関東地方某市の市民体育館。全国高校女子空手道選手権関東大会決勝、
その舞台である。

「帝丹高校、毛利蘭選手」
「はいっ!」

審判の呼び出しに一層の気合を入れ直して蘭は武道場の畳の上に立った。
都大会で優勝した蘭は関東大会に出場し、ここまで順調に勝ち進んで
決勝進出を果たしていた。
大きく一つ深呼吸をして、己の前に立つ相手をまっすぐ見つめた。
彼女の名は藤原美咲。昨年のこの大会の覇者であり、彼女もまた蘭同様、
ここまで危なげなく勝ち進んできた。
美咲はここの地元選手ということもあって観客席からは連覇を期待する
大声援が飛んでいる。

「(先輩が怪我さえしていなければ・・・・)」

蘭の脳裏に昨年の決勝戦の直後、悔し涙にくれた塚本数美の顔が浮かんだ。
数美は蘭の前の帝丹高校空手部の主将で、蘭と互角、いや互角以上に
渡り合える実力者であり、昨年のこの大会でも本命視されていた。
しかし事実上の決勝戦といわれた準決勝で、最大の難敵を大激戦の末に
降したのだが、その際の不運なアクシデントで膝に大怪我を負ってしまい、
無理を押して出場した決勝では、本来の実力の半分も出せずに美咲に
惜敗したのだ。
もちろん数美の怪我に美咲は関係ないし、彼女に恨みがあるわけではないが、
蘭にとっては敬愛する先輩のリベンジを果たす絶好のチャンスであり、
負けられない。

「(絶対に勝ちます、数美先輩っ!)」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

観客席に陣取る2人の男。
『月刊空手道』の編集者兼記者の厚木とカメラマンの海老名だ。

「厚木さん、どちらが勝つと思いますか?」
「実力的には毛利だろうけど、藤原にもこの大声援の後押しがあるから
案外接戦になるかもしれないな」

そこで海老名がにやりと意味ありげに笑った。

「じゃあ、厚木さんはどっちに勝ってもらいたいですか?」

厚木も同じくにやりと笑い返した。

「そんなの決まってるだろ。でなきゃ、わざわざ全国大会でもないのに
こんな場所まで取材にきやしねえよ」
「そうですよねえ・・・・」

1ヶ月前、都大会を取材した厚木はそこで優勝した蘭を目にして直感した。

――これは当たるかもしれない

高校生離れした実力もさることながら、何といっても目を惹いたのはその容姿だ。
決して派手な美人ではないが、目鼻立ちの整った愛らしい顔立ちに
抜群のスタイル。
その胴着姿は凛として一種の近寄りがたい雰囲気さえ漂わせていたが、制服に
着替えたその素顔はごく普通の明るく親しみやすい
女子高生で、それでいて清楚さと気品がにじみ出る美少女だった。
さらに深く調べてみると、父親はあの迷宮無しの名探偵・毛利小五郎、
母親は裁判不敗の美人弁護士・妃英理であることを知って直感は確信に
変わった。
本人自体の魅力に加え、この両親のキャラクターとなれば

――これは間違いなく当たる!

そこで、たかが高校生の、それも都大会程度ではと渋る編集長を説き伏せ、
カラーページまで使ってわざわざ都大会の特集を組み、そこで優勝した蘭を
取り上げた。
さらにグラビア写真も大きく載せ、「降臨! 格闘天使」などという派手な
キャプションまでつけて大きく読者の興味を煽った。
すると彼の狙いは的中し、今月号の『月刊空手道』の売り上げは前月比の
20%アップという数字を叩き出した。
この結果を見て当初あれほど渋っていた編集長も、厚木が関東大会の取材に
行きたいと申し出たところ二つ返事でオッケーし、さらに専属カメラマンの
海老名までつけてくれ、さらにこうはっぱをかけられた。

「もしこの娘(こ)が優勝したら、来月号の表紙のグラビアでいく!
輪転機を止めて待ってるから、しっかりいい写真(え)を撮ってこい!」

来月号の原稿の締め切りが迫っていた。今日中に写真と記事をまとめて
データで入稿すればギリギリ何とか間に合うかどうかだ。
その時のことを思い出し、厚木が苦笑した。

「編集長も随分気合が入ってたしな。これであの娘が優勝してくれなきゃ、
ここまで来た意味がない」
「じゃあ厚木さん、もし藤原の方が優勝したら表紙のグラビアはなしですか?」
「ああ。まあこう言っちゃあなんだが、藤原じゃあ正直、ビジュアル的に
いまいちだしな。それにここだけの話、たとえ毛利が準優勝でも表紙の
グラビアでいいと思ってるんだよ。そうすりゃあそれだけで売り上げ
アップは確実だからな」
「そうですよね・・・・ 売り上げは自分らのボーナスにも直結しますし、
ホント、彼女に優勝してほしいですね」
「ああ、そうだな」

