世界樹の七葉T エルフは古城で黄昏れる1

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プロローグ





 大陸歴3178年。眠り竜の月の7日。天候・晴天。


 我が軍の劣勢は明らかであり、私が撤退命令を出した直後のことである。
 マントのフードを目深に被ったそいつは、馬に乗っている私のすぐ近くに忽然と現れた。
 いつどうやって、その位置に立ったのか……この手記を書いている今になってもわからない。
 もしかしたら戦場に吹きすさぶ風が、なにかの拍子に形を得たのかもしれなかった。
 私は「お前は誰だ」と、そいつに訊いた。
「ここは危険だから、早く逃げなさい」
 その声は、驚くことに女だった。
 そいつがフードから頭を出すと、長い金髪が風に靡いた。
 耳の形から察するところ、エルフである。
「魔物の軍勢は一万なのに、お前一人でどうするのか?」
 私の質問にそいつは、こう答えた。
「達人一人と戦うよりは気楽」
 魔物の軍勢は馬蹄の音を響かせ、こちらに突撃してくる。
 そいつは散歩でもするような足取りで、魔物たちに向かって歩きだした。

   
 ”ルツバール王国・陸軍指揮官エドラスの手記より抜粋”

 




 ――大陸歴3382年。間黙竜の月の10日。深夜。
 エミリアの豊満な胸から落ちた水滴が、波紋となって湖面を揺らした。
 夜空には満月が出ており、沐浴する彼女の姿を蒼白く照らす。
 彼女は澄んだ水を掬い取り、頭に垂らしていく。
(気持ちいい。一日の中でこの時間が一番好き)
 腰まである長い金髪を振り、彼女はもう一度、水を掬って全身にかけ流す。
 ラピスラズリを中央に配した、金鎖のサークレットに水がかかる。
 それが彼女の額で、群青の光彩となって淡く輝いた。
 二重の目が細められ、アイスブルーの瞳には手からこぼれる雫が無数の宝石のように映る。
 彼女の小さな薄紅色の唇が、自然と笑みの形を作った。
(湖にいる水の精霊たちが、とても喜んでいる)
 一部を除けば、エミリアは人間のそれと変わりはない。
 違う部分の一つは耳で、見た目としては横に長く、それはこの世界”ネアレス”に存在するエルフの象徴でもある。
 生まれつき精霊を見ることと、長寿なのもエルフの特徴だ。
 彼女は人間でいえば三十二、三歳の美貌だが、その十倍は生きていてもおかしくはない。
「そろそろ、出発しようかしら」
 ――裸身のエミリアは、陸に上がる。
 木の根元の背負い袋から綿タオルを取り出して体を拭き、足元に畳んで置かれた服を鼻歌交じりに着はじめた。
 エルフとしては有り得ないほどの爆乳を、白いブラジャーに押しこむ。
(また、胸が大きくなった気がするわ……)
 ブラジャーのカップに収まった両乳房は、まるで果物屋に並べられた二つの完熟スイカのようだった。
 エミリアは左脚を上げ、手に取った白ショーツを履く。
 それは上部に可愛らしい青リボンが付けられ、底部以外は蔦の刺繍入りなのが見て取れた。
(この下着も、きつくなってる。今度から、サイズを変えようかしら)
 彼女の股ぐらを覆った白ショーツは、V字に切れこんだ鋭角なものだ。
 股間の割れ目を隠してはいるが、恥毛がはみ出してしまうのではないかという際どさがある。
 尻肉も胸に負けず劣らずの成長ぶりで、爆乳がスイカだとするなら、この巨尻は食べごろの白桃であろう。
 ショーツ越しに刻まれた股間の縦皺から、今にもとろりとした甘い果汁が滲み出てきそうだ。
 普通、胸と尻がここまで大きく育ってしまうと、ずんぐりとした肥満体型になる。
 だが、彼女は違った。
 なだらかな曲線を描く腰。
 すらりと伸びたしなやかな脚。
 見目麗しいエルフでしか成立しない、美熟女というのに相応しい躰がそこにはあった。
 次に、上半身の青色チュニックを着ていく。
 金色の草紋様で装飾された胸元が菱形に開き、爆乳の谷間を惜しげもなく晒すデザインだった。
 無駄のない動作で、白のフレアミニスカートを腰に巻く。
 スカートは超ミニのため、微かな風が吹くだけ純白ショーツが見えてしまいそうである。
 上半身のチュニックと下半身のフレアミニスカートはセパレートのため、腹部の綺麗な臍が夜気に触れていた。
(えっと、靴下とグローブはここじゃなくて……こっちね)
 エミリアは木の枝に掛けられ、真ん中折りされた白いオーバーニーソックスをつかむ。それを左足の指先から一気に膝上まで引っ張り上げ、伸びきったところで指をはなすと、ピチッという小気味良いゴム音が鳴る。
 続いて、上腕部が百合の花弁のようにカットされた白のロング・グローブを身につけた。
 彼女は満月を見上げ、サークレットと同じラピスラズリの埋め込まれた髪留めで、ヘアスタイルをポニーテールにする。
 最後に膝丈の革ブーツを履き、短刀(ダガー)を三本下げた腰ベルトを装備して出発準備が整う。
(朝方には、シトーンにつきそうね)
 エミリアは湖畔から歩きだし、石畳の街道に出た。
 シトーンは北半球で第二の大陸面積をほこる、メカリ大陸の西に位置する王都だ。
 気候は穏やかで緯度の関係上、明確な四季がある。
 今は、一年を十二ヶ月とする五番目の”間黙竜の月”のため、春真っ盛りであった。
 彼女の歩みに合わせ、服の中の二つの膨らみがゆさゆさと弾む。
 石畳で舗装された街道を歩いているため、これでもマシな方だ。未舗装の凹凸だらけの道ではミルクの詰まった革袋のごとく、爆乳が上下左右に暴れまわる。あまりにも揺れが酷いときは、まわりの目を気にして片手で胸を隠すこともあった。
