「かごめ……」
「……」
「かごめ、起きろ」
「……ん……」
「かごめっ!!」
幼い声がかごめの耳に届いた。
うっすらと目を開けると、小さな手で裸の両肩を揺さぶられていた。
かごめが意識を取り戻すと、それまで心配そうだった少女の顔がホッとしたような表情
に変わった。
「あ……」
「大丈夫か、ケガはないのか?」
「み……いなちゃん?」
人魚姉妹の妹の方に介抱されていたのだとわかり、かごめは肘を使って半身を起こした。
彌衣魚が差し出した竹筒を受け取り乾いた喉を潤すと、さきほどの悪夢が甦ってくる。
訳も分からずこの洞窟に連れ込まれ、裸に剥かれて妖しげな薬を塗られ、あまつさえ辱め
を受けた。
それも珊瑚にだ。
だが、あれはどういうことだろう。
珊瑚は確かに女だった。
ともに入浴したこともあるから、それはわかる。
なのにあれは……。
「彌衣魚ちゃん、訊きたいことがあるの……」
「細かい話は後でも出来る。早くここから逃げるのだ」
「え……」
「早く! これを着ろ」
彌衣魚はそう言ってかごめのセーラー服を押しつけた。
* - * - * - * - * - * - * - *
犬夜叉と弥勒が那津魚を見つけたのは村はずれだった。
鮎奈に「近寄るな」と言われたあの涸れ井戸である。
その側に立っていた那津魚に犬夜叉が迫った。
「てめえ、こんなとこに……」
「犬夜叉!」
「おい、かごめをどこにやった!」
犬夜叉は弥勒の制止を振り切ると、那津魚の襟首を掴んだ。
「ま、待ってください。それはどういう……」
「だからかごめと珊瑚がいなくなったんだよ! てめえらが……」
「やめなさい、犬夜叉!」
弥勒が割って入って言った。
「ふたりの姿が見えなくなったのです。那津魚さまはご存じありませんか」
「いえ……」
「とぼけんな!!」
「犬夜叉! ……それと、娘さんたちも見あたりません」
「莉里魚と彌衣魚も……」
法師に止められて半妖が腕を離すと、人魚の長は軽くため息をついた。
* - * - * - * - * - * - * - *
「ああ、あふっ……ん、いや……あ、ああ、もう……んああっ……」
洞窟の奥では、莉里魚が飽きもせず珊瑚を犯していた。
後背位からくびれた腰を小さな手でしっかりと掴み、リズミカルな律動を与え続け
ている。
ふたりの女が発する甘い体臭で、洞窟内はムッとするような熱気が漂っていた。
突かれるたびにぶるぶる揺られている珊瑚の乳房の先はピンと屹立し、触れれば痛い
ほどになっていた。
莉里魚がめいっぱい奥まで突くと、先端が珊瑚の最奥にぶち当たる。
「うあっ……だめ、ああっ……ひ、響く、頭にずんずん響くぅっ……いっ、いいっ……」
もう珊瑚には羞恥や屈辱はない。
拒否することも嫌悪することも頭から失せた。
口からは喘ぎとよがり声しか出て来ず、腰を震わせて性感の高まりを訴えていた。
激しく突かれ、揺れ動く肢体からは汗が飛び散り、全身がぬめぬめと淫靡に光っていた。
膣はひくつき、莉里魚を追い立てようとする。
肉茎をぎゅっと締めつけるようでいて、全体を優しく包み込んでいく。
胎内で盛んに蠢く男根の熱さと硬さにくらくらしていた珊瑚だが、そのうちそれがびくびくと
脈打ってきたのがわかった。
射精が近いと覚った珊瑚だが、中出しを拒絶する言葉すら出なくなっていた。
それよりも、このまま膣でいって欲しかったし、そうなることで自分も気をやりたかった。
積極的に腰をうねらせる珊瑚に、莉里魚も我慢が限界にくる。
「く……、で、出るぞ」
「やっ……はああっ……あ、あたしも……くうっ、い、いく!」
耐え消れずに莉里魚がドッと射精した時、珊瑚も腰を大きくぶるつかせて頂点にまで達した。
人魚の少女が何度も腰を振るってしゃくりあげるごとに珊瑚はいき続けた。
射精の発作で、胎内にどろどろした粘液が放たれるたびに頭の芯が燃え尽きる気がした。
「いく……う、うん、また……いくっ……」
珊瑚の最後の締め付けを味わってから、莉里魚はゆっくりと満足しきった男根を抜いた。
まだ半勃ち状態ではあるが、さすがに精巣はからっぽのような感じだ。
「……」
