佐藤美和子警部補が所属する捜査一課強行犯捜査第三班第八係の面々は、何となく
朝から落ち着かなかった。
今日からここに出向者が来るのである。

警察庁から警視庁に出向してくる者は多い。
いわゆるキャリア組だ。
彼らは本庁や所轄署を回って最終的には警察庁へ戻り、警察行政を司ることとなる。
美和子たちの第三班にもキャリアはいて、白鳥警部がそれに当たる。
一方で、各所轄から本庁へ出向、転属となる者は少ない。
基本的に「上から下」へ行くようになっていることが多いのだ。
だが、ここへ来て方針が少し変わったらしい。

2007年のことになるが、警視庁刑事部は積極的に所轄署──しかも警視庁管区内
だけでなく、各都道府県の警察からも出向者を受け入れるようになったのである。
表向き、本庁以外の捜査員にも大きな事件の経験を積ませ、戻ってからの捜査活動に
役立てて欲しいということに加え、合同捜査の際などに各所轄署や県警との捜査協力
をスムーズに行いたいということだった。
顔つなぎという面は確かに大きいだろうが、本音は東京都管轄内での凶悪犯罪激増の
折り、本庁捜査員の絶対数が足りず、やむを得ず捜査員を借り入れているというところ
らしい。

上の事情はどうあれ、こうして警視庁と所轄署、各地方警察との交流が密になって
いった。
そうした動きが美和子たちの班にも訪れたということである。
そもそも目暮警部を長とする第八係はほとんど人の動きがなかった。
警察庁出向者としてキャリアの白鳥が来て以来、人の流れがなかったのだ。
それだけに新人──というわけではないが、新たな捜査員の加入に、刑事達は強い
関心を示していた。

「いよいよですね、千葉さん」
「はは、おまえも楽しみか高木」
「そりゃもう。だって僕、事実上初めて後輩が出来ることになるんですから」
「そういやそうだったな。ずっと使いっ走りはつらいか」
「ははは、そんなことないですがね」

千葉と高木が少し嬉しそうにそわそわと話しているところに美和子も加わった。

「高木くんが嬉しいのは、今度来る捜査員が若い女性だからかしらね」
「え? 女性なんですか?」

びっくりする高木に千葉が呆れたように言った。

「なんだおまえ知らなかったのか? まあ僕も詳しくは知らないけど、何でも佐藤
さんより若い刑事だそうだぞ。あ、所轄署では交通課だったらしいが」
「交通課? 刑事課じゃなくて?」
「そうよ。所轄の交通課にいたところを、そこに出向していた木下さんに目をつけ
られたらしいわ」
「へえ、あの監察官室の木下警部……じゃない、昇進したんだから木下警視か。
やり手のあの人の目に止まったんじゃ、かなりの腕利きなんでしょうね」
「でしょ? しかも木下さんだけじゃなくて室長の蟻塚警視正のお眼鏡にも適って
るって話よ」
「そりゃすごいや」
「しっ、来たみたいだぞ」

ドアが開くと、目暮警部と木下警視が入室してきた。
目暮が目で合図すると、メンバーたちがそのデスクの前に集まってくる。
中年小太りの目暮は、横に立った木下を見上げるように見てからひとつ咳払いを
しておもむろに話し出した。

「昨日伝えていた通り、本日から新たに捜査員が加わることになった。それと同時
に、白鳥くんが警察庁に復帰する。……警視に昇進してな」

いつの間にか来ていた白鳥が小さく頭を下げた。
班員からぱらぱらと拍手が起こった。
熱烈で感極まったそれではないが、それほどにおざなりでもない。多かれ少なかれ
白鳥も捜査一課員として捜査活動に加わり、一線で仕事をしてきたのだ。
普通のキャリアとは異なり、現場にも率先して出て行ったし、聞き込みもやった。
そして何より、同期生たちが次々に警察庁へ戻っていくのに白鳥だけはそれを拒否
して警視庁に居続けたのである。

通常、キャリアの現場勤務はおざなりで、すぐに別の部署に移るのが定例である。
その慣例を白鳥は拒否していたのだ。
一課のマドンナ美和子に未練があるから戻らないのだというという陰口もあったが、
それは当たっている。
何しろ警察庁へ戻ればすぐに昇進なのにそれを断ってまで警視庁に、美和子に拘泥
したのだから本気だったのだろう。

しかし美和子としては白鳥を同僚以上には思えなかったし、高木に好意を持ち始め
ていたからどうなるものでもない。
それでも白鳥からのアプローチはあったが、とうとう美和子が高木に陥落し、つき
あい始めているという噂が流れてから、彼の態度が少し変わってきたのだ。
高木へも美和子へも表面的な付き合いは変わらないし、捜査活動も今まで通りでは
あったが、警察庁復帰を申請していたらしい。
それを聞いて班員たちは、美和子を諦めてキャリア本来の自分を取り戻そうとして
いるのだと噂したものだ。

美和子としては複雑だったが、彼女が高木を捨てて白鳥になびく可能性はなかった
し、このまま警視庁に残っても出世が覚束ない。
少し後ろめたいところはあるが、これが白鳥にとっても最良なのだろうと思う。
別に彼が嫌いではないが、何となく自分とは合わないと思っていた。
目暮が言った。

「その代わりと言っては何だが、君らの間でも噂になっていただろうが、うちに
新人が配属される。警視正」
「ん」

目暮から目配せされると、木下かおる子警視は小さく頷いて一歩前へ出た。

「諸君らも知っていると思うが、本庁ではこれから積極的に所轄署や地方警察と
交わり、捜査活動を進めていく方針だ。出向者を受け入れ、またこちらからも出向
してもらうこともあると思う。これは人材交流であるとともに、人材発掘でもある」

