寿々美は少しうつむき加減で、やや顔を赤らめている。
何度か躊躇した後、意を決したようにけい子を正面から見た。
けい子が思わず尋ねる。
「あなた……、ここの生徒の藤寿々美さんだったわね。なに? どうしたの?」
「はい、あの……」
寿々美はまだもじもじしていたが、とうとうはっきりと言った。
「私……、けっこう仮面になりたいなって……」
「え……?」
恵以外のけっこう仮面たち全員が耳を疑う中、やっとやってきた消防車のサイレンが遠くから聞こえてきた。
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