まだ絶頂の余韻で軽い痙攣状態にある珊瑚を横目に、莉里魚はその場を離れた。
だいぶ時間を食ったようだ。
調子に乗って責め過ぎた。
珊瑚を食うのが先か、彌衣魚を抱くのが先か迷っていたが、少し休憩した方がいいかも
知れぬ。
最初に珊瑚を食ってから彌衣魚の方がいいだろう。
莉里魚は、「なりそこないの巣」の反対側にある穴に向かった。
かごめを放り込んでおいた場所である。
「……」
中を覗いた莉里魚の顔から表情が消えた。
誰もいなかった。
* - * - * - * - * - * - * - *
ふたりは地上へつながる長い回廊を歩いていた。
実際にはそうでもなかったが、かごめにはもう一刻ほども歩いているような気がしていた。
洞窟広間内は岩盤が平らで歩きやすかったが、ここはただでさえ細い道がでこぼこと岩
だらけであり、もつれて足をくじきそうだった。
おまけに股間からは粘ついた液体が零れてくる。
珊瑚に注がれた精である。
それが下着を濡らし、飽和すると内腿に伝って流れ落ちた。
彌衣魚に助けられて、服を着るのが精一杯であり、とても身体を洗ったり拭いたりしている
ヒマはなかったのだ。
気色悪い感覚に耐えながら歩いていたが、体力も限界に近づいている。
「あっ」
かごめが石に蹴躓き、たたらを踏んだ。
思わず膝をつき、前屈みになり、転ぶことだけは避けたが、もう息が上がっていた。
「大丈夫か、かごめ」
先を歩いていた彌衣魚が驚いて戻ってきた。
かごめの肩に手を置き、その顔を覗き込む。
「疲れたか」
「うん、少し……。でも大丈夫、行きましょう」
そう言って立ち上がったが、膝ががくがくと笑っている。
力が入らなかった。
この時代に来るようになり、以前よりだいぶ歩くようになっていたはずなのに。
「無理するな……、と言いたいところだが、そうもいかぬ。いつ姉者に気づかれるやも
知れぬ以上、のんびりも出来んのだ」
「わかってる……。情けないね、あたしの方が年上なのに」
「気にするな、ヒトと人魚では身体の作りが違う」
「でも人魚は陸上って苦手なんじゃないの?」
「そうでもない。どっちでも呼吸は出来るしな。まあ、水の中の方が好きだし、楽では
あるがな。いずれにしても、体力的にヒトと人魚では比べものにならんのだ」
「そう……」
かごめはどうにか立ち上がり、それを見て彌衣魚もまた前を向いた。
よろよろと歩きながら、かごめは彌衣魚に言った。
「彌衣魚ちゃんは……なんであたしを助けてくれるの?」
「……」
「莉里魚ちゃんの方は……、あたしにも珊瑚ちゃんにもあんなひどいことしたのに……」
ぴくりと彌衣魚の肩が揺れたが、それは一瞬で、また何事もなかったかのように歩き出した。
「……姉者のことは……、すまぬと思っている」
「……」
「姉者には姉者の考えがあり、それは私や母上とは少し違うところがある」
「それであたしを?」
「……私は、かごめが好きだ。優しいから……」
「え?」
人魚の少女は、そこでくるりと振り向いた。
「人間に、おまえのような者がおるとは思わなかった」
「……」
「あの仔猫も、おまえや珊瑚は可愛がっておった。ヒトも弱い者を愛する心を持っていると
わかってうれしかった」
「そう……」
「人魚はな」
かごめをじっと見つめて彌衣魚は言う。
「その力は、己の存在を脅かす強大なものに対してしか使わん。だから、ヒトが我らを
狩っても、何も反撃をせなんだ。個人個人では抵抗するものもいた。殺される段になっても
黙って殺されるバカはおらんからな。でも」
「……」
「でも、人魚族が人間界を攻撃するということはなかったし、これからもないだろう。姉者は
それが不満だったのだ。私とてそうだ」
「そう……なんだ……」
「しかし、そなたに……、かごめや珊瑚と会って少し変わった。ヒトにも、そなたたちのような
者どもがおるのなら、人間どもと……、いや、人間たちとも共存出来るのではないか、と」
「……」
「口では言わぬが、母上……主上も同じお考えのはずだ。だから、かごめたちを賓客として
遇していたのだ」
ぱちぱちぱち、と、乾いた拍手の音があたりに響いた。
