夏実は、遅い夕食を摂るべく、警視庁庁舎の地下一階に来ている。
職員の福利厚生施設である食堂と売店のフロアである。
売店はコンビニのam/pmが入っており、レストランは和風と中華のふたつの
店があった。

その他に、いわゆる職員食堂があって、そこは定食を扱う店と麺類を中心にした
店がそれぞれ独立していた。
民間の社食と異なっているのは、深夜0時まで営業していることだろう。
職務が時間に不規則であることも多いためと思われる。
売店がコンビニなのもそのせいだ。
庁舎内ということもあって、もちろん関係者以外は立ち入り禁止なのだが、知人
の職員と連れだってくれば、一般人でも普通に利用は可能である。

夏実がいたのは社食の方だ。
半端でない食欲である彼女にとって、安価な職員食堂の存在は有り難いに違いない。
なのに夏実は、定食を半分ほど食べかけたまま、ぼうっと座っていた。

「……辻本さん」
「……」
「辻本さん」
「え……、あ、は、はい!」

夏実は突然に呼びかけられて、慌てて起立した。
目の前には、吃驚した表情を浮かべている美和子がいる。
ハッとして周囲を見渡すと、怪訝そうな顔をした職員たちがこっちを見ている。
思わぬ注目を浴びてしまい、夏実の顔が真っ赤となる。
落ち着かせるように美和子が肩を叩いて夏実を座らせた。

「す、すいません……」
「別に謝ることないわ。でも、どうしたの?」
「どうしたの、と、言いますと……」
「自分でわからない? あなた変よ、最近」

美和子はそう言って両肘を突き、組んだ手の上に顎をちょんと載せた。
その視線が耐えられないかのように、夏実はそっと目を逸らした。

「はあ、その、まだ仕事の方にあまり慣れていないかと……」
「そんなことないわ。ま、初めてだからわからないことはあるでしょうけど、疑問
点は何でも聞いてくれるし、駆け出しにしては出来過ぎなくらいよくやってると
思うわ」
「そんなこと……」

夏実とは思えぬ受け答えだが、話している相手が尊敬する先輩刑事であり、上司と
いうこともあるから、緊張するのは当然である。
慣れてくれば、墨東署時代のように、課長相手に堂々と渡り合えるくらいになるの
だろうが、まだまだ経験と実績が足りない。
憧れの女警部補が言った。

「……でもね、何だか最近のあなた見てると、両極端な気がする」
「両極端……?」

美和子は、夏実にそのまま食事を続けるように勧め、自分はコーヒーのカップを
口に近づけた。
彼女はもう食事を終えており、夏実の様子を心配してここに来たのである。

「仕事の時は、もうやる気満々だし、元気溌剌でしょう?」
「はあ、まあ……」
「私だけじゃなく、高木くんや千葉くんたちも感心してたわ。物怖じしないで積極的
に捜査してるって」
「いいえ、あたしなんか……」
「自分の評価が低すぎない? 目暮警部も同じ意見よ。こないだ木下監察官にもその
ことを報告していたけど、木下さんも満足そうだったわ。「私の目に狂いはなかった」
って」
「ありがとうございます」
「でもさ。かと思うと、今みたいな顔してることもあるわけ」
「はあ……」
「別に仕事に支障はないから、私なんかが口を突っ込むのは差し出がましいんだけど」
「そんな、差し出がましいだなんて……」

夏実としては恐縮する一方である。
美和子に仕事だけでなく、こんなことでまで迷惑と心配を掛けている。
カチャリと音を立てて美和子がカップを置いた。

「……何か心配事でもあるの?」
「……」
「仕事絡みでも、そうでなくとも、私でよければ相談に乗るわ」

思わず夏実はそうしたくなる強烈な願望に囚われた。
相談する相手としては最高なのではないだろうか。
これ以上、頼りになる存在はないはずだ。

だが、言えないことなのだ。
どうしても他人に話すわけにはいかないことなのである。
自分だけでなく、美幸の身にもかかってくる。
縦しんば相談し、結果として解決したとしても、もうその時は自分は警察官ではいら
れなくなるのは確実だ。
内々に始末を付けなければならないのだ。
そんなことで美和子を巻き込むわけにはいかなかった。

「……」

一方の美和子は、黙り込む夏実を見て「これは深刻だな」と実感していた。
ただ、それが何なのか、何に関わることなのかがさっぱりわからない。
夏実に言った通り、仕事の面では支障ないのだ。
ただ、時折こうして元気のないことがある、というだけだ。
新部署に来たのだから気苦労も多いだろうし、いわゆる五月病なのかも知れない。
もしそうなら、相談に乗ってあげることもできると思ったのである。