(まったく、なんでこんなに育っちゃったんだろ)
 バウンドする両胸を眺め、恨めしげに心の中でつぶやく。
 エルフといえば均整の取れたプロポーションが一般的であり、ここまで肉感的な体型の者は稀だ。
 恥ずかしがり屋の彼女には、この肉体そのものが耐え難い羞恥プレイである。
(いま、何時かしら)
 エミリアはベルトに付いている小物入れから、銀の懐中時計を出して時間を確認した。
 時計の針は三時半をさしている。
 ここネアレスは太陽を中心に公転する惑星であり、一日の時点周期がほぼ二十四時間であることも錬金術師たちによって解明されていた。
 彼女は道中でトラブルに遭うこともなく、シトーンの街に到着する。
 すでに夜は明け、朝を迎えていた。
 街に着いて真っ先に向かったのは、エルフ大使館だ。
 大陸の首都には必ず種族ごとに大使館が建てられており、案内や相談の窓口としての役割を担っている。
「この街について、詳しい情報を知りたいんだけど」
 大理石のカウンターにいる、金髪セミロングの受付エルフ嬢にエミリアは話しかけた。
「はい。では、指輪を拝見させて頂きます」
 エミリアは、右手薬指にはめられた指輪を見せる。
 エルフに限らず、こうしたアイテムに個人情報を入れるのが、この世界では広く普及していた。
(この紋章はなにかしら……どの認識にも当てはまらない)
 受付嬢はサファイアの指輪の中に葉の紋章が見えるのを確認し、困惑の表情を浮かべる。
 彼女はここに勤務して四年だが、こんな紋章を目にするのは初めてだ。
「少々お待ちください」
 受付嬢が引っ込んだかと思うと、代わりに銀髪をオールバックにした白ローブ姿の青年エルフが現れた。
 顔は学者に多そうなタイプで、若干、神経質な印象を初対面の者に与える。
「これは大変なご無礼を。事情は受付から聞きました。私は館長のサレスと申します。こちらへどうぞ」
 サレスに仰々しく挨拶され、通されたのは一階の応接室だ。
「……つまり、冒険の依頼がなくて困っていると」
 椅子に座ったサレスは、エミリアから切羽詰った近況を聞いた。
 極力、目の前の女性の爆乳が視界に入らないよう、彼は顎に手を当てて考え始める。
「最後にこの街に来たのが何年も前なうえ、もともと冒険者同士の繋がりも薄くて」
「わかりました。この街の冒険者ギルドにあなたが自由に出入りできるよう、手はずしておきます」
 どうにも理解できないといった感じで、彼は言葉を続ける。
「あなたほどの方が冒険依頼に困るというのも……ああ、これは私の立ち入る領分ではありませんね」
「気にしなくていいわ」と苦笑しながら、エミリアは頭を下げる彼を眺める。
 二人は応接室で軽い世間話をして、再度、ロビーに戻った。
「エミリアさん、それでは良い旅を。世界樹があなたの導きとなるよう、祈っております」
 サレスはロビーで彼女を見送り、二階の館長室に向かった。
(……まさか、ここにあのような御仁がいらっしゃるとは)
 サレスは室内の壁掛け鏡に呪文を唱える。
 すると、サレスとは別のエルフ男性が鏡に映った。
『――所属と、お名前をどうぞ』
 その鏡は魔法によって、どこか違う場所の映像と音声を伝えるものらしい。
「私は王都シトーンの大使館館長サレスです。要人来訪について、本部の指示を仰ぎたく――」




 大使館を後にしたエミリアは、王都広場の雑踏の中にまぎれこんでいた。
 通りすがる何人もの異性たちから、自分が視姦されているのがわかる。
(これだから、人のたくさんいる王都は嫌い!)
 エミリアが人の多い場所に、あまり近づかない理由はそれだ。
 精霊はエルフの素肌を通じて力を貸すためとはいえ、痴女のようなこの破廉恥衣装には、いまだに慣れない。
 広場からさらに奥の道に入ると、細い通りに出た。
 通行人の様子も、さきほどの大通りとはまったく違う。
 半裸の女が男たちに色目を使って客引きしている娼館があったり、人間の骸骨が飾られた怪しげな魔法用品店が並んでいる。
 エミリアはその中にある、一軒の酒場前で立ち止まった。 
 屋号に琥珀亭と書かれたそこは、大使館のサレスに教えられた王都最大のギルド本部だ。
 本来ギルドは盗賊ギルドや魔術ギルドなど、職業によってカテゴライズされているが、こうした大都市になると冒険者ギルドという総合ギルドがある。大使館がスポンサーになってることも多く、琥珀亭もその典型だった。
 出入り口の扉前には、二十代後半であろう人間の男性が二人立っている。
 エミリアから見て、左は禿頭の男で、右は右目に眼帯をした男だった。両者ともに筋骨隆々とした肉体をしており、扉の見張りをしているらしい。
 彼女が、琥珀亭に入ろうとしたときだ。
 後ろから誰かが歩いてきて、彼女を追い抜いた。
「おっと、水晶球に登録さてないんじゃ入れねぇ。女の子がこんな物騒なとこにくるもんじゃないぜ!」
 禿頭の男に服をつかまれ、通りに投げ飛ばされたのは人間の子供だった。
「痛ぁい! ……いいじゃんケチ! あと女の子じゃないもんっ!!」
 その場で立ち上がった子供は、股下まである長い藍色の半袖ワンピースに半ズボンを履いていた。
 歳は十二歳から十五歳が、いいところだろう。
 全体的に華奢で、先ほど発した声も少女にしか聞こえない。
 澄んだ黒瞳で禿頭男を見据えているその少年は、黒髪ショートヘアで端整な顔つきだった。
(この子って、女の子じゃないのっ!?)