背筋をピンと伸ばし堂々としている。
姿勢も良いがスタイルもまた良かった。
制服のタイトスカートから伸びる脚が長く、美しい。
なるほどカラーガードにいたらしいという噂も伊達ではないということだ。
細い眼が鋭く、やや怜悧なのは、彼女の階級と責任の重さから来るのだろう。
しかしそれが些かも彼女の美貌を損なっていない。
厳しいイメージはあるが、決して冷たい感じはしなかった。
美和子にも「凛とした」という表現をする人はいるが、恐らく美和子以上に「凛」
という言葉が似合う女性だろう。

「目暮警部からも話があったように、諸君ら強行犯第三捜査班第八係にも出向者が
来ることになった。紹介しよう」

かおる子はそう言うと、ちらっと美和子に目をやってからドアに向かって大きな声
で言った。
「入りなさい」
「は、はいっ……!」

幾分──というより、かなり緊張した女性の声がした。
ガチャリとドアが開き、礼服姿の婦警が入ってきた。
すらりとした長身で、これもまた美しい肢体をしているようだ。
特に胸は、礼服の生地を押し返してその窮屈さを主張しているほどだから、かなり
のものだ。
髪は黒で綺麗な艶があり、活動的にショートにまとめている。
奥二重の大きな目が特徴的だった。

ギクシャクとかおる子の方へ歩み寄っているのだが、右足と右手、左足と左手が
同時に出ている。
相当堅くなっている。
くすくすと千葉刑事が笑ったが、かおる子に睨まれると首をすくめた。

「……墨東署交通課から出向してきた辻本夏実巡査です。かつて私が墨東署に出向
していた時から、彼女の仕事ぶりには注目していました。今回捜査一課に呼んだの
も、私の独断だと思ってくれて結構です。諸君らも当てにしてくれていいと思う」
「……」

見込んでいたのは知っていたが、そこまで言うとは思わなかった。
かなり買っているらしい。
これはヘタに手を出したりしたらタダでは済まないな、と、千葉刑事は要らぬ感想
を持った。

「……辻本さん」

かおる子が呼びかけると、夏実は一歩前に出た。
緊張で霞む目で、前にいる先輩達を見やると、唯一の顔見知りである美和子がにっ
こり微笑んでくれていた。
少しホッとした婦警は、生唾を飲んで挨拶した。

「た、ただいま木下警視からご紹介に与りました墨東署交通課の辻本夏実巡査で
あります。な、なにぶん交通畑で捜査課のことは何も知りません。木下警視は
ああおっしゃいましたが、皆さん何卒ご指導ご鞭撻のほどをお願いします……!」

一気にそこまで言い終えると、夏実は上半身を45度に傾けて礼をした。
同時に暖かい拍手が沸き起こった。

─────────────────────

刑事部屋を出た目暮警部は、夏実のサポートを美和子に任せようと考えていた。
どうも顔見知りのようだし、やはり同性の方が辻本巡査もやりやすいだろうという
判断だ。
しかし、美和子だけでなく高木や千葉たちも夏実の取り囲んであれこれ説明して
いるようだ。
ひさびさの新人、それも若い美人とあって、独身の男どもにとっては放っておけ
ないのだろう。
「やれやれ」とという苦笑を浮かべつつ、目暮は部屋を後にした。
だが、何のかんの言ってもチーム内の人間関係が良いのに越したことはない。
木下警視の話では、夏実は仕事も出来るし、何しろ気質は陽性らしいから、きっと
第八係のムードに合っているはずだ。
高木と交際し始め、もしかすると近い将来退職の目もあるかも知れぬ美和子のいい
後釜が出来たと、目暮自身も喜んでいる。
もっとも、あくまで出向だから、いつ元の所轄署──墨東署だったか──に帰るか
わからないのだが、その際は出来るだけ引き留めるようにしようと思った。
そんなことを考えていると、前の方から茶木警視が走ってきた。

「どうしたんです、慌てて」
「おっ、目暮警部か」

茶木はすれ違いざま急ブレーキを掛けるように足を止めた。

「キッドが出たんですかな?」

茶木は怪盗キッドの捜査専任というわけではないが、ほとんどそれに没頭している。
その彼が慌てているということは、キッドが出没したのかも知れない。
だが茶木は首を振った。

「いや、そうじゃないんだ。ちんけな保険金詐欺の容疑者なんだがね……」

茶木は捜査二課の警視である。
つまり知能犯捜査の担当で、選挙違反や贈収賄、企業や金融犯罪、そして詐欺と
いった事件を主に担当する。
決して茶木もキッドばかり追いかけている訳でもないのだ。

「保険金詐欺?」
「ああ、細かい事件だからそっちは知らんだろうがね」
「……それがどうかしたんですか? それこそ警視が大慌てするような事件じゃ
ないでしょう」
「逮捕した容疑者が脱走したんだよ」
「何ですと!?」

目暮も少し驚いた。
重大犯罪ならともかく、この手の罪で脱獄する容疑者は滅多にいない。

「拘置所からですか」
「いや、今その事件の公判中でな、拘置所から裁判所への移送中のことだ。地裁で
クルマから下ろした時、いきなり署員を……」

殴り飛ばしたらしい。
とはいえ手錠はかけられていただろうから、恐らく肘打ちでもしたのだろうと茶木
は苦々しく言った。
それまでは、取り調べにも素直に応じ、拘置所でも模範囚を演じていたようで、
連行する署員もすっかり油断していたようなのだ。

「それで、まずこっちに一報あったもんで、そっちにも……」

もともとこの事件は、捜査一課の松井刑事からの情報によるものである。
そして脱走犯の捜査であるから、これも一課の仕事となるのだ。

「じゃ、急ぐんでな」

茶木は目暮に軽く手を振ると、一課の部屋に入っていった。
その開けたドアから鉢合わせするように、中からも刑事が飛び出てきた。
思わずぶつかりそうになったが、出てきた刑事は機敏に避け、茶木を中に入れて
からドアを閉めた。
目暮が尋ねた。

「……そっちはなんだい」
「あ、警部」

顔見知りの第六係の若い刑事だった。

「はあ、池袋でタクシー強盗があったそうで」
「タクシー強盗?」
「ええ、運転手の爺さんを脅してクルマを奪って逃走中だそうです。僕、これから
所轄の連中と一緒に現場行ってきます」
「ご苦労さん」