実力がなく、仕事ができないと悩んでいるのなら、これはどうしようもないのだが、
夏実の場合そうではない。
力はあるし、しかも結果もそれなりに出している。問題はないのだ。
係内の人間関係についても、傍目は良好に見えた。
美和子自身、初めての同性の後輩ということもあって可愛がっているつもりだし、
他の同僚刑事たちもそれは同じだ。
まして夏実が美人で活発、性格もさっぱりしていてつき合いやすいこともあり、
人気も上々なのだ。

と言って出しゃばったり出過ぎたりするところもなく、上司の目暮の評価もかなり
高い。
白鳥が警察庁へ戻って人員不足になったこともあって、出向ではなく正式な異動に
出来ないか木下監察官と話をしている、という噂も聞いた。
取り立てて問題はないのだ。
いや、ないはずなのだ。
と、いうことは。

「……あなた、仲の良いお友達いたでしょ?」
「え?」
「ほら、墨東署にいた同僚の婦警。小早川さんって言ったかな」
「はあ」
「彼女とはどう? 最近、連絡はとったの? 会ったりしてる?」
「あ、いいえ……」

美和子は、一種のホームシックではないかと考えたのである。
新天地でうまくやっているように見えても、やはり無理をしている面もあるだろう。
気疲れもする。
元いた職場が懐かしく思えるのも無理はない。
もしかしたら夏実自身も、そのことすら気づかないほどに職務に集中していたのか
も知れない。
そして、ふとそうした心の虚が表出することがあり、夏実の元気を奪っている可能性
もあった。

「前は一緒に住んでいたんでしょ? 場所がわかってるんなら会ってきなさいよ。
たまには顔を見て、思い切り喋って来ないとストレスたまっちゃうわ」
「……」
「非番を利用してもいいけど、別に今は手にしているヤマもないんだし、早めに
仕事を終わらせて、一度行ってみれば?」

そうだ、やはり一度美幸に会ってみよう。
自分のところに牛尾が来なくなった以上、やつが美幸を襲っている可能性はある。
そうだとしても美幸は誰にも──夏実にも助けを求められないに違いない。
取り越し苦労なら、それに越したことはないのだ。
美幸が無事ならそれでいい。
美幸の顔を見て、ひさしぶりに話し込んでみるのもいいではないか。
本庁出向、そして牛尾の襲来があって以降、何となく美幸には会いづらかった。
美幸の方も同じようで、慣れぬ職場で忙しい思いをしているだろう夏実を気遣って、
あまり連絡は寄越さなかった。
やはり自分は美幸の顔を見て、声を聞かねばだめだ。
明日にでも美幸のところに行ってみよう。夏実はそう決心した。

────────────────────────

夏実はモト・コンポを駆り、美幸のマンションへ向かっていた。
ここしばらく、夏実は牛尾の呼び出しを受けていない。
それはそれで喜ぶべきことなのだが、完全にそうとも言い切れない。
あの異常なまでの絶倫男が、何日もセックスなしで過ごせるはずがないのだ。
夏実を籠絡する前もそうだったのだろうが、その頃は風俗に行ったり自慰をするなど
して性的欲求を解消していたのだろう。

だが、夏実をものにした以降は話が別だ。
憧れであり、また絶品の美女である夏実を手にしたのだ。
風俗だのオナニーだのといった虚しいマネをする必要もない。
風俗なら、夏実ほどの肢体と美貌を兼ね備えた女を相手にしたいなら、総額で5万
や6万、ヘタをしたら10万近くするかも知れない。
一方、夏実はタダなのだ。
しかも長年、惚れていた女なのである。
牛尾にとってはこれ以上の女はいないはずだ。

なのに、ここしばらく音沙汰がない。
もしや逮捕されたのかと思いもしたが、牛尾捜査に当たっている一課の第五係、
タクシー強盗を追っている第六係からも、検挙したという話は聞かない。
つまり、まだ逃走中なのだ。

思いあまった夏実は、意を決して牛尾が隠れ家にしている放置工事現場のプレハブ
にも行ってみたが、そこももぬけの殻だった。
夏実は呆気にとられた。
牛尾が持ち込んだらしい毛布や、食い散らかした食品のパックなどは残っていたが、
どれも埃を被っている。
どう見ても一週間やそこらは帰ってきていない。
たまにはネット喫茶へ行ったりもするとは言っていたが、ここを見る限り、もう
根城として放棄したと判断すべきだろう。

そう考えて夏実はゾッとした、美幸のもとへ行ったのではないだろうか。
夏実は、脱走した牛尾に襲われて以来、美幸と連絡を取っていない。
そんな状態で、普通に会話することなど出来そうになかったからだが、美幸からも
電話はなかった。
一課着任の当日朝、お祝いの電話があって以来、まったくないのだ。
美幸の方が気を遣って、新任地での慣れぬ仕事に夏実が疲れているだろうと思って、
しばらくそっとしておいてくれたのかも知れない。
あるいは美幸も結婚が迫り、あまり他人を気にする余裕がなくなっている可能性も
ある。