 人間よりも遥かに長寿のエルフが、ここまで驚くのは珍しい。
「……大丈夫?」
 エミリアは、子供のワンピースについた埃を手で払い落としてやった。
「ありがとう、エルフのお姉さん」
 少年は赤面させ、照れながら礼を言った。
 こうして間近で彼の顔を見ても、エミリアには美少女にしか見えない。
「紹介があれば、この子もお店に入れてもらえるんですよね?」
 エミリアは少年の手を引き、禿頭男に質問した。
「ああ、そうだ。その前にあんたみたいな乳デカ女が、この店に入れるかが……」
 禿頭男の言葉を遮り、今まで無言だった眼帯男が会話に割り込んでくる。
「おい、こちらはサレス様の紹介で登録されている。いつも言ってんだろ、水晶球をしっかり見てからお客様に対応しろ。この馬鹿がっ!」
 眼帯男は悪魔のような形相で思い切り禿頭男をぶん殴り、一発で木製の床上に気絶させてしまった。
「そこの新人がやらかしちまって、すいません。このとおり、しっかり登録されてます。その子もあなたの紹介ということになりますので、お通りください」
 彼の手には水晶球があり、その中にはエミリアの顔と名前、さらに紹介者のサレスも表示されている。
 これは相手の特殊な生体魔法に反応して、自動で水晶球が登録者を映し出すチェックシステムだ。
「さっきは悪かったな。だが登録されてない者を追い返すのが、俺たちの役目だ。そこの馬鹿も許してやってくれ」
 エミリアの横にいる子供を見つめる眼帯男の険しい表情が、人懐っこい笑みに変わった。
「……オジサンたちも大変なんだね」
「はっはっはっ! こいつは気に入った。何年もここで扉番をしてきたが、そんなことを言われたのは初めてだぜ。女にしておくのが勿体ねぇ!」
「だから、女じゃないってば!」
 眼帯男の笑い声を背に、二人は扉を開けて琥珀亭に入った。
 登録制だけあって、腕利きの冒険者が集まっているようだ。
 それは彼等が高額な鎧や剣の装備を見るだけでわかった。装備品が冒険者の質というのは乱暴な言い草だが、エミリアの経験則ではそれなりの確度である。
 二人は、店の隅のテーブルに座った。
「……わたしはエミリア。あなたは?」
 エミリアは会話をどう切り出そうか迷ったが、相手の名前を聞くことから始めてみる。
「シオンです。エミリアさんのお陰でここに入れました。ありがとうございます」
 微笑んだシオンの笑顔が眩しい。
「表でも言ってたけど、あなたって男の子なの?」
 そう問いつつ、エミリアは彼が男性である確証を得た。
(やだ、わたしの胸ばっかり見てる)
 テーブル上で楕円に潰れている彼女の爆乳に、シオンの熱い視線を感じる。
 当人はバレていないと思っているようだが、見られてる側からすればバレまくりだった。
 不思議なもので同性との会話時に、ほとんど胸を見られることはない。
 シオンの視線は、男性のそれであった。
 チュニックの菱形に開いた胸の谷間に男性器を挟んで扱く妄想をしたり、乳房の頂点の乳首を衣服の上から探そうとする想念が視線に込められている。
 これは彼の年齢を考慮すると、健全ともいえる反応だった。
「男です。ボク、いつも女の子に間違われるから本当に困ってて……」
 小さな右拳を口元にあてて困り顔になるシオンだが、その姿はどこから見ても完璧な美少女である。
「それで、どうしてこんなとこに入りたかったの?」
 エミリアは彼の顔をずっと眺めていたかったが、そうもしてられないので話を続けた。
「ボクは十四歳で、ザンハイム剣術学院の二年生なんです。今は課題の休暇中になっています」
 ザンハイム剣術学院とは約百年前、王都シントーンに創立された学院だ。
 この国では初等部を六年で卒業する。以降は剣術、魔術、総合の三種類の中等部学院を各自が選択して、三年間をすごす。世界共通で中等部卒業の十五歳まで は義務教育課程になっており、そこから先は社会に出る者もいれば、さらに上位の教育機関である高等部や大学に進学する者もいる。
「……そのペンダントって学院のやつでしょ? 見せて頂戴」
「ええ、いいですよ」
 シオンはペンダントを首から外し、エミリアに渡す。
 それには、二本の剣が斜めに交わるデザインの校章が描かれている。
(これ、懐かしいわねぇ)
 エミリアは、その校章に見覚えがあった。
「日陽花(ひようか)という花を、枯れていない状態で取ってくるのが課題なんです。だけどそれを採取した生徒は、今から何十年も前の一人だけみたいで」
 彼の言う日陽花とは薬草で、花が太陽のようなオレンジ色であることからその名がついた。
 日陽花は一年を通してこの時期にしか生えず、数日間だけ花が咲くが、その後にすぐ枯れてしまう。
「お店で買っちゃうとか?」
「売られているのは、薬草に使われる枯れた状態のものばかりだし。あくまで枯れてない状態が課題なんです。……それで、ここから東のゴガ山の麓にルハッシュ城という古城があって、そこの屋上庭園には日陽花がたくさん生えてるんだと先輩から噂で聞きました」
「……先輩の噂?」
「同じ探索部という部活の上級生です。その課題は学院の伝統行事で、いま三年生の人たちも一年前に同じことをやったようで。城に日陽花があるという噂は、先輩の学年でも話題になったそうです。その先輩も三月に卒業した上級生たちから、城について教えてもらったと言ってました。日陽花の課題が伝統であるように、ルハッシュ城にある屋上庭園の伝説も生徒たちにずっと語り継がれているんだと思います」
「なるほどねぇ。でも、あのあたりは魔物が出て危険よ。ここが重要だけど……そこには本当に日陽花が生えているのかしら?」
 エミリアは、シオンの意気込みを試すような口調で言った。