「!!」
かごめと彌衣魚はビクッとして下を見る。
ぼんやりと小さな人影が視界に入ってきた。
小馬鹿にしたような、間延びした拍手をしながらこちらにやってきたのは莉里魚だった。
「なかなか立派な演説だったぞ、彌衣魚。そなた、いつのまにか偉そうなことを言えるほど
になっていたのじゃな」
「……」
彌衣魚がかごめの前に出て、姉と対峙する。
両者の間に抗いきれぬオーラを感じて、かごめは思わず後じさった。
莉里魚はそんなかごめの様子など目に入らぬように、妹を睨んでいる。
「それにしても、そなたがそれほどの人間贔屓だったとは知らなんだな。……この裏切り
者めが」
「姉者、それは違う」
「黙らっしゃい!」
「……」
「言い訳無用。それもこれも主上のせいじゃ。人間どもの跳梁を許すことになったのも、
そなたを腑抜けにしたのもな」
「違うわ!」
「かごめ……」
今度はかごめが黙っていなかった。
「彌衣魚ちゃんは勇気のある娘よ! じゃなかったら、身の危険を冒してまであたしを
助けるわけないじゃないの!」
「……」
「そなた、着物を着たら随分と威勢がよくなったな。素っ裸の時は、悩ましい声でよがっ
ておったが」
「……あんたねえ」
「ま、待て、かごめ」
瞳の奥に蒼い怒りの炎を揺らめかせながら莉里魚ににじり寄ったかごめを、彌衣魚が必死
になって止めた。
人間が丸腰で人魚にかなうわけがない。
その彌衣魚をかごめが押しのけた。
自分より幼い少女を楯になど出来ないという意地と、人間のプライドを賭けてかごめが
人魚の少女に立ち向かった。
「かごめ、やめろ!」
「よいではないか、彌衣魚。なるほど、そやつなかなか度胸があるようじゃ。ならばよい、
わらわが直々に相手してやろうぞ」
「よせ、姉者っ!」
武器もなく、どうすればいいかわからないが、ここまで来たら進むしかない。
かごめはそう思って前に出た。
じりじりと両者の間が詰まり、莉里魚が半身で構えた時、洞窟中に響き渡るような胴間声
がした。
「かごめぇぇっ!!」
「犬夜叉!?」
上から降りてきたのは犬夜叉と弥勒だった。
少し遅れて那津魚もいる。
「母上!?」
彌衣魚も驚いて振り向いた。
少女たちの母親が、喉の限りに叫ぶ。
「莉里魚! 彌衣魚! やめてぇっ!!」
犬夜叉が、そして弥勒が駆け込んで来た。
「かごめ、無事かっ」
「犬夜叉っ」
かごめが犬夜叉の胸に飛び込み、半妖はそれをしっかりと受け止めた。
法師がその前に走り出てかごめに訊いた。
「かごめさま、珊瑚は?!」
ハッとして犬夜叉の胸から顔を上げたかごめは、下を指差して言った。
「下! この下にいるわ、珊瑚ちゃんも雲母も!」
突然の事態に怯んでいた莉里魚だったが、ようやく落ち着きを取り戻した。
「邪魔が入ったな」
「莉里魚! これはどういうことなの!?」
「どうということはありませぬ。古(いにしえ)の伝えに従い、こやつら人間どもを食し、
彌衣魚と交わるのでございます」
必死の表情で語りかける母親に対し、娘はひどく冷たく言った。
「そ、それは……、それはなりませんと言ったはずです!」
「何を仰せられる。それでは我が人魚の繁栄が……」
「こんなことしていたからこそ、人魚が凋落したのです! おまえにはそれがわからない
のですか」
「……」
莉里魚の瞳から色が消えた。
代わりに、額に埋め込まれた四魂のかけらが光り出した。
かごめがそれを指差して言う。
「あれよ! 莉里魚ちゃんの額にかけらがあるの!」
「あ、あなたが……」
那津魚が絶句する。
莉里魚は、母親の狼狽ぶりを石を見るような目で射て言う。
「そうじゃ。わらわが森に出たときに見つけた。これのお陰で人魚の力が増幅し、
頭がすっきりしたわ。そして己のやるべきことを知るに至ったのじゃ」
「そうじゃないのよ」
四魂のかけらを仕込んだ額を愛しげに撫でる少女にかごめが言った。
「それは違うのよ。確かに四魂の玉……かけらは、絶大な力を得ることが出来るわ。
でもそれはあまりに強いもので、心が支配されてしまうこともあるの。今のあなたがそうよ。
わかるでしょ、『魔が差す』っていうのはそういう状態なのよ!」