何としても蘭に優勝して欲しい――そんな2人の思惑が一致し、武道場へと
目をやった直後、

「はじめっ!」

審判の号令とともに決勝戦が開始された。

「おっと、始まったようだ。海老名、来月号の表紙を飾るいい写真(え)を
ばっちり撮ってくれよ」
「分かってますって。任せてください」




20分後、数美直伝の鮮やかな胴回し回転蹴りを決めて勝利し、表彰台の上で
満面の笑みを浮かべて優勝トロフィーを掲げる蘭と、それを祝福する小五郎・
コナンの姿があった。

「やったな、蘭。圧勝だったじゃないか」
「ううん、そんなことないよ。相手も強かったもん」
「おめでとう、蘭ねえちゃん」
「うん。ありがとう、コナン君」

そこへ厚木と海老名が近づいてきた。

「毛利さん、おめでとうございます。取材のほう、少しよろしいでしょうか」
「あ、ありがとうございます。あなたは確か・・・・」
「『月刊空手道』の厚木です。都大会の時も取材させていただきましたよね。
こちらはカメラマンの海老名です」

取材が始まり、少しはにかんだ表情でそれに受け答えする蘭の姿を、
小五郎とコナンは少し離れた位置から見守っていた。

「しっかし、本当に優勝しちまうとはたいしたもんだ。さすが俺の娘だな」

小五郎がタバコを咥えて火をつける。

「おじさん、ここ禁煙だよ」

コナンが壁の張り紙を指し示して咎めると、小五郎は慌てて携帯灰皿を取り出し、火をもみ消した。

「へえ、おじさん。そんな物を持ってるんだ?」
「ああ、蘭が持て持てってうるさくてな。ホント、最近やたらと口うるさく
なってきやがった。全く誰に似たんだか・・・・」

コナンが思わず苦笑した。
そんなのは分かりきってることだ。
そこへ蘭が戻ってきた。

「何だ蘭、もう取材は終わったのか?」
「うん、それでお父さん、ちょっとお願いがあるんだけど」

蘭が少し甘えた表情になって言った。小五郎は蘭のこの表情に弱い。

「お願い? 何だそれは?」
「実は・・・・」

――――――――――――――――――――――――――――――――

由美の連覇を期待して盛り上がっていた多くの観客達は肩を落として
帰途についていたが、その中に彼女の高校の空手部OB2人がいた。

「先輩、藤原、負けちまったっすね」
「ああ、だけどしょうがねえよ。あれだけはっきりと実力差を
見せつけられちゃあな」
「それにしてもあの毛利って子、マジ強いですよねえ。藤原だって
決して弱いわけじゃないのに・・・・ 正直、あの子、男の俺達より
強いんじゃないすか」

顔を見合わせ、苦笑する2人。

「そのうえめちゃ可愛いし、俺、もろストライクど真ん中って感じですよ。
あんだけ強くてその上、可愛いのってホント珍しいですよね。やっぱり、
東京モンは違いますねえ」
「何だオマエ、噂の『格闘天使』を知らないのかよ?」
「へっ? 格闘天使って、何すかそれ?」

男はショルダーバッグから『月刊空手道』を取り出し開いて見せた。

「これだよ、これ」
「へえ、こんな雑誌にも載ってたんすか」
「ああ、だからわざわざこの天使様を拝みにここまで来たんじゃねえか」
「それはひどいっすよ。連覇のかかった可愛い後輩を応援しにきたんじゃ
ないんすか?」
「まあそれも少しはあったけどな。あくまで藤原の応援はついでだよ、ついで」

その時、男の携帯電話がバイブし、ポケットから取り出して応答した。
するとそれまでの横柄な口調が一変して、男は電話相手におもねるような
口調になり、しばらくして電話を切った。

「先輩、誰からっすか?」

男は周囲を憚るように少し声を落とした。

「鷲尾さんだよ」
「えっ? それで何だと・・・・」

男は顔に緊張感を漂わせ、さらに一層声を低め、囁くように言った。

「今夜のお祭で『イベント』を開催するから参加しろとさ、もちろんオマエもだぞ」
「ええっ!」



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