「担任の教師が言ってました……二年前、城を目指した生徒がいて、数日後にゴガ山の森の中で死んでたそうです。それを聞いたせいで、一緒に城へ行こうと計画してた友達も怯えて行くのをやめてしまいました。ウチの学校にとって、ルハッシュ城は謎に包まれたとこなんです。でも、だからこそ、どんな場所かボクは行ってみたくて」
 シオンの目が、爛々と輝いている。
(わたし、こういう冒険心のある男の子に弱いのよねぇ)
 エミリアは頬を染め、シオンを見つめる。
「……でも、ボクだけで城に行くのは無理だと感じたんです。ここなら冒険慣れしている人を雇えるかなって」
 エミリアの知識からいえば、日陽花は希少価値の高い薬草である。
 生育の日照と気温のバランスが難しく、シトーン平野部では条件に適さない。
 シオンの話どおり、並の少年少女では、その課題を提出するのは無理に等しかった。
「ところが登録制なのを知らず、表で投げ飛ばされてしまったということね」
「はい」と彼は言い、ウェイターが持ってきたコップの水を飲む。
「冒険者を雇うって、予算はどれくらいあるの?」
「えっと……これだけです。前から今回の課題があるのを知ってたので、宿屋や荷物運びの仕事を手伝って貯めました」
 テーブルの上には小銭と何枚かの紙幣が置かれ、それをエミリアは数えていく。
「全部で7万4237シング。この金額じゃ、ここにいる人なんて雇えないわ」
 シングとは、この国の通貨単位である。ここにいる冒険者の多くは国からの認可を受けているはずで、十万シングを下回る報酬では相手にもされないだろう。
「そうですか……」
 落胆するシオンの表情もまた良い。
 哀しそうな彼の瞳が、エミリアにはたまらなかった。彼女の異性の好みは少年で、シオンはその中でもとびきりの逸材だ。
「ここで、ご飯を奢ってくれたら、ルハッシュ城につきあってあげる」
「どうしてですか? だってボク、これだけしかお金ないし……」
「わたしが、そう言ってるんだからいいでしょ」
 エミリアは顔が真っ赤だ。
 彼を気に入ってしまったなんて言えない――それが本心である。
「それから、初めて会ったばかりの人に大事な物を渡すものじゃないわ。世の中、善人ばかりじゃないのよ? わたしみたいな悪人もいるんだから」
 右手の人差し指でザンハイム剣術学院のペンダントを振り子のように揺らし、シオンに言った。
 そして彼女は、それを自分の首に下げる。
「これからどんな手を使ってでもいいから、このペンダントを取り返してごらんなさい。シオン君には、ルハッシュ城に行くよりも難しい課題かもねぇ」
 テーブルに頬杖をつき、意地の悪い笑みを浮かべてエミリアは彼を挑発した。
「どんな手を使っても、いいんですか?」
「ええ、どうぞ」
 彼女が「ぞ」を言い終わるよりも早く、シオンはペンダントに両手を伸ばす。
 ――両手に、むにゅりとした感覚。
 このまま延々とこねまわしたい弾力のなにかが、彼の手の平に触れる。
「さっき会ったばかりなのに……シオン君て大胆」
 彼がつかんでいたのはネックレスではなく、エミリアの爆乳だった。
 ふにゅふにゅと心地よく指を押し返し、大きいからといって形が崩れるような垂れ乳ではないのが、彼にも十分すぎるほど理解できる。
「うわあっ!?」
 これにはシオンも度肝を抜かれた。
 彼は学院で種族ごとの特性を学んではいる。エルフは森の民で精霊魔法を使うというが、これもその一端なのだろうか――そんなことを彼は考えた。
「うふふ、魔法だと思ったでしょ? わたしがエルフだからって、そういう先入観はよくないわ。あと……失敗を口実に女性の胸から手を放さないのも、よくないわねぇ」
 彼はエミリアの乳房をつかんだままなことに気づき、耳まで赤くして焦った。
「ごごご、ごめんなさいッ!」
 シオンは慌てて両手を放す。
 ここまでしっかりと女性の胸を揉んでしまったのは、十四年を生きてきた彼には初めてである。
「シオン君、かわいい♥」
 彼の頭をエミリアは、満面の笑みで「よしよし」と言って撫でる。
 シオンは恥ずかしさのあまり、頬を紅揚させた。
 ――翡翠亭で食事を摂った二人は、冒険者用品店に立ち寄る。
「ルハッシュ城までって、ここから何日かしら?」
「片道五日……往復で約十日ってとこでしょうか」
 エミリアは店の干肉や乾麺を旅の予定日数よりも多めに竹籠に放りこみ、「わかってる?」と声をひそめてシオンにきく。
「なにがです?」
 エミリアの予想を越えない答えが返ってきた。
(ここで教えてしまうと、この子は動きが不自然になる)
 知らない振りができるほど、彼が器用な少年ではないことくらいエミリアは既に承知していた。
 琥珀亭を出てから、二人は誰かに尾行されているのである。この際、尾行している者を、人気のないところに誘いだすしかないとエミリアは思案した。
「ねぇ、シオン君。この下着は派手かしら?」
 エミリアは店内の隅の女性下着売り場にシオンを連れてきて、木製ハンガーに吊るされたピンク色のブラジャーとショーツのセットを取る。
「どう? これ着て行こっか?」
 シオンの前で彼女は服の上から、持っているハンガーの下着を胸と下腹部にあてがう。
「い、いいんじゃ…ないですか……」
 シオンはしどろもどろになり、真横を見ながら答える。
 エミリアの下着姿が想像できてしまうため、彼は恥ずかしくて直視できないのだ。
「ほら、ちゃんと見る。今回のパーティーリーダーはシオン君なんだから、下着もしっかり選んでよね!」
 彼女はシオンの頬を両手で挟み、自分のほうに向かせる。
(パーティーリーダーって、女性の下着も決めないといけないのかな……)