刑事はそう言うと、また駆けだしていった。
それを見送りながら目暮は肩をすくめた。

「やれやれ、慌ただしいことだな」

牛尾展也の脱走。
茶木はこの情報を一課長の松本警視正には話したが、それだけだった。
大した事件ではないのだから、これは仕方がない。
松本は捜査に当たる第三班第六係には説明し、捜査を命じたが、他には詳しく伝え
ていない。
松井がこのことを聞けばすぐに夏実に知らせ、注意と警戒を促したろうが、彼は
もともとパレット専従である。
知らされるはずもなかった。
そして松井以外、捜査一課で牛尾と夏実の関係を知る者はいない。
一介の詐欺師、しかもまだ大学生だった若者と、所轄署で勇名を奮い、本庁に転属
してきた婦警に接点があったなどと考える者がいるはずもなかった。
特車二課の後藤、榊、そして捜査一課の松井は、夏実のことを慮って極秘で事に当た
ったのだが、今回はそれが完全に裏目に出た格好となった。

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「ほら辻本さん、大丈夫?」
「ふぁい……」

夏実はもうへべれけである。
肩を貸しているのは美和子だ。
夏実の本庁捜査一課への出向と、白鳥任三郎が警視に昇進し、捜査一課を離れて
警察庁へ復帰することもあって、歓送迎会が開かれたのである。

見た目が陽気で豪放磊落な夏実は、健啖であり酒も好きだ。
体力もある。
だからこそこうした会合は大好きだし、周囲もそう見ているのだが、実のところ
アルコールに弱い。
酒自体は好きでよく飲むのであるが、そう量が飲めないのだ。
夏実としては、酒の味覚もそうだろうが、飲み会の雰囲気そのものが好きなのだろう。

従って、通常は美幸や同僚たちと飲む時も加減して飲んでいる。
飲み過ぎたらべろべろになり、酷いときは記憶が飛ぶからである。
墨東署の面々は、過去にもそうした夏実の醜態を何度も見ているので気を遣っている
が、来たばかりの本庁の連中は当然そんなことは知らない。
いちばん下っ端になる夏実としては、もちろん宴会の時は全員にお酌して回ったので
あるが、これも当然のようにその時に返杯がある。
ビールを注いだ相手からはビールを、日本酒に切り替えていた者からはお猪口で飲ん
でいた。
配属初日で緊張が取れないうちの宴会だったし、返杯はちゃんぽんだったこともあっ
て、いつも以上によくアルコールが回ってしまった。
宴会半ばにして、早くもダウンしてまったのである。

一課の猛者たちは、噂に聞く実力派の婦警が予想外にだらしないとも思ったのだが、
よく考えれば緊張もしているだろうし疲れもあるだろう。
所轄の交通課から抜擢されて、いきなり本庁刑事部への出向なのだから、意識しない
方がおかしい。
同僚で先輩の美和子が介抱して部屋の隅に寝かせていたのだが、宴会が果てる直前
に目を覚ました。
並み居る先輩たちの前でこれはまずいと思ったのか、ガバッと飛び起きた夏実は
またすぐに宴会に復帰したのである。
美和子は無理をしないように諭したのだが、いかに肝が太いとは言え、気にならぬ
わけがない。
強がった夏実は、だいぶ酔ってはいたものの無理に平静さを装って、また少し飲んだ。
結果的にはこれがまずかったらしい。
最後の、シメの乾杯と三三七拍子をやったところまでは憶えているのだが、その後
の記憶がなかった。
気がつくと、美和子に肩を支えられ、霞ヶ関駅のタクシー乗り場にふらふらと立っ
ていたのだった。

「す、すいません、佐藤警部補……。初日なのに、あたし、だらしないとこを見せ
ちゃって……」
「階級名はいらないわ。それにあなたが悪いわけじゃないんだもの。うちの連中が
面白がってあなたに飲ませたからよ。ごめんなさいね」
「い、いえ、そんなこと……」
「木下さんからも聞いていたしね、墨東署の辻本巡査は本庁の一課の連中にも負け
ない実力の持ち主だって」
「また……、やめてくださいよ」
「ホントよ。でもね、だからみんなも飲ませたのかも知れない。あなた明るいし体力
もありそうだし、お酒もおいしそうに飲んでたからね。きっと強いんだと思ったん
でしょう」
「はあ……。好きは好きですけど、弱いんですよね……」
「そうね。だからみんなびっくりしてたわ。ま、次からは無理強いしたりはしない
から」

話しているうちに、前に並んでいたタクシー待ちの客たちを次々にタクシーが拾っ
ていった。
もう夏実たちの前はふたりだけだ。
美和子はそっと夏実の顔を覗き込む。

美和子と夏実──そして美幸は、検察庁の九条検事誘拐拉致事件の時に知り合った。
当時、墨東署の交通課勤務だった彼女たちが、パトロール中に連続殺人事件の現場
を発見したのだ。
美和子たちが駆けつけるまでの間、彼女たちが執った初動処置はほぼ完璧だった。

現場の現状保持。
所轄署及び本庁捜査課への連絡。
周辺に一般人を近づけない。
そして現場保持をした上での簡単な捜査。

実に水際立っており、その後の美和子たちの捜査がスムーズにいったのもこの初動の
お陰だとも言える。
交通課の婦警なのが不思議なほどに、夏実と美幸は堅実な処置を執っていたのだ。
その時の好印象が美和子にはある。
少し俯き加減の夏実の顔を下から覗き込むと、幾分青ざめている。
心配そうに敏腕女刑事が言った。

「ホントに平気? 少し顔色が悪いわ、気持ち悪くない? おトイレに行っとく?」
「あ、いえ平気です……。飲み過ぎて戻すこともあるんですけど、今日はあんまり
食べてないから吐くものもないみたいで」