「たわけ! この境涯のどこが『魔』じゃ。これこそ至福じゃ、天命じゃ。今こそ……」
「かごめさまの言われる通りです」
莉里魚の言葉を那津魚が止めた。
「だからこそ、四魂の玉は軽々しく扱ってはならぬもの。かごめさまたちが懸命にかけらを
拾い集めているのもそのためなのです」
「……」
「まして、己が欲望のためにそれを利用しようなどと、それこそ悪鬼羅刹の為せること。
すぐにかけらを渡しなさい」
「そうはいかん」
莉里魚はじりじりと後じさっていた。
前には鉄砕牙を構えた犬夜叉と、錫杖を持った弥勒がいる。
そして那津魚も彌衣魚もいるのだ。
まともに戦っては勝てないと思ったのか、莉里魚は振り返ると脱兎の如く深層に向かって
走り出した。
「あっ」
「逃げるか!」
「追って! そこに珊瑚ちゃんが!」
かごめたちが莉里魚を追って洞窟最深部に辿り着くと、果たしてそこには人魚の娘がいた。
珊瑚も、そして雲母もいた。
莉里魚が青白く燃える瞳で珊瑚を見据えて言った。
「きさま……、どうやって」
「雲母よ」
莉里魚は、珊瑚を思う存分犯した後、逃げられないよう念のために彼女を縛り上げてから
かごめを追った。
なのにその珊瑚は縛めを解き、あまつさえ戦闘服を身につけていた。
「なに? そうか彌衣魚、おまえが……」
「……」
姉の指摘に、妹は黙って首を縦に振った。
彌衣魚は、かごめを助ける時に、雲母にも解毒剤を施していたのである。
放って置いても死にはしないだろうが、雲母を早く回復させることで珊瑚を救ってくれる
のではないかと期待したのだ。
そして、それはその通りになった。
雲母は人魚の毒を中和すると直ちに変化して檻を破り、珊瑚の縄を咬み千切ったのである。
そして莉里魚がかごめたちと対峙している間に戦闘服を取り戻し、準備万端で莉里魚を
迎え撃ったというわけだ。
「珊瑚ちゃん!」
「かごめちゃん、無事!?」
珊瑚とかごめが声を掛け合い、お互いの無事を確認し合った。
珊瑚は、かごめの無事を知り、そして弥勒と犬夜叉たちも駆けつけてきたことで安心する
と同時に余裕すら出てきた。
そして退治屋の不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「莉里魚ちゃん、ちょおっとおいたが過ぎるんじゃない?」
「く……」
「あんまりおとなを……、人間をからかうもんじゃないわよ」
「う、うるさいっ」
「莉里魚!!」
那津魚が呼びかける。
「もう、おやめなさい! こんなことをしてどうなると言うの!」
「黙れ、黙れっ!!」
「……」
娘は母を罵るように叫び返す。
「母上……主上! 主上のお考えに、わらわは従えませぬ!」
「莉里魚……」
「そのようなこと……そのようなことをしては人魚の血が穢れますぞっ」
「そんなことはありませんっ」
「いいや、そうじゃ! だから……だからこそ、わらわが人魚の血を守るのじゃ!」
「……」
「そのようなおぞましい行為など断じて認められぬ。主上があくまでその気なら……、
遺憾ながら母上を主上と仰ぐことは出来ませぬ」
「あ、姉者……」
「ならば、わらわが主上となる!」
母娘の相剋を見守るしかなかったかごめたちだが、珊瑚はふと思いついたように雲母に
顔を寄せた。
雲母は珊瑚の言葉を聞くと、すっと仔猫に戻る。
犬夜叉がいきり立った。
「ああ、めんどくせえ! 要するに、てめえがかごめと珊瑚をさらって悪さしたんだろが!」
「ほう、半妖ごときが生意気な口を利く」
莉里魚は、額を撫でて言った。
「このかけらある限り、おぬしらに後れをとるわらわではないわ」
「あらそう」
珊瑚が応えた。
「なら、これならどうかしら」
「なに……ああっ!!」
足元から何か素早いものが飛びかかり、莉里魚を襲った。
とっさに顔を庇い、腕で防いだが、額に疼痛が走った。
慌てて手をやると、皮膚が切れて血が出ている。
そして。
「むっ……、か、かけらが!」
雲母だった。
そろそろと仔猫の状態で莉里魚に近づき、音もなくとっさに襲撃したのだ。
そしてその鋭い爪先で莉里魚の額を切り裂き、中に仕込んでいたかけらを奪い取った。