 上下の下着をそれぞれの場所にあてがったエミリアに悩殺されてしまい、シオンの抱いていた根本的な疑問はどこかに吹っ飛んでしまった。
「こっちのも可愛いわよ。ほらほら、シオンくぅ〜ん」
 続いてミントグリーンのフリルブラジャーとフリルショーツのセットを、彼女は服の上からあてがった。
 シオンの顔は、湯にのぼせたように赤い。
「着て欲しいのを言ってみて」
「……じゃ、じゃあ、これで」
 彼はこの場から離れたい一心で、適当に側のハンガーをつかみ、エミリアに渡す。
「シオン君てこういうの好きなんだぁ」
 その下着は黒で、ブラジャーの乳首部分とショーツの股間部分に穴が開いていた。
 これにはエミリアも赤面する。
「違うんです! そうじゃなくて、それは……」
「いいわ。あとで、これ着てあげる」
 エミリアは、シオンの耳元で囁く。
 彼はますます顔を赤くし、小声で「はい」というしかなかった。
 ――店を出た二人は、王都の東街道を歩き始める。
「それにしても、旅に出るのに丸腰なんて無茶よ」
「まさか、いまから出発とは思わなくて。学院の寮に戻れば、剣と背負い袋くらいはあるんですけど」
「日陽花はすぐ枯れてしまうわ。今日出発して、少しでも時間の無駄を省くの」
 シオンが買ったのはショートソード、地図、背負い袋など冒険者としては初歩的なものばかりである。そのせいで彼の持ち金の半分が消えたが、エミリアの説明が的を射ていたので出費は気にならなかった。
 王都から出発してゴガ山に通じる東街道を進む二人であったが、途中で道を大きく外れる。
「……なんで道から、逸れるんですか?」
 街道から外れるように指示したのはエミリアだった。
「まぁ、この先の旅が楽しくなるための露払いみたいなものよ」
 わかったようなわからないような顔で、シオンはエミリアの後をついていく。
 道から逸れてすぐは腰の高さの草だらけだったが、奥に行くにつれ、見上げるほどの木々が増えてくる。
 彼女が足を止めたのは、林の中だ。
 そこは円形広場になっており、木の切り株が腰掛けに加工されている。こういった場は、教育機関が野外での授業に使用していた。
「姿を見せなさい!」
 広場の真ん中で、エミリアは言った。
 しばらくして、木の影から男たちが現れる。
「なにしてるの、こいつら野盗よ。ボサッとしてないで剣を構えて!」
 棒立ちになっているシオンはそう言われ、鞘鳴りの音とともにショートソードを抜いた。
(なに、この人たち!? 野盗!?)
 シオンは学院で、剣術基礎の中段の構えを教わっていた。
 だが緊張によって、彼の意識からそれがすっぽ抜けている。
 彼は腰が引けており、体の左半分を無防備に敵へと向けた。
 その構えが有効なのは盾持ちの場合であって、ショートソードしか装備していない未熟なシオンにはリスクしかない。
 片手剣のときは心臓に近い体の左側を晒すのを避け、体の右側を敵に向けるのが鉄則であった。
 当然、片手剣でも体の左半分を晒すことのメリットは存在する。
 それは体の右側――右手が敵から遠くなることにより、剣に遠心力を乗せ、斬撃の威力を増すことが可能ということだ。
 しかし、彼はそこまでの剣技を習得していない。
 彼がショートソードを大上段から振り下ろしても剣速は遅く、身軽な野盗にかわされるか、隙を衝かれて胴体を斬られるかの二択だろう。
「バレちまったか。もっと泳がせて、寝込みを襲おうとしたんだがな」
 姿を現した中年の細目男は、エミリアに近づきながら言う。
 彼は抜き身のミドルソードを構え、不遜な笑みを浮かべた。
「あんな下手糞な尾行じゃ、夜まで待てないわ」
 エミリアはぶっきらぼうにこたえ、男たちの数と装備を確認した。
 前衛は三人で、後衛は二人の計五人。前三人の鎧は革や金属などを寄せ集めたもので、両手斧を持った体長二ナール(二メートル)を超える髭面の大男がやたらと目立つ。後ろの二人は灰色ローブと木杖というお約束の魔法使いだが、どのタイプの魔法を使うのか読めない。前衛の武器に魔力付与する補助魔法、あるいは火球(ファイアボール)などの遠隔魔法という線もある。
(問題はシオン君ね。足がすくんでる)
 彼が恐慌状態なのを、エミリアは荒い呼吸音から感知することができた。
 人間の数倍の聴覚を持つエルフなら、それを察するくらい余裕だ。
「俺たち、もう三ヶ月も女を抱いてねぇんだ。街で、あんたのデカいオッパイを見たらムラムラしちまって。まかせとけよ、輪姦(まわ)すのは得意だぜ。そっちのガキ、処女なんだろ? 俺が頂いてやる」
 野盗の中の大男は斧の刃を舌で舐め、シオンとエミリアを交互に見て言う。
「あなたたちみたいな、短小早漏男って大嫌いなの。そういうのは自分のママに頼んでみたら? シオン君も、なにか言い返しなさい!」
「ボ、ボクは男です……」
 シオンは誰にも聞こえないような震え声で言った。
 この女エルフ戦い慣れしてやがる――細目男はそう直感する。
 こちらは五人で向こうは二人。自分たちの倍以上の敵に囲まれれば、男であっても普通は戦意が失せてしまう。それをまったく感じさせない、あの女エルフの実力が細目男には計り知れなかった。
(あいつが異様なのは、それだけじゃない。見たところ、武器を持ってねぇ。それなのに、あそこまで俺たちにハッタリかますとは馬鹿なのか、それとも……)
 細目男は以前に酒場で聞いた、ある噂の人物を思いだしていた。
 長い金髪を結った髪。
 素手。
 性別は女。
 種族はエルフ。
 それが、噂の人物の外見だった。
(まさかな。あんなデタラメな強さの奴が、この世にいるわけないんだ……しかし、なんだこの胸騒ぎは?)