剛胆な夏実が緊張してあまり食事が喉に通らないほどだったのだから、やはり本庁と
所轄署の差、交通課と捜査課の違いというのはかなりのものらしい。
また墨東署の交通課の雰囲気が緊張とは無縁だったこともある。
警視庁刑事部捜査一課は当然ぴりっとしている。
ただ、これも事件がなければそうでもないし、また班によってもかなり差がある。
美和子と夏実が所属している強行犯捜査第三班第八係は、その中でもかなりまったり
としているのだが、部屋には他の班もいるし、何しろ初日だったこともある。
緊張しないわけがない。
だが夏実であれば、いずれ慣れるだろうし、そうなれば美和子同様、一課の中心機動
戦力になれるであろう。
夏実はふと顔を上げた。

「ところで……、ここ、どこです?」
「え?」

美和子はちょっと驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって答えた。

「……駅のタクシー乗り場よ。もう帰りなさい」
「タクシー乗り場? じゃあ二次会は?」
「こらこら。そんな状態で二次会もへったくれもないでしょ? 初日で疲れている
んだし、無理に飲まされて身体もまいってるだから、今日はもう寮に帰っておとな
しく寝なさい」
「あたしはともかく佐藤警部補……いえ、佐藤さんは、その……」
「いいわよ、別に。あたしも、どうしても二次会に出たいわけでもないんだし」
「あ、でもその、高木さんと……」

宴会の席で、美和子と高木がつき合っていることを聞かされていた。
高木は同僚に引っ張られて二次会へ行ったようだが、仮に二次会に行かないにしても
高木といたかったのではないだろうか。
美和子はくすりと笑って言った。

「そんなこと、あなたが気にしないでいいわ。明日登庁すれば、いやでも会うんだし」
「でも……」

夏実が何か言おうとした時、ヘッドライトを光らせて急発進してきたらしいタクシー
が滑り込んできた。
別のタクシーがゆっくりと乗車場に入ろうとしていたのを強引に割り込んだらしく、
そのクルマがクラクションを鳴らしていた。
美和子も顔をしかめる。

「……乱暴ね。まあ、この不況で客取りが大変なのはわかるけど……」

自動ドアが開く。
仕方なく、美和子はそのタクシーに夏実を乗せた。
スカートがまくれないように気を遣ってシートに座らせると、運転手に言った。

「築地の単身者待機寮までやってくれる? わかりますよね、警視庁の……」

運転手は帽子を目深に被ったまま小さく頷いた。

「ええ、わかりますよ。婦警さんですか?」
「まあ、そんなとこ。この人、少し酔ってるけどよろしく頼むわね。さっきみたいな
乱暴な運転はくれぐれも控えて下さい」
「わかってますよ。婦警さん乗せてそんな運転したら逮捕されそうだ」

運転手は少しくぐもった声でそう言った。
美和子はもう一度ちらりとルームミラーを見たが、相変わらず顔を伏せていて表情が
わからない。
バインダーに目を落としているようだから、何か書いているのかも知れなかった。
美和子は、夏実の頬を軽く叩いた。

「辻本さん」
「……あ、はい」
「運転手さんによく頼んでおいたから、クルマの中で少し寝てなさい。着いたら起こ
してくれるでしょうから」

運転手は無言だったが、美和子は構わず続けた。

「じゃ、明日またね。二日酔いで遅刻、なんて許さないんだから」

美和子はそう言って微笑むとタクシーから離れた。
夏実が返事と謝罪をしようと思って顔を上げたところでドアがバタンと閉まり、タク
シーは走り出した。

─────────────────────

「ん……」

クルマがキッとブレーキの音をさせ、軽い振動を伴って停車すると、それまで眠り
こけていた夏実の意識が戻った。
吐き気とまでは言わないが、少し胃がむかむかする。
私服に戻った婦警は、目を瞑ったまま聞いた。

「もう着いたんですか」
「……ええ」
「あ、ありがとうございます……。起きなきゃ……」
「……」

運転手は黙って自動ドアを開けた。
夏実は立ち上がろうとするのだが、あまり腕に力が入らないらしく、すぐに萎えて
しまう。
何度かそんなことを繰り返していると、見かねたのか、運転手が外に出て後部シート
まで回り込んできてくれていた。
そして夏実の腕を掴むと「よいしょ」とばかりに引き起こしていく。
もう足がふらついている夏実は、逆らうことなく彼に身体を預けた。

「ど、どうもすいません……、あたし、酔っちゃってて……。でも、もうだいじょぶ
です」

そう言って夏実はひとりで歩こうとするのだが、とても出来るものではない。
第一、まだ目を閉じて開けていない状態なのだ。
察したのか、運転手は夏実の腋に肩を入れ、そのまま引きずるように歩いて行く。

「……大丈夫ですか、お客さん」
「あ……、ほ、本当にすいません。あの、裏口回ってもらえますか……。連絡はして
あるけど、もうこの時間だから正門と玄関は閉まってますんで」
「……わかりました」

それだけ言うと「もう着いたのだ」と安心したのか、少し足の感覚が戻ってきた。
ふらふらよろよろと千鳥足ではあるが、何とか歩いている。
とはいえ、運転手が肩を貸さなければ、とても歩けないだろう。
本当ならこんな初見のタクシー運転手相手にこんな醜態をさらすことはイヤなのだが、
昨日入寮したばかりのこの独身寮には、まだ友達とか知り合いと言えるような人は
いない。
来て早々、寮生や寮長に迷惑を掛けるのも困るし、この際、彼の助けを借りるのも
仕方がなかった。

夏実がウトウトと歩かされていると、引き戸が開けられ、その中に入っていく。
今にも意識が消えそうな中、何とか言った。

「あ……、あたしの部屋、二階なんですけど、もう階段昇りましたっけ……?」

さすがにこの運転手に寮内にまで入ってこられるのはまずいと思ったのだが、どう
しようもなかった。
寮生に出くわしたら何と言い訳すればいいだろうか。
運転手は夏実の問いかけには答えず、彼女を部屋に連れ込んで、布かれていたらしい
布団に座らせた。