いずれにせよ、ふたりはこれだけ長期間、話をしなかったことは過去にもなかった
のだ。
牛尾の件さえなければ、仕事が落ち着き次第夏実からも連絡はしたろうが、それが
出来なかった。
普通、ここまで電話もメールもなければ、美幸の方とて心配して連絡してくるだろう。
それがないのだ。
嫌な予感がした。

夏実を犯している最中も、あの不快なオタク野郎は、何度も美幸のことを言って
いた。
もちろん、夏実が言うことを聞かない時の脅しとして言っていたこともあるだろう
が、いずれは美幸にも毒牙が迫ることは確実だったのだ。
夏実は、自分の身に降りかかる性の拷問で、美幸のことを思い煩いつつも、実行に
移せなかった。
今、こうして牛尾が自分から去ったことを考え合わせても、牛尾は美幸のもとへ
押し込み、しかも居座っている可能性が高い。
夏実はアクセルを噴かし、美幸のマンションへと急いだ。

「……」

懐かしい美幸の部屋の前まで来た。
表札に「辻本」の名が消えているのが、何となく寂しい。
灯りはついていた。
もう午後8時を過ぎている。
帰っているのだろう。

「……!」

人の気配がした。
ここは美幸のマンションで、しかも明るいのだから当然美幸はいるだろう。
気配がして当たり前なのだが、どうもそれだけではない。
他に誰かいるような感じがする。

思わずドアを開けようとして、ふとあることを思いついた。
中嶋かも知れない。
結婚前とはいえ、また中嶋がいかに奥手で鈍いとはいえ、彼が来ている可能性だって
ある。
結婚が決まった関係なのから当然だろう。
しかも、それまで同居していた夏実はここを去っている。
中嶋がここにいることはむしろ自然だ。

もしそうなら、ここで夏実が訪ねていくのは単なるお邪魔虫であろう。
美幸はもちろん、中嶋もそんなことはおくびにも出さず歓迎するだろうし、特に美幸
はここしばらく連絡しなかったこともあって喜んでくれるはずだ。
しかし、恋人同士の甘い時間を邪魔するというのは、相手がどう思っていようとも、
こちらとしては気になるし、居づらいものだ。

確かに複数の人の気配はするから、美幸以外に誰かいることは間違いない。
夏実は、ためらったが結局訪ねることにした。
ここで帰ったら何のために来たのかわからない。
もし夏実の取り越し苦労で、牛尾が来た形跡などなかったら少々ばつが悪いが、
それはそれで良いことなのだ。
その時は、適当に挨拶し、軽く近況を報告し合って笑って帰ればいいだけだ。
夏実はインターフォンのブザーを押した。

「……」

明らかに、中で動揺しているような気配がする。
まずかったかな、と夏実は苦笑した。
もしかしたら、美幸と中嶋が良い雰囲気になっており、キスでもしていたのかも知れ
ない。
あるいは中嶋が蛮勇を奮って美幸を押し倒しでもしたか。
そうなら格好の話のネタになる。
美幸も中嶋も顔を真っ赤にして言いつくろい、黙っていてくれるよう頼むだろうが、
夏実としては話してしまいたい心境である。
嫌がらせではなく、親愛を込めた悪戯といったところだ。
頼子や葵に話せば、一月くらいは話題に困らないはずだ。
夏実は今一度インターフォンを押した。

「……はい」

美幸の声だ。
だが、どこか元気がない。
いいシーンを邪魔されて焦っている風でもないし、怒っている感じもしない。
気になった夏実は、トークボタンを押して早口で言った。

「美幸? あたしよ、夏実」
「な……つみ?」

息を飲んだような美幸の声がした。
その後ろで、何やらごそごそ、がたがたと物音がしている。
少し慌てた声で美幸が言った。

「ご、ごめん、今日はだめ」
「だめ……? だめって?」
「つ、都合が悪くて……ごめん、今日は帰ってくれる?」
「……」

おかしい。
美幸なら、例え具合が悪くても招き入れてくれるだろう。
異常事態に違いない。

「美幸、開けて! ちょっと話したいことがあるのよ!」
「……」

スピーカー越しに、何やらごそごそとおかしな音がしたかと思うと、美幸が小声で
「やめて」と言っているのも聞こえた。

「美幸、開けて! 誰かいるの? 何があったの!?」

がちゃり、と中から鍵が開いた。
チェーンが外される音もした。
ドアを開けた夏実は息を飲んだ。

やはり牛尾がいたのだ。
牛尾は、美幸の首に腕をかけ、にやついていた。
それまで何をされていたのか、美幸は半裸であった。
白い裸身が蛍光灯の光を受けて輝いている。
その白い肌に黒い革の装具が食い込んでいた。

ボンデージである。
上半身……それも胸の部分だけであり、その胸にしても乳房の箇所だけくりぬか
れていて、美幸の柔らかそうな乳房が丸く括り出されていた。
下は白のガーターベルトと、そのストッキングだけである。
牛尾お気に入りのスタイルであった。
こんな格好をさせられた上に、美幸は牛尾に辱められたのだろう。
親友の恥辱的な格好に、夏実の怒りが急上昇する。