 細目男の胸中に、不吉な暗雲が立ちこめてくる。
「……我慢ならねぇ!」
「おい、ルギ! 落ち着けっ!」
 細目男は、大男のルギを制止した。
 道端にいた少年に「デカくてトロそうなオッサン」と馬鹿にされただけで、彼はその子の脳天を斧でかち割って殺害した過去がある。
(こうなると、ルギは止まらん)
 彼は病的なほど短気で、以前から細目男も手を焼いていた。
「ふざけんな、この女(アマ)ッ!」
 助走をつけ、跳躍したルギの巨体が宙に浮く。
 彼は飛び掛りながら、両手持ちの斧をエミリアの頭頂に振り下ろした。
「エミリアさんっ!?」
 これから起こるであろう惨状に、シオンは両手で顔を覆う。
 ――彼はおそるおそる両手の指を開き、その隙間から彼女を見る。
 そこには竹を割ったがごとく、真っ二つに裂けたエミリアが鮮血に染まっている……はずであった。
「眠くなるような、斧のスピードね」
 シオンは絶句する。
 野盗たちも、声を失っている。
 左手の人差し指と中指。
 それだけでエミリアは、頭上の斧を挟んで受け止めていた。
「お、斧が……!?」
 ルギの丸太のような腕が、斧を上下に動かそうとしてもビクともしない。
「法的な手続きとかは時間かかるから、死刑でいいわね」
 左手の二本指で斧を挟んだまま、彼女は側面にまわってルギの左上腕に掌底を当てる。
 その場に相応しくない、ペチッという間の抜けた音がした。
「バッテ、見くびるなよ! 斧を止められたのは俺の力が乗ってなかったからだ。それ以外にありえねぇ! やっぱりこいつはただのエルフ…叩かれても蚊ほども痛く……い、痛く………ぐぁあああああああああッ!?」
 細目男の名であるバッテと呼んだ彼の上腕が、巨大な瘤のように膨らみ――大量の血液を噴出しながら破裂した。
「輪華(リンカ)……それがあなたをあの世に送る技の名よ」
 一つ、また一つと人体に醜い瘤が浮き上がり、それが赤い血飛沫をまき散らしながら四散して、大輪の花を咲かせる。
「ぎゃああああああああああああああああああああ!! あ、あづ……あづあづあづあづ……あっづああああッあああ……ッ……あッづっ!」
 地獄の業火で焼かれるような、断末魔の叫び。
「それウチの流派だと基本技よ。ごめんなさいね。あなたごときに、奥義とか使ってられないの」
 斧が地面に落ちて刺さった場所には、かつてルギと名づけられていた脂肪の塊がどろどろに溶けているだけだ。
 溶解した肉に混じった歯らしき幾つかの白い粒……それが唯一、彼が人の姿をしていた名残りを感じさせる。
(ルギが、あんなスライムみてぇな惨めな姿に……!?)
 バッテが感傷に浸る間もなく、エミリアの姿が消える。
「どこ行きやがった!?」
 細目男のバッテは狼狽しながら、周囲を見渡す。
「お、お頭……こいつに触られた。オレもルギみたいになんかされたんだ!」
 不健康そうな太った男が、切り株に座って言った。
 そのすぐ横に、女エルフが無表情で立っている。
「この人、立ち上がった途端に自殺する。一生ここで座ったまま、過ごすしかないわ」
「助けてくれ、お頭! オレはあんたに何度も力を貸した! 五年前のあれもそうだ……あんたの計画に乗って仲間のビークを殺すのを手伝い、みんなであいつ の稼いだ金を山分けした! あれからオレの夢にビークが出てきやがる。恨めしそうな顔でオレに”なぜ殺した”って聞いてくんだよ……お頭、あんたはオレを 助ける義務がある! どうにかしろよ、おい!!」
「ビビってんじゃねぇ! ブランナ、てめぇいつから俺に指図するようになった。その女の言ってることはハッタリだ!!」
 野盗の仲間内では最も根性のないブランナだけに、あの女エルフの異様な技を見て取り乱している。
「あんた、何言ってんだ!? さっきこの女がルギにしたことを見てただろ! こいつはマジもんだ! 相手にしたらマズい化け物だ!!」
 ブランナの顔に焦燥が滲む。
「よく考えろ。立ち上がっただけで、自殺させるなんてことが出来るわけがない。これは嘘なんだ、ブランナ。俺が言ってきたことで間違ったことはあった か? いいや、なかった。これからも、お前は俺と組んで旅を続けるんだ。金が溜まったら他の大陸に移住して、好きなだけ女を抱く。今まで殺してきた奴なん て、知ったことじゃない。俺たちが幸せになるなら、それでいい。そうだろ、ブランナ?」
 バッテはブランナを説得するため、饒舌になった。
 これには、別の意図もある。
(ハズ、ニコラ……頼んだぞ)
 彼は後衛の魔術師二人に、アイコンタクトで魔法をかけるように命令していた。
 さっきの会話は、彼らに呪文詠唱させるための時間稼ぎだ。
「……そ、そうだよな!? あるわけないよな、そんな馬鹿なことが。ははっ、オレもビビりすぎて、どうかしてた。この女に騙されちまうとこだった」
「そうさ。なにを恐れている。そんな女の言うことなんて信じず、すぐ立てばいいんだ」
 ブランナが立ち上がるのを、バッテは細い目で見つめていた。
(悪く思うな、ブランナ。何故だか、おめぇからヤバい臭いがプンプンしやがるんだ。あのエルフに取り返しのつかないことをされちまった……俺の勘がそういっている)
 バッテはブランナを捨て駒にして、あの女エルフが使った得体の知れない技を見極めようとする。
「手が!? 手ぇ……手ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ〜ッ!?」
 ブランナが切り株から腰を上げたとき、異変が起きた。
 彼は右手に握っていた長剣を、首の高さに上げ始めたのだ。
「なにかの冗談だよな!? お頭ぁ! オレの手がいうこときかねぇ! まるで他人の手みてぇだ!!」
 ブランナは脂汗を垂らし、どうにかして腕を下げようとする。
 しかし、剣先が喉に向かっていくのを止めることができない。
「――操糸(ソウシ)。もともとは自白を促すために作られた技だけど、あなたが罪を告白しても無駄ね。これから、死ぬんだから」
 長剣の切っ先が喉に当たり、浅黒い肌に一本の赤い筋がつたった。
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない…ぐ、ぐひゃ……ぐひゅッ…………ぐボぉッ!!」
 喉を流れる赤い筋は、みるみるうちに太いものになる。
「ぐ……グっひゅ…………ぐぼぼぼッ!!」
 喉から大量の血が弧を描き、大地に降り注ぐ。
 ヒュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ、という笛音がブランナの体から鳴り、それが止まるのと仰向けに倒れるのはほぼ同時だった。
 彼は、ぴくりとも動かない。
 絶命していた。
「喉笛ってね、本当に喉の笛なのよ。こうやって喉を切ると、血が抜けていくのに合わせて楽器の笛みたいに鳴るの」
 前にも聞き覚えのある音だと、エミリアは暗に語っていた。
「やだ……もう、いやだあああああああああああああああああああああっ!」
 右頬に赤いダイヤマークの刺青(タトゥー)を入れた、二十代前半らしき魔術師のニコラは恐怖に耐えられなくなって逃亡を試みる。
 ――ざくり。
 彼は後頭部に、熱いなにかを感じた。
 ニコラの頭の後ろには、エミリアが投げた短刀が刺さっている。
 そして走った勢いで、前の木に激突した。
(なんだ……こ…の…? あ? し、死ぬ…………のか? ……ッ?)