珊瑚の愛猫は、血の滴った四魂のかけらをくわえると、それをかごめに届けた。
弥勒が言う。
「これであなたが頼りにする四魂のかけらもありません。これ以上の抵抗はムダという
もの。おとなしく……」
「やかましい!」
「……」
「に、人間風情が何を言うか!」
「莉里魚、いい加減になさい。……もうあなたに策はないわ。さ、諦めてこちらに……」
「黙れ! わらわは負けぬ! 人魚の血を護るのじゃ!」
「莉里魚、お聞きなさい!」
「……」
意を決したような母の声に、強気だった少女も口をつぐんだ。
「……私にも……、そしておまえと彌衣魚にも……人の血が混じっているのです……」
「な……」
莉里魚の瞳は、これ以上無理というところまで開かれた。
「う、嘘じゃ……」
「嘘じゃないわ! ……いつかは言わねばならぬと思っていました。あなたは私と人との……」
「黙れ、それ以上言うなっ!!」
誇り高い人魚の娘はそう喚くと、母と妹を、そしてかごめたちを睨みつけた。
そのつぶらな瞳にはうっすらと涙が幕を張っていた。
「みんなしてわらわの邪魔立てをしおって……。人魚は滅びぬ! きさまら、ここを
生きて出られると思うでないぞ!」
「あっ、姉者っ!!」
半狂乱になった人魚の小娘は妹の制止も聞かず、横穴に向かって走った。
鉄格子がそこにはあった。
「姉者、何をする! そこは……」
「おうよ、なりそこないどもの巣じゃ! 死なばもろとも、みんな死ねっ!!」
言うが早いか、莉里魚は鉄格子の錠前を叩き壊し、扉を開け放った。
異様な唸り声を上げて、なりそこないたちが溢れんばかりに飛び出してきた。
「くっ、この!」
珊瑚が、襲いかかってきたなりそこないを張り倒してかごめたちの元へ駆け寄る。
癒えることのない食欲のみに支配された異形の餓鬼たちは、目の前に立ち並ぶ餌たちを見て、
がちがちと歯を噛み鳴らして近づいていく。
剥き出しになった眼球、溶け落ちた皮膚、浮き出た筋肉に血管。
文字通りの化け物どもが、己の食欲を満たすことのみ考え、一行に襲いかかった。
「てめえらっ」
犬夜叉が鉄砕牙を抜き、かごめに挑み掛かってきたなりそこないの腕を切り落とした。
ひるんだ隙にかごめを後ろに回し、懐から出したものを渡す。
「受け取れっ」
かごめの矢筒と弓だ。
続けて彌衣魚が小さな壷を渡した。
「やつらに矢など効かぬ。これを矢先に塗るのだ」
「ありがと!」
人魚の毒である。
「人魚の毒」とは、人魚の腐肉に数種類の毒草を半年間漬け込んだものの絞り汁だ。
なりそこないに対する最大の武器がこれである。
この毒素はなりそこないの神経系統に壊滅的な打撃を与え、血流、呼吸ともに停止して
しまう。
かごめは矢を番え、迫ってくる怪物に放った。
眉間に一撃を食ったなりそないは、そのまま向かってきたが、毒が回るとへなへなと
崩れ落ちた。
しかし犬夜叉や弥勒な物理的な攻撃を加えても、あまり効果がない。
「くそお、丈夫なやつらだな!」
「那津魚さま、弱点はないのですかっ」
「あ、頭を狙ってください!」
那津魚は彌衣魚を抱きかかえて叫ぶ。
「頭を潰すか、首を落とさない限り、なりそこないは死にません」
「めんどくせえなっ」
愚痴りながらも犬夜叉の一刀がなりそこないの頭を天頂部から顎まで切り下ろした。
頭を縦に真っ二つにされたなりそこないは、血しぶきを噴きながら大きくのけぞって
仰向けに倒れた。
弥勒も錫杖をなりそこないの頭上に振り下ろす。
まともに脳天に食った化け物は、悲鳴を上げる間もなく、脳漿を撒き散らしてぶっ倒れた。
珊瑚は武器がなく攻撃しようがなかったが、代わりに雲母が変化して大暴れしている。
しかし、多勢に無勢だ。
「これじゃキリがない!」
「仕方ありません」
法師が数珠を巻いた右腕をやりそこないたちに向ける。
だが、それを見たかごめが慌てて止めた。
「だめ、弥勒さまっ!」
「かごめさま……」
「こんなとこで風穴使ったら……」
密閉された閉鎖空間で風穴など使おうものならどうなるかわかったものではない。
なりそこないだけでなく、かごめたちをも巻き込むだろう。