「んっ……」

夏実は顔を少ししかめた。
何だか埃っぽい。昨日、入寮した時に、ちゃんと掃除はしたはずなのに。
第一、この部屋はベッドであって床に布団が敷いてあるのはおかしい。
そう言えば、寮の入り口も部屋もドアであって引き戸ではなかった。

「……」

夏実はうっすらと目を開ける。
目を瞑っていただけあって夜目が利いた。
窓ガラスが割れている。
そこからブレースも見えた。
大きな事務机があり、パイプ椅子がいくつも転がっている。
夏実が座っている場所は、床から上がり框になっている三畳ほどのスペースだ。
仮眠場所らしい。
布団が二組ほど畳んであり、夏実はその狭い畳の上に敷かれた薄汚い布団の上にいる。
布団についた手がずれて畳に触れると、ザラザラした砂埃の感触がある。
いかに面倒くさがりの夏実と言えども、ここまで掃除しないなどということはない。
そもそもまだ入寮二日目なのだ。

おかしい。
絶対におかしい。
ここに来て、ようやく夏実は意識がシャンとしてきた。

「こ、ここ……」
「……」
「ここ、寮じゃないですよね?」
「……」
「う、運転手さんっ、どういうことですかっ!? ここはどこなのよ!」

夏実は少し慌てて言った。
立ち上がろうとしたが、中腰になったところでまたふらふらと座り込んでしまった。
まだ腰が抜けている。

「黙ってないで何とかいいなさいよっ! あっ!」

男は黙ったまま、ドンと夏実を突き飛ばした。
立ち上がろうと中腰になっていた夏実はたちまち尻餅をついた。

「何すんのよ!」
「……ここは工事現場の現場事務所ですよ、夏実さん」
「……?」

夏実はハッとした。
なぜこの運転手は自分の名前を知っているのだろう。
しかも名字ではなく名前で呼んだ。
知り合いなんだろうか。

「だ、誰よ」
「僕ですよ」
「だから誰よ!」
「お忘れですか?」

室内は薄暗い。
電灯をつけてくれないのだ。
ただ月は出ていて、窓から月光が差し込んでいる。
その僅かな光に透かされた顔に、夏実も見覚えがあった。

「あ……、あんた……!」
「そう、僕ですよ。牛尾展也。まさかお忘れじゃないでしょう?」
「忘れたくてしょうがないけど、絶対に忘れられないわよ!」
「そうですよね、なんせ僕たちは恋人同士なんだから」
「ふざけないで! 誰があんたなんかと……!」

夏実は怒りで身体が震えている。
彼女にこの上ない恥辱と屈辱を与え、その身体を膝下に押さえ、ものにしたのだ。
最後には夏実の口で性器を愛撫させ、何度も何度も絶頂を押し上げ、「あたしは
あんたのものよ」と何度も口にさせた憎むべき男。
しかしこいつは、美幸の機転で逮捕され、今公判中のはずである。

「大体、なんであんたここにいるのよ、捕まったはずなのに。そ、それに何でタク
シー運転手なんかやってたの!?」
「……まず最初の質問に答えますけど、なに簡単なことです。脱走したんですよ」
「だ、脱走って、あんた……」

信じられなかった。
罪状は保険金詐欺とネットオークション詐欺で、夏実への強姦、脅迫事件は一切伏
せられている。
だから、素直に罪を認め、刑に服せば、初犯であることも考慮され、そう重い罪に
なることもないはずだ。
なのになぜそんな大それたことをするのかわからない。
捕まらないはずがないし、そうなればずっと重罪になる。

「ふたつめですけど、脱走の途中でタクシー強盗したんですよ。運転手のお爺ちゃ
ん、すっかり動転して警報装置も使わずに逃げていきましたよ。こんなに簡単だと
は思いもしなかった。手錠を外す方がよほど苦労しましたね」

脱走の上、強盗までやっているらしい。

「脱走してしばらくはカツアゲしてカネを巻き上げて、ネット喫茶で寝泊まりして
ました。ふふ、以前の僕ならカツアゲする度胸なんかとてもありませんでしたけど、
ムショ暮らし……ったって拘置所ですけどね、まあそれで少しは開き直れまして、
くくっ。で、この工事が中断していて無人になってるらしい現場の事務所を根城に
していたってわけですよ。夏実さんの情報をネットで得て、出没しそうなところを
タクシーで流してたってわけです」
「……」
「なんでそんなことをしたのか、と言いたそうですね。もちろん夏実さんに会う
ためですよ。さぞやそのおいしそうな身体が夜泣きしているだろうと思いましてね」
「バ、バカなことを……!」

夏実は信じられぬ思いで牛尾を見上げていた。
この小太りの男、セックスの時では夏実に君臨し、その身体を欲しいままにしては
いたが、それ以外の時、つまり日常ではまったく臆病で消極的だったのだ。
こと夏実と美幸のことに関しては、部屋に忍び込んだり、盗聴器を仕掛けたり、
いやらしい下着を贈るなど、常人には出来ないことをしているが、
そうした興味の対象以外は引っ込み思案だった。
この暴挙も夏実に会うためだと言っているが、それにしてもここまでやるだろうか。
文字通り開き直ったのかも知れない。
そこまで夏実に、いや夏実の肉体に執着しているのかと思うと空恐ろしくなる。

「こんなバカなことして、あんたどうなるかわかってんの!?」
「……」
「返事しなさいよ! あんた、うっ……!」
「黙れよ」
「……」

牛尾は屈み込んで夏実の顎を持ち、その顔をグッと自分の方へ向かせた。
その目つき、顔つきには、以前の脂ぎったオタク顔の名残はなかった。
拘置所暮らしで締まったのか、だいぶ引き締まってきていた。
夏実を見るその目には凄みすら感じられる。

「何で僕……俺がこんなことをしたか、だって? 決まってる、ふざけたマネを
してくれたあんたに復讐してやるつもりだったからだよ」
「ふ、復讐って、あたしは何も……」
「ふざけるな! あんたがチクらさなきゃ、誰がこのことを知ってるってんだよ!」
「だ、だから、それはあたしを心配した美幸……」