「あ、あんたっ……!」
「お静かに、夏実さん」

牛尾は少しも慌てずに言った。

「もう夜ですよ。こんな時間に大騒ぎされたら、ご近所の方が心配しますよ」
「……」
「そうなったら俺も困るけど、俺もう人生捨ててかかってますからね、どうでも
いいんですよ。でも、夏実さんとこの美幸さんは困るんじゃないですか? 特に
美幸さんはご結婚されるわけだし……」

今にも牛尾に飛びかからんばかりに睨みつけながらも、夏実は口ごもった。
確かに玄関先で騒動を起こすわけにはいかない。
牛尾が美幸の首に腕をかけながら下がっていくと、つられるように夏実も中に入った。
念のため、後ろ手でロックする。

「……美幸から離れて」
「その怖い顔やめてくださいよ。ま、美人の怒った顔もまた風情があって……」
「黙りなさい」
「……」

夏実の異様な迫力に、さすがの牛尾も黙った。
幾多の修羅場をかいくぐっている現職警察官の夏実と内向的なオタク野郎では、
まともにやりあっては勝負にならない。
手は出さずとも、威圧感だけでも牛尾など遁走してしまいそうなほどだ。だが今は
立場が逆転している。
いくら夏実が凄もうが、牛尾の手に美幸が落ちている以上、うかつに手が出せない。

「美幸を放しなさい」
「……いやですね」
「放しなさいっ! もし美幸に何かしたら、あたし黙ってないからね!」
「そりゃちょっと遅かったなあ」

落ち着きを取り戻した牛尾が、わざとらしく頭を掻きながら言った。

「だってねえ、美幸さんはもう……」
「いやっ! 言わないで!」
「み、美幸……」

懸念はしていたが、やはりそうなのか。
この下劣なもと医大生は、結婚を控えた美幸を襲い、凌辱し、嬲っていたのだ。
夏実は無力感に囚われ、膝が震えた。
今にも座り込んでしまいそうだ。
とうとう美幸もこの男の手に掛かってしまった。
被害を自分だけで食い止めることができなかった。
自分から捜査陣に洗い浚い告白することは無理としても、牛尾の矛先を何とか自分
だけで抑えることは出来たのではないか。
そう思うと、夏実は胸が張り裂ける思いだ。

「夏実さん」
「な、なによ」
「美幸さんだけこんな格好にさせておくわけにはいかないでしょう? あなたも脱
いで」
「な……」
「出来ないですか?」

牛尾はそう言うと、美幸の細い首に食い込ませた腕を締め上げていく。
美幸が苦しそうに顔をしかめ、牛尾の太い腕に指をかけてもがいている。

「や、やめて! わかったからっ!」

夏実はがっくりと肩を落とし、凌辱者の指示に従った。

────────────────────────

10分後、三人は美幸の寝室にいた。
美幸と夏実はベッドにいたが、牛尾は絨毯に胡座をかいている。
ベッドのふたりは、ともに半裸であった。
夏実も美幸同様の格好をさせられていた。

すなわち、上半身は淫靡な黒革のボンデージをつけさせられている。
美幸は乳房部分だけくりぬかれた装具だったが、夏実の方は革ベルトで、いわゆる
ブレストボンデージ姿だ。
乳房の谷間と上下に細いベルトが通され、ぎゅっと絞り出す感じになっている。
ロープの代わりになっているわけだ。
これに、例の黒いガーターベルトと同色のストッキングを履かされている。
美幸の白ストッキングに対して、夏実の黒いストッキングは素晴らしいコントラスト
となっており、ふたりの美脚に対して素晴らしい演出となっているのだった。

牛尾はトランクス姿のまま、ベッド上のふたりの美女を見物している。

「じゃおふたりさん、いっちょ熱の籠もったプレイを頼みますよ」
「……」
「本当に最低……」

美幸は黙ったままうつむき、夏実は最後の気力を振り絞って牛尾に悪態をついた。
しかしこの場では、これ以上どうしようもなかった。
案の定、美幸も夏実に劣らぬほどの無惨な凌辱を受け、その痴態をデジカメで撮影
されたらしい。

夏実もそうだが、そんなものが出回ったら最後、警察にいられなくなる。
いや、美幸の場合、結婚自体が破局するだろう。
事情が事情だから中嶋は許してくれるだろうし、大丸も瀬奈も「なかったこと」に
はしてくれるだろう。
それ以上に、悲劇的な目に遭った美幸を立ち直らせようと尽力してくれるに違いない。

だが、美幸の心にも中嶋の心にも、癒しがたいキズが残るのは目に見えている。
どうしていいか、わからなかった。
唯一の解決策は、この男がいなくなることである。
そうすればすべて闇に葬れるのだ。
と言って、まさか警官の立場で殺してしまうわけにもいかなかった。
第一、不思議と美幸と協力して牛尾を何とかしようという気にはならなかった。
もう夏実は、何かを諦めていたのかも知れなかった。