それを逃れても、急激な気圧の変化で鼓膜が破れることは間違いなさそうだ。
「犬夜叉も大技使っちゃだめだからねっ!」
こちらも同様の理由で味方を巻き込むこと請け合いである。
「じゃ、どーすんだ! キリがねえぞ、こんなもん!」
犬夜叉がなりそこないの首を斬り飛ばしながら言った。
珊瑚が弥勒の袖を引っ張って言う。
「法師さま、ここはあれしかないよ」
「うむ、古典的兵法の三十六番目ですな」
『三十六計、逃ぐるに如かず』というわけだ。
彌衣魚が言った。
「その上でこの井戸をふさいでしまえばよい」
「井戸って?」
「ここは、あの涸れ井戸につながっておるのだ」
彌衣魚の提案にみんながうなずき、上へ向かって駆け出そうとした。
ただひとり、那津魚だけが残り、下へ向かって叫んでいた。
「莉里魚! 莉里魚、早く来なさいっ!」
「母上、早く!」
彌衣魚が止めるのを振り切って行こうとするのを、かごめと珊瑚が必死に押し戻す。
「那津魚さまっ、もう危険ですっ」
「莉、莉里魚! 莉里魚ぁぁぁっ!!」
絶叫する母親を引きずるようにしてかごめと珊瑚、そして彌衣魚が逃げる。
それを援護して、後衛についた犬夜叉が斬りかかり、弥勒が錫杖を振るい、雲母が
牙と爪を剥いた。
なんとか井戸から出て来た時には、全員あちこち傷だらけだった。
なりそこないたちは、ケガには強いし力もあるが、俊敏さだけはなかった。
人が全速で走れば追いつけるものではないのだ。
それでも、最後に珊瑚が井戸から出た時には、もうやつらの唸り声が間近に聞こえていた。
珊瑚が這い出てくるのを確認して犬夜叉が那津魚に聞いた。
「どうすりゃいいんだ!?」
「そ、それを……」
人魚の村長は、震える指で井戸の脇にある丸い大きな石を差した。
どうやら非常用のものらしく、なりそこないが巣から逃げ出した時に、これを井戸に
落として出口を封じることにしていたようだ。
それを聞くと犬夜叉は、一抱えもありそうな巨石を抱え持ち、それを井戸の中に投げ
下ろした。
「そりゃあああっ!!」
ゴツンと大きな音がして、井戸に巨石が投げ込まれた。
ちょうど井戸の直径と同じ大きさらしく、ぴたりと井戸をふさいでしまった。
みな一様に、大きなため息をついた。
ただひとり、那津魚だけは井戸をふさいだ石に手を当てうつむいていた。
その背中は小刻みに震えていた。
* - * - * - * - * - * - * - *
かごめたちは那津魚の屋敷にいた。
負ったケガはみなカスリ傷で、せいぜい顔や手足のあちこちにバンドエイドを張った
程度である。
開け放った縁側からは、なりそこないに壊された施設を修理する槌音が聞こえてきた。
かごめたちと向かい合って座った那津魚が、ぽつりぽつりと語り出した。
「……恐らく、莉里魚は……あなたがたを食べようとしたのだと思います……」
「え……」
かごめの顔から血の気が引いた。
あの子は、あんな幼い顔をしてそんなことを考えていたのだ。
珊瑚が暗い顔で言った。
「それはあの子から聞きました。でも、どういうことなんです? どうして人間を
食べるなんて……」
「不老不死のためです……」
人魚とて、はなから不老不死なわけではない。
生物である以上、新陳代謝はあるし、どうしても老化現象は起こるのだ。
ただ、それは人間のそれよりもずっと遅い。
概ね七〇〇〜一〇〇〇年程度だという。
恐らく、伝説の八百比丘尼も寿命で死んだのだろう。
「それでも人間よりはずっと長いわ」
「はい……。でも、それをもっと伸ばすことが可能なのです」
珊瑚の問いに長が言った。
それが人を食うという行為らしい。
ただし、ただ人間を食べればいいというものではない。
不老不死になった人間、つまり人魚の肉を食った人間を食うことにより、人魚も永遠の
命を手に入れることが出来るのである。
しかし、人魚を食った人間が確実に不老不死になれるわけではない。
体質その他の問題で、合わない方が圧倒的に多いのだ。
そして、合わない場合はなりそこないとなる。
あの井戸は、過去この村で人魚の肉を食わされ、なりそこないになった人間、いわば失敗作
の捨て場所だったのだ。