夏実は言ってしまってから「しまった」と思った。酔っていたから、という言い訳は
きくまい。
ここで美幸の名を出してしまっては、彼女にまで累が及ぶではないか。
もちろん牛尾は「夏実」という単語と「美幸」という言葉を聞き逃すはずもない。

「美幸……? そうか、小早川さんか」
「ち、違う! 美幸は何も……あたしよ! あたしがあんたのことを通報して……」
「そんなことはないでしょう。あの時、夏実さんは完全に僕に屈服していたし」
「……」
「プライドの高いあなたが、自分の恥を晒してまで俺を突き出すとは思えないし。
ただの強姦だけならともかく、あんな恥ずかしいことをされて、しかも何度も気を
やらされたんだから。それも供述しなくちゃならなくなる。そんな恥知らずなこと
を夏実さんがするわけないでしょう」

夏実は唇を奮わせたまま何も言えなかった。

「そうか、美幸さんか。考えてみれば相談する相手は美幸さんくらいしかいません
しね」
「だ、だから違うわよ! 全部あたしが……」
「どっちでもいいんだよ、そんなことは」
「……」

また牛尾が凄んだ。

「どっちにしろ、美幸さんもいただくつもりなんだからな。脱走したのはあんたに
復讐するためと、美幸さんにも未練があったからなんだよ」
「そんなこと……そんなことしてどうなるのよ!? 捕まらないわけないでしょう!
あんたもっとずっと重い罪に問われることになるのよ!」
「だからどうでもいいんだよ、そんなこたあ。俺はな、夏実さんあんたの身体と美幸
さんの身体を好き勝手に出来れば、あとはどうでもいいんだ」

信じられないほどに刹那的だった。
一時の快楽のために、あとの一生を棒に振ってもいいというのだろうか。
そこまで好かれれば女性としても満更でもないことなのかも知れないが、とてもそう
は思えなかった。
どう見ても牛尾は常軌を逸している。
女に──夏実と美幸に狂っているとしか言いようがない。
豹変した牛尾に呆然としていた夏実は、彼がおもむろにズボンを脱ぎ始めたのを見て
焦った。

「ちょ、ちょっと何してんのよっ!」

牛尾は黙ってズボンを、そしてトランクスまで脱ぎ捨てた。
座り込んだ夏実の顔の前に、ぶらぶらと醜い肉塊を突きつけている。

「きっ、汚いものを見せるな!」
「汚いって、心外だなあ。夏実さん、これが大好きだったでしょうに」
「ウソよ! でたらめ言わないで!」
「ウソじゃありませんよ。これをオマンコやお尻の穴に突っ込まれてひぃひぃよが
っていたじゃないですか。その可愛いお口でもくわえてくれて……」
「言わないで! あ、あれはあんたが無理矢理……」
「無理矢理? 無理矢理俺が犯したから、ついいっちゃったんですか? 夏実さん
は俺が大嫌いなんでしょう?」
「当たり前よ!」
「じゃ、夏実さんはその大嫌いな俺に犯されていっちゃたわけですか。夏実さん、
誰に犯されてもいかされちゃうような淫らな女なんですか」
「ち、違う……いやらしいこと言わないで! そんなはずが……」
「ない、ですか? でも俺とセックスして何度も何度も気をやりましたよね。それ
ともあれですか、嫌いな男に犯されたりすると余計に感じちゃうとか、そういうこと
ですかね」
「こ、この……」

この男、どう言っても夏実を辱めるようなことを言い返してくる。
夏実も、この言葉責めのせいで何度も官能を揺さぶられ、挙げ句、心ならずも絶頂
させられたのだ。

「ま、何度も言うけどそんなことはどうでもいいや。さっそくやりますよ」
「や、やるって……、だ、だからそんなもの突きつけないでって言ってるでしょう!」
「見ろよ」
「……」
「見ろってんだよ!」

牛尾の気迫に押され、夏実は背けていた顔を前に戻し、おずおずと目を開けた。

「……!!」

そこには牛尾の性器があった。
あの時とちっとも変わらない、暴力的なまでにそそり立ったおぞましい男根である。
夏実の小さな手には収まらないほどの大きさ。
親指と人差し指、中指で作った輪の中には入りきらないほどの太さだ。
6センチくらいは楽にある。
長さも20センチはある。
少し左に曲がっており、ぐぐっと上に反り返っている。
亀頭部分がいやになるほど太く大きく、サオもいかにも硬そうにびくびくしていた。
ミミズのように太い静脈が脈打っているのも生々しい。

「いやっ……!」

夏実は思わず顔を背けたが、瞼の裏にはしっかりとその残像が残っている。
またあれで犯される。
引き裂かれるようなきつさで貫かれ、ゴリゴリと中を擦られる。
そう考えるだけで夏実は息が荒くなっていった。
忘れたい記憶だが、夏実の心の奥に癒しがたくトラウマとして残ってしまっている
のだ。

「してくださいよ」
「……」
「口でしろ、と言ってるんですよ」
「い、いやよ……」

この薄汚い男は、夏実にフェラチオでその男根を愛撫しろと命じていた。
絶対にお断りだった。

「仕方ないな」

牛尾はそうつぶやくと右手で夏実の背中を抱き、ぐっと引き寄せてから、その唇を
奪った。

「んむううっ!?」

突然のことに夏実は目を白黒させて仰天した。
いきなりキスなどしてくるとは思いもしなかった。
引き離そうとするのだが、牛尾は右手で背中を抱き、左手で夏実の後頭部を押さえ
込んで顔を離せないようにしている。
夏実は暴れて、拳で牛尾の腕や背中を叩いたがびくともしなかった。
夏実のパワーを考えれば、運動不足のオタクなど一撃で張り倒せそうだが、何分動揺
していたし、アルコールも回っている。