「……美幸」

うつむいていた美幸はハッとして振り返った。
夏実の手を肩と背中に感じたのだ。
脅えたように夏実を見、後じさる美幸。
恐らく彼女が夏実に対してそんな表情をしたのは初めてだろう。

「だめ、夏実……そんなの、んっ!?」

小さく顔を振って逃げようとする美幸を優しく抱きかかえ、夏実はその唇を奪った。
仰天した美幸は顔を振り、抗おうとするのだが、夏実は美幸の両頬を挟み持ち、
唇を重ねてきた。

牛尾は「前座」として、夏実と美幸のレズプレイが見たいなどと、とんでもないこと
を言ってきたのである。
逆らう術はないが、そんなこと出来るものではない。
美幸はうつむき、どうしていいかわからないという風情だったが、美幸よりも早く
牛尾に籠絡され、肉体的に従属させられていた夏実は、こういう場でこの男に逆ら
い、背くことも無意味さをイヤと言うほどわからされている。
悔しいし恥ずかしいが、何とかこの場を乗り切るしか手はないのだ。

「んっ……んんっ!? んっ……ちゅっ」

美幸は予測不能の事態に混乱した。
牛尾はレズを要求したが、夏実はおざなりで済ませるに違いないと思っていたので
ある。

ふたりの仲の良さを揶揄して「あれはレズじゃないの」という陰口はあったが、
無論、事実無根である。
美幸も夏実もそういった趣味は皆無で、例えば宝塚に代表される百合的なもの──
つまり同性を性的な対象として見ることなどまったくなかった。
確かに夏実は、今の同僚であり先輩刑事の佐藤美和子警部補に憧れに近い好意を寄せ
ているが、それは何も彼女とこうした関係になりたいとか、そういうものではない
のだ。
純粋に、ああいう警察官になりたいという憧憬である。
レズ要素はまったくない。

それは美幸も同様で、どんなに夏実に好意を持とうとも、肉体関係まで考えたことは
ない。
夏実も美幸もノーマルだから、好みの男性に対し、セックスアピールを感じること
はあるが、同性に対してはあり得なかった。
だから、いかに好意を持っていようとも、また夏実が美人であろうとも、セックス
したりキスをするなどというのは、生理的な気色悪さしか感じないのである。

小説やゲーム、アニメやビデオなど、男視点の官能的フィクションであれば、女性
同士の絡みというのはそれなりの人気がある。
それは、同性から見た男性など邪魔なだけで、綺麗な女性同士の絡みは、その見たく
ない男が出てこないという利点があるからだ。
女性向けの18禁もの──いわゆるBLも同じ意味だ。だが、視点を変えて、BLを
男が見たらどう思うだろう。
その手の趣味がなければ気持ち悪いだけだし、見たくないはずだ。
それは女性も同じであり、レズものなど気味が悪いだけなのだ。
増してそれを自分でするなど、まったく信じられなかった。

「ん……んん……ぷあっ!」

突然のことに驚いた美幸は、何とか夏実の唇を振り払った。
右腕で唇を拭きつつ、信じられないという目で夏実を見ていた。

「な、夏実っ……、あなた、どうかしちゃったの!?」
「そう……ね……。どうかしちゃったのかも知れない」
「夏実……」

夏実は少し目を伏せ、哀しそうに言った。
そしてまた美幸に視線を戻した時には、その瞳は潤み、虚ろになっていた。
性に溺れて、というよりも、夏実もまた悲しかったのかも知れない。

「でも、もうどうしようもないのよ……。こいつの……」

夏実はそう言うと、ちらりと牛尾を振り返った。
当の牛尾は胡座で猫背のまま、顔を突き出して眺めている。

「……セックスに関してはもう……こいつの言いなりになるしかないの」
「夏実……夏実!? しっかりしてよ! どうかしちゃったの!?」
「そうね……。どうかしちゃった方がどれだけ楽かと思ったわよ。でも、だめだ
った。美幸だってわかってるでしょ? こいつの……馬みたいな精力、それに、
その……」

夏実はそう言いかけて顔を赤らめた。
精力の他、しつこいほどの愛撫とそれを裏付けるテクニック、男根の威力。
美幸、夏実に対する恐ろしいほどの執念。
そして、それらに敢えなく溺れてしまう自分たちの肉体。
女として逆らえない。
夏実はそう言った。
美幸は小さく、そして何度も首を振りながら否定する。

「そ、そんなこと……そんなことないわっ! わ、私は……」
「美幸は平気だったの?」
「へ、平気って……?」
「……こいつに……こいつに犯されても……何度も何度も犯されても、それでも
平気だったの?」
「……」
「あたしは……だめだった」