 彼は己の身に何が起きたのかも知らぬまま、太い木の幹に抱きつき、そのまま息絶えた。
(ニコラの糞が。逃げようとしやがって。ハズ……アレは発動したか?)
 バッテは、もう一人の年老いた魔術師を見る。
 アレは掛かりましたぜ、お頭――ニヤニヤと笑みを浮かべ、ハズは頷いた。
「正直驚いたぜ。こんな妙な技の使い手がいるとはな。しかし、俺から言わせれば出来の悪い手品でしかない。ブランナが立ち上がったとき見えた……ショート した電流が奴の髪を逆立てたとこをな。タネがわかっちまえば、こっちのもんだ。大方、魔法による電気ショックで奴の筋組織を狂わせたとか、そんなとこだろ う。斧を指で受け止めたのも、ルギを殺した技も、動きが早くて見えないのも、全部、エルフお得意の魔法だ」
 バッテは、勝利を確信したように続ける。
「エルフなんて魔法を封じちしまえば、なにもできなくなる。そうだよな、ハズ?」
 ハズはローブから髪の薄い頭を出して、「お頭の言うとおりだ」と言った。
「お前に勝ち目はない。この場は、ハズの掛けた沈黙魔法(サイレンス)で魔法は封じられている。仲間を三人も殺(や)ったんだ……ただじゃ済まねぇぞ」
 バッテの目が据わっている。エミリアとシオンを、どう陵辱して殺そうか……それだけで頭が一杯になっている狂気を孕んだ瞳だ。
「一つ言っておくけど、サイレンスをかけさせたのはハンデ。いつもは魔術師に魔法詠唱などさせずに殺すわ……というか、どこ見てるの。わたしはこっちよ」
 エミリアの声が、バッテとハズの背後から聞こえた。
「ワシの靴が見える? おいこれ、どうなって……」
 ハズは上半身が地面に転げ落ち、草むらから自分の靴が見える目線になっている。
(どう見ても……靴から上は、ワシの下半身だよな? なんでそれが見える……?)
 ハズがこの世で最期に見たのは、朱色に染まった自分の下半身だった。
「……ハ、ハズっ!?」
 バッテが振り返って、目に飛び込んできたもの。
 それは胴体を腋下から腰に向かって右斜め下に斬られ、二つに分断されたハズの姿だった。
 草むらで仰向けになった上半身と、立ったままの下半身の切断面から、夥しい量の血が溢れ出している。
 その後ろには、素手の女エルフが立っていた。
(こいつは武器を持っていないッ……!? じゃあ、どうやってハズを? 魔法! そう、魔法だ!! ……魔法……違うっ! 魔法はもう封じられている! その前に俺の前から消えやがった! な、なんだこれは……これは!?)
 バッテの理解を超えた相手だった。
「あなただけになったわね」
 急に耳元で声がして、バッテは後ろに飛びのいた。
「さ、さっきの連中から、お頭なんて言われてたが、あんなクズども仲間だと思ったことはねぇ。あいつらに俺は利用されていたんだ!」
「利用ねぇ……」
 エミリアはバッテに疑いの目を向ける。
 この細目男の言葉に、彼女は胡散臭さしか感じていない。
「本当なんだ! お頭なんていわれてるが、一番の下っ端なのさ。あいつらから、仲間になれって脅されて……! いまは反省している。だから命だけは勘弁してくれ。このまま王都に行って、自首するつもりだ!」
 バッテは手にしていたミドルソードを投げ捨てた。
「これに懲りて、改心することね」
「……ああ、そうするよ」
 エミリアが踵を返したときだった。
 バッテは懐からナイフを出し、エミリアの背中にそれを突き立てる。
「エミリアさん、危ないッ!!」
 シオンの間合いの外であるため、彼のショートソードはバッテにとどかない。
(あのガキの攻撃は当たらねぇ!)