そして、人魚の肉が合ったかどうかはすぐにはわからない。
食った人間の血となり肉となり、身体の隅々まで行き渡らないと結論は出ないのだ。
合わない場合、食った直後に異変を起こし、すぐになりそこないになることもあるが、時間が
かかることもある。
食べた直後は平気でも、三日後になりそこないに成り果てることもあるのだ。
口から摂取した人魚成分は、肉に回るより内臓に回る方が当然早い。
だから莉里魚は、珊瑚の内臓を食おうとしたのである。
浣腸はそのための糞出しだったのは、莉里魚が言っていた通りだ。
「でも……」
かごめが慌てたように言う。
「あたしたち、人魚の肉なんか食べてないと……、あっ……」
そう言って思い当たった。
弥勒もそのようだ。
「あの時の肉が……」
最初の晩に出された、魚のものとも獣のものとも知れなかったあの肉こそが人魚だった
のではないだろうか。
それまで黙っていた彌衣魚が顔を上げて言った。
「いや、それは違う」
「彌衣魚ちゃん……」
「あの時、姉者は確かに鮎奈を殺してその肉を出そうとした。だが、私がそれを差し
替えたのだ」
「え」
「あの時の肉は海豚だ。害はない」
姉の野望を察知し、それを阻止しようとした妹がかごめたちを救ったのだ。
仮に人魚の肉を食わされていたら、運が良くても不老不死のまま生きねばならない。
そして運が悪ければ、あのなりそこないになっていたのだ。
弥勒が瞑目したまま聞いた。
「では、あなたがたはそうして生き長らえていたのですか」
「……私の曾祖母までは」
「……」
「それがおかしいこと、間違っているのではないかと気づいたのが祖母だったと聞いて
います」
人間に無間の命を与え、そしてその命を奪うことにより、自らの永遠の生命を得る。
これほどあさましく、そして滑稽なことはないと覚った那津魚の祖母は、以降、人間を
狩ることを禁じたと言う。
「しかし、永遠の命がなくなるのであれば人魚は滅亡してしまうんじゃないんですか?」
かごめが当然の疑問を口にした。
人魚は女だけの種である。
ということは、不老不死でない限り、個体数は減る一方のはずだ。
那津魚は畳の目を見ながら答えた。
「人魚は……、そういう時、男になります」
「……は?」
つまり性転換を起こすらしい。
人魚は、一方の性別が逆の性別、雌から雄へと変化することがあるらしい。
実は自然界にも、こういう例は結構多い。
おおまかに言って二種類ある。
ひとつは、もともと雌雄二つの性別が存在するのだが、なんらかの理由で一方の性別の
個体数が極端に減った場合に、一部の個体が性転換を起こすタイプだ。
これは卵胎生メダカやカエルの一部に見られる現象である。
もうひとつは成長の過程で、とある時期は雌、とある時期は雄と一個体が両方の性別を
経験するタイプで、クロダイなどがそれにあたる。
前者は、現在の過酷な環境を乗りきるための突然変異であり、人魚の性転換もそれである。
「そうなんだ……」
「あ、じゃああの子に……その、アレがあったのも……」
今度は那津魚が「え」という顔をした。
彌衣魚が補足して母親に告げた。
「姉者は……、伝来の秘薬を使った」
人魚の性転換はある程度の時間がかかる。
それが許されないような切羽詰まった状況−例えば人災や天災で個体数が激減してしまった
場合など−に於いて、緊急避難的に使うための秘薬がある。
それは陰核を一時的に男性性器に変化させる効能を持っていた。
性転換の場合も、雄体になれるのは長くて一〜二年程度のものだが、この薬はさらに短く、
最長三日ほどしか保たないらしい。
薬を使われた人魚の身体にも無理がかかるし、本当に危急の際にしか使われなかったようだ。
それを莉里魚は使ったのである。
「そうでしたか……。ならば、それを使って彌衣魚と交わろうとしていたのですね……」
「……」
「それこそが……、人魚衰退の原因だったというのに……」
人魚は子孫を作る際、長の一族で行なう。
つまり、性転換するのも長の血を引く者なら、いざという時に秘薬を使うのも長一族なのだ。
だから、その村に住む者たちはすべて血縁者ということになる。