「んん……んんうっ……ん、ん、んんっ……むむ……」

夏実は苦しそうに顔を苦悶させている。
ふたりの顔は唇でしっかりと密着していた。
というよりも、まるで牛尾の唇が夏実の唇に食い込んでいるかのようだった。

「ぐ……ぐぐ……んんんっ!?」

咥内だけは許すまいと必死に歯を食いしばっていた夏実だったが、背中に回っていた
牛尾の手がするりと尻を撫でてくると、びっくりしたようにぶるっと震えた。
それで「いやっ!」と叫ぼうとしたのか、つい口を開けてしまい、そこに男の気持ち
悪い唇が潜り込んでしまった。

「ん、くううっ……ん、じゅっ……んんんっ!」

夏実は懸命に顔を振って逃げようとするが、牛尾はがっしりと顔を押さえ込んで、
その唇を貪っている。
口中の唾液が吸い取られ、舌が引き抜かれそうなほどに強く吸われ、夏実は頭の中
が痺れてくる。

「ぷあっ……ああ……」

ようやく牛尾が唇を離しても、夏実は虚ろな目のままぼんやりとしていた。
まるで理性と精気まで吸い取られてしまったかのようだった。
そんな夏実に、牛尾は君臨する主人のように命じた。

「目を開けろ。そしてこいつをよく見て」
「……」

言われるままに目を開け、再び見てしまう。
見てはいけないと理性が叫ぶのだが、酔いも手伝って、強い態度に出られなかった。
強引なディープキスによって、眠っていた夏実の性本脳までが呼び覚まされている。

「ああ……」
「ほら、すごいでしょう? こいつもね、ムショ暮らしの間中、夏実さんの中に入り
たくってうずうずしていたんですよ。俺、オナニーもしないで我慢してたんだ。夏実
さんの身体を想像して抜こうと何度も思ったんですけどね。いつかこの日がくると
思って我慢したんだ」
「や……」
「くわえてください」
「……」

どうして強く拒否しないのか自分でもわからなかった。
泥酔するほどに酔っていて、自律神経が失調気味だったこともあるだろう。
だがそれ以上に、かつてこの肉の凶器で散々痛めつけられ、官能の絶頂を極めさせ
られるという、苦痛と快楽の頂点を両方とも味わわされたという肉体的記憶が、
夏実を従順にさせてしまうのかも知れない。
今さらながら、夏実はそのペニスの恐ろしさと自分の肉体のもろさを実感させられ
ていた。

夏実は顔を背け、目を瞑ったまま、とうとうそれに手を伸ばしていた。
おずおずと近づいていく指先が、ちょんとペニスに触れると、びっくりしたように
手を引く。
牛尾は仁王立ちのまま腰を突きだしたままだ。
夏実はまた手を伸ばし、やっと、という感じでそれを摘んだ。

「あ……。す、すっごく熱い……。それに、なんて硬さなの……」
「そうでしょう、懐かしいでしょう。大きさはどうです?」
「いやになるくらいおっきいわよ……。どうしてこんなに……」
「そりゃあ夏実さんを目の前にしているからです。こいつも興奮しているんですよ。
それに、さっきも言ったけど、いつかまた夏実さんに突っ込むためにずっと我慢
してたからかな」
「……」

淫らなことを言われ、言葉で嬲られるごとに夏実は昂ぶっていく。
これこそが、恋人である東海林とのセックスにはない決定的な違いだった。
自他共に認める「強い女」である夏実は、そんな表面とは裏腹に、内面には覆い
がたいほどの被虐願望がある。
何度も責めることでそれを見抜いた牛尾に取り込まれてしまったのもやむを得な
かったかも知れない。

「はあ……ああ……、も、もうこんなになって……あ、あんむ……」

恥をかく覚悟をした夏実は、目を堅く閉じたまま、小さな口を大きく開き、凶暴
なまでに屹立している肉棒をその咥内に収めていく。

「んん……んっ……んちゅっ……んむう……んっ……」

太かった。
唇の端が切れそうなほどだ。
否応なく唇がペニスに張り付き、その厚さで火傷するかと思うほどである。
口中に、そして口から鼻に猛烈な男臭さが抜けていく。
カウパーだけではなく、早くも白い粘液が滲んでいるようだ。

その生臭さに耐えながら、夏実は牛尾の逸物に舌を這わせていく。
傍目には夢中になって男のものを愛撫しているようにしか見えない。
夏実も、どうしてもっと強く抵抗しないのか、殴られても蹴られても拒否しないの
か、よくわからなかった。
いかに酔っていても、夏実がその気になればこんな男、簡単に叩きのめせるだろう
に、そうしようという気になれない。

よしんば身体に力が入らず、抵抗出来ないとしても、自ら口にくわえることなど
拒絶できたはずである。
強引に口に突っ込まれたわけではないのだ。
犯されることを避けるために射精させ、牛尾の性欲を少しでも殺ごうとしたという
面もあることはある。
しかし、こいつの精力絶倫さは夏実自身がいちばんよくわかっているはずだ。

一度のセックスで何度射精されたことだろうか。
口で出され、膣奥に放出され、直腸にまで射精された。
一度交わると2時間や3時間では終わらず、一晩中かけて犯され抜いたのだ。
胎内も腸内も精液で満たされ、胃の中まで臭い粘液を注がれた。
夏実の身体が飽和状態となり、膣や肛門から精液が逆流してくるまでそれは続き、
入りきらずに溢れてきても、そこになお挿入され、新たな精液が流し込まれたのだ。
そんな男が、一度フェラチオで射精したところで満足するわけもない。

「んむ、うむう……んっ、じゅるるっ……んっ、んっ……ちゅっ……」

それでも、こうなってしまった以上、もうどうすることも出来ない。
いっそ噛み切ってやろうかとも思ったが、そんなことをしたら本当に大事件となる。
牛尾にいいように犯された過去が明るみになるだけでなく、その男の陰部を噛み切
ったなどという事件になれば、マスコミが放っておく訳がない。
憶測と思い込みで、ポルノ並みの記事を載せる三流週刊誌も出てくるだろう。
その時点で夏実のキャリアや人生は終わったも同然だ。