 シオンの立ち位置も計算に入れての不意打ちだ。
「かかったな! バカがあああああああああああああああああああああああああああああぁ〜ッ!!」
 バッテは全身の力をナイフに乗せ、エミリアの背に振り下ろす。
 ――ひゅっ。
 バッテの右腕の下から上に向かって、なにかが動いた音がした。
「……うぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 喉が潰れるような、バッテの呻き声があがる。
 彼が転げまわった地面には、赤黒い水溜りができていく。
 ナイフを握っていた、彼の右腕の肘から先は消失していた。
「他人の命をなんとも思ってない奴の言葉ほど、信じられないものはないわね」
 エミリアは五本指を揃えた右手の手刀をバッテに見せる。
 そんなもので自分の右腕や、ハズの胴体をチーズのように切れるわけがない――そう思ったバッテだが、今更にしてあの噂のことを再び思いだしていた。
「……き、聞いたことがある………得物を持たず、素手でドラゴンをも倒すという、女エルフがいるってなぁ…ま、まさか……あんたがっ…………!?」
 出血で朦朧としているバッテは、目の前の美しい女エルフを見た。
「さぁ、誰かしらそれ……あなたを殺そうと思ったけど、他にも罪がありそうだから生かすわ。これから、ここで殺されておけば良かったと感じるような拷問が待ってるけど。後からくる人たちが手当てしてくれるはず……シオン君、行くわよ」
「……あ、はい!」
 シオンは状況がまったく呑み込めないまま、エミリアに手を引かれてその場を去った。
「後から人がくるって、こんなとこに誰がくるってんだ!」
 バッテは無傷の左手で地面を這い、呪詛のようにつぶやく。
 街道から離れたこの広場に誰かが通りかかるなど偶然でも有り得ず、エミリアの言葉など彼は信用できない。
 だが、彼以外にいないはずの場所なのに声がした。
「私たちが尾行しているのを、彼女は気づいていたのでしょう」
 バッテが声の方を見ると白いローブ姿のエルフと、右目に眼帯を付けた人間の男性の二人が立っていた。
「あ、あんたらは………………?」
 隻腕となったバッテは出血によるショックで、それだけ言って気絶してしまう。
「ギラードさん、彼に手当てを」
「しっかしこいつ、マジで運のいい野郎だ。サレスさんと俺が彼女を追ってなかったら、ここで死んでたぜ」
 翡翠亭の入り口で見張りをしていた眼帯男――ギラードは小袋から、昆虫の特殊な体液で作り出した止血剤の粉を取り出した。そして意識を失ったバッテの右腕の傷口にそれをふりかけ、慣れた手つきで用意していた包帯を巻く。
 ギラードは翡翠亭で扉番をしているが、それは表向きのことだ。
 彼はれっきとした、エルフ大使館の職員である。
 エルフからすれば異種族だが、現地の人間の情報網やコネクションを使うことも多いため、こうしたケースは珍しくはない。
 逆に人間の大使館で、エルフを採用することもある。
 そのため、大使館職員として勤務する族種は幅広かった。
「自分たちよりも遥かに強い方を護衛するなんてとても馬鹿げていますが、これも仕事なので仕方ありません。彼女が要人である以上、我々は命に代えても護衛任務を遂行させねばならないですからね」
「ですが、あまりにも奴(ヤッコ)さんが強すぎて、俺たちの入る隙なんてなかったですぜ」
 サレスは部下のギラードの言葉に、複雑な笑みを浮かべた。
「加勢しようかと思いましたが、足手まといになりそうだったので控えて正解でした。私たちみたいな半端者が出ていっても、彼女の邪魔になるだけです」
「人の体が爆発したり、自分で喉を突いたり……最後は魔法が封じ込められてるのに剣も持たず、二人もぶった斬りやがった。ありゃあ、只者じゃねぇ。そろそろ彼女が、何者かを教えてくれねぇですか? 気になってしょうがねぇや」
 ギラードはあたりに散らばる野盗たちの惨殺死体を見て、肝を冷やした。
「――世界樹の七葉(ユグドラシル・セブンリーフ)。それが彼女です」
「なんです、そりゃ? 聞いたこともねぇ」
「簡単に言えば、我々エルフの最強の七人。彼女はそのうちの一人です。人間のあなた方が知らなくて当然ですよ。ですが、こう言えばわかりやすいかもしれない……各大陸の王は、世界樹の七葉と敵対するのを全力で避ける」
「そんな桁違いの女とはねぇ。その割には、ここまで知られてないってとこを見ると……」
「世界樹の七葉は公(おおやけ)には、存在しない。私のような大使館の館長でようやく、世界樹の本部に連絡を取って護衛を任される程度です。しかも街を出て、しばらくしたら彼女を追うなという厳命を受けています」
 サレスは言いながら、近くの切り株にナイフで刺し止められた小さな白い紙きれを見つける。
(……これは?)
 そのナイフは、右腕を切断されたバッテが持っていたものだ。
”サレスさん、野盗を頼みます。それからデートの邪魔しないで”
 彼が読んだ紙きれには、赤い血でそう書かれていた。
 ――エミリアが、バッテの右腕を斬ったときのことだ。
 彼女のもう片方の左手が、動いたようにサレスには見えた。
 プロセスとしては空中に撥ね飛んだ野盗の右腕から彼女はナイフを左手でつかみ、さらに振りぬいた右手でベルトの小物入れから紙きれを取りだす。そして飛び散った野盗の血を指先に塗り、メッセージを紙きれに書き残したのだ。
 恐るべき、早業である。
 自分たちの尾行が気づかれていたのも、このメッセージではっきりわかった。
(世界樹の七葉――やはりとんでもないですね)
 サレスは身震いした。
 野盗の気配にまぎれて二重尾行していたのに、ここまではっきり覚られていたとは。
「そこの怪我した男を、お願いします。彼には余罪について聞かなければならないことが、山のようにありますからね」
 野盗で一人だけ生き残ったバッテは気絶したまま、ギラードに背負われた。
「いい寝顔です。今のうち夢でも見ておいたほうがいい。これからは容赦ない、取り調べの苦痛しかありませんから」
 バッテを眺めながらそう言ったサレスの声には、憐れみが含まれている。
「それでは行きますか」
「へい」
 二人のエルフ大使館職員は、王都に続く街道に向かいはじめた。



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