これが実は大問題だった。
要するに近親相姦なのだ。
近親者で交わり子を作る。
その結果が良いものにならないのは、人魚も人間も他の動物も同じである。
時折、飛び抜けた優秀な子が出来ることもあるが、その代わり奇形や異常出産も多い。
何世代にも渡って近親交配を繰り返すことにより、その血は濁り、種としてのポテンシャルは
下がり続けた。
この里の人魚たちが、一様に覇気がなく生気を感じられないのも、その辺に理由があるの
だろう。
人間の攻勢に抵抗する気力もなく、滅亡を受け入れようとする風情すら見られる。
本来生き物のもつ、溌剌とした生命力が失われてきたのである。
「祖母がそれに気づき、悪しき風習を止めさせようとしました」
「しかし……」
弥勒が言う。
「話はわかりますが、それでは本当に人魚の子孫が出来ないのでは……」
近親婚が良くないのはわかるが、人魚に男性はいない。
それでいで、男性化するのは同じ一族に限られている。
種を保とうとすれば近親婚しかないのだ。
しかし、それを行なえば種の生命力が衰える。
その二律背反を解決するために那津魚の祖母が採った方法。
「人の……男性と交わることでした」
「……人間と……?」
「はい。祖母は人間の里へ行き、人魚に理解のある者を招いて伽をしました。それで
生まれたのが母たちです」
「……」
人魚が人と交わる。
聞いたこともない話に、珊瑚は息を飲んだ。
那津魚は続ける。
「祖母の教えを守り、母もそうしました。三度ほどこの里に人間の貴人(まろうど)を
招き、接待し、そして身を委ねました」
「……」
「もちろん、それ以来、私たちも人を獲って食うということは御法度にしました。人間も、
公には人魚を捕獲することは禁じてくれていたようです。何より、人との間に信頼関係が
なければ、このようなことは不可能だからです」
「ですが」
思わず弥勒が口を挟む。
「ですが、それでは人魚は永遠の命を……」
「そのようなものにどんな意味があるのでしょう?」
「……」
那津魚は微笑んで言った。
「その世代だけが、いつまでも現世にしがみついているというのは果たして誉められた
ことでしょうか。健全な有り様でしょうか」
「そうですね……」
「結局、生命とは、親から子へ、そしてまたその子へと受け継がれていくのが本来の姿だ
と思います。輪廻転生とはそういう意味ではないのでしょうか」
「……」
「……莉里魚は、私たちが人間と交わることで人魚の血が薄れる、穢れると信じていた
ようです。しかし、それは違います。人と交わることで、人魚に人の血が入る。人にも
人魚の血が入る。そうなれば人魚も人も滅ぶことはなくなるでしょう。血が絶えることは
なくなります。何も人魚が今の形でいつまでも残ることだけが正しい道とは、私には思え
ません」
那津魚は、彌衣魚を膝に抱き、かごめたちに微笑んで言った。
「莉里魚にはわかってもらえませんでしたが、この彌衣魚がいます」
「……」
ただひとり残った娘は黙って母を見上げた。
「彌衣魚はわかってくれているようです。そうですね、かごめさま」
「はい」
かごめもにっこり微笑んで答えることが出来た。
* - * - * - * - * - * - * - *
かごめたちがこの里を起ったのは翌朝のことである。
村の惣門まで那津魚と彌衣魚が見送りに来てくれた。
かごめは彌衣魚の背の高さまで屈んで言った。
「それじゃね、彌衣魚ちゃん」
「うむ。姉者がいろいろ迷惑を掛けた。済まなかった」
「そんなこと言わないでよ、あたしも彌衣魚ちゃんが好きだしね。今度はあたしたちの村
へも遊びに来てね」
「ありがとう」
かごめたちが別れを告げると、那津魚たちも頭を下げた。
そこにひょいと弥勒が近づいて小声で言った。
「那津魚さま、人魚の種族維持に拙僧が協力出来るのであれば喜んで……いだだだだ!!」
「……那津魚さま、こんな生臭坊主の戯言なんか真に受けないで下さいね」
珊瑚が弥勒の耳を思い切り引っ張ってそう言った。
『空行く雲の如く、川流るる水の如し』 第二話「人魚の郷」 完
戻る 作品トップへ 第四話へ