夏実は懸命に裏筋を舌先で舐め、顔を前後運動させて唇で陰茎をしごいている。
気持ち良いのか、牛尾は少し上擦った声で言った。

「くっ……、い、いいですよ、夏実さん、その調子だ。なんか、また巧くなった
ような気がしますね。最初の時がウソみたいだ」
「んんっ……んむ……」
「僕のいない間、例の元彼に抱かれてたんですか? それで練習したのかな?」
「んんっ……!」

違う、とでも言うように夏実は首を振った。
東海林は「元彼」ではない、という意味と、別に彼で練習などしていないという
否定だ。
確かにあれから東海林に何度も抱かれたが、それは主に牛尾との忌まわしい関係を
清算し、その暗い思い出を拭い去ろうと、癒してもらうようなつもりでセックス
していたのだ。

だいたい「また巧くなった」などと言われたくなかった。
テクニックはすべて牛尾から仕込まれたものなのだ。
蔑まれ、からかわれ、時には厳しく命令されつつ、夏実は泣きながらその技術を
習得したのだ。
以来、新しい技など覚えていない。
そもそも東海林にも、牛尾から教わったテクニックはほとんど使っていなかった
のだ。
「どこで覚えたんだ?」などと聞かれても、答えられるはずがないではないか。

「んっ……ふっ……んむ……んぐう……んじゅっ……じゅるっ……」

いつしか夏実も懸命になっていく。
牛尾の言葉責めに煽られたのに加え、その男根から発せられる精臭にやられた
らしい。
びくびくと脈打つペニスにねっとりと舌を這わせ、包み込むように愛撫していく。
奥まで飲み込み、その根元を唇で絞るように締め付けてやる。

「おっ……いいよ、夏実さん」

熱く柔らかい舌の這う感覚、喉奥まで飲み込まれたペニスの先がその粘膜に擦られ
る感触、あまりに深くて苦しいのか、時折喉奥が震えるその振動までが、牛尾に
快楽を与えていた。
ただ顔を上下、前後に動かすだけでなく、頬をへこませて気圧を下げ、肉棒に新た
な快感を伝えてやった。
抜き差しされるごとに唇がずるずるとめくられるのも、まるで性器の襞がそうなっ
ているかのように見え、エロティックこの上なかった。

「んんっ……ぐっ……じゅっ……ん、んふっ……む……ちゅぶっ……」

深くくわえたペニスの先端が、夏実の上顎の状態を擦り、夏実と牛尾の双方に妖しい
快感を湧き起こる。
尿道口からはとめどもなくカウパーが漏れ出ていた。
夏実が美貌を苦悶させ、少し咽せた。
夏実自身の唾液と牛尾のカウパーが多すぎてうまく飲み込めなかったようだ。
カウパーの粘度が高く、飲み込みづらかったこともあるだろう。

「くうっ……いいな、ホントに気持ちいいや……。これまで我慢してきた甲斐が
あったってもんだ。おっ、それ気持ちいい……あ、もう出ちまいそうだ!」
「ぐうっ……!」

長い禁欲生活でよほど溜まっていたのか、牛尾にしては珍しくもう我慢できない
ようだ。
牛尾は夏実の頭を両手で抱えると、自分の腰に思い切り引き寄せる。
もちろん腰も動き出し、ガンガンと夏実の喉に打ち込んでいった。
喉の奥まで犯され、食道にまで届きそうな肉棒の苦しさに、夏実は顔を歪めて牛尾
の腰と腹を押し返そうとした。
しかし、その腕を牛尾に剥ぎ取られ、また彼の肉棒に持って行かされる。
仕方なく夏実は、また愛撫に専念し始めた。

「んんっ、ぐっ……んむうっ……!」

牛尾の肉棒は、夏実の唾液と彼のカウパーでどろどろだ。
もう精液も漏れ始めているから余計である。
ねっとりとした粘液と舌でごろごろと亀頭を転がされ、どうにも我慢が出来なく
なった。
腰の後ろが熱くなり、腰全体が重くなってくる。知らず知らずのうちに臀部が震
え、足の裏が痺れてきた。

「で、出るっ……くっ、セックスまで我慢しようと思ったけどもうだめだ!
夏実さんのフェラが良すぎるよっ! く、くそっ、口に出してやるからね!」
「んむううっ!」

イヤイヤと首を振ったが、それがかえってペニスへの刺激となって伝わってしまう。
牛尾は顔を歪めて吠え、そこで溜まった欲望を解き放った。

「くおっ……、出る!」
「ぐううっ!?」

牛尾の両手でしっかりと引き寄せられ、顔が彼の腰、そして陰毛に埋まった時、
射精が始まった。
ペニスの先端は喉のもっとも深いところまで届いていた。

びゅしゅるるっ、びゅぶるるるっ。
びゅしゅっ、びゅるるるぅっ。
びゅるっ、びゅるるっ。

「んむおうっ……むうっ、むぐうっ!」
「だ、だめだよ夏実さんっ! 全部出すまで顔を放しちゃだめだ! 全部……全部
飲んでくださいよっ!」
「ぐぐうううっっ……!」

喉奥に直接吐き出された精液は、勢いよく食道を下っていった。
ただ、あまりの濃さに流動的に流れていくわけにはいかなかった。
あっという間に喉の奥はどろりとした精液で満たされ、行き場を失った粘液は喉の
奥から咥内へ回っていく。

「ぐうっ……んっ、んくっ……んくっ……ごっ……ごくっ……んく……」

あまりの苦しさに、夏実は迷う暇もなく牛尾の精を飲み下していった。
そうでもしないと窒息してしまいそうだ。
なのに、飲めども飲めども、牛尾は無慈悲なまでに射精してくる。

びゅくくっ、びゅるっ。
びゅるっ、びゅっ。
びゅびゅっ。

(こ、こいつ……まだ出るの!? こ、こんな臭くて苦いの、もう飲めない……。
そ、それに濃すぎるわ、飲みにくい……ああ、頭が変になりそう……)



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