夏実は顔を伏せて力なく言った。
美幸は夏実の両肩を持って揺さぶった。

「しっかりてして、夏実! だめだったって何? あなた、こんなやつを……」
「好きなわけないわ!」

夏実はキッとして言った。
が、すぐにまた顔を伏せてしまう。

「そんなわけないじゃない。あたしは東海林くんが……」
「夏実……」
「でもね、こいつにやられると、もう何が何だかわからなくなるのよ……」
「そんな……」
「ね、美幸」

夏実の肩を揺すっていた美幸の手が力なく落ちると、今度は夏実が美幸の腕を掴んだ。

「な……なに……?」
「美幸は平気だったの? こいつに、いいように犯されて、それでも平気……」
「いやっ! 言わないで、そんなこと聞かないで!」

美幸は耳を押さえ、顔を激しく振りたくった。
その仕草が回答になっている。
夏実はシーツに視線を落としながら小さく言った。

「……やっぱり、ね……」
「……」
「でも、気にすることない。あたしだって同じなの、情けないけど……」
「な、夏実……」
「だから。ね?」
「……!」

また夏実の顔が近づいてきた。
美幸は本能的に身を引いてしまう。

「さっきも言ったでしょ? セックスはもうこいつのものなのよ。ううん、誓って
言うけど、あたしはこんなやつ大嫌い。例え東海林くんに捨てられたって、絶対に
こいつとくっつくことなんか、ない」

それまで黙って聞いていた牛尾が、その言葉を耳にして僅かに苦笑した。
これはまた嫌われたものである。

「でも……でも、こいつが身体を差し出せって言ってきたら、従うしかないのよ」
「そんな、夏実……」
「美幸もそう。あ、違うね、結婚するんだから」
「……」
「だから、あとであいつに頼むわ。美幸には、結婚したらつきまとわないでくれっ
て。あたしが相手するから、美幸は許してあげてって」
「夏実……」
「だから、それまでの間は従うの、いい?」
「……」
「あたしだって、こんなこと嫌だよ。ううん、美幸のことは好きだけど、こんな
ことしたかったわけじゃない」
「……」
「でも、あいつの命令だから……。だから我慢して。あいつの相手をする時は、
もう、ただひたすらその時間が過ぎてしまうことを祈るしかないのよ。そのため
には、あたしも……あたしたちも没頭するしかない。そうすれば……そうすれば
時間が早く過ぎてくれるわ」

美幸は呆気にとられるとともに、悲しみに満ちた目でかつての相棒を見つめていた。
いったい何がこの男勝りの婦警にあったのだろう。
自分も牛尾に屈辱的な凌辱を受け、酷い辱めを受けてきた。
夏実は前の事件のこともあり、美幸よりもいっそうに酷く、長い間、餌食になって
きたのだろう。

彼女がここまで堕ちてしまったことを考えると、我が身を振り返って怖くなる。
自分もこうなってしまう、あるいはそれ以上に牛尾のセックスに依存することになり
かねない。
夏実は、自分の身を捧げるから美幸は解放するよう頼むと言ってくれているが、美幸
だって夏実を何とかしてあげたい気持ちは一緒だ。
それに、今の夏実ほどに堕とされてしまったら、そして結婚後もこの男がつきまとっ
てきたらなら、夫の中嶋に内緒で逢い引きさせられ、犯され、よがらされ、恥ずか
しい絶頂を何度も晒すことになりはしないだろうか。
そんなこと考えているうちに、また夏実の唇が美幸の口を塞いだ。

「んむっ……ぷあっ!」

美幸はすぐに振り払った。

「だめ、やめて夏実! やっぱり……やっぱり、こんなのおかしいわ……」
「おかしいのは百も承知よ。でも、もうそんなこと忘れて。あいつのことなんか
考えず、あたしに集中して」
「そんな……あ、んむうっ!」

夏実の熱い舌が、美幸の唇を割ってくる。
いきなりのキスで動揺した美幸の口の中に潜り込むことに成功した夏実は、その咥内
に舌を這わせていく。
同性との口づけというあり得ない事態に激しく動揺した美幸は、抱きついてくる夏実
の背を叩いて考え直させようとするものの、夏実はひしと抱きしめて放さない。

「美幸……」
「な、夏実……だめ……んむっ」

雰囲気に染まってきたのか、夏実の目がとろんとしてきている。美幸も「いけない」
と思いつつも、再び襲ってきた夏実に唇を許してしまう。

「ん……んん……ん、ちゅっ……んんう……」

脅えたように奥で縮こまる美幸の舌を、夏実の舌が軽く突いて刺激する。
なおもおののく美幸の舌に舌を絡ませ、美幸の抵抗を少しずつ削っていった。

「ん……んん……んふ……ん……」

夏実の腕を掴んでいた美幸の手が、ぱたりと力なく落ちた。
抵抗は無駄だと思ったのか、もう放そうとも叩こうともしていない。
ただ、腕が小刻みに震えているところを見ると、まだ没頭は出来ず、必死に我慢して
いるようだ。
そんな美幸の心を解きほぐそうと、夏実は甘くとろけるような口づけを交わしている。

「んむ……んっ……んんん……んうう……ん……」

強引に奪われ、激しいだけの牛尾の接吻とは異なり、荒々しさは微塵もない。
美幸は堅く目を閉じ、睫毛も小さく震えているが、何が何でも拒否という強い姿勢は
見せていない。

こんな状況ですら美幸を守りたいという夏実の思いが伝わったのか、少しずつだが
抵抗が止み、代わって淫靡な官能に火がついていく。
夏実は、美幸の顎を軽く支え、その口を吸っている。
一方、美幸の手は、一度ためらうような動きを見せた後、そっと夏実の腕を撫で、
掴んでいく。

「だ、だめ夏実……だめっ……んん!」

あくまでも口では否定する美幸の唇を塞ぎ、夏実はその舌を吸った。
そうなると美幸にもどうしようもなく、夏実に咥内を許すしかなかった。
それでも凌辱魔の牛尾とはまったく違う優しいキスに翻弄され始め、鼻からは熱い
甘い吐息が漏れてくるようになる。
夏実は美幸の抵抗が弱まると、その顎から手を放し、後頭部を抱えるようにして唇
を重ねてきた。

「んむ……ちゅっ……ちゅ、ちゅぶ……んんん……むうっ……」

夏実のもう片方の手が、美幸の震える乳房に伸び、優しく揉み始めていたが、もう
美幸にはそれに気づく余裕もなかった。
優しく、だが熱烈に愛撫され、揉み込まれているうちに、乳首は見る見るうちに尖り
始めていく。夏実はそのまま美幸に体重を掛けるようにして、のしかかっていった。

「や、やめて夏実……、こ、こんなの……こんなの間違ってる……あっ……」
「わかってる……わかってるわ……。でも、ごめんね美幸。あいつにあんたがやら
れる前に、あたしが……。いきなりあいつにやられるよりもショックが少ないと
思う……」

夏実によって愛され、感じさせられ、あわよくば一度でも気をやれば、その後の牛尾
のレイプもスムーズに受け入れられるだろう、ということのようだ。
ただ牛尾に犯されるだけなら、最初は猛烈な嫌悪感と恥辱を感じさせられ、その上で
セックスに溺れてしまい、屈辱の痴態を晒すことになる。

だが、一度肉体的に絶頂してしまえば意識は朦朧となるだろうし、恥辱や屈辱を感
じることなく、牛尾のセックスに入れることになる。
結果は同じだが、最初の精神的なダメージは随分と違うはずである。
夏実が牛尾のレズ指令に従う気になったのも、それがあったせいだった。
どさり、と美幸の身体がベッドに横たわった、夏実がその上に重なっていく。

「い、いや……だめよ、こんな……な、つみっ……!」
「少しだけ我慢して……すぐによくしてあげるから……んっ」

夏実は、顔を背ける美幸の首筋から耳まで舌を這わせていく。
左手は美幸の背中の下に回し、右手は相変わらずゆっくりとした愛撫を乳房に加えて
いる。

「あ、そこだめっ……!」

美幸の裸身がピクンと反応する。
夏実の指が、優しく美幸の乳首を転がしたのである。
かつての相棒に愛撫されている美幸は何とか抵抗し、夏実を正気に戻そうとするの
だが、その力は弱々しかった。
優しい口づけと乳房への愛撫によって、美幸の方もかなり反応してきているようだ。
夏実は、舌を耳たぶの裏に這わせ、時折耳たぶを甘噛みして美幸に悲鳴を上げさせて
いる。
その間にも美幸の乳房をまさぐるように揉みほぐし、硬くなってきた乳首の根元を
擦るようにして転がしていた。
夏実は気づかなかったが、そうした愛撫のテクニックは、すべて夏実自身が牛尾から
されていたものばかりだった。
いつの間にか夏実は、牛尾の技巧を受け入れ、その愛撫が女体にどのような快感を
もたらすかを身をもって知ってしまった。
そして美幸の身体に、そのテクニックを忠実に再現しているのだ。

「美幸のおっぱい、柔らかい……ほら、こんなに……」
「ああ、だめよ……そ、そんなこと……あっ……もう……もうやめて……ああ……」
「でも、ほら。こんなに乳首が硬くなって……」
「ひうっ! そ、そこはだめ……だめよ、夏実……あ、ああ……お願い……女同士
でこんなこと……」

夏実は両手で胸の膨らみを揉んでいる。
両の乳房をいっぺんに愛撫され、美幸は閉じた目の睫毛を震わせながら、その甘い
快感に耐えている。
両手で左右の乳房を柔らかく揉み上げつつ、夏実の唇が乳首をそっと吸い上げる。

「くっ! い、いや……あっ……だめ、こんなの……ああっ!」

鋭い快感が乳首から乳房へ走り、それが電流となって腰の奥の深いところまで届いた。
夏実の愛撫はとどまるところを知らず、吸い上げるだけでなく、尖らせた舌先で乳首
を押しつぶしたり、ピンピンと乳首を左右に弾いたりして、美幸に悲鳴を上げさせて
いた。

「や……だめ……あうっ……も、もういや……ああ……な、夏実……夏実ぃっ……」
「感じてきたのね、可愛いわ美幸……。ほら、ここも……」
「ああっ……!」

夏実の愛撫によって少しずつ、だが確実に甘い喘ぎを洩らし始めた美幸の美貌が上気
してきている。
愛撫を思いとどまらせようと夏実の腕を掴んでいた腕からも力が抜け、今は夏実の
背に回っていた。

「な、夏実……あ、あむっ!」

また夏実の口が唇を塞いできた。
咥内で美幸の舌が夏実に強く吸われ、また舌同士が絡んでいる。
それまでの抵抗と、どことなくあった緊張感が消え、美幸の目も潤んできていた。

その間も乳房の愛撫は続けられ、乳首を転がし、乳房全体が甘く優しく揉まれている。
美幸がだんだんと胸への愛撫に意識が囚われていくと、夏実は徐々に顔を下へとずら
していった。
舌と唇は、首筋から鎖骨周辺、乳房、浮いた肋骨、脇腹へと降りていく。
夏実が腰骨を舐め始めた頃には、乳房を揉む両手は完全に伸びきっていた。
夏実の唇がヘソ、そしてさらに下に向かっていくのを知った美幸は、それまでの官能
と羞恥に覆われた表情を一変させた。

「だめ、夏実っ! そこはだめ!」

美幸は慌てて夏実の頭を押した。
思わずその髪を掴んでしまう。
それでも夏実の顔は美幸の股間へと移動していく。
それまで目をつむって美幸の裸身を舐めてきた夏実は、そこで不審そうに目を開けた。

「あっ……、こ、これ……!」
「いやあああっ……!」

夏実は唖然とし、そして何とも言えない表情を顔に浮かべている。
美幸のそこ──恥丘は綺麗に剃り上げられており、忌まわしい刻印まで入っていた。
思い出すだにおぞましくつらい記憶が夏実に蘇る。
夏実と同じく、美幸も牛尾によって刺青されていたのだった。
下手くそな字だが、はっきりと「牛」の字が痛々しく彫り込んである。

「み、美幸……美幸まで……」
「見ないで! ああ、見ないで夏実っ!」

血を吐くような美幸の声に、夏実も観念したかのようにがっくりと項垂れた。
そして美幸を気の毒そうに見つめながら姿勢を変えていく。
顔を美幸の股間に近づけているのはそのままだが、身体をくるりと回転させて、
下半身を美幸の顔へ持っていったのだ。
いわゆる69の体位である。
夏実は唇を噛みしめて恥辱を堪えつつ、美幸の顔を跨ぐようにして己の股間を
彼女に晒した。

「……美幸」
「いやっ……ああ、もういやあ……夏実、お願い見ないで……こ、こんな……恥ず
かしいっ……」
「美幸、聞いて」

夏実は言い聞かせるように優しく言った。

「そのまま目を開けて」
「いや……いや!」
「お願い……。そして……あたしのも見て……」
「え……?」

何のことかわからずに、美幸はそっと目を開けた。
驚いた。
いつの間にか夏実は美幸の顔に股間を向けていたのだ。
いかに親しい夏実とはいえ、そんなところをじっくりと見る趣味はない。
美幸は顔を真っ赤して目を閉じたが、夏実がそんなところを敢えて「見て」と言って
いたのを思い出した。
うっすらと目を開けると、衝撃的な光景が目に入った。

「な……つみ……!」
「見て……くれた? あたしも同じ……あの畜生にあたしも……」

美幸はつるつるに剃り上げられていたが、夏実のそこは陰毛が生えかかっている。
ということは、美幸よりだいぶ前にやられたに違いない。
だが、はっきりとそこに「展」という字が彫り込んであるのがわかった。

「恥ずかしい……」
「夏実……夏実……!」

親友の無惨な姿に、美幸の目から大粒の涙がこぼれる。
無理矢理見られた美幸も恥ずかしかったが、自分から見せざるを得なかった夏実の
羞恥はそれ以上だろう。
美幸は、それまでの抵抗するような動きをぴたりと止めた。
夏実の虚ろな声が聞こえる。

「これが……あたしがあいつのものになった証なの。美幸も……」
「ああ……」

夏実も自分と同じだ。
それが判った美幸から、すっと抵抗が消えていく。
夏実がこの地獄を耐え抜こうとしているのなら、親友である自分もつき合うべきだ。
そうでなくとも、きっと夏実は、美幸に降りかかろうとする牛尾の牙を自分で受け
止め続けていてくれたのだ。



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